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Blank-Blanca[ブランクブランカ]  作者: 奥山柚惟
第7章 大人になるまで
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追随

  ■ ■ ■






 捕まってからひと月ほど経った。

 初めは恐ろしかった研究員たちも、日々の検査も、この頃には随分慣れてきていた。それは研究員側も同じだったようで、少しずつおれたちとの間に会話が生まれていたのだった。


「五十一、五十二、五十三……」

「歩数を数えているのかい?」

「あー! 数えとるのが分かるなら話しかけるでない!」

「え……ごめん……」


 そんなに怒らなくても、と黒髪の男が白衣の肩をすぼめる。

 ザッケスという研究員はおれの担当らしく、寝食をする部屋から検査室までの送迎も彼の役目だ。同じ年頃の娘がいるということだが、その娘の話はあまりしない。娘が好きなのか、嫌いなのか、煮え切らない態度が気に入らない。

 大人なのにおどおどしている。キースを捕まえて研究する立場でありながら、おれたちへの情も捨てきれない。父さんをして「致命的に優柔不断だ」と評されるザッケスは、子どもであるおれの苛立ちにすら過剰な反応を見せる。


(そんなに怖がるのならおれに近寄らねば良かろうに)


 ザッケスを伴って部屋へ戻ると、父さんとエリック兄さん、それに■■■さんが額を突き合わせて話し込んでいた。近頃いつも険しい顔をしているが、おれを見とめるなり何事もなかったかのように手を振ってくる。

 今日も手招きされたので、駆け寄った。頭を撫でてくれる彼に検査室からここまでの歩数を教えると、■■■さんがふっと微笑んで頷いてくれた。


 ――よく頑張ってくれたから、地図が随分と拡がってきたよ。


「本当? おれ頑張った?」


 ――ああ、勿論だとも。お前さんは本当に頼りになるよ。


 その言葉一つで、嬉しくて胸がくすぐったくて、おれははにかんだ。

 一番長く生きていることに加えて、おれと同じ超記憶能力を持っていたものだから、文字通り歩く記録庫だった。大事な会議には必ず出席するし、族長である父さんもよく頼りにしていた。


 しかし偉ぶるような人ではなかった。長い人生で見聞きしてきたこと、得た知識の数々を、子どもたちにもよく教えてくれた。

 いつも濃紫の羽織を肩にかけ、大きな樹の根元に腰を下ろし、唄うような抑揚で幾つもの昔話を語ってくれる。(いろ)(びと)らにこうして連れ去られてのちはあの羽織も樹もないけれど、この語り部を独り占めできているから、研究施設も悪いことばかりでない。

 話し合いや検査のない自由時間には、皺の浮いた手でおれの顔を揉みくちゃにして笑わせてきた。笑わされるおれのことを微笑ましそうに眺めるエリック兄さんの頬っぺたもぐにぐにと揉んでいた。


 ――ほぅれ若者、顔が暗いぞ。何をそんなに気を落とすことがあるかね?


()ょ、や()てく()()いっ()、えへへ」

「うはは、兄さん変な顔!」

「あ、笑ったなこの野郎。仕返しじゃ!」

「うへぁ?」

「頬っぺた、伸ばーし。ナダ、このまま白服どもを罵ってみな」

「ひゃ、ひゃーいひろふくー、ふほふんるえ゛れほろんひあえー」

「ぎゃっはっははあ! 何て言った? 今何て言ったんだ!? あははは!」


 抱腹絶倒、白い床を白い手で叩いてひいこら言っている。こんなに爆笑するエリック兄さんを初めて見た。


 そんな感じで、■■■さんはよくおれやエリック兄さんのことを笑わせてきた。日々の検査は大嫌いだけれど、研究員の人たちも今のところ酷い目には遭わせて来ない。大好きな人たちと一緒にいられることには、少し感謝してもいいかもしれないと思っていた。


 ……ある男が現れるまでは。






  □ □ □






 季節は着々と冬に近づいてきている。

 ザッケス&ジハルドと出くわした翌朝、俺は一つの決断を下した。


「冬装備を整えにかかります」

「まだ雪降ってないのに?」

「だからこそだ」


 一晩休んで、朝食を済ませた後で俺は切り出した。

 テーブルには、故郷へのチェックポイントである“ヴォドラフカ村”の記された地図。ピンで現在地点を打ち、大まかなルート案も記してある。その等高線を指でなぞりながら説明した。


