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Blank-Blanca[ブランクブランカ]  作者: 奥山柚惟
第8章 ここぞわかれ目
95/97

冠婚葬祭ぜんぶのせ③

  ○ ○ ○






 しばらく料理を堪能していると、聞こえてくる音楽の調子が変わったのに気が付いた。弦楽器がじゃかじゃか賑やかに鳴っていたのが、太鼓と横笛とギターのような楽器が一つずつ、シンプルな編成のセッションに代わっている。

 人の流れもどんどんそちらへ向かっている。ベイが「舞が始まるんじゃねえか」と言うので、使用済み食器を重ねるスペースにお皿を置いて、わたしたちもそちらへ向かうことにした。


 人だかりの中心はぽっかりと開いていて、端の方に演奏しているメンバーが見えた。中でも、敷物を敷いた上に胡坐をかいて、かなり激しいリズムを奏でているのは、何と大嫌いな研究班員・あんぽんたんのヘザックだった。


(めっちゃ上手いのが何か腹立つ)


 無表情で淡々と、皮のピンと張られた太鼓を叩く様は、とてもシュールだ。そのビートは複雑なのに一片の綻びも見せず、安定した打音の上で、管弦楽器の二人はそれぞれのびのびと自分の仕事をしている。

 と、中心に誰かが躍り出た。赤や紺の飾り布が垂れた羽織が、歩く動きに合わせてひらひらとたなびく。よく見れば、それを着ているのはナダだった。


 緩いチュニックの腰をベルトで締め、ズボンもゆったりと太めのものだ。この寒い中だというのに、その服の生地は薄いように思える。

 羽織は袖口が広い七分袖で、前も紐などで止めず開いたまま。丈は膝ほどもあって、歩くと飾りや裾がヒラリと翻ってかっこいい。胸元ではさっき貰った首飾りが、頭ではバーバラと似たような額飾りの留紐が、それぞれ動きに合わせて揺れている。


「着替えてるな」

「ね。似合ってる」


 きっとナダに合わせて作られたのだろう。サイズも形も、衣装が作り出す雰囲気も、とてもナダによく似合っている。

 ナダは長い棒を持っていた。一メートル半くらいの長さだろうか。それをくるくると器用に回して、腰を落として構えた。

 ――音楽がそれに合わせて、止んだ。


「あの棒を槍に見立てて、狩りの様子を表現するのよ」

「リエラ! びっくりした……バーバラは? ここにいていいの?」

「今日の大目玉を逃すわけにいかないでしょう?」


 雪の妖精のようなリエラは、とびきりの笑顔でウインクを送ってくれた。心臓が、心臓がちょっと急にうるさくなってきた、どうしようわたし死ぬかもしれない。


「ほら、始まるわ……前の方に行かせて貰いましょう」


 リエラは花嫁という特権を使って、わたしと一緒に人だかりの前の方へ移動した。その間に音楽が始まってしまった、見たいけれど背の高いキースの人たちに阻まれてよく見えない。

 どうにかこうにか最前列ににゅるんと押し出されて、わたしは息を呑んだ。



 それはとても激しい舞だった。


 棒を駆使して宙に跳び上がった、

 かと思えば棒の上で逆立ちして、

 宙でくるんと回って着地、

 すぐさま槍のように突き出して――、



 演武にも似た舞だ。初めて見るわたしの目にも、その振り付けが狩を模していることが伝わってくる。ああ、今、大きな獣を仕留めた。目には見えない獣がずしりと空気を震わせて、地に斃れる、その様がありありと見えるようだ。


「すご……やっつけちゃった」

「今のは熊狩りの舞ね。ここまで踊れれば大したものだけれど……ああ矢張り」


 沸き起こった拍手に、ナダは小さく頭を下げるだけ。その様子を見てリエラが呟いた。


「“竜”までやるつもりなのね」

「竜って……ドラゴン狩りってこと? え、嘘でしょ、“北の壁”ってマジでドラゴンいるの!?」


 小さい頃に読んだ絵本に「大陸北部にはドラゴンが棲んでいる」というおとぎ話があったのを思い出した。そびえ立つ壁のような山脈の向こう側は未開の地で、そこにはまだおとぎ話や古代の生き物たちがまだ生きている――という話だ。

 言ってみればキース族もおとぎの妖精になるかもしれない。じゃあ火を噴くドラゴン、大河を凍らせるドラゴンも、巨人や小人も……?


