ストレスフル五者面談①
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真っ白な施設で七日を過ごした。
照明で表現される“朝”と“夜”で数えるから、本当の時間は分からない。しかし研究員も人間だ、食事や睡眠は必要だろうから正しい時間だろうと父さんは推測している。
この七日の間で、本当にたくさんの検査を受けた。身長に体重、腕や足の長さ、胴回りの長さに足の大きさ、とにかくくまなく巻き尺だの計測器だので測られた。
と思ったら腕に針を刺して血を抜かれそうになった。そんなことをしたら死んでしまう、頭がおかしいんじゃないかと大暴れして一度は免れたが、その夜どうやら眠っている間に採られたらしい。翌朝起きると肘の内側に絆創膏が貼られていて、泣きじゃくって研究員たちが土下座する事態にまでなった。おれは悪くない。
彼らが一体何を目的にしているのか、能力が目的だとして未だ直接的な検査がないのは何故か……まったく見通しが立たないことに父さんたちは気を揉んでいた。少しずつ気力が失われているのが、子どもであるおれにも分かるほど、大人たちは元気をなくしていった。
「まずは情報が必要だ」
八日目、父さんは部屋の隅に皆を集めてそう言った。
「いつまでもこうしては居れん。いずれ脱出するため、先ず地形把握から取り掛かろう。他にも脱出に利用できそうなものはすべて探る」
「しかしどうやって……」
「検査室へ行く道順を覚えるのだ。歩数で大まかな広さを掴めよう。ナダも、何か気になることがあったら遠慮せず言いなさい」
「うん」
父さんにそう声を掛けられ、緩みそうになる頬にグッと力を入れながら頷いた。おれも戦力の一人として数えられているのが嬉しかった。だが、“大人にはあって子どもにはないもの”は数え切れないほど多く、その逆は少ない。
数少ないその利点を活かそうとエリック兄さんが励ましてくれた。おれしか持っていない“子ども”という立場を存分に使おうというのだ。
「でも、おれは背が低いし、力も大人には劣るぞ」
「ところがそうでもない。子どもと追いかけっこするのは骨が折れると、前にピエーレさんが言っていた」
ピエーレさんとは、キース族の狩猟班の人。男ながら整った顔立ちに、狩猟で鍛えた体つき、更に男前な性格と、女の人にとてもモテる人だ。
「あの体力無限のピエーレさんが? 嘘だろ?」
「本当さ。つまり大の男でも息切れさせる体力を、お前たち子どもは持っているというわけだ。それに、子どもという立場はお前が思うより便利なものだぞ」
兄さんは常の穏やかな笑みではなく、とても楽しそうに口の端を上げていた。おれよりも楽しそうだ。
「クク……良いことを思いついたぞ。きっとあの白服どもの度肝を抜いてやろう。どんな顔をするかな。ああ、楽しみだなあ」
久々に見る悪戯っぽいエリック兄さんに、おれも気持ちがわくわくと昂るのだった。
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片側に奥から、ザッケス・ジハルド。
向かい側に、ベイ・俺・イコ。
この席順で、俺たちは今チェーン系ファミリーレストランのボックス席に、親権談義中の集団よろしく座っている。
ただし男女比率は野郎に偏っている。むさ苦しいったらありゃしない。ちょっと女装でもして花を添えてみようか……いややっぱナシ、現実逃避はこの辺にしよう。
居心地は過去最高に最悪だ。俺の師匠“エバンズの魔女”のプレッシャーよりも酷い空気である。逃げられるものならさっさとおさらばしたいところだが、しかしこの、俺が真ん中という配席がそれを許さない。
「イコ、ちょっとあっちのドリンクバー行こうぜ。そのまま宿へ帰ろう」なんて口にしたいが、生憎とそこまで心臓は強くない。
内心で盛大な溜息をつきながら、俺はこのファミレスへ移動する道中のことを思い出していた。
――移動中、ザッケスとジハルドに前を歩かせて、ベイが耳打ちしてきた。
「今回の話し合い、仕切りは俺がやる。お前はあんまり喋るな」
「どうしてだよ」
「三人の中で俺が一番年長だからだ」
猫背をビクつかせるザッケスに視線をやりながら、ベイはますます声を低くした。
「相手はイコの父親だぞ。メンバーの意思決定に大人がちゃんと介入してるって印象付けて、現状に説得力持たせんだよ。じゃねえとイコをどうされるか分かったもんじゃねえ」
イコをチラッと見ると、父親の背を睨んでいた。あんな目を娘に向けられた日には俺はショック死できる。娘いたことないけど。
「イコもずっとあの調子だ。なるべく父親と喋らせねえ方が良い。あの父親が『娘を連れて行きたい』とか言ったらどうする? さっきの様子じゃ絶対刃傷沙汰ンなるだろ。身を引いてもらうにゃ、それなりに強い印象が欲しいんだよ」
「お前、そんな高度なことできんの?」
「舐めんな。……昔からやってる」
ベイの視線の先にはジハルドがいた。時折俺たちの方を振り返ってはニタリと笑いかけてきていた。
――そんなやり取りをベイと交わした後なので、俺はちゃんと口にチャックして大人しく座っている。人数分の注文が済んだところで、ベイがくいと顎を上げた。
「このメンバーの中で俺が一番中立なんで、勝手に仕切らせてもらうぞ」
誰も逆らわず、静かに頷いた。銃という抑止力がありながら、平和的に解決とはよく言ったものだ。多分この男、平和というやつをガラクトに置いてきてしまっているんだろうと思うが、俺は「口を出さない」と言いつけられてしまっているので、顔に無表情を貼り付けて観察に徹することにした。