「これまでと違って、この先はどんどん標高が高くなっていく。標高が上がれば冬が早い。そして厳しいぞ、お前らが思うよりはるかにな。簡単に死ねる」

「俺ァ冬山は良く知らねえ。ここはナダの言うこと聞いといた方がいいぜ、イコ」

「その通り。準備しすぎるなんてことはない。石橋叩き壊して鉄橋に造りかえるぐらいに念入れまくっても足りない。つきましては」


 バックパックの奥底に手を突っ込み、ポーチを取り出した。


「Pマートの店長に頂いたこの逃亡資金に手を出そうと思う」

「な……ッ」


 イコが慄いて体を仰け反らせた。


「正気かよ、今まで頑なに手ェ付けなかったのに!?」

「俺は十二分に正気だよ。いいかイコ。――雪山を、寒さを侮るべからず、だ」


 夏の暑さも度を過ぎれば生物を殺すが、寒さというのはより残酷だ。特に雪崩が(むご)い。雪の重みに押し潰されて息も出来ず、低体温症でガタガタ震えながらゆっくりと死んでいく。

 昔キース族の数人が雪崩に巻き込まれて帰らぬ人となったが、遺体は救助要員の他は誰も見る事が叶わなかった。「不用意に見るものではない」と(まなじり)を吊り上げて言われてしまっては、もう誰も何も言えなくなってしまった。

 (つい)ぞその覆い布が解かれることのないまま火葬されて、灰を皆で風に撒いた。俺が九つの冬の話だ。


 そんな話を低い声で語ると、イコの態度は一転したのだった。


「二人とも何呑気にしてるの? 早く買いに行こうぜ」

「はいよ、仰せのままに」


 いそいそと出かける支度を始めたイコがまったく愉快だ。肩を揺らしていると、じっとりと窘めるような視線がベイから降ってきた。


「なに。本当のことだよ」

「お前最近性格悪くなってきてるぞ」

「そんなことねえさ。ほら行こう、ベイは武器のことも考えなきゃだろ」


 ベイの分厚い背を押して、俺も身支度に取り掛かった。






 さすが北方の町というべきか、山越えに必要なものはあらかた揃えることが出来た。

 値段よりも機能性に重点を置き、採算度外視で見繕った。イコには理工科学校のつなぎを脱いでもらって新しい服を。ベイには保温性の高い手袋を。プラス、各自吸汗タイプの下着やインナーと、薄手だが熱を逃がさないアウター、アウターの中に着られるダウンジャケット、トレッキングシューズ、などなど。


「……いいの? ナダのお金、すっからかんだけど」

「このためにとっておいたんだ。その代わり、食費とかは二人に出してもらいたい」

「それはいいけどさあ」


 山吹色のセーターに着替えたイコが、ハンバーガーで汚れた口元をすぼませた。ペーパーを差し出してやるベイはハイネックのダークカラーのセーターに身を包んでいて、プロの登山家のような風格が出ている。筋肉質の体型は何を着てもその道のプロみたいに見せるらしい。


「死んだら店長に金を返しに行けなくなるからな」

「そりゃそうだ」

「今、十月に入った頃だろ。もう少し北の方の山じゃあ初冠雪迎えたらしい、店の人が言ってた。あの店良かったな、登山家を客にしてるだけあって山の情報も豊富だった。昨日ベイが提案してくれたルートで問題ないってよ」

「良かった。早いところ“ヴォドラフカ村”に入らねえと、雪の脅威がどんなもんか想像がつかなくておっかねえ」

「まさかベイから『おっかねえ』なんて言葉を聞くとはな」

「俺だって怖いものはある。何だと思ってんだ」


 ベイの大きな口にバーガーが消えた。食べるのが早い。

 宿で荷造りをしてみると、やはり重くなってしまった。とにかく食糧が重たい。野草が採れるかも、獣も狩れるほどにいるかも分からないから、湯で戻す食品や高カロリー食を山ほど買い込んだのだ。




