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Blank-Blanca[ブランクブランカ]  作者: 奥山柚惟
第8章 ここぞわかれ目
86/97

デリカシーの垣根②

  ○ ○ ○






「え、ごめん。質問の意味が分かんない」


 わたしは内心ドン引きして、表面には棘を突き出して、真っ白な男の人に言い返した。

 彼は刺々しいわたしの態度をまったく意に介さず、もう一度同じセリフを同じ声色で繰り返した。


「『ナダと体の関係はあったのか』と尋ねたのだが」

「いや違うって。何訊かれてるかぐらい分かるよ。なんでそんなこと質問するのかって言ってんの」

「客人には些細な事柄だろうが、キースにとっては今後を左右しかねん問題だ」

「だーかーらー、そこを知りたいんじゃん、こっちは。キースの価値観はまだよく分かんないけどさ、こういう話って超デリケートで突っ込んだ話なワケ。出会い頭にしていい質問じゃないワケ。オーケー? わたしは優しいからもう一回やり直しの機会あげる。はいリセット、よーいどん」

「ナダと男女の関係には──」


 わたしがキレる前にリエラがキレた。

 飾り帯で腰を締めたワンピースから長い脚が振り抜かれ、男の人の鼻先三寸でビタッと止まった。服の裾が旋風に巻き上げられて、タイツのようなものを穿いた脚が一瞬露わになった。すらりと美しいふとももだ。ごちそうさまです……じゃなくって。

 リエラはまったくキースらしい、感情のこもらない声で問い詰めていた。


「ヘザック。この私にも問うてみなさい。『お前とバーバラはもう夜を共にしたのか』と」

「客人は()(びと)だぞ。お前たちとは話が別だ」

「論点を違えているわ。現象的な断片で物語るなと言うておるのよ。『我らは人間だ』などとのたまうておきながら()(よう)な態度、(いず)れ貴方も同じ目で見られるわよ」


 リエラはピシャリとそう嗜めたと思うと、わたしの手を引いて立ち上がらせた。


「研究班が呼び立てるから連れて来たけれど、失敗した。もっとマシな者を担当に据えるよう班長に申し立てておく。イコ、すまないことをしたわ」

「待てリエラ。悠長なことを言っては居れんのだ」

「貴方はもうイコの前で口を開くでないよ、この倫理観削ぎ落したいかれぽんちが。苦い薬をお見舞いして――あら(おさ)、ごきげんよう」


 静かな口喧嘩は未然に終わった。天幕の入り口を捲り上げて誰かが入ってきたのだ。

 リエラに“長”と呼ばれたおじさんは、きつく合わせていた羽織の袷を解いて片手を上げた。


「なァにが『ごきげんよう』だ。客人の前でちと毒舌が過ぎるぞ、リエラ。まあ……ヘズ、お前さんは過程をいろいろとすっ飛ばしちょる、焦るのは分かるが遠回りも必要ぞ」

「しかし……」

「良いから良いから、一先ずはナダに集中しとれ。ほれ、今日録ったほかほかの記録だ、大好物だろ」

「俺を何だと思っとるのです?」


 ヘザックはおじさんから巻紙を幾つも受け取って、伸ばしてざっと目を通した。

 その目から感情は読み取れない。ふうむと一つ唸って、元のように紙を丸めた。


「確かに受け取りました。後ほど精査します。……推し量るには不十分ですが、先は長かろうかと」

「数日は堅いというところか」

「ええ。あとはナダの体力如何(いかん)で結果が決せられましょう」


 心なしかおじさんとヘザックの顔が暗い気がする。ナダの経過はあまりよくないようだ。

 それからおじさんはヘザックと二、三言やり取りを交わして、わたしに向き直ってきた。


「さてお客人よ。よければ少し話さんか」






 リエラお姉さまのキックでうやむやにしていたけれど、わたしは結構ストレスがかかっていたらしい。キース族長を名乗るおじさんはとても聞き上手というか、懐の広い人なのだろう、気が付くとわたしはあてがわれたテントへ戻る道すがら、ヘザックから受けた仕打ちの数々を並べ立てていた。


「あんの野郎、脳みそ人間じゃないでしょ。鉄か何かで出来てるでしょ。話の通じない奴でほんっとイライラする……!」

「すまんなあお客人。小さい頃からそういうきらいはあったのだがな、まさかあれほどになるとは思わなんだ」

「昔からの付き合いなの?」

「息子と同じ年頃でな。バーバラを遣わせたろう、あ奴は息子だ」

「えっ……じゃあナダの伯父さんってこと?」

「然様。ジルという。甥っ子が世話ンなり申した」


 たしか、ナダとバーバラはお父さんが双子同士だと言っていた。普通の従兄弟よりも血が濃いのだと。

 見上げた顔は中年のそれだ。けれど、きっと若い頃はバーバラと似てくっきりとした顔立ちだったのだろう。刻まれた皺は渋みを増し、更には余裕を感じさせる言動が、「イケおじ」にカテゴライズされるかたちになっている。面食いの友だちも守備範囲内だからキャーキャー言いそうだ。


