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Blank-Blanca[ブランクブランカ]  作者: 奥山柚惟
第8章 ここぞわかれ目
96/97

おわかれ①

  ○ ○ ○






 お祭り騒ぎは、翌朝には嘘のように静まり返った。まるで何事もなかったかのように、キース族は次の日を静かに迎えた。

 静かではあるけれど、後始末やナダの司書院配属で動きは忙しいものだった。ナダはわたしとベイのテントで眠って朝ごはんを詰め込み、早々に出て行ってしまった。


 一度散歩に出てみたけれど、キース族の隠れ住む廃村全体が、どことなくピリピリとした空気に包まれていて、居心地が悪くなってすぐに戻った。アドラーとリエラも何か大事な用事があるらしく、今日は朝食時に顔を見せたきりだし、バーバラに至っては姿も見ていない。

 監視役の三人がいないから、迂闊に外にも出られない。本当に、昨日までの賑やかさはどこへ消えたのだろうか。




 ――と思ったら、ベイは「少し出てくる」と一人でテントを出て行ってしまった。


(何なんだよあいつ……自分だけ自由行動しやがって)


 不貞腐れてみたい。……でも、ベイはただ外の空気を吸いに行ったのではないことくらい分かる。わたしと比べればまだ気楽な立場のベイは、また調整役を買って出てくれているのだ。

 ナダと話し合うまでの二日間、わたしの役目は、このテントに留まること。勝手な行動をしては、キース族との関係が悪くなる。キース滞在の初め頃に感じていた緊張感がまた襲ってきて、気分がずんと重たくなる。


 じゃあ、ナダと話をしたその後は?

 わたしは一体どんな役目をすればいいんだろう……。


 焚き火の傍で膝を抱えた。幾分艶やかになった砂色の髪がひと房、頬にふわりと落ちてきて、昨日のナダの手を思い出して胸がざわついた。






  + + +






 祭りを終えて、二日後の日暮れ時。


 ナダは溜息をついた。今の今、そこの樹の陰に黒いコートを確かめたので、“エバンズの魔女”も驚くようなスピードで駆け寄ったというのに、そこにはもう雪の上に足跡が残るだけだった。


「ジゼルとは(つい)ぞ言葉を交わせなんだか」


 背後からゆったりとした足取りで追いついたのは、ナダの伯父のジル。

 白い眉を下げる伯父に、ナダは俯いた。


「父さんには沢山話したいことがあった。でもそれは俺だけだったみたいだ。少しでも話せれば……父さんの話を少しでも聞ければ、別の道も見えてくるだろうに」

「済まんなあ、わしァあ奴の血を分けた兄ながら、頭の出来は弟の方が良くてな。何を考えとるのか分からん。……分かったつもりでおっただけだった」


 二人で濃い溜息をつく。二人分の白い息がふわりと立ち上がり、森の狭間に消えた。

 顔を上げて踵を返したナダを追って、ジルも元来た道を戻った。やはりその歩みはゆったりとしたもので、怪訝に思ったのかナダは立ち止まった。


「どこか悪いの、伯父さん」

「いやなに、少々腰がな。俺も齢をとったよ」

「何を言うんだ。まだ……」


 言いかけた言葉をナダは飲み込んだ。

 ナダに追いついたジルは、緩く微笑んでぽんぽんとナダの肩を叩いた。


()うだな。()()四十(しじゅう)を数えたばかり。お前は何も間違うとらんよ、何も」

「……ごめん……」

「そんな顔をするでないよ。男が廃るぞ」


 親愛を灰色の瞳いっぱいに映すジルは、つとその顔を僅かに歪ませた。ほんの僅かに――しかし、キース族の表情としては、それは色濃いもので。


「決行は明日と聞いとる」

「ああ。抜かりなきよう事に当たります」


 「伯父と甥」の顔から一転、「族長と若手」のそれに二人は口調も声色も変えた。

 ジルは目を伏せた。


「……辛い役目をさせる」

「己自ら決めた道だ。辛いのが俺一人ならば、こんなに楽なことはない」

「それが辛いと言うとるのだ。……しかし、お前も進言した通り、我らは手段を選んでは居れぬ。たとい可愛い甥であろうと……“長”たるもの、犠牲を厭うては居れんのだ」


 否、ただジルだけは、族長と伯父の境目が曖昧になっている。そのことはジル自身当然自覚はある。息子のバーバラが「腰抜け」と評する所以(ゆえん)だ。

 双子の弟ジゼルは、この境目を決して見誤ることはなかったというのに。やはり長としての格が、要素が、何か足らぬところがあるのだろう……そう自戒を込めたため息を吐いたジルの肩に、ナダがぽんと手を載せた。


