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Blank-Blanca[ブランクブランカ]  作者: 奥山柚惟
第6章 前後不覚を取らぬよう
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断髪式と来訪者②

 イコが起きたので、散髪ケープを被せて椅子に座らせた。

 乱雑な切り口を整えるのだ。


「さァてお客さん、今日はどんな髪型にしましょうかね」

「かわいくしてください!」

「初心者にはハードル高い注文だな……変になっても文句言うなよな」


 言わないよ、とイコは笑った。元気なものだ。空元気でないことを祈るが。


(ベイの方が器用だから、あいつにやってもらうのがいいと思うんだけどなあ)


 始終起きていたベイに頼まず、俺を待っていたということは、イコなりの意味があるのだろう。


 一番短い髪に合わせてみようか。天然ウェーブのかかった髪質だから、切り揃えるだけで幾分それらしくなりそうだ。もっとも初心者の目測なのであまり宛にするつもりはない。

 床屋の手つきを真似て、霧吹きで髪をとかしてピンで留め上げる。襟足をまずは揃えにかかることにした。


「おお。やっぱり見立て通りだ、ナダも器用だよ」

「調子乗るとハサミ滑りそう……」

「じゃあけなす?」

「落ち込むからやめてくれ」


 右側の髪だけ解いて下ろし、目算を立てる。あまり計算は得意ではないのだが、というか大の苦手なのだが、そうも言っていられない。


「うわコレ超緊張する」

「がんばれー」

「他人事みてえに言いやがって……こんな感じかなあ」


 ハサミを入れては櫛で梳き、を繰り返す。それらしい形にはなっている。

 さすが俺。その調子だ。


「……聞かないの、何があったのか」


 イコの声のトーンが落ちた。

 櫛を入れる手を止めないまま、俺は答える。


「ベイに粗方聞いたからな。別に無理に聞こうとは思わないよ、何でも話すのが友だちじゃないだろ。もちろん、話してくれるなら、聞く準備はある」


 覚悟は既にできている。

 真後ろの髪を整えながら、イコの言葉をじっと待つ。


「……あのね」

「うん」

「上手く言えないんだけど……わたし、実はナダのこと、そんなに好きじゃないというか」

「知ってる」

「──ええーッ!?」


 目を剥いたイコが首をぐるんと捻ったので、慌ててハサミを離した。


「嘘だァ!」

「危ねえなコラ! また怪我すんぞ!」

「ゴメン……いやまさか、鈍い奴とばかり思ってたから……まあとにかく、うん、難しくって」


 薄々気づいてはいたことだが、改めて目の前で言葉にされた俺は、どんな顔をして本人の髪を切ればいいのだろうか。

 ひとまず表情筋をそのまま固定して、手を再び動かし始める。


「わたし、鏡って嫌いなんだよね」


 イコも再び独白を始めた。


「わたしとアリカ叔母ちゃんってさ、そっくりだと思わない?」

「思った。親子って言われても納得するぐらい」

「でしょ。わたしお母さん似なんだよね。お母さん髪伸ばしてたから、わたしも伸ばすとそっくりでさ。……大きくなったらますます似てきちゃって、それで髪はテキトーにぐちゃッと短めに保ってたんだ」


 たしかに、最初公園で出会った時のイコは髪が短かった。今よりもずっと無頓着で、寝癖でぐちゃぐちゃになっている上からニット帽を被っていた。

 それで男だと勘違いしていたんだっけ。今となっては懐かしい。


「ナダがいれば平気かなーって、最近は伸ばしっぱなしにしてたけど……やっぱりダメだった。鏡を見るとね、鏡に映るのはわたしじゃなくて、お母さんになるんだよ。事故で死んだときのお母さんに」

「そっか」

「うん。……それでなんか、パニクっちゃって……」


 イコの声が湿り気を帯びることはなかった。ただ細くトーンダウンしていった。しばらくハサミの音を鳴らして、髪を撫でた。


「しんどかったな。ガラクトは」

「……うん」

「いろいろあった。俺も結構……重かった」

「ナダは大丈夫だった? 暴走してる間、記憶取り戻そうとしてたんだろ」

「全然。あれで序の口とか嘘だろ、って感じ」


 イコは俺を責めなかった。ただ俺を「好きではない」と言った、それが俺はとても安心してしまった。

 いずれイコとも向き合わなければならない。だがイコがもう少し先延ばしにすると決めたから、俺もそれに乗っかってもう少し“友だち”を続けようと思う。そしてこの先、どこかでイコが俺を“敵”と見なす時が来たら、甘んじて受け入れようと思う。


