デリカシーの垣根③
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「緊張感の漂う関係」などと言っていたけど、取り消そうと思う。
確かに張り詰めた空気感はあったけれど、それもだんだんと和らいでいき、五日目、六日目にはわたしも外で散歩したり、子供たちと遊ぶようになった。
今日は寒いので、というか言ってしまえば毎日寒いのだけど、子供たちが勉強をしたり遊んだりして過ごすテントにお邪魔している。もちろんリエラを伴ってだ。
ちょうど大人の人がお話を聞かせてくれる時間だったようで、折角なのでわたしも一緒に聞くことにした。
ところがこのお話、結構怖い。語り部がめちゃくちゃ上手いうえに、明かりを消して小さな炎一つ灯すという、シンプルな演出が利いている。
「ノインの話」と題されるそのお話は、簡単にまとめると、一人で森に遊びに行ったまま帰らなかった子供の話だ。たったそれだけの内容が、声色一つでぞっとする話に聞こえてしまう。
「――よいな、“ノイン”の二の舞になりたくなくば、ひとり山や森に入らぬよう、よくよく心得ることだ」
そう締め括って、語り部はテントを後にした。去り際にわたしに対して目礼を送ってくれたのが印象に残った。
子供たちの反応は様々だ。本当に小さい子供はまだ髪や肌に色素が残っていて、そんな子が顔を真っ青にして年長の子にしがみついている。しがみつかれた子は、強がっているのか「あんなの作り話だ」と力強く言っているけど、ちょっと目が泳いでいる。残念、カッコつけるにはちょっと足りていない。
けれどかなり年上の、わたしに歳近い子たちは、神妙な顔をしていた。……もしかすると小さい頃のナダのことを覚えていて、記憶を揺さぶられたのだろうか。
しばらくは物語の余韻にそれぞれ身を任せていたけど、そのうちに外で遊ぼうという流れになった。活発な男の子たちに岩場での追いかけっこに誘われたのは丁重にお断りして、女の子グループの遊びに混ぜて貰うことにした。
リエラが「それなら私はお勤めに行こうかしら」とわたしを残していった。一人で行動しないこと、とまさに今聞いた話を教訓に持ち出されて、ちょっと笑ってしまった。外から来たわたしとベイも、誰かキース族のいる場所でなら、こうしてリエラたちがいなくても行動できるくらいになっていた。
「はい。これはオキャクジンの分。どうぞ召し上がれ」
「ありがたく、いただきます」
白くなりかけの少女たちと一緒に、おままごとに興じる。舞台にしているのは、廃屋の庭に残されたガーデンチェアとテーブル。風化して朽ちかけて傾いているのを、木材を継ぎ足して簡単な補修が加えられていて、それを利用して遊んでいる。
雪の被ったテーブルの上には笹の葉っぱ。わたしの知る笹は艶々と濃い緑色をしているけれど、この葉っぱは色が薄く光ってもいない。北部は色彩がとことん薄いようだ。その葉っぱの上に、白くなりかけの小さな手が木の実を仰々しく置いた。わたしもそれに倣ってわざとらしく謝辞を言ってみせると、子供たちは嬉しそうにした。
キースでは成人の歳だというこの年齢におままごとか……と最初は渋ったけど案外楽しい。いや、普通に楽しい。小さな子供たちがちょっと古い訛りでわいわい言いながら“色付きの大人”であるわたしに親しんでくれるのが素直に嬉しい。
「イコ姉、その実は食べられるのよ」
「どうやって?」
「ここをこう剥いて、こうして少ぅし炒ってね」
殻を剥いたと思うと、茶髪に白髪の混ざるその女の子はぽっと小さく火を灯して実を炙り、ぱくりと口に放って見せてきた。
「こうして食べると美味しいよ」
「いやいやいや。わたし火ィ出せないからね?」
「然う、イコ姉は火が不得手なのね。ならわたしが作ったげるね」
訳知り顔で頷く女の子。かわいいけど「外の人は能力を使えない」ことがあまりピンときていないみたいで、火を操るのが苦手だと受け取られたらしい。得意げになってわたしの分の木の実を炙ってこさえてくれた。
差し出された実を頬張る。齧ると香ばしい香りが広がった。ほんのりした甘みと歯応えがくせになりそうだ。
「これ止まらないね」
「食べ過ぎると顔にふきでものが出来るよ」
「それ早く言ってくんない!?」
「おうおう、楽しんどるようだな。重畳、重畳」
そこへ羽織をなびかせてバーバラがやって来た。今日も頭につけた飾り帯の紐がひらひら揺れている。バーバラは結構お洒落さんで、毎日違う帯で額を覆っている。付けなくても十分いい顔していると思うけど、彼なりにこだわりがあるらしい。
バーバラを見た少女たちがわっと……とは言ってもかなり静かにだけど、かわいい歓声を上げた。
「めーよかいちょーだ」
「かいちょーもお茶会いかが?」
「否、結構。茶は先ほどたっぷり飲んだのでな、あまり飲んでは厠への足が絶えん。ところでイコ、ベイを見なかったか? 天幕に姿が見当たらんのだ」
「ベイならアドラーと一緒に出掛けたよ」
バーバラが白い眉を片方上げた。
「アドラーと? 何処へ」
「体動かしたいってテントで筋トレしてるを見かねたってさ。弓の練習をしに行ってるみたい」
「ほほう……其れは実に興味深い。わしも見てみとうなった。折角だイコ、お前も共に如何だ?」
子供たちは残念そうな顔をしてきたけれど、わたしも興味が惹かれたので見に行くことにした。
弓の練習場は集落から離れたところにあるらしい。バーバラと連れ立って歩く途中、やはり色の薄い視線が幾つも投げかけられたけれど、刺々しさのようなものは随分抜けてきた。
「ねえバーバラ、いろいろ訊いてもいいかな。“めーよかいちょー”って何?」
“名誉会長”だろうか。だとすると一体何の会長なんだろう?
