冠婚葬祭ぜんぶのせ②
○ ○ ○
「嗚呼、とうとう逝ってしまったか。お強い方だったよ、ナダのお母上は」
「ア、アレン先生!?」
感慨が吹っ飛んでしまった。山向こうのヴォドラフカ村の医者・アレンが、軽い感じで「よっ、元気そうじゃん」と片手を上げて現れたのだ。
「来てたんだ?」
「一応リーシャさんのことは気掛かりだったんでね。訃報を聞いてスケジュール調整してきた。ナダは大役果たしてお疲れ様だなあ」
「まだ終わってないよ。この後自分の成人式も控えてるんだ」
「へ?」
「んで、更にその後は従兄の結婚式」
アレンは目を剥いた。
「冠婚葬祭ぜんぶ一日でやるとか……バカなの?」
「バカなんだよ。ここに来て結構経つけど、思ったよりキース族は脳き……したたかな人たちだよね」
「いやまあ、そりゃあ僕も何度かここには来てるけど、あらまあ……」
「アレン、静かにしろ。もう始まるぞ」
ベイが低く窘めてきたので、わたしとアレンは慌てて口を閉じた。
ところが、成人の儀は呆気なく終わってしまった。キース族の普段着と羽織に身を包んだナダは、ジルさんから所属する部署の割り当てとお祝いの言葉を短く言われただけ。それが終わるとそそくさ退場して婚儀の準備に入った。
主役じゃないのか。主役の一人であるはずの人間が、今裏方で作業しているけれど、本当にそれでいいのかキース族。
舞台転換を待つ参列者たちは、顔を寄せ合ってひそひそと雑談していた。
「司書院だとな」
「探索ではないのか」
「わしァてっきり外でのお勤めだろうと思うとったのだが……」
「みんな、ナダの配属先がそんなに気になってたのかな」
わたしもベイに耳打ちした。キースの人々に釣られて、わたしまで内緒話をするみたいに声を潜めてしまう。
「ずっと外にいた奴だからって、こんなに注目浴びるもんなの?」
「さあな。だが……正直俺も意外だ。くそ、よりによって司書か」
「なんか悪いことでもあるの?」
わたしの問いに、ベイの目が一瞬泳いだ。
……珍しい。
「俺が知るかよ。なんでだ?」
「だってベイ、あちゃーみたいな顔したじゃん」
「してねえ。……まあ強いて言うなら、バーバラと賭けてたんだよ。俺は探索、あいつは司書ってな。くっそマジかよ……」
負けたからやべーもん食わされると、ベイは眉のあたりに険を滲ませた。……やべーもんって一体何だろう? まあ、知らない方が幸せかもしれない。
するとにわかに会場全体の熱気がぐっと上がった。見れば、結婚式の準備はもう済んでいて、祭壇に長とバーバラが二人並んで立っている。
「あ、バーバラだ……かッ、かっこいいー!」
「イコ静かにしろ」
思わず声を上げたわたしの口を、ベイが慌てて塞いできた。
わたしの声に気付いたのだろう、バーバラは器用に白いウインクを飛ばしてきた。
膝丈まである深い赤地の上衣は、襟元周りを白糸で植物模様の刺繍が施されて、腰を飾り帯でキュッと締めている。その帯も、色とりどりの布が組み合わされたベルトで、垂らした端では木製の飾りが揺れている。
黒いズボンに毛皮のブーツを履き、上衣の上からは毛皮のハーフコートのようなものを肩にかけている。髪型もアップスタイルに撫で付けられて、額の飾りがいつにも増して、筋の通った顔立ちを引き立たせている。左耳の横で紐を結ぶのはいつものスタイルだ。
断言する。これは誰が見ても男前だと言うだろう。
新郎に見とれている場合ではなかった。ざあっと参列者たちが左右に分かれて中央に道を作った。空いたその道を、ゆっくりと、付添人を伴った新婦が歩いてくる。
――その日のリエラは、この世で一番美しかった。
小花のモチーフでふんわりとまとめられた髪は、冬の陽光に白銀に輝いて。
腰元で締められたワンピースはバーバラとお揃いの赤色で、たっぷりしたドレープと、胸元で輝く白糸の刺繍が女性らしく。
肩と背中を覆う毛織物の上着は、普段使いのそれとは比べ物にならないほど意匠が凝らされて。
