2-9.公儀髭剃り役 前編
診断に出発したときは、3人でしたが、戻ってきたときには5人に増えていました。どんどん増えて何が起きるのでしょうか?
やっと、なんとかテーラの家まで戻ってきた。
懐かしく感じてしまうほどだ。
懐かしく感じるほど長期間戻ってこなかったわけでも無いし、そもそも、ここに住み始めてから、そんなに長くない。
でも、家に帰ってきた感が凄い。
いろいろありすぎた。
ただ、正直、当初の目的の診療の方は、さっぱりだ。
俺の体を調べに行ったのに、俺は結果をろくに聞いていない。
ただ酷い目に遭ったという印象が強い。
それに、何よりあの2人だ。
俺は横浜に住んでいて、突然ここに来たと思っていたが、俺を知っている人物が居た。しかも複数人。
だとしたら、俺はいったいいつからこの世界に居るのだろうか?
この世界での記憶が一切無かったのは何故なのだろうか?
むしろ謎が増えた。
横浜に住んでいたという記憶の方も疑わしく感じてしまうが、ここに無いものを詳しく覚えているのだから、これを嘘の記憶と考えるのにも無理があるように思う。
テーラの家に戻ってきて一息付けたが、相変わらず俺は蚊帳の外。
皆で話をしているが、俺には秘密みたいで教えてもらえなかった。
ここは横浜のように騒々しくないので、普通に話している声が、部屋の外からでも聞き取れる。
ただ、小声で話されると、そこは聞こえない。
肝心な俺の診断結果に関しての部分は聞こえなかった。
その他は普通に話してたので聞こえるのだが。
俺が以前カリオ神殿の森で拾われたこと、徴兵されたが砦には居なかったこと、前に拾ったのがアイス達であることなどを話してた。
ただ、ところどころ隠されてる感じで、今回は俺に秘密みたいなことがけっこうあった。
なんか寂しい気分になった。
まあ、もちろん、俺が聞いても嬉しくない話なんだろうけど。
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帰って来た時から、やたら見られている気はしていたが、目が合うとテーラが言う。
「ひげ、伸びた」
「ああ、すぐ伸びるんだよ」
たしかに、何日も剃らなかった無精ひげを見たのはひさしぶりなのかもしれない。
ここの男は、ふつう髭を剃らないように見える。
俺の世界でも、ひげを剃らないのが普通な国もある。
髭が生え揃うまでには、けっこう時間がかかる。
髭が十分濃く生える年齢と、成人する年齢はほぼ一致する。
なので、髭が生えたら一人前という基準もある。
俺の国では、髭を伸ばす人はほとんど居なかった。
きれいな髭を維持するためには手間がかかる。
世界的にも、髭を伸ばす人が多い国は少なかったように記憶している。
だから、髭を伸ばすとよく目立つ。
ここでは、さらに髭が凄く目立つ。俺は伸ばしているわけではなく、無精ひげが数日分伸びてるだけだ。
だが、俺の毛は凄く黒い。
鏡が無いのでどう見えているかはわからないが、髭を抜いて見る限り、横浜に居たときと同じく完全な黒。黒髪黒ひげ。
土地にもよるかもしれないが、この世界の人たちは俺ほど真っ黒な毛ではない。
金髪だったら、無精ひげを数日放置した程度では目立たないと思うのだが、
俺の場合は、目立たないように剃らないといけないようだ。
まあ、確かに、剃らずに居たら村を追い出された。
ひげ剃ってれば、違う結果になっただろうか?
いや、たぶん結果は変わらない。
俺は白髪はそれなり多いが、白髪では無い毛は、かなり極端な黒。
そして、髭は剃っても1日でかなりはっきり見えるくらいまで伸びる。
肌の色とかなり差があるから目立つのだろう。
考えてみれば、自然に生えてくるものをわざわざ毎日剃り続けるというのは、なんとも無駄な作業だ。
なんで、皆、ひげを剃っていたのだろうか?