答えてくれないかもしれないと思ったけれど、案外バーバラはすんなり答えてくれた。
「大人になる前の子供らが所属する組織があってな。そのまんま、“子供会”と言うのだが」
「そのまんまだね」
「じゃろ。いろいろあって、名誉職に就くことになってな」
ふうん、と曖昧に相槌を返しておいた。要は子供たちの集まりで面倒を見る人、ということなんだろうか。
「『いろいろ』とは、他にも訊きたいことがあるのか?」
「ああそうそう。バーバラのお父さんが長だって知らなかったよ。最初に言ってくれたらよかったのに」
「フン。あの腰抜け、代理すら務まっとらんわい」
バーバラがそっぽを向いた。その横顔は父親にとてもよく似ている。
「長になれぬと自ら云うておきながら、ジゼル叔父貴の影を未だ追い続けとる。まっこと愚か者の極みよ」
「…………」
「我らはもう充分過去を見てきた。そろそろ未来を見据えても良い頃合いだ。わしはいつか長になり、キースの民を明るい未来へ歩ませたい。子供会の名誉会長もその為の足がかりだ」
驚いてバーバラを振り返った。わたしと変わらない高さにある蒼い目線は、色が薄いながらもキツと前を見据えていた。
その目が――ふっと翳った。
「だからな、イコ。わしはお前たちが来てくれてほんに嬉しいのだよ。籠り切った空気に風穴を開けてくれた。“外”を知らぬ我らは……“外”が恐ろしいだけではないと知りたい。我らが抱く恐れは無知から来るものだと証明がしたい」
「バーバラも怖いんだ?」
「否定はせんよ。……ナダが目前で連れ去られた光景は、未だに夢に出て来て良い心地がせん」
白い手は微かに震えて、額の飾りをカリカリやった。
「だがいつまでも恐怖に足を竦ませとるわけにもいかん。その先が如何なる深淵とて、我らには一歩踏み込む勇気が必要なのだ。――おお、見えてきたな」
バーバラの目に光が戻った。大きく手を振った先には、編み込んだ髪をまとめたアドラーと、他にもキースの男の人が数人、そして弓を構える浅黒い人影。そのポーズはとても様になっていてかっこいい。
「どうだ、ベイ? 弓は使えそうか?」
「それが二、三教えただけでもうモノにしてしもうた。見ろ、あの的を。最初に数本外してのちはほぼ真ん中だ」
的はずっと遠いところにある。木の幹に手作りの的がぶら下げられて、それに向かって矢を放つらしい。キースの一人が言った通り、何本かは的を外れて地面に落っこちているけれど、的を射た矢の方が多い。
「ベイって弓使ったことあったの?」
「いや、ここに来て初めて触った。コツ掴めば意外といけるもんだな」
「キースの者も幼少から鍛錬するものだがな。いやはや、天性とはこのことか。我らの見とる世界の狭きことよ」
「何回か飛ばした感じ、遠距離狙撃と少し似てる。お前らも銃の上達が早いかもしれねえぞ」
「ふむ、銃か……」
キースの男衆が興味津々でベイの銃を眺める。見るだけで触りはしない、威圧感のある見た目に気圧されているみたいだ。
一方でベイはやや複雑そうな顔で弓を見つめていた。
「ベイ、どうした? 使いにくかった?」
「そうじゃねえ。むしろ……」
ベイは何事か口ごもったけれど、すぐに首を振った。
「いや、何でもねえ」
「もう。何さ」
「何でもねえっつったろ。アドラー、どうもな」
返してもらった弓を背負って、アドラーはまだキャッキャと騒ぐ男衆に別れを告げた。アドラーについてわたしとベイ、バーバラも続く。
「また使いとうなったら言ってくれ。狩人衆の良い刺激にもなるようだ」
「……まあ、気が向いたらな」
「うん、それで結構だ。お前がキースだったら、さぞ良き弓の名手になっていたろうな」
口調こそいつも通りのアドラーは、頬っぺたの辺りがちょっとだけ、ほんのちょっとだけ緩んでいる。彼女なりに楽しかったようだ。
今日は六日目。
ナダはまだ目覚めない……。
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