ブーケを手に、頬をばら色に染めて微笑むリエラはとても幸せそうで、息を忘れるほどに綺麗だった。
「…………」
「イコ」
「……大丈夫」
ベイの手が背中に当てられた。分厚い服の上からでも分かるほど、ベイの手はとても温かい。その熱に呼吸の仕方を思い出す。
「わたしは大丈夫だよ、ベイ。案外平気」
「本当だろうな」
「うん。心の準備する時間は一杯あったからね」
遠くの方、陽の射す中で、バーバラとリエラはキスをした。キース族の皆が二人の結婚を祝福していた。その景色は、キース族の境遇を思えば思うほど、胸が痛くなるほど幸せな光景だ。
「自分でも意外だよ。こんなわたしでもちゃんと、人の結婚をお祝いできる気持ちが生まれるんだなあって。ほんとだよ、嘘じゃない」
リエラの味わっている幸福感が、今この時に絶頂であって欲しくない。ずっとその幸せが続いて欲しいと、心から思う。
けれど胸のどこかに刺さった棘がわたしを苛んでいるのも事実で。
「テント戻るか?」
ベイが気遣うような声でそっと尋ねてきた。
俯いて、広い背中に額を押し付けた。温かい。
「ちょっとこのまま壁になってて。……ちょっとの間でいいんだ」
広い胴体にベイの返事が反響するのを間近で受け止めた。
大丈夫。まだ、お母さんは見えない。
○ ○ ○
一通りの儀式を超特急で終わらせたキース族たち。
けれど会場はまだそわそわと落ち着かない空気で満ちている。
実は大体の察しは付いている。ジルさんは「宴の席でたっぷり振舞わせてくれ」と言っていた、そしてナダの「葬式後は焼肉パーティーと決まってる」という前情報からして……。
「ベイ。いよいよ本場の葬式パーリナイが拝めるよ」
「別に俺ァ拝みてえなんて一つも思ってねえがな」
「異文化に触れる貴重な機会だよ? ……あ、なんか始まった。能力使ってる……?」
見れば、外周を囲うように人が配置されていて、両手を天に向かって掲げて何かしている。でもその手の先から何か出ているようには見えない……首を傾げていると、ベイが言った。
「人がいる一帯を空気の膜で覆うんだってよ。ほら、ナダもよくやってたろ、盗聴防止にって」
「なんでわかるの」
「進行打ち合わせの場に俺も出たからな。警備のアドバイスくれって言われたもんで」
ちょっと馴染みすぎじゃないだろうか。
部外者に警備配置関わらせていいの?
「膜を維持する奴は定期的に入れ替わる。全員が祭り楽しめるようにな。ここいらでジルが出てきて、臨時体制に入るって宣言して──」
「然て皆の衆、此れよりは臨時の組織編成となる。各自、事前に告知の通り務めを頼むぞ」
ジルさんが厳かに……でもちょっとニヤニヤを隠しきれずに告げた。
ベイは上空を見上げて解説を続けた。
「んで、結界維持班から完了報告が上がり次第、レッツパーティーってわけだが……思ったより仕事早ェな。どんだけはしゃぎてえんだ、こいつら」
「もうできるの? 早いね」
「そうだな、もう少し……いや今仕上がった」
「なんでわかるの」
「わかるだろ。こいつらが力使うの」
わかりません。ベイがおかしいんだよ。
「良しよし、防音措置は完了とのことだ」
寄せられた報告に何度も頷く長には、もう厳かさなど微塵も、これっぽちも窺えない。
「あーあー、んー、オホン」と発声練習をしたジルさん、ついにはキースらしい慎ましやかさすら消え失せた笑みをニヤッと見せ――耳をつんざくような怒号を轟かせた。
「聞けェ、山よ! 谷よ、地よ、空よ、そしてェ皆の衆――ッ!」
「うぅわお、びっくりした……」
あまりの怒号に驚いて、胸を抑えて息を整えようとした。
けれど大して意味はなく。
「本日はァお日柄も良ぉく! 更にいとめでたきことにはァ! ナダの帰還ッ! バーバラとリエラの結婚ッ! 此れを祝わず何とするかァ――ッ!?」
長の怒号すら掻き消す大歓声が、拳と共に空高く突き上げられた。
ビクッと飛び上がって思わずベイに隠れた。今までの静けさは何だったの? この人たちこんな大声出せたの!?
