おわかれ①
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お祭り騒ぎは、翌朝には嘘のように静まり返った。まるで何事もなかったかのように、キース族は次の日を静かに迎えた。
静かではあるけれど、後始末やナダの司書院配属で動きは忙しいものだった。ナダはわたしとベイのテントで眠って朝ごはんを詰め込み、早々に出て行ってしまった。
一度散歩に出てみたけれど、キース族の隠れ住む廃村全体が、どことなくピリピリとした空気に包まれていて、居心地が悪くなってすぐに戻った。アドラーとリエラも何か大事な用事があるらしく、今日は朝食時に顔を見せたきりだし、バーバラに至っては姿も見ていない。
監視役の三人がいないから、迂闊に外にも出られない。本当に、昨日までの賑やかさはどこへ消えたのだろうか。
――と思ったら、ベイは「少し出てくる」と一人でテントを出て行ってしまった。
(何なんだよあいつ……自分だけ自由行動しやがって)
不貞腐れてみたい。……でも、ベイはただ外の空気を吸いに行ったのではないことくらい分かる。わたしと比べればまだ気楽な立場のベイは、また調整役を買って出てくれているのだ。
ナダと話し合うまでの二日間、わたしの役目は、このテントに留まること。勝手な行動をしては、キース族との関係が悪くなる。キース滞在の初め頃に感じていた緊張感がまた襲ってきて、気分がずんと重たくなる。
じゃあ、ナダと話をしたその後は?
わたしは一体どんな役目をすればいいんだろう……。
焚き火の傍で膝を抱えた。幾分艶やかになった砂色の髪がひと房、頬にふわりと落ちてきて、昨日のナダの手を思い出して胸がざわついた。
+ + +
祭りを終えて、二日後の日暮れ時。
ナダは溜息をついた。今の今、そこの樹の陰に黒いコートを確かめたので、“エバンズの魔女”も驚くようなスピードで駆け寄ったというのに、そこにはもう雪の上に足跡が残るだけだった。
「ジゼルとは終ぞ言葉を交わせなんだか」
背後からゆったりとした足取りで追いついたのは、ナダの伯父のジル。
白い眉を下げる伯父に、ナダは俯いた。
「父さんには沢山話したいことがあった。でもそれは俺だけだったみたいだ。少しでも話せれば……父さんの話を少しでも聞ければ、別の道も見えてくるだろうに」
「済まんなあ、わしァあ奴の血を分けた兄ながら、頭の出来は弟の方が良くてな。何を考えとるのか分からん。……分かったつもりでおっただけだった」
二人で濃い溜息をつく。二人分の白い息がふわりと立ち上がり、森の狭間に消えた。
顔を上げて踵を返したナダを追って、ジルも元来た道を戻った。やはりその歩みはゆったりとしたもので、怪訝に思ったのかナダは立ち止まった。
「どこか悪いの、伯父さん」
「いやなに、少々腰がな。俺も齢をとったよ」
「何を言うんだ。まだ……」
言いかけた言葉をナダは飲み込んだ。
ナダに追いついたジルは、緩く微笑んでぽんぽんとナダの肩を叩いた。
「然うだな。まだ四十を数えたばかり。お前は何も間違うとらんよ、何も」
「……ごめん……」
「そんな顔をするでないよ。男が廃るぞ」
親愛を灰色の瞳いっぱいに映すジルは、つとその顔を僅かに歪ませた。ほんの僅かに――しかし、キース族の表情としては、それは色濃いもので。
「決行は明日と聞いとる」
「ああ。抜かりなきよう事に当たります」
「伯父と甥」の顔から一転、「族長と若手」のそれに二人は口調も声色も変えた。
ジルは目を伏せた。
「……辛い役目をさせる」
「己自ら決めた道だ。辛いのが俺一人ならば、こんなに楽なことはない」
「それが辛いと言うとるのだ。……しかし、お前も進言した通り、我らは手段を選んでは居れぬ。たとい可愛い甥であろうと……“長”たるもの、犠牲を厭うては居れんのだ」
否、ただジルだけは、族長と伯父の境目が曖昧になっている。そのことはジル自身当然自覚はある。息子のバーバラが「腰抜け」と評する所以だ。
双子の弟ジゼルは、この境目を決して見誤ることはなかったというのに。やはり長としての格が、要素が、何か足らぬところがあるのだろう……そう自戒を込めたため息を吐いたジルの肩に、ナダがぽんと手を載せた。
「ジル伯父さん。あんたは議会のど真ん中でどんと腰据えてりゃいい。それが今のあんたのお役目だろ?」
「ナダ……」
「俺は大丈夫。そう案ずる顔を見せれば、議会の皆も不安になろうぞ」
ニッと笑みを見せ、ナダは背を向けて先に歩き出したが、少し歩いたところで「ああ、そういえば」と思い出したように振り返った。
「作戦中、天幕の傍へは誰も寄らせんでくれ。やり取りを聞かれるのは俺とて恥ずかしい」