「ふふ、イコかわいい。居るかもしれないわね」


 口元を押さえてクスクス笑むリエラは世界で一番かわいらしい。


「それっていないって意味じゃん。なあんだ……」

「あら、居ないとは言っていないわ。本当に居るかもしれないわよ、私たちが見ていないだけで。“竜殺しの舞”はね、空想の存在をも倒し得る力を持っている、それを表現する舞なのよ」


 それだけにとても難しいのだけど、とリエラが息を詰めてナダを見つめたので、わたしも目を戻した。

 ナダは自分で現した水を飲むダイレクト摂水をしていた。ついでに息も整えている。汗をびっしょりかいていて、薄手の衣装の理由が大いに分かった。あんな激しい動き、分厚い服のままではとてもできない。

 水を飲み終え、額の汗を拭ったナダは、すぅと息を吸い込んで、吐いた。


「フゥ――……」


 呼吸音と共に、ブルーグレーの目が、キュウッと鋭さを増していく。

 思わずどきりとした。獲物を見定める男の目だと、何か本能的なところが囁いてきた。その視線の向こうにつつと目を遣ると、宙に小さな火の玉が浮いて、徐々に熱量を増して膨張していく。

 何とはなしに、その火球から目を離せない。空気を燃やして震わせて、こちらにも熱気を伝えていく――。


 突然、ゴウッと猛々しく天へ燃え上がり、うねった。火柱……いやあれはドラゴンだ。炎がドラゴンを象り、空中をぐるりと回って、ナダと暫し睨み合った。


 刹那の静寂――ナダとドラゴンが同時に動いた。


「危なッ、ぅあっつ!」

「大丈夫? 火の粉が当たった?」


 リエラがふわりと手をかざしてきた。炎を操る力を使って火の粉を防いでくれるのだろうけど、別に火の粉は浴びていない、あのドラゴンが凄まじい熱量なのだ。


「リエラのお陰で涼しくなったよ、ありがと。……あのドラゴンってナダが操ってるの?」

「いかにもね。あの舞はね、己の体のみならず、能力を使いながら舞うものなの。故に難易度も跳ね上がるので、ごく一部の者にしか舞えないのだけど……」


 まさか舞えるだなんてと、リエラはガラス玉のような目に驚きをいっぱい映している。

 炎の翼をはためかせ、尾を振り回して襲い来るドラゴンを、ナダは槍を使ってヒラリヒラリと躱し距離を詰め、腹を突き尾を払い、闘っている。

 火竜を操っているということは、自分や槍の動きに合わせてドラゴンも動かしているということ……旅の途中に時々水人形を作って見せてくれたけれど、あれの最たるものということだ。


 音楽はどんどんヒートアップしていく。それに合わせて観衆の手拍子も増していく。いつの間にか子供たちの姿も見えるようになっていて、顔をキラキラ輝かせながら拳を振り上げて「がんばれー!」「まけるなー!」とナダを応援している。かわいい。

 そのかわいらしい声援に、ナダが不意にニヤリと唇を捲り上げた。


「――あいつ、何をする気かしら」


 突然バク転しながら竜と距離をとったナダ。わたしの目にも脈絡なく映ったその動作に、リエラや他の人たちも異変を感じたようだ。それまでの歓声が、顔を見合わせるようなざわめきに変わっている。

 次の瞬間。


「……えっ」


 ナダの体が――ゴポリと、水に包まれた。

 何が起こったのか分からない。キース族の誰も彼も、言葉を失って静寂が訪れた。ただ依然燃え盛る炎のドラゴンと、水の泡に閉じこもったナダが揺れ動いている、いや違う、水がうねって何かの形になろうとしている――


 子どもの一人が叫んだ。


「水の竜だ! 竜を呼んどる!」


 籠ったような音が、ザバァッと滝のような音に変わり、水が方々に舞い散った。かと思えば空中で水の一粒一滴がピタリと静止、また元の場所へと収束していく。集められた水は炎の竜と同じだけの大きさにまで膨れ上がり、同じく竜の形を模した。


