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Blank-Blanca[ブランクブランカ]  作者: 奥山柚惟
第8章 ここぞわかれ目
91/97

岐路に立つ民

【ご注意】

今回、一部残酷な表現を含みます。苦手な方はご注意ください。

  ○ ○ ○






 今日もナダは適性検査があるらしい。朝ごはんに出されたスープと魚の燻製をぺろりと食べたナダはすぐに出て行ってしまった。


「生活班や狩猟班など、キースにおける役割をこなすための適性をみるのだ」


 お昼の散歩中、アドラーはわたしの尋ねに対してそう答えてくれた。


「ま、あやつは研究班にはならんだろうな。バカだから」

「記憶力がいいから、記録を管理する部署になるはずだったって前にナダが言ってたよ」

「“司書院”だな。幼少の頃はそのつもりだったろうが、今となっては分からん。外で動くお役目になるかもしれぬな、私のように……バーバラ? ナダに着いて狩猟班のところへ行っているのでははなかったか?」


 向こうからバーバラが歩いてくる。袖のない外套の裾を揺らして歩くバーバラは、周囲の人の背が高いせいで、顔立ちの整った子供にも見える。もちろん中身は普通に大人だし、しっかりしているので、そのギャップがかわいらしく思えるのだ。

 バーバラはちょっと疲れた顔をしていた。


「ベイの兄貴は天賦の才の持ち主だったのだと十分に思い知らされたよ。ナダの奴、弓が壊滅的に下手くそだ」

「ナダって別に運動神経悪い方じゃないよね」

「飛ばすのはいいのさ。当たらん。全っ然、的に当たらん。如何に練習重ねてもまるで的を射る気配がない。あれほど下手くそも珍しいぞ」

「人の居ないところで随分な言い様だな」


 げんなりするバーバラにナダが追いついてきた。その手に嵌めているグローブのようなものは、弓を射る時の防具的な装備のようだけど、悲しいかな、壊滅的に似合っていない。


「俺もあんなに当たらんとは思わなんだが。……まあいい、弓の話はもう終わりにしよう。バーバラ、この後俺は時間空いとるのだよな?」

「予定より弓の試験が早く終わったからな。夕方の会議までは間が空いたことになろうな」

「…………」


 グローブを外しながらナダは考え込むように黙り込んだ。

 その間はとても静かだった。廃墟になじませるように作られた集落は雪が覆っていて、辺りの音を吸い込んでしまう。ただでさえキースの人たちは物静かだから、お互いの白い息遣いを共有している気分になってくる。


「……俺、母さんに会って来るよ」


 ナダが一人、ひっそりと息の連鎖を乱した。その乱れをバーバラが追いかける。


「一人で?」

「うん」

「会議には遅れるなよ、ベイの兄貴も呼んどるのだからな」

「分かってるよ。ごめんイコ、夜にまた会いに行くから」

「オッケー、分かった」


 ぎこちなく口の端を上げて、ナダはまた向こうの方へ行ってしまった。ゆっくりとした足取りだった。目覚めてからナダは何度も「体が軽くなった」と嬉しそうにしていたというのに、とても重たそうに足を動かしている。


「リーシャさんは元々、体を壊しがちでな」


 ナダの重そうな背を見つめるアドラーがぽつりと言った。


「私が……私の両親が亡くなった時、リーシャさんは良くしてくれた。ナダも一緒に。だから、ナダは兄弟のようなものだし、リーシャさんはもう一人の母親のような存在だ」

「アドラー……」

「突然亡くすのもひどく苦しいけれど、親しい人が一体いつ亡くなるのかも分からず延々過ごすのも、とても恐ろしい心地だ。きっとナダは私が味おうておるよりもっと恐ろしかろうと思う」


 アドラーはミトンを嵌めた手で、そっとぎこちなくわたしの手を握ってきた。お互いに分厚い手袋越しだけど、その手が小刻みに震えているのが伝わってきた。


「……どうか、ナダを……」


 アドラーの絞り出すような声に、喉がヒリついた。胸が痛くて返事が出来なかった。そう簡単に返せるほど、軽い頼みではなかった。

 だからせめてアドラーの心が軽くなればと、手を握り返した。白い睫毛が僅かに震えて、まるで涙を落とすように、ライトブルーの瞳をそっと隠した。






  ◇ ◇ ◇






 もはや遺跡とも呼べる旧マルヴェル村は、一見しただけではただの廃村だ。よく見なければ分からないほど、キース族が住居とする天幕は廃墟と廃墟を侵食した自然の間に、巧妙に隠されている。

