ストレスフル五者面談②
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食事を終えた俺たちはそそくさと店を出た。夕飯時で家族連れの客が増えゆく中、カタギでない人間たちが長時間もファミリー席を占拠するものではないとの、ベイの英断だ。
財布役はザッケスが受け持ってくれたのだが、会計を済ませて出てきたザッケスの顔は……特に変わっていなかった。
気まずい。俺から話しかけるのは非常にやりにくい。が、ここで言わねば人としてまずい。
「あのー、ザッケス。半分は俺が食った分だからさ、俺の分だけでも払うよ」
「だッ……」
ザッケスはビクリと後ずさりした。ベイに対するよりも反応が大きい。
複雑だ。ザッケスの気持ちも分からないでもない。だが、それを露わにするのもいかがなものかと、俺はどうしても思ってしまう。
「それで? 俺の分いくらだよ」
「いや、あの、大丈夫……思ったより安かったし、カードで払ったから」
「……“カード”」
思わずオウム返しに返すと、不思議そうに首を傾げられた。
「クレジットカード。知らない?」
「いや知ってますぅ。知ってますけどぉ……」
クレジットカード――それは「社会的信用」の最たる証。中卒フリーターで戸籍がない、親も頼れず生きてきた俺にとって、その響きは高く手の届かない音色だ。
それを、この男は持っている。なんか腹立つぞ。そして当の本人は俺が何に苛立っているのかを理解していない顔だ。くそぅ、一発ぶん殴ってやりてえ。
「おいナダ。別の店行くぞ」
「え、また行くのか?」
「何も話ついてねえだろ、お前らときたら食うばっかで全然話進まねえ」
「ベイがお父さんみたいだ」
「イコー、ちょっと黙ろうか」
その発言は実の父親の前でするにはハラハラするのでやめてほしい。
通りを挟んで向かい側にある店に入ることになった。夕食の候補にも上がった場所だ。
落ち着いた雰囲気らしく、ゆったりと酒を飲んだりもできるとパンフレットにも書いてあった。とにかく腹を空かせていた俺たちが行くには不向きだろうと選択肢から外れた店だったが、話をするにはうってつけだ。
「さて、子どもらの腹も落ち着いたところで大人の話だ」
ベイが完全に保護者の顔になっている。いいのかベイ。名実ともに俺らのお父さんになっちまうぞ。
だがベイの本領発揮はここからだ。奴は保護者の他にも別の顔を持つトゥーフェイス、むしろこの“やくざ顔”が主役なのだ。
「ザッケスさんよ、俺が一つ聞きてえのは、どういうわけで『イコを連れて行くな』なのかだ」
「…………」
「俺ァこの三か月間、仕事でこの二人の護衛にあたってた。今も継続中だ。対してあんたはどうだ? 武力や金銭、立場的な後ろ盾はあんのか? あるんならあとはイコ自身の気持ち次第だ。だがどうもさっきの話じゃ逃げてきたらしいな、あんたのところに行く方が危険だと思うが?」
怖いです。確実に追い詰める言い方だ。
見るからに強靭な男にこんな風に迫られたら、俺なら泣いちまう。ザッケスはよく耐えていると思います。しかもベイは上手い具合に事実をぼやかして、今自分たちに“ガヴェル”という後ろ盾がないことを隠している。
なんてココアのマグを傾けながら感心していると、ザッケスの怯えるような目線が俺を向いた。
「君の言うことはもっともだよ。けれど、僕が危険視しているのは、追手の武力じゃない。……ナダだ」
ごくり。
喉が鳴った。俺の音だった。ザッケスの言う「危険」が健全不健全の話ではないと、本能的に分かっていた。
「彼は危険だ。娘といて何を仕出かすか分かったものじゃない。今すぐ離れるんだ、イコ、さあ」
――恐怖に震える声で尚、手を差し伸べて娘にそう呼び掛ける姿は、確かに“父親”であった。
そして同時に、俺を研究対象として見ている目でもあった。同情など消え失せた、完全に別生物として見ている視線の投げ方。それも危険な生物への。
「イコは知らないんだ。彼は人の姿をとってはいても、暴走すれば簡単に人を殺める生き物だよ。今は落ち着いているみたいだけどね」
「ナダをそんな風に言うな。何にも知らないくせに」
「君よりは知っているつもりだよ、イコ。僕たちも最初こそ罪悪感をもって接していた。でも蓋を開けてみれば――」
「待ってくれザッケス」
ココアなんて頼まなければ良かった。甘ったるくて吐き気がする。無理やり飲み込んだ濃い液体が、胸辺りでつかえている。
「その先は、言わないでくれ」
「隠すのかい?」
「違う。……思い出せてないから」
視界が白くフラッシュを起こすのに耐えて、眼鏡の向こうの黒い目を見返した。ゆっくりと見開かれていくその目に、俺は訴える。
「予想はつくよ、俺が何をしたか。今どうにか思い出そうとしてるんだ。先に答えをあんたの口から聞きたくない」
「まさか、忘れたというのか? よりによって君が?」
目は閉じない。今閉じれば、開きかけた記憶の箍が外れて、飲み込まれてしまう。だが今呑まれてはいけないのだ。隣で震える手を必死に抑えているイコのためにも。
「捕まった後のこととか、日常的なことは覚えてる。その他は……断片的にしか覚えていない」