 水の竜だ。


 水流の形作る竜体が、身をくねらせて上空へと舞い上がった。それを追うようにして炎の竜も羽ばたき、上空でぶつかる。

 高温に霧散する水。しかし炎も一部消され、二体の竜は双方とも体が欠ける。しかしまだもつれ合う、蒸気を上げながら地表へと落ちていく――。


 その時、全員が意識を外していた。

 これは――()()()()なのだ。


 絡み合った二体の竜を、一閃、上空から真っ二つに斬り裂いた。

 炎も水も消え失せ、ただ蒸気の立ち込める中、槍を突き立てた人影がゆっくりと立ち上がる。

 冷たい風を呼び込んで霧を晴らした人影――ナダは、会心と言わんばかりにニッコリ笑みを見せ、深くお辞儀をした。


 わあっと歓声が上がった。あちらこちらからナダに向かって水が浴びせられているけれど、これはキース流の褒め方なのかもしれない。

 思い出したように演奏が再開されて、人の輪がどっと雪崩れるように崩れた。


「わ、わ、ちょっと――!」

「ほら掴まれ」


 ベイががっしとわたしの肩を捕まえたおかげで、人混みに流されずに済んだ。


「ったく、また人間自動車かよ。次は何だ?」

「みんなで好き勝手に踊るんだ」


 聞き慣れた声が間近でして、鼓動がどくりと跳ねあがった。

 振り返って見上げれば、そこには頬を上気させたナダがいた。汗で張り付いた前髪を掻き上げるその様に、またざわざわと落ち着かない心地になるけれど、どうにか隠してナダとハイタッチした。


「お疲れー。凄かったよ、さっきの踊り。あのドラゴンたちはナダが操ってたんだって?」

「まあな。難しかった、ニルーヘさんったら――踊りの指南役な、その人が三日で完成させるぞってスパルタ指導してきたんだ。俺は“竜殺しの舞”までやる気はなかったのに」

「そりゃ俺のせいだな。ニルーヘの舞を見てうっかり、ナダが似た動きで戦闘してたって洩らしちまった」

「このやろう」


 まったく悪びれずに言ったベイに、ナダはじっとりと横目でにらんだ。


「それで、この後はみんなで踊る番なんだ? リエラとバーバラが手つないでイチャイチャしながら踊ってるけど、ああいう踊りなわけ?」

「あの二人は新婚だからさ。冷やかしに行ってもいいけど、どうせなら俺らも踊ろうぜ」


 ぐいと腕を引っ張られて、開けた広場の中央へもつれるようにして躍り出た。既にフリースタイルで踊っていた人たちも、それを眺めていた人たちも、ほぼ全員の視線がわたしとナダに集まる。


「は? やだ、ちょっと無理だってば、わたしあんな激しく踊れないんだけど!?」

「あれをやるわけじゃねえって。ほら手ェこっち、スキップで回って、そらっ」


 右手をナダの右手に繋がれて、音楽に合わせて右回り、繋ぐ手を変えて左回りに、ぐるぐるグルグル回った。それだけで何だか楽しくて、スキップで乱れた息で笑ってしまう。


「あはは! いいぞイコ、その調子!」


 ナダも笑っている。今までに見たことのないほど明るい笑みで、それだけで胸が満たされる。適当にぐるぐる踊るわたしたちを眺める人々も、柔らかい視線で手拍子をしてくれている。


「あっははは、待って、目ェ回ってきた!」

「じゃあ選手交代。ベーイ! おいそこの男前ェ! ここらで一遍踊っとけェ!」


 踊るわたしたちを他人事に眺めていたベイは、もしゃもしゃ食んでいた肉をごっくんと飲み込み、ナダの呼び声に応えてこちらに来た。

 と思ったら体がぐわんと宙に持ち上げられた。脚をばたつかせると「大人しくしろ」とおしりを叩かれた。


「セクハラだあ! ベイのえっち!」

「おいなんで俺まで持ち上げてんだよ、下ろせってこの野郎!」


 見れば、ナダもわたしと同じように、もう片方の肩に担がれている。

 凄い。ベイって同時に二人担げるんだ……。


「ったくお前らときたら、いつまで経っても俺離れしねえな。ほら、()()()()()なんだろ、楽しませてやろうじゃねえか!」

「え、なに、やだ、……ぎゃあああああ!?」


 わたしとナダをサイボーグみたいな肩に担いだベイは、そのまま広場を走り出した。速い、後ろ向きに乗っかっているからどうなっているのか分からなくて怖い、全力疾走するとかバカじゃないの、……でも楽しいのは事実で。


「ぎゃあああ――ッはっはっは、あはは、超速ェ! ちょ、人ぶつかる、危ないってばベイ!」

「おォーーーろーーーせーーーェ!」






  ○ ○ ○






 広場はすっかり、好き勝手に踊る人、ここぞとばかりに食べ狂う人、お酒の飲み比べ大会、歌や楽器のライブに合唱、それからベイにダブル肩車してもらう子供たちと一部の大人でカオスになっている。

 わたしとナダは少し外れたところのベンチで、どんちゃん騒ぎを眺めながら、本場キースの上等な肉をいただいていた。長のジルさんがわたしたちの分を取っておくよう担当者に指示してくれていたらしい。