 廃村の中央にはひと際大きな建物の残骸がある。かつて役場か会議所かの役割だったと思しきそれを利用して、キース族の中枢機能である“議会”の天幕は設置されている。


「このような場に呼び立てて済まないな、お客人。二、三訊きたいことがあってな」


 族長(あくまで「代理」を言い張る)ジルが鷹揚に微笑みかけてきた。代理だとのたまっておきながら、仕草も貫録も板についてるじゃねえかと心の中でだけ皮肉を言った。代わりに俺はぐるりと全体を見回して、答えた。


「いつかは呼ばれると思ってたが。随分人を集めたもんだな、大勢の前で話すのは慣れてねえんだが」


 円形の天幕の中は広く、中央に焚き火が焚かれており、それを囲うようにして仕切られた小部屋が続いている。今はその仕切りもロープを使って巻き上げられ、参加する面々は毛織物のラグの上で胡坐をかいて座っている。議会に出席するくらいだから誰も彼も責任ある立場なのだろうが……全員、それにしては若い。「寿命が短い」という事実がこんな形でも見せつけられる。

 俺もその円に混ざって、バーバラを伴って座っていた。だが外の服装に身を包み、それも武装状態を貫いている上、浅黒い肌にこげ茶色の髪を持つ俺は、どうしても白い人間たちの輪から浮いてしまう。


「人員を絞る筈が、どういう訳かほぼ全員集まってしもうてな」

「まあいい。何度も質問攻めにあうよりはマシってことにしとく」


 視線を円の外へ向けた。そこには議録をとっているであろう者が二、三人いて、紙とペンを握りしめるナダもいた。


(右手にペン……あいつ、書く気ねえな)


 ナダの口元には不満げな色が滲み出ている。記録を残す上で筆記は欠かせないだろうが、ナダの場合いつでも鮮少に思い起こせるから、今この場で躍起になって記さねばならないわけでもない。むしろ書くことに集中する方が、この場のあらゆる情報を捉え損ねてしまう。

 じゃあペン置けばいいだろ、と思うがそうはいかないらしい。だから利き手と反対の手でペンを持ち、妙に器用にくるくると回して気を紛らせているようだ。


 ジルが巻紙を広げて、目を落としながら言った。


「ベイ殿にしか訊けぬことだ。答え難かろうがどうか教示いただきたい。――ガラクト紛争のことだ」


 “ガラクト”。

 ……その言葉一つで、この一族が俺に何を求めているのか察した。俺も尋ねられるだろうという気はしていた。だが伊達に三百年籠っていない、もう少し探るような素振りがあってもよかっただろうに。

 ジルは本当に言いにくそうに言葉を並べた。


「あー……ナダ捜索のため外へ赴いた者から、ガラクトに関して報告があってな。かつて民族間の……何だ、武力紛争があったとな」

「アドラーとエリックが言ったんだろ。ガラクトで会った」

「然様。ベイ殿は幼少の身ながら紛争に参加していたと聞いた」

「幼少って程でもねえがな。まあ、特殊小隊……平たく言やァ“少年兵”のことだが、あの戦争を生き延びたのは少ねえ。知り合い以外の元少年兵に俺ァ会ったことがねえからな」


 ジルが深呼吸して、俺を見た。


「我らキース族は三百有余年、北部の山地を転々として過ごしてきた。その暮らしは非常に厳しいものでな……往時は一万を数えた時期もあったが、今や数千ほどにまで減った」

「村を見る限り、そうらしいな。子供の数が少ねえ」

「身ごもっても無事に生まれて来ん。生まれても三人に一人が死ぬ。健やかに育っても、怪我や病をすれば手の打ちようがない。これ以上この暮らしを続けていけば、我らは近い未来に必ず絶えよう。では如何にして安住を得るか? この能力を狙う輩から身を隠し、能力をひた隠して生きるのか? ……それとも能力を用い、外の住人を屈服させるのか?」