横浜に居た時は、そんなに気にしていなかった。
そんなに手間かけずとも簡単に剃れたから。
ここでは剃らなきゃ目立ってしまう。
自分で剃れれば良いのだが、ここには鏡は無いし、刃物が凄いなまくらで、ぜんぜん剃れない。
仕方無く剃ってもらうのだが、剃ってくれるのが若い女の子だと、俺はものすごく緊張するのだ。
ここでは石鹸も手に入らないので、どうしても肌がべたっとしてしまう。
たぶん、おっさんのべたべたの肌なんか触るの嫌なはずなのだ。
こんなおっさんのひげを剃ってくれるなんて、テーラはなんて良い子なのだろうと思う。
ただ、妙なリズムと仕草をする。
ジョリ、ジョリ、ジョリ。
ふんふん。
「におわない」と俺が言う
「におわない」とテーラが言う
ジョリ、ジョリ、ジョリ。
ぺた。
「くっつかない」
「くっつかない」
なぜか復唱する。
そんな姿をシートが見ていた。
テーラの家に居るときは、髭は母屋側で剃ることが多い。水場に近くて便利だからだろうか。
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髭を剃ってもらった後に外に出ると、いきなり声をかけられた。
「トルテラ、髭剃ったのか」 アイスだった。
アイスは大雑把なイメージがあったので、髭くらいで反応するとは思わなかった。
「さっぱりしたよ。テーラに剃ってもらってるんだ」と答える。
すると、アイスは「すげー。髭剃りか、すげー」と言った。
アイスのすげーは意味わからないことも多いが、これは俺にも意味が分かった。
”髭生えるすげー”、”髭剃るすげー”なんだな。
女は髭が生えないから、髭が生えるのも、髭を剃るのも珍しいんだな。と思った。
「なら今度剃ってみるか?」と言ってみた。
「いいのか?……本当に?」と言う。すげーが入ってないことに驚く。
「いいよ。もちろん」と答えると
「すげー、髭剃りか、すげー」と言った。
今度はいつも通りスゲーが入った。それはもう凄い大喜びだった。
1日分の髭じゃつまらんだろうから、伸ばしておいて次来た時に剃ってもらうことにした。
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アイス達が帰っていったので、髭を伸ばし始めようとしたのだが、珍しくテーラに抗議を受けた。
「トルテラは私だけのものじゃないけど、この髭は私の物」と言う。
は? 髭って、伸ばしてる髭ならともかく、毎日剃って捨てちゃう部分なんだから、どうでも良くないか?と思ったが、髭はテーラの所有だと言って譲らない。
そうか、俺は邪魔だから剃っていると思っていた。そうではなかったのだ。
でも、アイスに次来た時髭剃ってもらう約束しちゃったと言うと、それは仕方ないから、剃らせるのは良いと言う。
じゃあ何が問題なのかと思ったら、帰ってきてから、まだ1回しか剃ってないから、今日と明日は髭を剃るという。
3日連続で剃れば気が晴れるとか、そんな感じなのか?
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盲点だった。
髭に関しては、気付かなかったが、改めて考えてみると、この世界は、男が少ない。
特に髭が濃くなるほど長生きする男は少ない。長生きする処置済みの男は髭が生えない。
けっこう珍しいのだろう。
伸ばした髭に価値があるのは俺にもわかる。男のシンボルだから。
ただ、剃る髭にまで価値があるとは思いもしなかった。
俺にとっては、髭は邪魔だから剃るものだけど、女性から見ると大事なものなんだな?
いや、テーラが特別なだけで普通はそうでもないような……でも、アイスも髭好きみたいだしな。
とか考えているうちに、母屋に連れて行かれる。
髭を剃られる。
ジョリ、ジョリ、ジョリ。
ふんふん。
「におわない」
「におわない」
ジョリ、ジョリ、ジョリ。
ぺた。
「くっつかない」
「くっつかない」
におうのもくっつくのも何かしら意味があるのかもしれないな……と思った。
翌日も髭を剃ってもらい、やっと伸ばす許可が出た。
ちなみに、髭の所有権のことをエスティアとリナに聞いたら、テーラの物だと答えた。
取り決めとかあるのだろうか。俺は髪もテーラに切ってもらってるから、頭髪もテーラの物なのか?
て言うか、髪はエスティアもリナもテーラに切ってもらってなかったか?