すう、と深い深いジルさんの呼吸音が、最後列にいるわたしの耳にまで届いた。
……ヤバい。耳塞いどこ……。
「――全員限界まで羽目外せェ! 飲め食え騒げ、宴だァ――ッ!」
「「「うおおおぉぉぉ――――!」」」
両手の耳栓がまったく用をなさなかった。
と思ったらベイがわたしに覆いかぶさってきた。何事かと目を白黒させたけど、すぐに訳を理解した。今の今まで大人しく参列していたキース族たちが、まるで怒れる暴れ牛が如く、その身体能力を存分に活かして移動を始めたのだ。
彼らが向かう先では大篝火が焚かれていて、そう間を置かずにとても食欲をそそる匂いと、何か芳しい香りと、それから太鼓や笛や何かの弦楽器の音が聞こえてきた。
「うわ、すっご……予想以上にお祭りだ……」
「無事か?」
「お陰様で何ともないよ、あんがと。あはは、すっごいね、人間に轢かれるとこだった!」
「笑ってる場合か……そら、早く行かねえと、あいつらに肉全部食われるぞ」
それは困る。キース族の野性味溢れる食事、ここで逃せば次はない! ……なんて思うのは、わたしも随分染まっているのかもしれない。
(なんか……こういうの、久しぶりだな)
気分が浮き立つのはわたしも同じ。楽し気ながらどこか切ないような音楽と、料理の焼けるいい匂いに釣られるようにして、わたしとベイも大篝火の方へと寄っていったのだった。
大篝火の近くはとても温かい。他にもあちらこちらに焚き火が上がっていて、そちらでも肉や魚を調理しているらしい。火に群れる人たちに近づいていくと、何と料理の載った皿を手渡された。てっきり争奪戦かと思っていたのに……。
「先ずは皆で均等に分け合うのだ。それで足りない者らが、残った分を奪い合う」
皿を渡してくれたのは、前に子どもたちの前で物語をしてくれた男の人だ。わたしが意外そうな顔をしているのを見てそう説明してくれた。いい人だ。
「良かった。食べれないかと思ったよ」
「お客人に振舞わぬわけにも参らん。争奪戦に入らずとも、欲しいと言えばある程度は叶おう」
「あはは。ある程度ね」
「楽しみは食い物だけではないぞ。成人した男子が必ず踊る舞があるのだ。“狩の舞”というてな、此れを終いまで踊り切って一人前の男児というわけだ、まあわしは終ぞ舞えんかったが」
そう言って語り部さんは笑って見せてきた。キース族の中でも身体能力に差はあるようだ。でも考えてみれば当たり前のことだ、誰だって得意不得意はあるのだから。
この後ナダも踊るというから、それまでに腹ごしらえをしようと、有り難く料理をいただくことにした。鹿肉を部位ごとに切り分けて塩に漬け、野草で香味をつけて炙り焼いたものらしい。外側はこんがりと焼けているけれど、中は火が通らず赤身のままで、香りのついたステーキのような見た目だ。
一口齧ってみた。ちょっと堅い。塩に漬けて水分が抜けてしまって、それを焼いているからだろうか。でもジャーキーみたいでおいしいし、見た目に反して野性味たっぷりという訳でもない。香りの強い野草と、あとコショウのように肉にまぶされたコレはよくおやつに貰っていた木の実だ、これが香ばしさを更に引き立てて食が進む。
「おいしいね。いっぱい噛むから満腹感もあってお得」
「外の者にはちと堅かったか。スープもあるぞ、そちらを召し上がっては?」
語り部さんが別の焚き火の方を指し示した。見るとベイが既に向かっていて、木を加工して作られた椀を二つ受け取っていた。
「わたしの分? あんがと」
「俺ァもうちょい味が濃い方が好みだが……ここじゃ味気は贅沢らしいな。流通もねえから岩塩は貴重なものだって話だ」
「あ、でも魚のダシが出てておいしいね。この野草もいい味出してる」
お前すっかりナダの味付けで舌作られたな、とベイに呆れられてしまった。ベイは旅の道中、ナダが作るごはんを「味が薄い」と言って、よく塩や香辛料を足して食べたものだ。ガラクトで食べた料理も香辛料の効いたものが多かったし、ガラクト人は濃い味付けが好きなのかもしれないと思う。
でもそれが裏目に出るだなんて、まあ思いもよらないことだ。
「ベイどの、塩気が足らんのなら少し足すといい。なあに、少しくらいなら誰も文句は言うまいよ」
「そうか? なら少し貰おうか」
この後、ベイが塩を足しに行った場所から悲鳴が聞こえてきたけれど、それはまた別の話……。
○ ○ ○
ベイさんどんだけ塩足したんだ……




