2-10.公儀髭剃り役 後編
なんと髭剃るだけで2話も使っちゃいました。貧乏冒険者は大人の男を見るのも珍しいと言う世界です。さらに、髭が濃くなるまで生き続ける男が少ないためトルテラの髭は大人気なのです。
※本文中で、週という単位を使っていますが、この世界では7日単位は通常使いません。
地球の月ほど巨大な衛星ではないので、あまり目立ちませんし、月の満ち欠けも滅多に
無いため月の単位が使われていません。30日を1月と書いていると考えてください。
========
次にアイスが来たときは大変だった。
遠くからでも髭が目立ったのか、大喜びで走ってきた。
「すげー、2週間でこんだけ伸びるのか。来て良かった」
来て良かったって、たった2週間の無精ひげレベルで凄い喜びようだ。
これだけ喜ばれると悪い気はしないな……と思ったら、例のぷよんぷよんが飛んできた。
素早く躱す。……が、反転してすぐ飛び付かれスーハーされてしまった。
これをやられると力が抜ける。
やっぱこいつ、絶対何か吸い取ってる……と思った。
剥がそうと苦戦していると、リナが来て助けてくれた。摘まんでひっぺがす。
そしてどこかに持って行った。
俺が剥がすのに苦戦するのに、なんでリナはあんなに簡単に引っぺがせるのだろう?と思った。
コツみたいなものがあるのだろうか。
それはそうと、アイスに髭いつ剃るか聞いてみたら、今日は髭が伸びてる状態を満喫するから、明日にすると言う。
2週間レベルの無精ひげ満喫って、2、3ヵ月伸ばしたらどんな反応するんだろうか……と思った。
「触ってもいいか?」と聞くので、いいよと答える。
普通に触って、「うわ、ブラシみたいだな」と言った。
するとテーラが得意げな顔をして、「チクチクするんだよ」と言って、俺の手を下に引っ張るので顔を下げると俺の髭に腕を当てる。
アイスも真似してやってみる、「おお、本当だチクチクだすげー」。
すげーはこっちだよ!!
無精髭くらいでこんなに騒がれるとは。
以前から、目立つから髭を剃れって言われてた意味がよくわかる。
遠くから見ても良く目立つし、近付いてもこの騒ぎ。
まあ、コイツらは髭フェチみたいだから特別なのかもしれないけど。
でも、アイスも冒険者。
金も無いだろうし、そのまま行けば一生男と一緒に暮らすことも無いかもしれない。
髭も近くで見たこともろくに無いかもしれないしな。
だからこんな髭くらいでも凄く貴重なんだろうと思うと、なんだかアイスがとても健気な良い子に思えてきた。
だが、その気持ちはエスティアに見破られていた。
視線がちょっと……痛いんだけど……
========
斬髪式……ではなく斬髭式。
ついに髭を剃る日がやってきた。
まずはナイフの使い方から。
ナイフと言っても、いつも髭剃りに使ってるやつで、テーラが凄く大事にしてるやつだ。
お父さんの形見とかそんなのかと思ったが、単に髭剃り用だからと言っていた。
そのときは意味が分からなかったが、テーラにとっては髭剃りは大事な儀式みたいなもんなんだなきっと。
刃渡り7~8cmの超小型版のナタって感じの形で、先が尖っていないものだ。
この世界の刃物は切れ味が悪い。
ところが、このナイフはやたら研ぎまくってあって、よく切れるのだ。
刃が弱いので髭剃り専用。
「刃は立てて、横に引く」「縦に引くとすぐ切れて血が出るから」「細かいところはちょっとずつずらして横、ずらして横」。
テーラに指導されながら、アイスが真面目に練習する。
「こうか?」「そうそう。毛の方向に注意して」
今剃ってるのは俺の腕の毛だ。練習で腕の毛を剃っている。
なんか腕が一部だけツルツルになってしまった。
そして、遂に髭を剃るときが来た。
アイスが明らかに緊張した顔で、「緊張するなぁ」と言った。
いつもお気楽なアイスの緊張顔は見たことが無かったので、おもしろかった。
テーラが、「ちょっと待って、その前に」と言って、止めた。
