見えない顔で微笑んで②
○ ○ ○
朝食を飲み込んでいると、リエラが美しい顔を傾けてわたしを見てきた。
「なあに、お姉さま。わたしの顔に見惚れてんの」
「そうねえ、肌も健康的だし目も綺麗だけれど、貴女って本当に綺麗な髪色をしているのね」
ごっくん、と食べ物を飲み込んだ。
「……くすんだ色じゃん。わたしはあんまり好きじゃない」
「何を言うとるの、色があるって素敵な事よ。ベイさんの焦げた色も素敵だけど、私はイコの髪が好き。光が当たると麦色に輝いて綺麗だわ」
褒められて嫌な人はいない。それも美しい声で褒められたら、恥ずかしくなるのは当然のことだ。でも何だかちょっと、心の中がざらざらする。
何とも言えずただはにかんでいると、お姉さまの目がキラッと光った。
「ねえイコ、今日は少しおめかしをしてみましょうか」
「え……」
「私たちの服を着てみない? 折角だから少し髪も整えて。多分ね、ナダ全快の暁には宴が開かれると思うのだけど、その時にあなたが着る衣裳も用意したいのよ。皆とっておきの服を身につけるのに、お客人だけ特別な服がないというのも残念じゃない?」
リエラは頬を紅潮させて早口で言った。もしかしたらずっと頭の中では考えていたことなのかもしれない。
「衣装合わせも兼ねてってこと?」
「そう。勿論貴女が嫌でなければ」
少し考えて、わたしはお誘いを受けることにした。ついでにベイも衣装合わせに参加することになってしまったけど、まあ良いか。
朝食を終えて、“生活班”のエリアに移動した。衣食住など基本的な仕事を担う班だそうで、服や装飾品を作ったり、鍋や食器の修理をしたりと、それぞれテントが分かれているようだ。
このエリアは他の班よりもテントの数が多い。いくつかある班の中でも、生活班は一番人数の覆い部署なのだそうだ。数あるうち、リエラとアドラーが案内したテントは衣服を扱うところだった。
「二人の寸法に合う服はあるのかしら、おば様?」
「女の子の方はあるね。そちらの仕切りの向こうで着てみてご覧な。それで兄さんの方は……あらあらまあまあ、いい体しとるのねえ。胸回りの合うものはあるかしら?」
白いおばちゃんに逞しい胸板をぱしぱし叩かれて、ベイは大いに当惑顔になった。面白い。
衝立の向こうに回って、渡されたワンピースを広げてみた。袖口や裾に見覚えのある刺繍が施されている。麓の“ヴォドラフカ村”のサーシャの家で見たタペストリーと似た雰囲気だ。
(うわ……スカート履くの何年振りだろ……)
足元がスースーして心もとない。服と一緒に渡された厚手の、スパッツかタイツのようなものを履いてはいるけれど、やっぱりズボンとは全然違う感覚で落ち着かない。スースーする脚を毛皮のブーツに突っ込んで、腰元をベルトで締めれば完成……らしいけど。
「イコ、どう? 着られた?」
「う、うん……なんか変な感じする。これで着方合ってる……?」
恐るおそる衝立を出ると、ハッと息を呑むような声が数人分上がった。
「~~~ッ! 何て愛いのかしらッ!」
お姉さまが口を押さえてしゃがみ込んでしまった。
……数日過ごして獲得した民族文化ローカライズを顧みるに、多分だけど、彼女らの「息を呑む」とは、「歓声・悲鳴を上げる」とイコールなのだと思う。静かに隠れて生きることが生活に根差しているキースにも、どうしても生まれる激しい感情はあるわけで、それを表現する方法もなるべく静かなものらしい。
薄い感情表現の奥に激しさを秘めたリエラは、わたしの両肩をがっしと掴んできた。
「さてさて、あとは髪ね。飾り紐と一緒に編み込んだら素敵だと思わないこと、アドラー?」
「蔦を模した飾りがいい。枝に絡む蔦のようになろうな」
「名案だわ。森の妖精に成れるわね。さあ、先ずは髪を梳かしましょう。ああ素敵……」
そんなこんなで、美容師をやっているわたしの叔母・アリカ叔母ちゃんも驚くくらいの手さばきで、リエラとアドラーはせっせとヘアメイクをしてくれた。
わたしの砂色の髪は、ナダに切って貰ってから少し伸びて、首を半分ほど覆うくらいになっている。テキトーな手入れのせいで強くなった癖っ毛を、これでもかという程櫛で梳いて、緑や黄の紐を絡めて編み込みを作り、ハーフアップに結わえられた。
「さあ、仕上がったわ。いかがかしら?」
渡された鏡はとても古いもの。そこに映るわたしが驚いた顔をした。
「すっご……別人みたい」
思わずそう呟くと、アドラーが得意げに胸を張った。
「宴はこれで決まりだな。リエラ姉さんの腕もまた――」
「ああイコ、ここにいたんだ」
――その声にどっくんと心臓が飛び上がった。
入り口を振り返ると、バーバラが天幕を押し上げて誰かを中に入れていた。キースの外套をきつく体に巻き付けるその人は、
「……ナダ」
「うん。ごめんな、随分時間かけちまった」
ブルーグレーの目が細められて、キースの人よりももう少し濃い笑みを見せて、ナダはわたしを見た。
その瞬間、気付かないうちに倦んで溜まっていた黒いものが晴れた。胸のつかえがとれて呼吸が楽になり、視界がぱあっと鮮明になった。自然に口角が上がって、わたしはナダに笑いかけた。
「おかえり」
「ん。ただいま」
……そしてちょっと気恥ずかしくなった。
あれ。わたし、いつもどんな顔してナダと話してたっけ?