「おお、柔らかい! さっき食べたのは水分抜けて堅かったけど、これはジューシーだね。塩気も効いてる」

「こっちの香草焼きもうまいぞ。食う?」


 そう言ってナダは、香草と一緒に焼いた肉の端の方を切り取って、フォークごとわたしに差し出してきた。ぱくりと頬張ると、香ばしさと肉汁がジュワッと口中に広がって、あっという間に幸福感が満たされる。


「うん。……うん、おいしい」


 お前さっきからそればっか言ってるな、とナダに笑われてしまった。そういうナダこそ、いろんな肉にかぶりついては、美味いうまいと頷いている。ただ、何となく、前よりも食べるペースや量が落ちている気がする。


「……何?」


 様子を窺っていたのがバレた。木をくりぬいて作ったマグカップから顔を上げたナダと目が合った。

 えっと、と咄嗟に言い訳を考えるけれど、どうにも頭が回らない。さっきから……いいや、ここ数日、ずっと頭がふわふわして落ち着かない。


「前みたいにバカ食いしなくなったよね」

「前ほど食わなくても体が楽になった。ヘズ(にい)は、能力を抑えるのに養分が必要だったんじゃないかって言ってる」

「急に背が伸びたのもそれだっけ?」

「今思えば、ガラクトで暴走した後、病院でちょっと背伸びたんだよ。あれも解放された分だったんじゃないかって思ってさ」


 そう言ってナダは、食べ終わった皿をベンチの空いているところに置いた。コトリという音が聞こえるくらいには、ここはとても静かだ。雪が音を吸収しているせいだろう、それにしてもわたしとナダだけ別空間にいるかのように、あちらの喧騒が遠く感じる。

 わたしもカップとお皿を置いた。互いに互いが座っているのと反対側に空の食器を置いているから、わたしとナダを隔てるものは何もない。


 近い。

 ……いつも近かったはずだ。何ならくっついたことだってたくさんあった。ならどうして今更、この距離に全神経を傾けているんだろう?


「イコ」


 名を呼ぶ声が、低い。ざらりとかすれている。その声にわたしの心臓もざらりと舐められて、全身の血が暴れ出しそうになる。

 持てる気力を全部使って何でもない顔を作って、ナダを見上げた。ブルーグレーの目がいつもより濃く見えて、わたしの中にまで入り込んでくるようで、少し――怖い。負けじと見返すけれど、それが一体何秒経ったのか、もう何十分もそうしているのか、だんだん分からなくなってくる。眩暈がしてくる。漂う濃密な空気に、息の仕方を忘れる。

 不意に白い手が伸ばされて、頬に触れた。淡い感触がピリリと電撃が走ったようで、背筋が震えた。


「っ……」

「あ、ごめん。嫌だった?」


 ナダはただ、頬にかかっていた髪の毛を払ってくれただけ。そう、それだけ。

 けれどやっぱりざらざらする声で様子を窺われて、それが何ともくすぐったいのだけど、このくすぐったさを悟られるのは何だか癪だ。


「何でも。ちょっとびっくりしただけ」

「ふうん……イコは今日楽しめた?」

「キースの人がお祭り好きなのは伝わったよ。お肉も美味しかったし、楽しかった。……楽しかったよ」

「そうか。それは良かった」


 ナダがふっと息だけで笑んだ。キースの大人らしい笑み方で、少しジゼルさんにも似ていて、けれど間違いなくナダの笑い方で、ざわりざわりと落ち着かない。

 ナダは正面を向いた。わたしも広場に視線を戻した。もうそろそろ子供たちは動きが鈍くなってきていて、大人に負ぶわれた子がぐったりと眠ってしまっている。お酒で出来上がった人は応急処置だとダイレクト摂水をしようとして失敗して、水浸しになって被害が拡大している。そのあちらこちらで、どことなく名残惜しいような、「もう終わりだね」という雰囲気が漂っている。


「もう二日くらいはバタバタすると思う」


 広場を見たままナダが言う。

 静かな声で、穏やかに。


「それが終われば、時間が取れる。その時に話をしよう」


 静かに、穏やかに――期限を告げる。

 胸の内がざわざわする。さっきまでの浮ついたようなざわざわから一転、沈んだところで騒めいて、少し苦しい。

 こみ上げる苦みを飲み下して、わたしは頷いた。


「うん。待ってる」

「分かった」


 広場の方では、この祭りを終わらせるものかとでも言わんばかりに、酔った大人たちが肩を組んで大合唱している。

 無言のまま、ただそれを見守る。いつの間にかナダに手を握られていた。握り返して、わたしも無言を貫いた。ずっとこのままこの時間が続けばいいと、たぶんナダも同じ気持ちで、そう思った。






 ああ――楽しい時間が、終わってしまった。






  ○ ○ ○

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