「……ああ、分かったよ。そのように取り計らおう」
今度こそ立ち去るナダの背を見て、ジルはゆっくりと顎を撫でながら今のやり取りを反芻していた。ナダの表情、仕草を思い返していた。
――薄っすらと、しかし確かに、眦が吊り上がっていたのを。
ジルを置いて先に森を抜けたナダは、とある廃屋に差し掛かったところでふと目を眇めた。
しかし直ぐさま表情を元に戻した。そして何か違和感を覚えたのか、足を止めないまま右手の手首をさすり、指を開いたり閉じたりして確かめる。
「うーん……やっぱ舞で捻ったかな……」
気のせいだろうという風に右手を振って、そのまま廃屋の前を通り過ぎていった。
「了解した、ナダ」
……廃屋の暗がりに、色の黒い双眸が瞬いた。
○ ○ ○
朝からずっと、心臓がどっくんどっくんと肋骨を叩いている。痛いのは心臓なのかあばら骨なのか、そもそも痛いのかどうかも分からなくなっている。
そんな状態だけど、涼しい顔をしてわたしのいるテントに現れたナダが何だか癪で、頑張って平静を貼り付けている。いつまで保つかは分からない。まともに話も出来るかどうかも、正直微妙なところだ。
「ナダの方は落ち着いた?」
ここ二日間のナダは忙殺されていて、お祭りの後からきちんと顔を見るのはこれが初めてだ。
ナダはわたしの隣に腰を下ろして伸びをした。
「まあまあってところだな。今は実験事故が起こった当時の日誌読んでる」
「どれぐらいあるのそれ」
「研究員がざっと三十人……もっといたかな。よりによって全員筆まめな人たちだったから、量がもうやべえんだよ。細かいの何のって」
「それ全部読まされんの?」
「モチ」
「キースこっわ」
考えただけで眩暈がしてくる。しかもナダは記憶力をあてにされての司書院配属なのだろうから、よりしんどそうだ。
ふう、とナダが息を吐いた。
……雰囲気が変わった。軽口はおしまい、わたしたちはこれから本題に入る。この吐息は、その合図。
ナダが何か言いかけた寸前、わたしはそれを遮って声を発した。
「話す前にルールを決めよう、ナダ。これから喋ることに嘘は混ぜないこと。全部本音でぶつかろう」
「……いいよ。分かった」
ナダが諾したのを見て、ひっそり息をつく。どうにか先手を打てた。主導権を握らせさえしなければもしかしたら……なんていう悪足掻きを、この期に及んでして見せるわたしは、これ以上ないくらいにダサい。
「ここまで一緒に来てくれて、俺、本当に感謝してるんだよ」
話し始めたナダを見ることができない。だからわたしは、目の前でゆっくりチロチロと燃える焚き火を見つめて、頷いている。
「俺一人じゃ故郷になんて帰れなかった。帰るどころか、あの公園のベンチで死んでてもおかしくなかった」
けれど、隣に座っているナダは、わたしを見ている。視界の端で、ブルーグレーの目がわたしを覗き込んでいるのが分かる。
頑なに焚き火を凝視していたけれど、一呼吸おいてナダの口から飛び出た言葉に、わたしは思わず振り向くことになる。
「嘘言わないルールだし、隠し事苦手だからこの際言う。俺はキース族の議会から、お前を籠絡してでも味方に引き入れろって密命受けてる」
「――ろーらく、え、籠絡って、は?」
「誑かすなり惚れさすなり、って意味。分かる?」
「そりゃ言葉の意味は知ってるけどさ……ええ?」
目を白黒させるわたしを、ナダは可笑しそうに見つめてくる。いや笑い事じゃない、なんて爆弾を投下してくるんだ。
ナダのこういうところは本当にバカだと思う。どうしてバカ正直に言っちゃうかなあ。
「何、誰が誰を誑かすって?」
「俺が。お前を」
「ベイじゃなくて?」
「野郎惚れさせてどうすんだアホ。とにかく、キースはお前を手元に置いて利用する気でいるってことだ。あの研究施設の生き残りで、未だに研究員として拘束されてるザッケスを――」
「いいよ」
ナダの目を真っ直ぐ見て、そう言った。
少し安心していた。ナダはバカだから、わたしを利用するつもりなら、言い訳をするように逃げ道を見せながらも、正面から頼みに来る。そういう奴だ。
「いいよ。あんたが望むなら、わたしは別に利用されたっていい。軽い気持ちで命預けてるわけじゃない」
そういう奴だと……思っていたのに。
「違うだろ、イコ。俺が望むことをとか、そんなことこれっぽっちも、お前は考えてない」
低く落ち着いた声が、真正面からバッサリ切り捨てるように、否定した。
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なんとか来週も更新出来そうです。
よろしくお願いします。