「ザッケスとか言ったか。イコの父親だな」
「へぁっ、はいぃ」
「俺の持ってる情報を総合すると、あんたはエイモス社の研究者だと思うが?」
「そう……いや、『そうだった』というか……」
「煮え切らねえな。ハッキリしろ」
ベイが苛立つように低く言うと、ヒッと小さな悲鳴を上げてザッケスは縮こまった。哀れな大人だ。
「その、逃げて来たんだ。もうこれ以上我慢ならなかったんだ」
「何故逃げる? 娘をダシにいいように使われてたんだろうが」
「それは……」
ベイの静かな問いに、気まずそうに口籠る。その視線がチラリとジハルドを向いた。
ジハルドが唆した? そんな冷静なことが出来るようには見えないが……二人がとても仲が良いならあり得るが、仲良しこよしと言うにはあまりにちぐはぐな雰囲気だ。
「まあいい。今はエイモス社と関わりねえんだな?」
「ない! 本当だ!」
「喚くんじゃねえ。じゃあ訊くが、俺らがガラクトでジハルドたちとドンパチやってた時、あんたはどこで何してた?」
ザッケスの肩が揺れた。目線が分かりやすく泳いでいる。
「……それはその……まだ、研究所に……」
「へえ? あれからひと月ぐらいしか経ってねえが、それにしちゃ随分と旅慣れた装備だな。最近逃げて来たとして、それだけの装備を一度に揃えられるとは思えねえ。髪も肌も日焼けでの荒れ方してるぜ」
ジハルドが尊敬に満ちた目でベイを見上げている。怖い。だが気持ちは分かる。名探偵みたいでかっこいい。
一方でザッケスはますます目を泳がせるばかりで、核心の一言がいつまで経っても出てこない。何か隠しているのは間違いなさそうだが……。
名探偵ベイは鼻を鳴らした。
「だんまりか。なら話は終わりだ。あんたも泳がされてる可能性あんだ、面倒なことにならねえうちに、俺らはさっさとこの町から出て行く」
「ま……待ってくれ! イコを、娘を連れて行かないでくれ!」
立ち上がりかけたベイを、情けない喚き声が引き止めた。かなりの大声を出したので周囲の人が何人か振り返った。
(周りの目には……俺らが悪者に映ってるだろうな)
娘を返せと懇願する、いかにも非力な父親。対するは大柄で肌の浅黒い、武装した男。
この対立構造は、傍から見ればベイが少女を誘拐したようにも見える。ザッケスは決してそこまで狙ってなどいないだろうが、それが尚のこと苛立たせる。
そうだった。ザッケスという男は、無自覚に人を苛立たせる特性の持ち主だ。本人に悪気がないからタチが悪い。
と、そこへ救世主が現れた。
「お待たせいたしましたー。チキンソテーAセットのお客様ー」
突然降ってきたやる気のない声に、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。店員が料理を載せたワゴンを押して来ていた。
「……チキンソテーAセットご注文の方ー?」
「あ。わたしだ。スンマセン」
イコが我に返って手を挙げた。鉄板の上で音を立てる鶏肉がこれまた美味そうだ。
「お熱いんでお気を付けください。こちらセットのバゲットとドリンクでございます、おかわりはあちらのコーナーでご自由にどうぞ。続いてラムシチューBセットご注文のお客様ー」
「俺です」
俺の前にシチューとバゲットが置かれた。
「オムレツ単品のお客様」
「それも俺」
「トマトクリームパスタ」
「それも」
「えー……もしかして、ギガンテスバーガーとポークサンドイッチもお客様ッスか」
「そうッス」
「マジすか」
「マジです」
俺の前が皿で溢れかえって、ベイとイコのエリアにも進出した。ごめんな。ひとくちやるからさ。
ふと顔を上げると、ザッケスとジハルドが揃ってポカンと口を開けていた。
「なに? 食いたいなら取り皿貰おうか?」
「いや……」
「狭くなっちまったな、先に食って皿減らしてるよ。ベイ、お前の分来るまで何か分けてやろうか?」
「卵くれ」
「あ、わたしも卵食べたい。ありがと。わーい、中にキノコとチーズ入ってるやつだー! ナダ今度これ作ってよ」
「チーズを荷物に入れたくねえんだけど。カビとか怖いし」
(……良かった。ちゃんと食べてる)
予期したことではなかったが、この場の空気を一時休戦に持って行けたことに、こっそり安堵した。イコは美味しそうに食べている。伸びるチーズにはしゃいで、ソテーのソースに舌をとろけさせ、デザートにも思いを馳せている。
……アリカさんと話しながら食べていた時の、とにかく腹に詰め込むような食べ方ではない。
恐らくあの食べ方は、イコがストレスを抱えている時の徴候だ。少なくとも今は意識が父親から外れているから、本当にうまそうに食べられるのだろう。
かつてイコが「ナダといるとおいしくごはんが食べられる」と言っていたのは、これだ。理由はさておき、俺がストレス緩衝材の役割を果たしている。だからイコは、俺が町を出て自分と離れることを嫌がった。危険な旅にも関わらず、それも車を捨ててまで、俺についてきた。
この考えはきっと正しい。
だがこの現状は、果たして正しいのだろうか。
「ポルチーニとほうれん草のリゾット、ご注文のお客様ー」
「あッ、はい、僕ですすみません」
ザッケスが裏返った声を上げた途端、フォークを握るイコの手に力が込められた。
ああくそ、この野郎、せっかくいいところだったのに、ちょっと永遠に黙らせたくなってきたぞ……。