 次の日の早朝には宿を出発し、山へ足を踏み入れた。

 イコはもうこの時間帯からの行動に慣れて、ついでに筋肉痛も徐々に軽くなっていて、ペースを上げられるようにまでなっている。


「ナダはやっぱり、町より山にいる方が生き生きするね」

「そうか?」

「鼻歌うたってたよ」


 慌てて口を押えた。言われてみれば、歌っていた気がしなくもない。


「今の何の歌? ラジオのCMソングじゃないよね」

「キースにいた頃よく歌ってもらったんだ」

「へえ、もう一回聞かせて?」

「嫌でーす。俺音痴だもーん」

「だから聞きたいんじゃん」


 意地悪だなあ。

 とはいえ音痴は本当のことなので、俺にはあの歌の再現は難しい。代わりにキースの話をすることにした。


「キースは野草と狩りで食ってる民族だ。定期的に住む場所を変えるから、大きな畑を持てない。というかまず、作物を育てられるような環境じゃねえんだな。場所によっては岩だらけだったり、森林限界近かったりで植えられるものがない」

「そんな場所に住んでるんだ」

「見つからないように暮らすには、人里を徹底的に避けるから、必然的に普通の人間が入って来られないような地形を選ぶことになる。俺もよく野草採りながら山を遊びまわってたけど、今思うと滅茶苦茶な遊びしてたな。木の枝から枝に飛び移って鬼ごっことか。雪に足跡つけたら負けなんだ」


 俺の師匠“エバンズの魔女”が「いい体してるねえ」と舌なめずりしたのは、たぶんこの生活のせいだ。

 ……気持ち悪いことを思い出した。


「その遊びも、大人になれば狩りに凄く役立つ。体を動かすのが得意な奴は“狩猟班”っていう、まあ文字通り狩りとか野草集めとかをする人たちで、その班になる。俺も本当はそっちが良かったけど、記憶力が良かったから“司書院”入りするだろうって言われてた」

「ガラクトでも言ってたな。その“司書院”っての」

「……よく覚えてらっしゃいますね、先生」


 ベイはこめかみをトントンと指で叩いて見せてきた。したり顔が腹立たしい。戦場を生き抜いた元少年兵だけある。学はなくとも重要そうな情報はしっかり頭に入っているのだろう、その証拠にこんな質問が飛び出てきた。


「“司書院”が話に上ったついでに訊きてえんだが、“ナダ・トヴィエル”っつーのは本名か? 苗字持ってんじゃねえか、名乗ればいいだろ」

「苗字じゃないよ。あれは記録上の名前」

「戸籍みたいな?」

「似てるかも。キース族はとにかく記録を積んでいくんだ。一人ひとりの生まれてから死ぬまで観察記録を残すんだけど、代を重ねれば名前だって使い回しになるだろ。俺はキース始まってから二人目の『ナダ』だから、古語で『二代目(トヴィエル)』」

「その記録を保管しとくのが、司書院ってわけか?」

「そういうこと。他にも、記録をもとにした争いごとの解決とか、議会の決定を吟味したりとか、(こっち)でいう裁判所みたいな役割をしてる」


 族長を頭に立て、各班の班長・副班長、他数人をもって議会を成す。この議会が、キース族の意思決定機関である。

 司書院は記録とその管理が主な役割なため、議会の意思決定には参加できない。代わりに、決定に際する監視の権限があって、権力の暴走や独裁を防ぐ責任がある。


「じゃあ、キースに戻ったらナダは文官ポジションになるわけだ」

「どうかな。エリック兄さんも前は司書院にいたけど、外界へ俺を探しに行く役目をあてがわれたってことは、俺もどうなるか分からない。“探索班”って名乗ってたよな……俺がいない間に作られた部署だ。もしかしたらそこになるかも」


 エリック兄さんとアドラーは、無事に故郷へ着いただろうか。あの二人は追手もついていない上に山歩きも慣れているから、俺たちよりもずっと到着が早いはずだ。

 俺たちもゆっくりではあるが、着実に目的地へ近づいている。山登りにショートカットはない。一歩一歩着実に足を進めるのが、一番の近道となる。


「そーれーで、さっきの歌はもう歌わないの?」

「くそぅ、忘れてくれねえか」


 しつこそうなので、潔く笑われることを決めた。

 思った通り、口ずさんだ歌は記憶にあるものと全然違って、音がゆらゆら定まらなかった。

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