 これは逃げじゃない。保留にしているだけ。

 少し狡い手を使うだけ。


「出来た。いかがですかお客さん」

「わあ! アリカ叔母ちゃんとはまた違った切り方で面白いねえ」

「下手くそならハッキリ言ってくれ。本職に敵うわけねえだろ、比べるなよ」

「いやいや、そうじゃなくて。上手いなあって。ちゃんとかわいいよ、わたしにしては」


 ケープを払い取ったイコの髪は首元でスッキリと切りそろえられ、動きに合わせてふわふわと揺れ動いた。櫛で梳くと綺麗な砂色に光った。


「髪短くても女の子に見える。すげー」

「ご満足いただけて何よりです。ほら、片づけるから手伝ってくれ。あばらが軋んで上手く動けないんだ」

「怪我人に無理させちゃったね。でもありがとう、次もナダに頼もうかな」


 それはまたプレッシャーを……と苦笑いを返す。床に零れてしまった分を箒で集め、ビニール袋に集め入れた。


 そして二人で道具を返しに行こうと、病室のドアに手をかけた時だった。

 突然、背後でガラスが割れた音がした。


「な……ッ、窓!?」


 窓が一つ、割れていた。破片が飛び散り、反射した光が部屋中をチラチラ彩って、束の間幻想的な景色を創り出していた。

 しかしそれもすぐさま消え去った。窓から飛んできた何かが、空を切って壁に牙突して止まった。「ビュカッ」という音がした。


 矢だ。

 矢が壁に刺さっていて、そこからロープが窓の外へと伸びている。


「今の音何だ……床に伏せろ!」


 ドアが開いてベイが入ってきたと思いきや、イコと俺に飛びついて床に押し倒した。

 顔を少し上げて窓を注視すると、一瞬日が翳った、いや違う、このロープを伝って誰かが──!


「即席ジップラインか。やられた。侵入者だ。俺の背後につけ」


 ベイが身を起こして前に庇い出、拳銃を構えた。

 張られたロープが唸る、揺れる。影がどんどん大きさを増す。


 そして塊が窓に飛び込んできた。

 息を詰めて見守る中、それはしなやかに重心を下へ移して着地した。着ているマントのような布が遅れてバサリとその身を包み、侵入者の特徴を覆い隠した。伝い滑るのに使用したと思われるフックが壁に当たって落ちた。


「ちょっとちょっとぉ、ヤるなら近所に配慮してって言ったよね」


 最悪のタイミングで看護師さんがやって来た。部屋の惨状を見るなり、表情が一瞬で消え失せる。


「……どういうこと、コレ。ヤバいじゃん」

「ヤバいっすね。俺も飲み込めてねえんで」

「すいませんスイマセン、失礼します通して……四一八号室ってここですか……」


 と、今度は茫然とする看護師を押し退ける者があった。

 その人物も部屋の中を目に留めるなり、半狂乱で叫び出した。


「アドラーッ! なんッ……何ということを! ここは『病院』だと言ったろう、無茶せんでも普通に下から通してくれると! あれほど……あれほど……ッ!」

「ゴラァてめえらァ! 何ちゅーことしてくれとんじゃァボケェ!」


 半狂乱の人物の更に背後から、隻眼義足のドクターの怒号が飛んできた。

 ──事態の収拾に、実に半時を要した。






  □ □ □






 風通しの良くなった病室で、俺はベッドの上であぐらをかいて彼らを見下ろしていた。


「全員、そこに正座。正座だ。座っても安全なように掃き清めたのだ、安心して正座するがよい」

「ハイ」


 しめて四人、小柄な女性から体格のいい男性まで、ずらりと一列になって座らせている。うち一人は申し訳なさそうに縮こまっている。


「まずアドラー」


 最初に右端でマントに身を包む少女の方を向いた。

 唇をキュッと引き締め、正座はしつつも不機嫌そうに腕組みしている。


「いいか、硝子(ガラス)は割れやすいものだ。そして非常に高価なものだ。以後、割ることのなきよう」

「……ふん」


 いや、少しも反省していない。隣に座るもう一人の男がその頭を小突いた。


「弁償の肩代わりを負ってくれたんだぞ。感謝こそすれ、何故(なぜ)にそう臍を曲げるんだ、アドラー」

「……ベイ、弁償代がいくらかわかりやすく説明してやってくれ」


 尚も口を尖らせているので、支払いを請け負ってくれた本人に発言を求めると、ベイはガッチリした肩を竦めた。


「思ったほど高くはつかなかったがな。まあ……俺ら三人がひと月の間、毎日三食うまい飯にありつけるくらいだ」

「なるほど。それは申し訳ないことをした」


 顔色を変えたアドラーが頭を下げる。正座をしたままなので、自然に土下座という形になる。ベイは居心地悪そうにした。


「次にエリック兄さん。連れの手綱はしっかり持っておくこと」

「肝に銘じておくよ……」

「それからベイ。病院で銃の携行許可が出てるからって、そうホイホイ銃を出すな。普通、民間人はな、銃を向けられて冷静じゃいられないんだよ。次から本当に危険な時だけ構えるように。事故防止のためにもだ」

