冠婚葬祭ぜんぶのせ①
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リーシャが亡くなったその日の夜。
ひときわキンと空気の冷える中、バーバラはナダを迎えに、議会の大天幕へと急いでいた。ナダの成人の儀とバーバラ自身の祝言に加え、ナダの母リーシャの葬儀も同時に執り行われることに決まったため、その打ち合わせに呼びに行くのだ。
大天幕に耳をぴったり付けても、不思議と声が漏れ聞こえることはない。重要な話し合いなどの際は、不用意に情報を伝播させぬよう盗聴防止の空気膜が張り巡らされるのだ。まさに今、その処置がなされているらしく、中の様子をバーバラには窺い知ることができない。
如何にか覗けまいかとバーバラが一歩踏み出した時だった。不意に入り口の垂れ幕が上がり、手招きされた。
「丁度呼びに行くところだった。入れ、バーバラ」
「何用だ?」
「此処ではいかん。中で話す」
怪訝に思いつつ中へ入ると、バーバラを招き入れた男は辺りをきょろきょろと見回しつつ、再び垂れ幕を下ろした。まるで何かを警戒しているような――。
(否……誰かを、か)
「バーバラ。そこへ」
呼び掛けたのは父親のジル。いつもなら「偉そうに」などと反発心が湧くものだが、どこか緊張を含んだジルの声と顔つきに、バーバラ自身もにわかに緊張感を抱いた。座るよう指し示されたそこは、従弟のナダの隣。
チラとナダの顔を窺った。白い面の如く何の感情も映さぬ様に、バーバラは思わず背筋が凍った。
──斯くも恐ろしい顔をする男だったか?
「然てバーバラ。お前は当事者である故、話をしておかねばと思うてな」
「話……?」
頷いたジルは限りなく囁きに近い声で言った。
「先のベイ殿の忠言、エリックを初めとした外部探索班の報告、それに諸々の実情も踏まえ、一つ方針を定めた。ナダから進言があってな……思うところは多々有るにせよ、大筋はナダに賛同出来る内容だった。議会でも承認済みだ」
「な……何を勝手に。一族皆の命運を左右する決定ぞ、全体に問わず決めるなど……」
「決定出来たのはな、バーバラ、保留故にだ。直ぐに居を移すでも、外へ侵略を謀るでもない。今は時機を待つ時だ」
「待ってなど居ては絶えてしまう!」
「落ち着かんか。何もせずただ待つなど誰が言った?」
ぐ、とバーバラは言葉に詰まった。むず痒い思いも焦りも、今は噛み殺す他ないらしい。
「探索班も得られなかった情報をナダが持ち帰った。到底無視し得ぬ問題だ。我らは先ず以って其の問題に向き合わねばならん。たとい如何なる結果が待とうともだ。故に、我らの今後の在り様については保留とする――という訳で、これより伝えるはくれぐれも厳重に秘するよう。良いな、二人とも」
「おい……親父、一体何を……?」
背筋がびりびりと震えるほどの嫌な予感は、ジルが計画を口にするにつれ確かなものとなっていった。あまりに淡々と述べられる“計画”に、バーバラは何度も首を振って「駄目だ」と唱えた、祈るように、懇願するように。
すべて説明し終えたジルはしかし、息子の懇願から逃れるように目元を手で覆い、ふうっと長い息をついて、ただ二人に下がるよう言い渡したのみであった。
(畜生……何だ、訳が分からん……!)
バーバラは苛立ちに任せて、雪の夜道を大股でずんずん歩いていた。自分よりも背の高いナダは当然、一歩の尺も長いために、歩調を変えずに楽々と付いてくる。それがまたバーバラにとっては腹立たしいものだ。
そうして従弟と暫く夜道を歩いていたが、とうとう耐え切れずナダの胸ぐらを掴んだ。
「やめろバーバラ、服が傷む」
「言うとる場合か。先の計画、何故お前は何も言わなんだ? 貴様も親父もふざけるのは大概にせんか!」
「声抑えろバカ。皆に知らせる気か? 先にジル伯父さんとは話を付けていたんだ、俺が決めたことだ。口挟むんじゃねえよ」
「何故そう決めた? 卑怯な手を用いて生き延びたとて、その土台は歪になろうぞ!」
「だから声抑えろって。バーバラお前、言ってることがちぐはぐだぞ? キース族生存のために焦ってるくせに、手段を選んでる場合じゃないだろ」
「否。然ればこそ、手を選ぶべきなのだッ」
胸ぐらを掴む手に力を籠めて思う様睨みつけた。
するとそれまで仮面のようだったナダの顔に、ふっと柔らかいものが差した。
「お前が真面な奴で安心した」
「……は?」
「お前はそのままでいたらいい。汚れ役は俺が負おう」
「要らん、そんなの必要ない、お前はもう十分辛い役目を果たしたろう。あとはわしらに任せておけば良いのだ」
「なあバーバラ」
バーバラの手に自分の手を重ね、背の高いナダは笑んで見下ろしてきた。
「俺はさ、能力使って十人以上も人を殺した。これも償いの一つだ」
「…………」
違う。殺したのではなかろうて。
そう言ってやりたいのに、バーバラは声が出なかった。昔は一片の陰りもない、純粋な子供だった従弟が、今や必要以上のものを背負って飲み込んで、役目を果たさんとしているのが、そして自分は何一つ軽くしてやれないのが、痛ましくて堪らなかった。
額に残った傷が痒い。あの日、金属の箱に捕らわれたナダを取り返そうと森を駆けていたら、どこからともなく何かが飛んできてバーバラを狙った。寸でのところでエリックが転ばせてきたので、額を掠めただけで難を免れたが――代わりにエリックが捕まった。