「…………」
「どうやって脱出できたのかも分からない。気が付いたら孤児院で手当てされていて、そのままそこで世話になったから、俺は他のみんながどうなったのかも知らない。生きてるのか、死んでるのか、あの後またあんたたちに捕まったのかさえも。だから……申し訳ないけど、俺はまだあんたには謝れない」
本当のことを言えば、父さんも母さんもエリック兄さんも無事なのだが、ここはベイを真似てあえて伏せることにした。正しくはないが嘘は言っていない。不誠実だろうが何だろうが、俺がキース族と接触したことをおいそれと明かせはしないから。
上手くやれているだろうか。できていなければいけない、だって俺は、
(師匠。俺、初めてあんたに感謝したよ)
ひたすらに自分に暗示をかけていた。
だって俺は――魔女の弟子なのだから。
「お父ちゃん、やっぱりわたしはナダといるよ」
驚いてイコを振り返った。思ったよりもずっとしっかりした声だった。
「あんたはさ、逃げたよね。自分の研究が人体実験だって分かって怖気づいて、家族か研究かの二択迫られて、答え出さないままふらふらしてたせいでお母さん殺されちゃった」
「違う、クララは……」
「そうしたら今度は別の奴に唆されて、とりあえず奪った大事なものは娘に預けて、育児放棄して自分は仕事にこもりきり。んで、今になって嫌気がさして逃げ出してきたって? そんな父親、誰が信用できると思ってんの?」
棘を含む声が俺にまで突き刺さるようだ。ザッケスは俯いてしまった。
イコは尚も畳みかける。その声が、奥の方で僅かに震えていることに……俺はふと気が付いてしまった。
「ナダは向き合おうとしてるよ。あんたの娘であるわたしとも向き合おうとしてくれてる。ちゃんと真っ直ぐわたしを見て、巻き込んでごめんって謝ってくれた。バカすぎるぐらいに自分を犠牲にする癖は止めてほしいけど、でもそんなバカだから、血の繋がった親よりも信頼してるし、命預けてもいいって思った」
「え、なにそれ初耳」
「そうだね、今言った。ていうか今思った」
きゅっと右手の人差し指が握られた。イコの手は俺よりずっと冷たかった。
でも、イコなりに戦っているのだ。
「わたしの人生の助手席に座るのは、お父ちゃんじゃない。ナダだよ」
夜の酒場でそう高らかに宣言するイコは、決して晴れ晴れとはしていない。
薄っすらと眦が釣り上がっていた。何を犠牲にしてでも意思を貫く、そういう強さを持った目をしていると思った。俺はイコが今滲ませているこの色を、どこかで見た気がする。
……この視覚情報に感情が追いつきそうになった寸でのところで、俺はテーブルに思いっきり頭を打ちつけた。
「えっ……何、急にどうしたんだよナダ!? ココアにお酒でも入ってた?」
イコが驚く声が降ってくる。急に元のイコに戻った。
だが時既に遅し。手遅れとまでは言わないまでも、確実に俺のどこかにダメージは加わった。
「ベイ。帰ろう。今すぐ帰ろう。俺頑張った、めちゃくちゃ頑張った、もう宿帰って寝たいですけどいいですよね、メシ食ったしシャワー浴びたし、今日やることもう残ってねえだろ。ハイ決定。マスタァー! お会計お願いしまーす!」
これは逃げではない。戦略的撤退である。あらぬ誤解を与えて道半ばでザッケスに殺される前に、ダメージの比較的少ない今のうちに退散をするのだ。
決して、俺の顔が赤いせいだとか、そういうわけでは断じてない。お店の人が間違えて俺のココアに酒入れたんだと思う。「ナダはうわばみ」だって? 知らねえなそんな設定!
「あ……別れる前にひとつ、あんたに訊いておきたいことがある」
三人分の代金をテーブルに置いた後、ふとジハルドが目に入ってそんなセリフが口をついて出た。ジハルドは夢遊病者のようにふわふわした目線をベイに送っていた。
……何だか以前よりも子供っぽくなった気がする。落としたイモを拾ってくれた時に見せたあの鋭さは、もう見る影がない。
「ジハルドはあんたらエイモス社が“キース”みたいにしたんだろ。戻せねえのか?」
「無理だと思う。キース族が数百年かけてもベルゲニウムから抜け出せていないように、彼らに植え付けたベルゲニウムをもう一度取り出してリセットすることは……少なくとも今の技術では難しい」
「はは。言いきらねえところ、何だか俺の良く知る医者と似てるよ」
俺と目が合ったジハルドが、ニイと口の端を吊り上げた。
ぎこちなく微笑み返して、ベイとイコの背を追って俺も酒場を後にした。追いついたところで、真ん中を歩くイコは俺とベイの腕にしがみついてきた。
「ベイ……ありがと」
「いいぜ、気にすんな」
「ナダも。止めてくれてありがとう」
「ひとのズボンに手ェ突っ込むのは止めような。少しくらい躊躇してくれよ、俺だって一応お年頃の男子なんだ」
あはは、とイコは泣き笑いのような声を出した。
一つ息を長く吐き出して、再び顔を上げた時には、もう涙の気配は窺えなかった。普段通りのイコ。いたずらっぽくお茶目な顔で、俺を見上げて言うことには。
「ところでナダ。テーブルに置いてきたお金、たぶん足りてないよ」
「嘘でしょう」