「ナダはお母さん似なんですね」

「そのようだ。が、顎やなんかはわしやジゼル似だな。リーシャはもっと線が細うてな。ささ、寒かったろう、中で暖まりなさい」


 長のジルさんはわたしのために入り口を開けてくれた。優しい。

 中に入るとベイが瞼を持ち上げておじさんを見た。目付きが悪く見えるけれど、長が気にした風はなく、むしろ親し気に向かい合って床に「どっこいしょ」と腰を下ろした。


「ははあ、やれやれ、危惧しとった通りだ。女子(おなご)と見るやにコレだ。わしが刺しといた釘なんぞまったく意味を成しとらん」

「なんだ、纏まりがねえな」

「ひとえにわしの力不足だよ。まったくなァ、長なんぞ性に合わん、わしが居っても居らずと変わらん、他の(モン)が代われというに、だァれもお役目を代わってくれんのだよ。あいつも帰って来てからこっち、ちぃともわしの話を聞かんし」

「ジゼルの話か?」

「そうそう。片割れだっちゅうに、俺に似ずほんによく出来た弟だよ。いつになっても俺はあいつにゃ敵わんでな」


 なんか……ベイと長が打ち解けてる。

 ベイは無愛想に相槌を打っているだけなのに、長がいい感じに砕けている。一人称が“俺”になってしまっているのに自身で気付いているんだろうか。


「ところでお客人、(おとな)いから三日ばかり経つが、不便はないか? 窮屈な思いをさせて申し訳も立たんが、出来る限り快適に過ごして貰いたいのだ」

「俺は特に。少し体を動かしてえってぐらいだ。イコは?」

「うーん……」


 正直なところ、キースの人たちの視線に晒され続けるのは気力が要る。

 お互いに慣れてきたのか、初めのころのような突き刺さるほどの視線は感じなくなった。それでも気持ちのいいものではないし、キースの人たちとしてもそれは同じだろう。多分このまま引き籠っていた方が、下手な刺激を引き起こさずに済む。


「わたしも特にないよ。食べ物のお陰で便秘が解消されそうです」

「豆や山菜ばかりですまんな。いい肉はナダの快気祝いに取っておこうという話をしとってな、盛大に祝う場を設けるからお客人も是非加わってほしいのだ」


 キース族の言う「盛大に」というワードがやや心配なのはさておき、楽しそうなので頷いた。肉は好きだ。

 長は目を細めて微笑んで、秘書のような人に呼ばれてテントを出て行った。濃緑の羽織がヒラリと翻るのがかっこいい。


「……災難だったな」


 ベイが疲れたような溜息をつきながら言った。


「いろいろ問い詰められるのは覚悟してたが、体の関係云々(うんぬん)は流石に堪えるぜ」

「えっ、ベイも訊かれたの!?」

「『ナダが男色の可能性も』とかってよ……思い出しただけで寒気する……」


 マジか。女のわたしのみならず、ベイまでも。


「……キースこっわ」

「一部の奴らだけと思いてえが、生憎俺らと接触するのは研究班(やべー奴)かバーバラたちかの二択だ。長のジルって男も信用していいかまだ分かんねえしな」

「いい人そうじゃん、ジルおじさん」

「お前にはそう見えたか。だがいいか、聞いた話じゃナダの父親のジゼルって奴は相当なカリスマ性持ってたらしい。そんなでけえ柱を失ったってのに、キースはどうにか集団としての体裁を保ててるのはどうしてだ?」


 ずっとキースの人たちを見ていると、みんな真っ白な肌や髪をして、目の色も薄いから、対照的にベイがとても黒く見える。

 黒い目は鋭さを隠して、テントの出口を見やった。


「ジゼルが絶対的な首領とするなら、ジルは立ち回りの上手いリーダーだ。あの狸じじいが言った意味はな、つまりはこうだ……『自分一人が欠けてもキースがぶれることはない』」

「…………」

「俺らの立場が危うくなった時、仮に(ジル)の首を取っても何のダメージもねえだろう。武器があっても数にゃ敵わねえし、何よりナダを何千人に増やしたような相手だ。力ずくで逃げ出すのは無理だ」

「ちょっと待ってよ。まだ敵になったわけじゃないだろ」

「どっちに転んでもおかしくねえんだよ。……今俺らがやれるのは、出来るだけ友好的な態度を示すってことと、キースが俺らを攻撃しねえよう祈るってことぐらいだ」


 浅黒い手は予断なく銃を握っている。その銃もよく手入れされて、いつ何時何があっても対処できるよう整備が行き届いているのを、わたしは知っている。

 ベイの指示で、わたしの服にも拳銃を忍ばせている。きっとリエラやアドラーは気付いているだろうけれど、何も言って来ない。わたしはちゃんと銃を撃ったことはないけれど、素人でも持つだけで意味を成すのが拳銃だとベイは言った。


 キース族と外つ人(わたしたち)の間には、そういう緊張感が始終張りつめている。

 今日は三日目。ナダはまだ、目覚めない。






  ○ ○ ○

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