「……ケースバイケースだが、たしかにな」


 銃を向けられたアドラーが弓に矢をつがえ、一触即発の事態にまで発展したのだ。ドクターの一喝で解消されたので無事だが、こういった事故はなるたけ避けたい。


「最後に、イコ」

「……ハイ」

「怖くて俺にしがみつくのはいい。だけどズボンは止めなさい」

「…………」

「返事は」

「はあい」


 イコの手が俺のズボンを捕まえていたせいで、危うくズボンが脱げるところだった。

 何というか、こう、イコに対して父親的な心もちになってくるのだが……。


「俺からは以上。まったくさあ、本来感動の再会になるところが、台無しになってるの自覚してくれよ?」

「私は助けようと思ったのだ。まさかここが治療する場だとは露知らず」

「……露どころじゃないほど言い聞かせたでしょうが……」


 新参者二人は早くも性格をうかがわせる言動を取っている。

 ベイとイコが目線で訴えてくるので、自己紹介の会を始めることにした。


「ええと、そうだな……まず、じゃあ、アドラーから順に自己紹介」

「ふむ。私が一番手か。ご紹介に預かったアドラーだ。年は十六、キース族探索班の()(くに)部門所属。エリックの恋人だ」

「違います」

「何故! 私はこれほどあなたを愛しているというのに!」


 なんか始まった。


 今言った通り、この少女アドラーは俺の幼馴染なのだが、昔はもっと内気で泣き虫だった気がする。ところが今はどうだ、編み込んだ髪を後ろでまとめ、小柄な体格ながらに弓や短剣を携えて凛々しいくらいだ。


(逞しくなったなあ)


 感慨深いものはあるが、収拾がつかないので、次へ促した。


「ハァ……初めまして。エリックといいます。同じくキース族で、アドラーとペアで外界の情報収集などを担当している者です。今年で二十六歳。……そして、ナダと一緒に捕まっていた一人だ」


 アドラーよりもいくらか滑らかに話すのは、エリック兄さん。彼が言った通り、研究施設に捕らわれていたキース族の一人である。

 表情の硬いキース族の中でも、珍しく笑顔の多い人で、物腰も柔らかい。小さい頃から尊敬している人だ。当時から小さい子たちに慕われていたが、それにしてもアドラーの熱愛ぶりは一体何があってのことだろうか。


「次、ベイ」

「ベイだ。歳は……あー……大体三十代」

「歳を知らんのか」

「諸事情でな。この二人の護衛で派遣されたが、今は俺の意思でこいつらについてる」


 そうか、ベイは兄さんと歳が近いのか。

 最後にイコが、整えたばかりの髪を揺らして挙手した。


「イコです。十五歳です。この流れでめっちゃ言いにくいけど、ナダたちを捕まえてた研究員の娘です」

「ゲホッ」


 それを言うのか。

 言っちまうのか。マジか。


 案の定、エリック兄さんとアドラーが固まった。慌てて説明を付け足す。


「ザッケスって研究員がいただろ」

「……いたな。黒髪がボサボサの」

「無理やりあの研究に加担させられていたらしい。その手がかりみたいなのを、イコに預けてあるらしくって、それを狙ってる連中がいる」

「成る程な。“二人の”護衛とはそういう意味か」


 アドラーが腕を組んで頷いたが、目つきは依然鋭いままだ。


「だがわざわざ共に行動せずとも、貴様一人キースへ戻れば良かろう。幼少ならばいざ知らず、十八にもなって戻ってこないのは何故(なにゆえ)か?」

「それは……場所が分からなくて……」

「分かるだろう。お前なら」


 鋭い目が今度は俺を睨む。

 耐えられず逸らすが、イコは戸惑いの声を上げた。


「どういうこと? ナダならって」

「こやつは頭は弱いが、記憶力を応用する訓練を受けておる。幼少からな。ある程度の情報さえ集めて組み合わせれば、故郷の大方の場所くらい、とうに目処はついておろう」

「ナダ、そうなの?」


 唇を噛んだ。

 キースが使う古代文字で書いたノート。それをこの二人に見せれば、一目瞭然だ。


「アドラーの言う通りだ。場所は大体見当がついてる。……俺が帰ろうとしないのは、追手が放たれている以上、そう易々と戻るわけにもいかないからだ。今もだ。俺を捕えようと追ってくる者たちの手によって、もう何人も死なせてしまった。俺が戻ればキースの人らを同じ目に遭わせる。だからまだ戻れない」

