断髪式と来訪者②
イコが起きたので、散髪ケープを被せて椅子に座らせた。
乱雑な切り口を整えるのだ。
「さァてお客さん、今日はどんな髪型にしましょうかね」
「かわいくしてください!」
「初心者にはハードル高い注文だな……変になっても文句言うなよな」
言わないよ、とイコは笑った。元気なものだ。空元気でないことを祈るが。
(ベイの方が器用だから、あいつにやってもらうのがいいと思うんだけどなあ)
始終起きていたベイに頼まず、俺を待っていたということは、イコなりの意味があるのだろう。
一番短い髪に合わせてみようか。天然ウェーブのかかった髪質だから、切り揃えるだけで幾分それらしくなりそうだ。もっとも初心者の目測なのであまり宛にするつもりはない。
床屋の手つきを真似て、霧吹きで髪をとかしてピンで留め上げる。襟足をまずは揃えにかかることにした。
「おお。やっぱり見立て通りだ、ナダも器用だよ」
「調子乗るとハサミ滑りそう……」
「じゃあけなす?」
「落ち込むからやめてくれ」
右側の髪だけ解いて下ろし、目算を立てる。あまり計算は得意ではないのだが、というか大の苦手なのだが、そうも言っていられない。
「うわコレ超緊張する」
「がんばれー」
「他人事みてえに言いやがって……こんな感じかなあ」
ハサミを入れては櫛で梳き、を繰り返す。それらしい形にはなっている。
さすが俺。その調子だ。
「……聞かないの、何があったのか」
イコの声のトーンが落ちた。
櫛を入れる手を止めないまま、俺は答える。
「ベイに粗方聞いたからな。別に無理に聞こうとは思わないよ、何でも話すのが友だちじゃないだろ。もちろん、話してくれるなら、聞く準備はある」
覚悟は既にできている。
真後ろの髪を整えながら、イコの言葉をじっと待つ。
「……あのね」
「うん」
「上手く言えないんだけど……わたし、実はナダのこと、そんなに好きじゃないというか」
「知ってる」
「──ええーッ!?」
目を剥いたイコが首をぐるんと捻ったので、慌ててハサミを離した。
「嘘だァ!」
「危ねえなコラ! また怪我すんぞ!」
「ゴメン……いやまさか、鈍い奴とばかり思ってたから……まあとにかく、うん、難しくって」
薄々気づいてはいたことだが、改めて目の前で言葉にされた俺は、どんな顔をして本人の髪を切ればいいのだろうか。
ひとまず表情筋をそのまま固定して、手を再び動かし始める。
「わたし、鏡って嫌いなんだよね」
イコも再び独白を始めた。
「わたしとアリカ叔母ちゃんってさ、そっくりだと思わない?」
「思った。親子って言われても納得するぐらい」
「でしょ。わたしお母さん似なんだよね。お母さん髪伸ばしてたから、わたしも伸ばすとそっくりでさ。……大きくなったらますます似てきちゃって、それで髪はテキトーにぐちゃッと短めに保ってたんだ」
たしかに、最初公園で出会った時のイコは髪が短かった。今よりもずっと無頓着で、寝癖でぐちゃぐちゃになっている上からニット帽を被っていた。
それで男だと勘違いしていたんだっけ。今となっては懐かしい。
「ナダがいれば平気かなーって、最近は伸ばしっぱなしにしてたけど……やっぱりダメだった。鏡を見るとね、鏡に映るのはわたしじゃなくて、お母さんになるんだよ。事故で死んだときのお母さんに」
「そっか」
「うん。……それでなんか、パニクっちゃって……」
イコの声が湿り気を帯びることはなかった。ただ細くトーンダウンしていった。しばらくハサミの音を鳴らして、髪を撫でた。
「しんどかったな。ガラクトは」
「……うん」
「いろいろあった。俺も結構……重かった」
「ナダは大丈夫だった? 暴走してる間、記憶取り戻そうとしてたんだろ」
「全然。あれで序の口とか嘘だろ、って感じ」
イコは俺を責めなかった。ただ俺を「好きではない」と言った、それが俺はとても安心してしまった。