何故、どうして、自分には何もできないのだろうか。あの日捕まって何年も苦難を強いられた者たちだけが、何故更なる苦難を負わねばならぬというのだ。
手が緩んだのを見計らい、ナダはそっと身を引いて踵を返した。雪を踏む音はただ静かで規則的だ。その背をぼうっと眺めるバーバラの脳裏には、少年時代の他愛無い光景がよぎっていた。
『見ろバーバラ。父さんが木彫りのトカゲをくれたんだ』
『ほう! 本物そっくりだ、流石はジゼル伯父貴』
『バーバラの分もあるぞ。これでアドラーを驚かしてやろう』
『馬鹿待て! あいつ泣かしちゃ手ェつけられんだろ! 待て!』
「――バーバラ? どうした、置いて行くぞ」
「あ……応、すまん。あまりにお前が生意気にでかくなったもので、怒りを堪えとった」
「お前小さいなー。俺より三つも上なのに子供みた……痛ッてェ! 野郎、ケツ蹴んなよ! 痛ッてェ!」
○ ○ ○
旧マルヴェル村の外れ、森を抜けた先は崖だ。
その崖っぷちギリギリにこぢんまりした木製の祭壇が設けられている。
この真冬に色とりどりのお花が祭壇に飾られ、その中に埋もれるようにして、布に包まった遺体が横たえられていた。布は質素だけれど、綺麗な刺繍が施されていて、それに良い香りが焚き締められているようだった。あのお花は多分キース族の能力で咲かせたものだろう。
わたしの隣にはベイがいる。
故人の実子だというので、今ナダは傍にはいない。葬列の一番前でキース族の服に身を包むナダは、周囲に溶け込んでいるようでいて、後列から一目で見つけられるくらいに浮いている。わたしだから見つけられるのか、ナダが特別な何かを放っているのかは分からない。
(ジゼルさん……ナダと離れたところにいる)
ナダとの間に十人ほども隔てた場所に、ジゼルさんは立っていた。前に会った時は外の服を着ていたけれど、今日ばかりは周囲に倣ってキース族の衣装姿だ。第一印象が黒コートだったせいで、似合っているのに何だか変な感じがする。
ナダは「父さんは俺を避けてるみたいだ」と言っていた。そんなまさか、タイミングが合わないだけだ、と思っていたけど……これは本当に避けているのかもしれない。ジゼルさんがいるのにナダは気付いているのだろうに、今は場が場なので声を掛けには行けない。きっともどかしいに違いない。
「イコ。始まるぞ」
ベイが低く囁いてきた。祭壇に目を戻すと、族長のジルさんが綺麗な染物の羽織を靡かせて、ゆったりとした足取りで祭壇に歩み寄っているところだった。
「こんな場だけどさ、あれこれ言ってもあの人、ちゃんと長なんだね。板についてる」
頷くベイも、借りた衣装がよく似合っている。キースの人たちとはまた違った雰囲気を醸していて、わたしの目から見てもかっこいい。実際キースの女衆から静かな黄色い声が上がっていた。
と、ジルさんが朗々と唱える声が、風に乗って届いてきた。
「生前、貴女は無理の利かぬ体ながら、三人の子を成し、一人を育て上げた。途上に終わった無念はあろう、しかしご覧じろ、息子は立派に育って貴女の元へ帰ってきた。優しい子だ。貴女が……我々が与えることの叶わなかった分の愛情を、外の世界で十分に受けて育ってくれた。その器を培ったのは他でもない、リーシャ、お前とその夫だ」
「……フィーさんの時の口上とちょっと違うね?」
「ジルからすりゃ、双子の弟の妻だ。他人じゃねえだろ。ベースは決まってて、あとはアレンジ自由なんじゃねえか?」
なるほど……たしかにジルさんはナダの伯父に当たる人。ジルさんからしてみれば、一度は弟一家丸ごと失ったわけで、その絶望だって深かったはずだ。
布に包まったリーシャさんに、一族を代表して語り掛けたジルさんは、そのうち聞き覚えのある言葉を唱え始めた。
――貴女に炎の解放を
遊ぶ風の自由があらんことを
体は炎に塵と成り
風に乗りて遥かへ舞い
雲に溶けて雨を降らせ
地に降り地に満ち
やがて芽生えくる命をなせ
溶け、世界の廻りの輪に
流れ、己もまた廻り
舞え、我らもまた廻れ
「……!」
その声は、謡うように高らかに、空気を揺らした。
胸がぎゅうと切なく震えた。見よう見まねの葬儀の後でナダが「下手くそなんだよな」と自嘲していた、その訳を今分かった。ああナダは下手くそだ、本当に下手くそだった、ジルさんから紡がれた詞は胸の奥にまで訴えかけてくるようだ。
これは弔いの詞ではない。
キース族たちの、切なる祈り。
「リーシャ、どうか安らかに。亡くした子供たちと、この世界と一つに、……願わくば、世の安寧の一助とならんことを、切に、希う」
ジルさんが結ぶのに合わせてナダが祭壇へと進み出、両手をかざした。
かざした両手からゆっくりとめらめらと炎が現れ、祭壇を飲み込むとたちまち大きく燃え上がった。炎の先が天を舐めている様は、天国へと送り届けているかのよう。
けれどそれも長くは続かず、祭壇ごとすべて灰にしたと見るや、ナダは火の手を弱めていった。燃え残った灰を両手でかき集めて、崖へと差し出し、高く掲げ、
「――……」
その時ナダが何と言ったのか、知るのはきっとリーシャさんだけ。
白い手のひらに、つむじ風が巻き起こり。
灰をすべて巻き上げたつむじ風は宙へと身をくねらせ、ほどけて、灰はそのまま風に吹かれてあちこちへと運ばれて行った。
○ ○ ○




