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Blank-Blanca[ブランクブランカ]  作者: 奥山柚惟
第6章 前後不覚を取らぬよう
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待つ彼ら、捨てる我ら

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 ガナンは拳の裏を口に押し当てて、クスクスと笑っていた。それを見てラッドが苦笑交じりに溜息をつく。


「性格悪いッスよー」

「だって可愛くってね。ベイズもいいキャラになったじゃないか。面白い組み合わせだよ、あの三人」

「笑ってる場合ですか。余計なことばかり教えて……遊びじゃないのよガナン」


 ローズはこめかみに指を当てて溜息をついた。


「……まあ、こちらの思惑通り、警戒心を植え付けられて良かったわ。あの二人の監視はひとまず必要ないってことだし、あとはザッケス博士とエイモス社をどうにかすればいいのよね。さて……どうしようかしら」

「先輩たちは何もしなくていいんじゃねえッスかね? 勝手に動きが出るでしょ」


 あっけらかんとラッドの声が上がった。すかさずローズが窘めるように視線を送るが、ラッドは飄々とした笑みをますます深めるばかりだ。

 ガナンの目に冷たい光が宿る。


「なるほどね。たしかにそろそろ、エイモスが動くか」

(イコ)が育つまでまだしばらく時間要るでしょ。オレがテキトーなところにエイモスの目を逸らしとくんで、ついでにボスの体調もととのえましょうぜ。オレ的に様子の気になる御仁もいるし」

「ハア……ホント私、あなたが信用できないわ、ラッド」

「マジすか。めっちゃ褒められてんじゃんオレ」

「けなしてるのよ」


 すっかり冷めきってしまった紅茶が、ローズの喉に流し込まれていった。髪と同じ栗色の瞳がラッドを睨みつけた。


「あなたにとってナダは“魔女”の兄弟弟子にあたるわけでしょう。そんな相手によく素性を悟らせないものだわ。金も弾も女も大事にしない、二重スパイのクズラッド」

「くぅ〜、姐さんの毒舌、痺れるッス! まあスパイとしちゃあ、あの少年は全然ッスね。致命的に嘘が下手くそだ」


 と言いつつ、ラッドはふと考える。

 少年と少女にはベイがついている。ベイの気配察知能力の鋭さはラッドもよく心得ていた。だが、少年はそれに加えて、自らの気配を消すのが上手かった。

 自分の尾行に気付かれたところで、特に問題はないとラッドは高を括っていた。いつの間にか標的を見失い、背後を取られたのは、明らかに少年の方が上手だったということだ。


 師匠のエバンズが言っていた。

「お前さんより年下の兄弟子は、隠れるのがこのあたしより上手い」と。


(やり合いたくねえなあ)


「そんじゃオレ、遊んできまーす。ガナンさん、お小遣いちょうだい」

「あげるわけないだろ。狼相手に当たらない銃弾バカスカ撃っておいて。あの無駄撃ちがなかったら遊べるお金も浮いたろうに」

「そんなこと言わねえでくださいよォ。今入れ込んでるカワイ子ちゃんが、あとちょっとで落とせそうなんス……ぎゃあっ! ケツ、姐さんケツ蹴らないでェッ!」

「あんたいっぺん狼に食われて来い」






  □ □ □






 眠れない。

 こんなに寝付けないのは久しぶりだ。


 酒でも煽れば眠気が降りてくると期待したが、そういえば俺はザルだった。瞼が重くなるどころか、かえって覚醒している気がする。いや……これを逆手に取ることができるんじゃないか。


「もしかして、酒飲めばチョー頭冴えるんじゃね?」

「バカじゃねえのか」


 ソファーに座るベイから、道端でカラスに食い散らかされた生ゴミでも見るような目が投げかけられた。さすがに傷つく。


 イコは広いベッドで大の字になって爆睡している。何度か布団をかけ直してやっているのだが、寝相が悪いのですぐに取り払われてしまう。どうせ暇なので何度でもかけ直している。


「ガナンの野郎、やっぱり戻って缶詰口に詰めてやればよかった」

「今から行くか? 協力するぜ」

「ベイがノリノリだとなんか怖い。……雨だ」


 秋雨が夜に紛れてやって来た。明日の朝は冷え込みそうだ。

 宿の部屋に備え付けてあるストーブに薪を足した。薬缶の湯が沸いてカタカタと音を立てている。


「……考えたんだが」


 おもむろに、コーヒーの入ったマグカップからベイが顔を上げた。

 しばし迷っていたが、軽く首を振ってキッパリとこう言った。


「車、捨てないか」

「え……」

「イザベラやガナン、それにさっき乗せたラッドが発信機を仕掛けてないとも限らねえ。あるいは最初から何らかの形で追跡可能になってたってのもあり得る。これからキースへ向かうってンなら、極力可能性を潰しておきてえ」

「そう……だけど……」


 俺はいい。山歩きも慣れているし、元はそうして暮らしていた人間だ。

 ベイもあまり心配はしていない。寒い気候に慣れていないのがネックだが、物事の飲み込みが早いから何とかなるだろう。


(だけどイコは……)