そのあと、こうしてみて、と言って横から俺の頬に自分の頬を寄せて、頬で髭をじょりっとした。
俺の中で何かのスイッチが入った。
これは今の俺には刺激が強すぎた。俺は固まって動けない。
続けてアイスが頬を寄せる、ところが、上から下に動いたのでじょりっとならない。
テーラが手を添えて、こうだよと言って下から上へじょりっとする。
アイスが驚き、「うわっ痛、すげー、じょりっとした」と言った。
俺はリミット超えて動けなくなった……ので、ちょっと休憩が必要になってしまった。
見事に不意打ちを食らってしまった。
今まで頬でじょりは無かったので、心の準備ができなかった……
女の子の頬は柔らかいのだ。
休憩の間、アイスは大騒ぎで、「やっぱ男いいな、スゲー」とか騒ぎまくっていた。
テンション高すぎて、あのまま髭剃ったら、俺が血まみれになりそうなので、そういう意味でも休憩挟んで良かった。
気を取り直して、今度こそ髭を剃る。アイスは凄く真剣な表情をしている。
ジョリ……ジョリ……ゾリ
この世界には鏡が無い……いや、この世界に無いかはわからないが、この世界に来てから俺は一度も鏡を見たことが無い。
もちろん、ここにも無い。
なので、今自分がどんな状態なのかわからないが、
「毛並みの方向があるから、そこはこっちからこう」とかテーラに指導を受けながらアイスが髭を剃る。
そんなやりとりがしばらく続いた。
そして、テーラが、
「うん。大丈夫。上出来」と言った。剃り終わったらしい。
俺も緊張してすげー疲れた。
アイスはふうっと息を吐き、エベレスト登頂みたいな顔をしている。
そして、その隣でテーラも、偉業を成し遂げたような顔をしている。
ゲームだったら、テッテレー 〇〇の称号を手に入れたみたいな音とメッセージが表示されそうだった。
そのあとはいつもの調子に戻った。
「すっげー、髭すっげー、やっぱ男いいな、すげー」とか言っていた。
後から聞いたら、俺がゲームだったらと言っていたシーンでは、テーラとアイスの中では”公儀髭剃り役の称号を手に入れた”となっていたらしい。
髭剃りの方はあとから手で触ったら、口の横辺りから血が出てた。
ちょっと失敗してたらしい。俺の体は異様に治りが速いから、あまり問題無いのだけど。
この日からアイスとテーラは髭剃りマニア同士、師弟愛と言うかそんな感じでやたら仲良しになっていて、テーラのお母さんのシートも喜んでた。
ちなみにシートも髭マニアだそうだ。髭は伸ばす派らしい。
伸ばした髭のお手入れが如何に素晴らしいかを語っていた。
今まであんまり似てないと思ってたけど、考えが変わった。
これは確実に親子だ……と思った。
……………………
……………………
それにしても、ひげを剃るだけで大騒ぎ。
ずいぶんおかしな世界に来てしまった。
俺はなぜこの世界に来たのだろうか?
単なる事故……それとも俺が望んで来たのだろうか?
仮に、この状況を横浜に住んでいた時の俺が見たらどう思うだろうか?
電気も無い、ネットもスマホも無い。食べ物もまずい。風呂も無い。
着替えの服さえ持って無い。そして俺は産廃扱い。
ここは不便で酷い世界だ。
医療も発達していないこの世界での俺の余命は、たぶん、あまり長くないと思う。
そして、俺は自分の意思でこの世界に来たという記憶は持っていない。
でも、もし、こんな生活が待っていると知っていたら、俺はここに来ることを自らの意思で決めて、ここに来たのかもしれないとも思う。
俺は横浜で暮らしていた時、ここと比べたら衣食住では十分高レベルな環境にあった。
この世界の基準で見たら、横浜にはあらゆるものが安価に入手できて、まるで天国のような場所だったかもしれない。
でも、今のこの光景は横浜に住んでいた時の俺には眩しく感じられるだろう。
俺はとても小さな幸せが欲しかった。貧しくて不便でも、ここにはそれがある。
俺は、この子達に会いたいと思って、この世界に来たのかもしれない。
そんなふうに思えた。