「いいや、それは違うぞ、ナダ」


 エリック兄さんがキッパリとした口調で断った。


「キース族で新たに探索班が編成された。俺たちが外の探索に出されたのは、ナダを探すためだ。捕らわれていた五人のうち、戻っていないのはあとナダ一人だったんだ。キースは君が戻ってくるのを待っているんだよ」

「……じゃあ……」

「うん。君の両親、ジゼルさんもリーシャさんも無事だ。■■■さんは知っての通りだが──」






 『聞くな』






「──ナダ、ナダ!」


 ハッと我に返った。

 耳鳴りがする。頭からサアッと血の気が引いて、視界にチラチラと星が踊っている。

 イコが俺に呼びかけていた。その背後では、困惑顔のアドラーと、唇まで蒼白にしたエリック兄さんが立っていた。


「あ……俺……」

「急に意識飛ばしたんだよ」

「そっ……か、そうか。悪い、大丈夫だ。何の話してたっけ?」

「……()()()()()()()()だよ」


 兄さんの声が硬くなった。戸惑う俺をそのまま差し置いて、兄さんは機械のように続ける。


「そう、探索班を新たに編成し、外界へ探しに出たのだ。手がかりが何もなかったから最初は手当り次第にね。そのうち『エバンズの魔女なら何でも知っている』という噂を耳にしたので訪ねたが、あまり色よい返事が貰えなかった。あとはそれらしい目撃情報を頼りにしていたところ──」

「ちょうどオホロの調査を切り上げたところで、近隣で怪奇現象が起きたと聞いた。それでこの“はぷねら”に目をつけ、ようやくお前を捕まえたというわけだ」

「アドラー。ハ()ネラね」

「そうそれだ」


 うむうむ、とアドラーは腕組みして頷いた。


()(かく)だ、キースはお前を探しておる。一族のためのみならず、何よりお前のためにもだ。先の“緑化事件”、あれも暴走によるものだろう?」

「ああ……」

「なれば一刻も早く故郷へ戻ることだ。ある程度の年齢までは、全員が施される治療がある。それを受ければ直ぐに良くなろう」


 治療? そんなものあったか?

 首を傾げた俺に、先程から得意気なアドラーがますますその色を深める。


「左様。お前は幼少ゆえに知らされておらなんだ」

「なあさっきからどうして偉そうなの」

「やっとナダに会えて嬉しいんだよね」

「エリック! 余計なことを!」


 白い手が白い口を押さえにかかった。エリック兄さんは器用に交わして、ようやく硬質さを解いて微笑んだ。


「しばらく入院するのだろ? 俺たちも何日かここで過ごそうかな。アドラー、俺は今日の宿を探しに行くけど、君はどうする?」

「……この()(びと)どもを監視する。私はエリックとは違って信用していないんだ」

「そう警戒することもないと思うのだけど……まあわかった、気の済むようにすればいい。病室では静かにしているんだよ。じゃあナダ、また後で来るよ。その時にゆっくり話そう」


 妙にそそくさと兄さんは出て行った。全員でそのうしろ姿を見送った後、イコが点滴棒をカラカラ引きずった。


「ねえアドラー。女子会やろうぜ」

「…………」

「どう見たってわたしよりアドラーの方が強いから。何ならお菓子の毒見も任せたまえ」

「しかしそこの男は……」

「ベイはナダの子分になったから大丈夫。ほら行こう、小っちゃい頃のナダの恥ずかしい話とか聞きたいんだよね。今後のために」

「俺はどこからツッコミ入れたらいい?」


 イコの笑い声を残して、女子二人も部屋の外へ行ってしまった。

 俺はどっと倒れ込んだ。清潔なシーツが体を受け止めた。


「……くそっ」


 今、何かを聞いた。“おれ”がそれを拒んだ。

 思い出していない記憶の鍵の名前だ。酷く恐ろしいのにもどかしい。


「少し寝ろ」

「うん……そうするよ」


 目を閉じると、瞼の向こうから昼間の光が透けて入ってきた。だがそれもうたた寝のうちに遠のいて、やがて意識が沈んでいった。

 今度こそ何も見えないまどろみの中へ。

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