 俯く俺に、珍しく穏やかな声でベイが諭してくる。


「イコを心配するのも分かる。俺だって心配だ。なんせ“北の壁”へ向かう旅だ、車でもかなり険しいものになる。だが……いくら頭捻っても、これ以上の策が思いつかねえ」

「ベイがそう言うのなら、そうなんだろうな」

「お前が突飛な考え出してくるなら分からねえぜ。ま、手詰まりだろ。徒歩に切り替えることで、追手も惑わせるかもしれねえしな」

「歩くの?」


 ぎょっとして二人で振り向いた。

 イコがベッドに起き上がって目元を揉んでいた。髪がボサボサだ……じゃなくて。


「……聞いてたのか」

「んー……眠いけど……」


 おぼつかない足取りでソファーへ近寄り、ベイの膝に座った。座られた本人は面倒くさそうにイコを抱き上げて隣に座らせた。

 お父さんみたいだ。


「ナダー、ココアちょうだい」

「寝てろよ。明日早いぞ、また山道運転するんだから」

「でも車捨てるんだろ」

「いや……その……」

「いいよ、続けて。わたし抜きじゃ進まないでしょ。この話」


 仕方がないので、イコと自分にココアを、ベイにはコーヒーのおかわりを淹れた。酒瓶は片付けた。酒は飲むものじゃない。飲んでもあまり意味がなかった。


「お待たせ」

「ありがと。それで、車で追跡されてるんじゃないかってことだったよね。わたしもやっぱりそうだと思う。ほら、わたしの暮らしてた町で見つかって追いかけられたじゃん? あれってやっぱり、随分前から発信機つけられてたからじゃないかって」

「あー……」

「だったら全然アリだと思うんだよ。ここで車置いてくのも」


 あっさりイコは言って見せるが、俺は心配でならない。長年連れ添ったマウンテンバイクを壊された時、自分が見つかったこと以上にショックを受けたものだ。

 迷う俺に、イコが眠気でとろける顔を笑みに変えて、グッとサムズアップして見せた。


「わたしは大丈夫だよ。車ぐらいまた作ればいいさ」

「車()()()って言っちゃうの、お前しかいないよ……」


 ココアを一口飲んだ。じんわりと脳みその隅々まで染み渡るようだ。最初からこうしていればよかったのだろうに、ココアなんて選択肢が浮かばないほどに疲れていたらしい。


(切り捨てる覚悟……)


 ──なんだか、何かを思い出す。


 何とはなしにベイを眺めた。足を組んでマグを傾けるさまはリラックスして見えるが、目だけが鋭く地図を睨んでいる。頭の中ではいくつもの策だとか計画が浮かんでは、取捨選択しているに違いない。

 そうだ。ベイはずっとそうして、最善のために何かを切り捨ててきた男だ。たとえそれが仲間であろうと、己の身であろうと、未来であろうと。


 ああそうか。ベイを「お父さん」などとからかっていたが、無意識のうちに重ねていたのだ。自分の父と、ベイを。

 父さんも判断の早い人だった。判断材料が一通り揃うと、必要最小限の吟味で的確に断じて行動する。一族に欠かせない存在を攫われた今、キース族が暴動寸前というのも致し方ないのかもしれない。


(……いや、変だな。エリック兄さんはたしか「父さんと母さんも無事だ」と言っていた)


 キース族の未来について議論が出た。意見が分かれて内部がどうなるか先が見えない。それは分かる。

 だが父さん(ジゼル)という統率力は戻ったじゃないか。何故そんな危なっかしい状態にまでなっているのだろうか。




 スッと、脳の芯が冷えた。


 ──父さんの身に、何かあったんだろうか。




「ナダ。おい、ナダ。戻って来い。どこまで旅してんだ」

「へっ」


 ベイの呆れた声が降ってきて我に返った。ココアが手元のマグから消えている。


「えーっと。俺、今ココア飲み干した?」

「空になってんのに中身飲もうとしてたから、あー考え事してるなーって。何考えてたんだよ。エッチなこと?」


 半目でイコを睨むと笑われた。小学生男子か、お前は。


「父さんのこと。……早くキースに帰った方がいいかなって」

「じゃあ尚更、車は捨てるってことでいいね。ハイ決まり。異論は認めません」


 小さな手がパチンと打ち合わされた。だらけた思考に喝が入ったようだ。

 凄いなあ、イコは。ベイもだ。二人のように、父さんのように、俺もなりたい。


「イコ。ありがとう」


 そんな思いを込めてイコに頭を下げた。

 ……空気が、何だろう、ピシリと音を立てて固まった。


 目を上げると、ベイの隣に毛布の塊が出来上がっていた。ちょうどイコが丸まったくらいの大きさの。


「えっ。イコ? やっぱり眠いんじゃねえか、もう布団で──」

「バーカバーカ! ナダのバーカ! ストレートしか投げれない脳筋! 暴投ピッチャー!」


 なるほど。

 照れているのか。


 ベイが顔半分を手で覆って震えている。コーヒーがちゃぷちゃぷ跳ねて危ないので、浅黒い手からマグを奪い取った。すると決壊したか、大声を上げて笑い出した。

 珍しい。明日は槍が降るんじゃないか。それは困る、狼の主との取り決めが──。


「そうだ、それがあった。車と別れるのは次の町か、その先でだな。明日はここを出るのが先決……ああもう! お前ら寝なさい! 明日早いんだから!」

「イエスマム」

「誰が“マム(お母さん)”だコラ。ほらおやすみ」


 二人を寝かしつけ……じゃなくてベッドに押し戻して、俺は食器の片付けに取り掛かる。濡らしたスポンジに洗剤を含ませ、マグカップやグラスを泡で覆い、浮いた汚れを水で流す。食器から、手から、泡が消えていく。

 ぼうっとその様を眺めた。洗い物は綺麗になった。俺の手からも汚れは洗い流された。なのに、この感覚は何だろう。俺一人が澱みの中で溺れそうになっているような、吐き出した空気を取り込み続けているかのような、この息苦しさは。


 頭の奥の方で酸欠に似た疼きを感じる。

 何かを囁くように。

 訴えるように。

 懇願すらするように。

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