 苦し気にジルの声がかすれる。会議所の中の空気は重い。

 この問題は昨日今日に現れたわけではない。もう何十年も議題に上がっては、結論が出ないまま今日まで来ている。誰も出せないのだ、そんな重大な決断、誰だって関わりたくない。

 だが――きっかけが出来てしまった。外へ仲間が攫われ、外での暮らしを経験した者が帰還した。族内の実情も外からの脅威も無視できない今、この会議所で白い顔を険しくさせているこいつらは決めなければならないのだ。


 全方位からの濃密な視線に息が苦しい。

 彼らの決断を()()()()後押しするか、俺の発言にかかっている。


「俺ァ――」


 円の外からナダの視線を感じながら、咳払いして声を発した。


「俺ァ言った通り、人生の半分を戦争で過ごしてきた。どうすりゃ“外”に溶け込めるか、そういう手段を俺に訊かれても、残念ながら専門外だ。だが戦争がどういうものかは教えてやれる」


 キース族の中でも、ナダはまだ表情の分かりやすい男だ。初め会った時は表情が薄いように思えたが、キース族の面々はもっと分かりにくい。ナダは今、視線に薄っすらと心配の色を混ぜて俺を見ていた。

 ナダに視線を返した。俺は何ともない、大丈夫だと。


「戦争で一番死ぬのは若ェ奴だ。次に子供。ガキは女がいればいくらでも生まれるからどれだけ死のうが問題ねえ。逆に女は生かしたままにして、戦闘で気ィ昂らせた兵士を落ち着けるのに使う。手酷い奴に当たったら死んだ方がマシだな。死体じゃねえとヤれねえって奴もいたぜ、死ぬ瞬間に全身の筋肉が強張ってそのまま硬直するせいで、中の締まりが()()()()()()()()()()()()ってな、まあ俺には理解できねえが」

「なッ……」


 何人かが目を剥いて腰を浮かせたが、構わず続けた。


「立って歩けねえ病人や怪我人、老人なんかは最初から“人員”としてカウントしねえ。戦いに関係ねえってわけじゃねえぜ。()()()()()()()()()()()()()()()()。敵の囮に使われるか、味方に見捨てられるか、そのどっちかだ」


 あくまで淡々と。まるでそれが、ごく当たり前のことのように。

 俺はただ、実際に見てきたことをありのまま話しているだけ。()()()()()()がつい十年前まで、何なら今でも、“外”には存在する。それを知るか知らないかの差はきっと大きい。


「戦うのは若くて元気な奴、それから使命感だの正義感だのが強い奴だ。だがそういう奴は大体、真っ先にイカれて自殺する。死ななくても精神がイカれてるから()として使えねえ」

「ベイ殿、斯様な言い方をせんでも……」

「気ィ悪くしたか? よかったな、不快に思ったあんたらは正常だ。……戦場じゃ異常にでもならなきゃ生き残れない。ガラクト紛争で生き残った奴ってのァな、テメエの守りてえもの以外全部殺して回るような男と、戦いのトラウマで自分の赤ん坊殺しかけた男と、略奪してるうちに女を手酷くしか抱けなくなった男、そういう奴ばっかりだ」


 言葉を切ると、会議所は異様なほどに静まり返っていた。時折炎がパチリと爆ぜるだけで、俺の息までもが全員の耳に届いているかのようだった。


「……たしかにあんたらの能力は脅威だ。だが基本的には普通の人間だ、っつーことは弱点も同じ。()()()、八年前にあんたらから五人攫われた時、子供(ナダ)(リーシャ)年長者(イリヤ)が真っ先に狙われた。聞いた話じゃジゼルとエリックは巻き添え食っただけらしいな。何が言いてえか分かるか? キース族が最初に相手にすんのは、さっきあんたらが不快に思ったことを平気でやってのける連中だろうってことだ」


 欲しい情報は与えた。これだけ言えば、滞在の対価として十分だろう。立ち上がってその場を去った俺を誰も呼び止めることはなく、「監視役」のバーバラが額の飾りをカリカリ弄りながら付いてくるだけ。