「ジル伯父さん。あんたは議会のど真ん中でどんと腰据えてりゃいい。それが今のあんたのお役目だろ?」

「ナダ……」

「俺は大丈夫。そう案ずる顔を見せれば、議会の皆も不安になろうぞ」


 ニッと笑みを見せ、ナダは背を向けて先に歩き出したが、少し歩いたところで「ああ、そういえば」と思い出したように振り返った。


「作戦中、天幕の傍へは誰も寄らせんでくれ。やり取りを聞かれるのは俺とて恥ずかしい」

「……ああ、分かったよ。そのように取り計らおう」


 今度こそ立ち去るナダの背を見て、ジルはゆっくりと顎を撫でながら今のやり取りを反芻していた。ナダの表情、仕草を思い返していた。

 ――薄っすらと、しかし確かに、(まなじり)が吊り上がっていたのを。











 ジルを置いて先に森を抜けたナダは、とある廃屋に差し掛かったところでふと目を眇めた。

 しかし直ぐさま表情を元に戻した。そして何か違和感を覚えたのか、足を止めないまま右手の手首をさすり、指を開いたり閉じたりして確かめる。


「うーん……やっぱ舞で捻ったかな……」


 気のせいだろうという風に右手を振って、そのまま廃屋の前を通り過ぎていった。




「了解した、ナダ」


 ……廃屋の暗がりに、色の黒い双眸が瞬いた。






  ○ ○ ○






 朝からずっと、心臓がどっくんどっくんと肋骨を叩いている。痛いのは心臓なのかあばら骨なのか、そもそも痛いのかどうかも分からなくなっている。


 そんな状態だけど、涼しい顔をしてわたしのいるテントに現れたナダが何だか癪で、頑張って平静を貼り付けている。いつまで保つかは分からない。まともに話も出来るかどうかも、正直微妙なところだ。


「ナダの方は落ち着いた?」


 ここ二日間のナダは忙殺されていて、お祭りの後からきちんと顔を見るのはこれが初めてだ。

 ナダはわたしの隣に腰を下ろして伸びをした。


「まあまあってところだな。今は実験事故が起こった当時の日誌読んでる」

「どれぐらいあるのそれ」

「研究員がざっと三十人……もっといたかな。よりによって全員筆まめな人たちだったから、量がもうやべえんだよ。細かいの何のって」

「それ全部読まされんの?」

「モチ」

「キースこっわ」


 考えただけで眩暈がしてくる。しかもナダは記憶力をあてにされての司書院配属なのだろうから、よりしんどそうだ。


 ふう、とナダが息を吐いた。

 ……雰囲気が変わった。軽口はおしまい、わたしたちはこれから本題に入る。この吐息は、その合図。

 ナダが何か言いかけた寸前、わたしはそれを遮って声を発した。


「話す前にルールを決めよう、ナダ。これから喋ることに嘘は混ぜないこと。全部本音でぶつかろう」

「……いいよ。分かった」


 ナダが諾したのを見て、ひっそり息をつく。どうにか先手を打てた。主導権を握らせさえしなければもしかしたら……なんていう悪足掻きを、この期に及んでして見せるわたしは、これ以上ないくらいにダサい。


「ここまで一緒に来てくれて、俺、本当に感謝してるんだよ」


 話し始めたナダを見ることができない。だからわたしは、目の前でゆっくりチロチロと燃える焚き火を見つめて、頷いている。


「俺一人じゃ故郷になんて帰れなかった。帰るどころか、あの公園のベンチで死んでてもおかしくなかった」


 けれど、隣に座っているナダは、わたしを見ている。視界の端で、ブルーグレーの目がわたしを覗き込んでいるのが分かる。

 頑なに焚き火を凝視していたけれど、一呼吸おいてナダの口から飛び出た言葉に、わたしは思わず振り向くことになる。


「嘘言わないルールだし、隠し事苦手だからこの際言う。俺はキース族の議会から、お前を籠絡してでも味方に引き入れろって密命受けてる」

「――ろーらく、え、籠絡って、は?」

「誑かすなり惚れさすなり、って意味。分かる?」

「そりゃ言葉の意味は知ってるけどさ……ええ?」


 目を白黒させるわたしを、ナダは可笑しそうに見つめてくる。いや笑い事じゃない、なんて爆弾を投下してくるんだ。

 ナダのこういうところは本当にバカだと思う。どうしてバカ正直に言っちゃうかなあ。


「何、誰が誰を誑かすって?」

「俺が。お前を」

「ベイじゃなくて?」

「野郎惚れさせてどうすんだアホ。とにかく、キースはお前を手元に置いて利用する気でいるってことだ。あの研究施設の生き残りで、未だに研究員として拘束されてるザッケスを――」

「いいよ」


 ナダの目を真っ直ぐ見て、そう言った。

 少し安心していた。ナダはバカだから、わたしを利用するつもりなら、言い訳をするように逃げ道を見せながらも、正面から頼みに来る。そういう奴だ。


「いいよ。あんたが望むなら、わたしは別に利用されたっていい。軽い気持ちで命預けてるわけじゃない」




 そういう奴だと……思っていたのに。




「違うだろ、イコ。俺が望むことをとか、そんなことこれっぽっちも、お前は考えてない」


 低く落ち着いた声が、真正面からバッサリ切り捨てるように、否定した。






  ○ ○ ○

なんとか来週も更新出来そうです。

よろしくお願いします。

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