いずれイコとも向き合わなければならない。だがイコがもう少し先延ばしにすると決めたから、俺もそれに乗っかってもう少し“友だち”を続けようと思う。そしてこの先、どこかでイコが俺を“敵”と見なす時が来たら、甘んじて受け入れようと思う。
これは逃げじゃない。保留にしているだけ。
少し狡い手を使うだけ。
「出来た。いかがですかお客さん」
「わあ! アリカ叔母ちゃんとはまた違った切り方で面白いねえ」
「下手くそならハッキリ言ってくれ。本職に敵うわけねえだろ、比べるなよ」
「いやいや、そうじゃなくて。上手いなあって。ちゃんとかわいいよ、わたしにしては」
ケープを払い取ったイコの髪は首元でスッキリと切りそろえられ、動きに合わせてふわふわと揺れ動いた。櫛で梳くと綺麗な砂色に光った。
「髪短くても女の子に見える。すげー」
「ご満足いただけて何よりです。ほら、片づけるから手伝ってくれ。あばらが軋んで上手く動けないんだ」
「怪我人に無理させちゃったね。でもありがとう、次もナダに頼もうかな」
それはまたプレッシャーを……と苦笑いを返す。床に零れてしまった分を箒で集め、ビニール袋に集め入れた。
そして二人で道具を返しに行こうと、病室のドアに手をかけた時だった。
突然、背後でガラスが割れた音がした。
「な……ッ、窓!?」
窓が一つ、割れていた。破片が飛び散り、反射した光が部屋中をチラチラ彩って、束の間幻想的な景色を創り出していた。
しかしそれもすぐさま消え去った。窓から飛んできた何かが、空を切って壁に牙突して止まった。「ビュカッ」という音がした。
矢だ。
矢が壁に刺さっていて、そこからロープが窓の外へと伸びている。
「今の音何だ……床に伏せろ!」
ドアが開いてベイが入ってきたと思いきや、イコと俺に飛びついて床に押し倒した。
顔を少し上げて窓を注視すると、一瞬日が翳った、いや違う、このロープを伝って誰かが──!
「即席ジップラインか。やられた。侵入者だ。俺の背後につけ」
ベイが身を起こして前に庇い出、拳銃を構えた。
張られたロープが唸る、揺れる。影がどんどん大きさを増す。
そして塊が窓に飛び込んできた。
息を詰めて見守る中、それはしなやかに重心を下へ移して着地した。着ているマントのような布が遅れてバサリとその身を包み、侵入者の特徴を覆い隠した。伝い滑るのに使用したと思われるフックが壁に当たって落ちた。
「ちょっとちょっとぉ、ヤるなら近所に配慮してって言ったよね」
最悪のタイミングで看護師さんがやって来た。部屋の惨状を見るなり、表情が一瞬で消え失せる。
「……どういうこと、コレ。ヤバいじゃん」
「ヤバいっすね。俺も飲み込めてねえんで」
「すいませんスイマセン、失礼します通して……四一八号室ってここですか……」
と、今度は茫然とする看護師を押し退ける者があった。
その人物も部屋の中を目に留めるなり、半狂乱で叫び出した。
「アドラーッ! なんッ……何ということを! ここは『病院』だと言ったろう、無茶せんでも普通に下から通してくれると! あれほど……あれほど……ッ!」
「ゴラァてめえらァ! 何ちゅーことしてくれとんじゃァボケェ!」
半狂乱の人物の更に背後から、隻眼義足のドクターの怒号が飛んできた。
──事態の収拾に、実に半時を要した。
□ □ □
風通しの良くなった病室で、俺はベッドの上であぐらをかいて彼らを見下ろしていた。
「全員、そこに正座。正座だ。座っても安全なように掃き清めたのだ、安心して正座するがよい」
「ハイ」
しめて四人、小柄な女性から体格のいい男性まで、ずらりと一列になって座らせている。うち一人は申し訳なさそうに縮こまっている。
「まずアドラー」
最初に右端でマントに身を包む少女の方を向いた。
唇をキュッと引き締め、正座はしつつも不機嫌そうに腕組みしている。