「それ、キースの服だ。借りたの?」
「……うん。そう……今初めて着た」
いやいや、別に言い訳じみなくてもよかったじゃん。そんな情報、ナダには別に必要ない。
(バカだから気付かないよね? スカート履いたの初めて見せるけど……)
足元がスースーする。変な緊張感でそわそわする。
おもむろにナダの白い手が伸びてきた。わたしと違って筋の浮いた手が、僅かに頬に触れて、耳の横で垂れている髪を掬った。指先が耳朶を軽く掠めて、思わず肩を震わせた。
「髪、リエラたちにやって貰ったのか」
涼し気なテノールは、前よりも少し低音に震えている。
「色の紐と絡めるのいいな」
「そッ……うかな」
「ああ。本当に綺麗だ」
――その、ざらりと擦れるような声を聞いた瞬間、わたしの中でぶわっと何が弾けて全身に広がった。
サイダーのようにパチパチと淡く弾けて、胃の下辺りがぎゅうっと縮こまって、背筋が震えた。ジゼルさんの時の比じゃない、立っていられない。けどここで崩れ落ちなんてしたら、それこそバカみたいだから、何か隠れられるものはないかときょろきょろ探して、ちょうどそこに手ごろなベイを見つけて背中に隠れた。
「おいイコ。久々のナダだろうが、なんで隠れんだ」
「ちょっと無理。わたしには刺激が強すぎた」
「俺のどこが刺激強いんだよ……」
ナダから悲しそうな声が上がった。チラッと目だけ覗かせると、本当に困り顔をしていた。
ナダは前よりも明らかに背が伸びて、ベイとほぼ目線が同じくらいになっていた。更に言うと髪も伸びて、邪魔なのか後ろで一つに束ねている。それが何とも言い難く、直視できないのだ。
目にかかる前髪を掻き上げたナダは、困ったように溜息をついた。……やっぱり見ていられない。ぶわっと広がった何かがまた背筋をぞくぞくさせてきて、またベイの背中に引っ込んだ。
「なんで背、そんなに伸びてんの……」
「能力抑えるのにエネルギー使ってたせいで身長伸びなかったんだろうってさ。もう抑えずによくなったら一気に伸びた。起きたら体じゅうバキバキ音鳴ってやんの、痛ェの何のって」
「カッコつけないでくれる?」
「カ……!? なあホントに分かんねえんだけど、俺何かした? 髪触ったの嫌だった?」
「うっせえバーカ、バカ、このあんぽんたん」
「あんぽんたんはヘズ兄だろ……なあベイー、どうにかしてくれよー、俺もうどうしたらいいか分かんねえよ……」
とうとう話を差し向けられたベイは、長い長い溜息をついた。
と思ったら武骨な手が肩を掴んできて、ぐるんと正面に体を回された。
「やっ、ちょっと、何すんだよ! やだやだ隠してよ!」
「うるせえ。俺ァ見てらんねえ。勝手によろしくやってろ。アドラー、弓貸してくれ。暇な奴とひと勝負してえ」
「え、やだ、ベイ行かないで……アドラーも……」
「残念ながら此度ばかりは私もベイに同意だ。イコ、また後でな」
いつの間にキース族の服のフィッティングを終えていたベイは、なぜか肩を怒らせてキースの外套を引っ掛けて出て行ってしまった。その後を追うアドラーがふと足を止めた。
「なあナダ。後で少し話がしたい」
「いいよ。お互い時間が空いた時に」
「それで良い。ではな」
今度こそアドラーが去って、テントにはわたしとナダと、ナダを連れて来たバーバラ、わたしの髪をほめちぎってから口を開いていないリエラと、ベイに合う服を見繕えてほくほくしているおばさんが残った。正直言ってリエラたちの存在を忘れていた。
ナダがバーバラを振り返って言った。
「二人の滞在場所に連れて行ってくれるか?」
「あ、ああ……無論」
「それとベルノおばさん、済まんが俺にも何か見繕うてくれるかな。裾が足らんで足首が寒うてさ」
「あんたに合うものならある筈よ、後で誰かに届けさせようね」
「うん。……イコ、行こうか」
ナダの姿がテントの外に消えて、ほっと息を吐いた。
「……なにさお姉さま」
わたしを待つリエラは頬をゆるゆるに緩ませていた。