「済まん、不躾であっ……(いや)違うな。助言、感謝する」

「あれでタダ飯の借りは返したことになるだろ……バーバラ、一つ聞く。エリックに何があった?」


 後ろで雪を踏む音が止んだ。俺も立ち止まって振り返った。


「俺らがここに来てもう二週間、それ以上経つか? ただ忙しいってわけじゃねえんだろ」

「それは……」

「言えねえなら別にいい。俺らは所詮は部外者だ、深く首を突っ込む気はねえ。だが俺らを攻撃してくるんなら話は別だ。特にジゼル、あいつの手綱だけはしっかり握ってくれよ」

「貴様ッ」


 上着の襟に白い手が掛かり、ぐいと引き寄せられた。予想以上に力が強かった。


「何を聞いた!?」

「ひと通り村ン中歩いて会話聞いてりゃ、大体察しはつく。息子のナダにもまだ姿見せねえでおきながら、イコのことは誑かしに来たしな」

「何!? 聞いとらんぞ!」

「イコも大概変な奴だ、簡単にジゼルにゃ落ちなかったみてえだが、次はどうなるか分からねえ。最初の取り決め通りきっちり()()()()()になってもらわねえと困る」


 襟を掴む手が弛んだのを払い除けた。バーバラは薄い唇を引き結んで、額の飾りをくしゃりと歪ませた。露わになったそこには、線状の火傷のような痕が走って生々しい。


「──バーバラ」

「ッ、ナダ。会議は如何した」


 ナダの声にハッと我に返ったバーバラは慌てて飾りを戻した。

 様子に気付いたのか気付かないのか、ナダは特に触れることなくただ従兄を見下ろした。


「ナダ?」

「……俺は矢張り()()で動くことにした。ジル伯父さんにも今しがた伝えてきた」

「保留? おいナダ、我らにはもう余裕などない、悠長なことを――」

「如何な立場とて、暗闇を全力疾走できはせんだろう?」


 突然ナダは謎かけのような一言を発した。バーバラが眉をひそめたのを見るに、暗号というわけでもなさそうだ。


「少しベイを借りるぞ。話が済んだら俺がイコのところへ送る。ベイ、こっちへ」


 俺を森へ誘う背は、キース族の服がよく似合っていた。俺とほぼ変わらない背丈になったナダを追いながらふと「雰囲気が変わった」というイコの言葉を思い出した。

 らしくない。吐くセリフも纏う空気も、表情も、まったくキースらしくなっている。それがどういう意味を持つのか、俺はまだ測り知れないでいる。


「成人の儀の日取りが決まった」


 こちらに背を向けたまま、足を止めずナダは言った。


「バーバラとリエラの婚儀も同時にやるってさ。あいつほんとバカだよな、俺が帰るまで祝言挙げねえって、ずっと伸ばしてたんだってよ。伊達に俺の従兄じゃねえわ」

「同感だ」


 刺すような寒気の中で積もる雪は、一粒一粒が凍りついてふわりと軽く、踏むと空気に舞い上がって抵抗なく足が沈む。見えている地面より数センチも下に足が届いて、何だか妙な感覚だ。

 雪の森を難なく歩くナダは一段声を落とした。


「それで……それが終わったら、イコと話をしようと思う」

「話? 何のだ」


 足音が一人分消えた。

 ナダに釣られて俺も止まった。歩く音の止んだ森は、息遣いも瞬きすらもよく音を拾って耳に届く。それでもナダが何を考えているのか分からない。


「前にお前言ってたよな。そろそろイコとの間柄にも腹決めろって。ここに来たらハッキリさせようってイコとも話してたんだ」

「わざわざ俺を呼び出してまで言う話か?」

「キース族の目と耳がない場所で話したかった。この前は途中でイコを起こしちまったけど、あの場でしていた話の続きをしようか」


 ナダが振り向いた。やはり考えの読めない……読ませない仮面のような白い顔で言った。


「ガラクトでの貸し、お前に返して貰おうと思う」




 ──ブルーグレーの目の眦を薄っすらと吊り上げていたのが、嫌に印象強く残っている。






  ◇ ◇ ◇

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