「いいか、硝子は割れやすいものだ。そして非常に高価なものだ。以後、割ることのなきよう」
「……ふん」
いや、少しも反省していない。隣に座るもう一人の男がその頭を小突いた。
「弁償の肩代わりを負ってくれたんだぞ。感謝こそすれ、何故にそう臍を曲げるんだ、アドラー」
「……ベイ、弁償代がいくらかわかりやすく説明してやってくれ」
尚も口を尖らせているので、支払いを請け負ってくれた本人に発言を求めると、ベイはガッチリした肩を竦めた。
「思ったほど高くはつかなかったがな。まあ……俺ら三人がひと月の間、毎日三食うまい飯にありつけるくらいだ」
「なるほど。それは申し訳ないことをした」
顔色を変えたアドラーが頭を下げる。正座をしたままなので、自然に土下座という形になる。ベイは居心地悪そうにした。
「次にエリック兄さん。連れの手綱はしっかり持っておくこと」
「肝に銘じておくよ……」
「それからベイ。病院で銃の携行許可が出てるからって、そうホイホイ銃を出すな。普通、民間人はな、銃を向けられて冷静じゃいられないんだよ。次から本当に危険な時だけ構えるように。事故防止のためにもだ」
「……ケースバイケースだが、たしかにな」
銃を向けられたアドラーが弓に矢をつがえ、一触即発の事態にまで発展したのだ。ドクターの一喝で解消されたので無事だが、こういった事故はなるたけ避けたい。
「最後に、イコ」
「……ハイ」
「怖くて俺にしがみつくのはいい。だけどズボンは止めなさい」
「…………」
「返事は」
「はあい」
イコの手が俺のズボンを捕まえていたせいで、危うくズボンが脱げるところだった。
何というか、こう、イコに対して父親的な心もちになってくるのだが……。
「俺からは以上。まったくさあ、本来感動の再会になるところが、台無しになってるの自覚してくれよ?」
「私は助けようと思ったのだ。まさかここが治療する場だとは露知らず」
「……露どころじゃないほど言い聞かせたでしょうが……」
新参者二人は早くも性格をうかがわせる言動を取っている。
ベイとイコが目線で訴えてくるので、自己紹介の会を始めることにした。
「ええと、そうだな……まず、じゃあ、アドラーから順に自己紹介」
「ふむ。私が一番手か。ご紹介に預かったアドラーだ。年は十六、キース族探索班の外つ地部門所属。エリックの恋人だ」
「違います」
「何故! 私はこれほどあなたを愛しているというのに!」
なんか始まった。
今言った通り、この少女アドラーは俺の幼馴染なのだが、昔はもっと内気で泣き虫だった気がする。ところが今はどうだ、編み込んだ髪を後ろでまとめ、小柄な体格ながらに弓や短剣を携えて凛々しいくらいだ。
(逞しくなったなあ)
感慨深いものはあるが、収拾がつかないので、次へ促した。
「ハァ……初めまして。エリックといいます。同じくキース族で、アドラーとペアで外界の情報収集などを担当している者です。今年で二十六歳。……そして、ナダと一緒に捕まっていた一人だ」
アドラーよりもいくらか滑らかに話すのは、エリック兄さん。彼が言った通り、研究施設に捕らわれていたキース族の一人である。
表情の硬いキース族の中でも、珍しく笑顔の多い人で、物腰も柔らかい。小さい頃から尊敬している人だ。当時から小さい子たちに慕われていたが、それにしてもアドラーの熱愛ぶりは一体何があってのことだろうか。
「次、ベイ」
「ベイだ。歳は……あー……大体三十代」
「歳を知らんのか」
「諸事情でな。この二人の護衛で派遣されたが、今は俺の意思でこいつらについてる」
そうか、ベイは兄さんと歳が近いのか。
最後にイコが、整えたばかりの髪を揺らして挙手した。
「イコです。十五歳です。この流れでめっちゃ言いにくいけど、ナダたちを捕まえてた研究員の娘です」
「ゲホッ」
それを言うのか。
言っちまうのか。マジか。