「いいえ? 良きものを見たなと思ってね。それにしても本当に口惜しきこと。昔はとっても可愛らしかったのに……嗚呼、ただの冴えない男になってしまったわ……」
そう言って心底残念そうに肩を落としたのだった。
○ ○ ○
チョキ、パチン。
手元で鋏が鳴るのに合わせて、白い髪がハラハラと床に舞い落ちる。
「短うなったら寒くないか?」
そう問いかけるバーバラは焚き火のそばでつまらなさそうに横になって、能力を使った即席ロースト木の実をポリポリ食べている、とてもだらしないけどやっぱりイケメンだ。リエラはその隣で何か繕い物をしている。
散髪中のナダから声が上がった。
「長いのに慣れてないからさ。イコも目ェ合わせてくれんし」
「ごめんてば」
「ホントだよ。別人になったわけでもなしに……」
前は俺が髪切ったろと言って、ナダはわたしを指名してきた。他にも意図があるような気がして引き受けたけれど、今のところただまったりした時間が流れて、ナダの散髪が捗るだけだ。
「俺がいない間、いろいろ変な目に遭ったって聞いたよ。主にヘズ兄……ヘザック兄さんのせいで」
「まったくだよ。レディに何てこと訊くんだってさ。……まあわたしだけじゃなくてベイも訊かれたらしいけど」
「嘘だろマジか、あいつまで? うわー、あとで謝っとこ……まあ安心していいよ。もう変な質問はされないから」
……やけにキッパリ言い切るな。
「どんな手使ったの?」
「『女の子に手ェ出すなんてそんなおっかねえこと、俺ができるわけねえだろボケ』って言ったのさ。男相手も然り」
「チキンなセリフがこんなにかっこよく聞こえる日が来るとはね」
「チキンて言うなよ。俺と致した人まで研究対象になりかねないって考えたら、そりゃヤる気も失せるってもんだ」
――ずしっと空気が重たくなった。
豆を取り落としたバーバラなんて目が泳いでいる。サラッと言い放った当のナダは何でもないふうに続ける。
「それをヘズ兄に言ったら黙ったから、説得力あったってことだろ。つーわけだから、今後は少なくともそっち方面で不快な思いすることはないと思う」
「なんか……ごめんナダ」
「どうしてお前が謝るんだよ。――髪、終わった?」
一通り切り終えて肩回りを刷毛で払い、ナダに鏡を手渡した。
元のように短くなった白髪を触ったナダは満足そうに頷いて、わたしを振り返って見上げてきた。
「ありがとう。腕いいな」
サッパリはした。前と同じくらいの短髪だ。
でもなんか違う!
「…………ま、だいぶいいんじゃない? なんか調子乗ってる顔がうざいけど?」
「乗ってねえです。なんなのお前、何日も暴走してたからって人相変わったわけでも――」
不服そうなナダは改めて鏡で自分の顔を見た。
いろんな角度から眺めて、どんどん不可解そうな顔になっていって、とうとう溜息をついた。
「――変わってないよな……何が悪いんだ俺の……」
「従弟よ。そりゃ多分人類の男の永遠の課題というやつだろうな。傍から見とればこんなに分かりやすいというに、ほんにしょうもない男に成ったものだな」
「何だよ、分かった風なセリフを……なあ、そう言えばエリック兄さんは? アドラーがいたってことは、兄さんも帰って来てるんだよな?」
たしかに、ここに来てからエリックさんの姿を一度も見ていない。最初のバーバラの口ぶりからすれば忙しいようだったけれど、十日近くも会わないなんてことがあるのだろうか。
バーバラは豆をポリポリやって、飲み下してから口を開いた。
「今少し体が空かんのだ。成人の儀の支度をしとれば、そのうち会えよう」
「……そうか」
バーバラの方を向いているので、その時のナダがどんな表情をしていたのかは見えなかった。
けれどわたしの知っているナダの雰囲気とはかけ離れていた。ああこいつは大人になってしまったのだなと、ぞわぞわする感覚が不意に答えを出した。
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