案の定、エリック兄さんとアドラーが固まった。慌てて説明を付け足す。
「ザッケスって研究員がいただろ」
「……いたな。黒髪がボサボサの」
「無理やりあの研究に加担させられていたらしい。その手がかりみたいなのを、イコに預けてあるらしくって、それを狙ってる連中がいる」
「成る程な。“二人の”護衛とはそういう意味か」
アドラーが腕を組んで頷いたが、目つきは依然鋭いままだ。
「だがわざわざ共に行動せずとも、貴様一人キースへ戻れば良かろう。幼少ならばいざ知らず、十八にもなって戻ってこないのは何故か?」
「それは……場所が分からなくて……」
「分かるだろう。お前なら」
鋭い目が今度は俺を睨む。
耐えられず逸らすが、イコは戸惑いの声を上げた。
「どういうこと? ナダならって」
「こやつは頭は弱いが、記憶力を応用する訓練を受けておる。幼少からな。ある程度の情報さえ集めて組み合わせれば、故郷の大方の場所くらい、とうに目処はついておろう」
「ナダ、そうなの?」
唇を噛んだ。
キースが使う古代文字で書いたノート。それをこの二人に見せれば、一目瞭然だ。
「アドラーの言う通りだ。場所は大体見当がついてる。……俺が帰ろうとしないのは、追手が放たれている以上、そう易々と戻るわけにもいかないからだ。今もだ。俺を捕えようと追ってくる者たちの手によって、もう何人も死なせてしまった。俺が戻ればキースの人らを同じ目に遭わせる。だからまだ戻れない」
「いいや、それは違うぞ、ナダ」
エリック兄さんがキッパリとした口調で断った。
「キース族で新たに探索班が編成された。俺たちが外の探索に出されたのは、ナダを探すためだ。捕らわれていた五人のうち、戻っていないのはあとナダ一人だったんだ。キースは君が戻ってくるのを待っているんだよ」
「……じゃあ……」
「うん。君の両親、ジゼルさんもリーシャさんも無事だ。■■■さんは知っての通りだが──」
『聞くな』
「──ナダ、ナダ!」
ハッと我に返った。
耳鳴りがする。頭からサアッと血の気が引いて、視界にチラチラと星が踊っている。
イコが俺に呼びかけていた。その背後では、困惑顔のアドラーと、唇まで蒼白にしたエリック兄さんが立っていた。
「あ……俺……」
「急に意識飛ばしたんだよ」
「そっ……か、そうか。悪い、大丈夫だ。何の話してたっけ?」
「……ナダを探してた話だよ」
兄さんの声が硬くなった。戸惑う俺をそのまま差し置いて、兄さんは機械のように続ける。
「そう、探索班を新たに編成し、外界へ探しに出たのだ。手がかりが何もなかったから最初は手当り次第にね。そのうち『エバンズの魔女なら何でも知っている』という噂を耳にしたので訪ねたが、あまり色よい返事が貰えなかった。あとはそれらしい目撃情報を頼りにしていたところ──」
「ちょうどオホロの調査を切り上げたところで、近隣で怪奇現象が起きたと聞いた。それでこの“はぷねら”に目をつけ、ようやくお前を捕まえたというわけだ」
「アドラー。ハポネラね」
「そうそれだ」
うむうむ、とアドラーは腕組みして頷いた。
「兎も角だ、キースはお前を探しておる。一族のためのみならず、何よりお前のためにもだ。先の“緑化事件”、あれも暴走によるものだろう?」
「ああ……」
「なれば一刻も早く故郷へ戻ることだ。ある程度の年齢までは、全員が施される治療がある。それを受ければ直ぐに良くなろう」
治療? そんなものあったか?
首を傾げた俺に、先程から得意気なアドラーがますますその色を深める。
「左様。お前は幼少ゆえに知らされておらなんだ」
「なあさっきからどうして偉そうなの」
「やっとナダに会えて嬉しいんだよね」
「エリック! 余計なことを!」
白い手が白い口を押さえにかかった。エリック兄さんは器用に交わして、ようやく硬質さを解いて微笑んだ。
「しばらく入院するのだろ? 俺たちも何日かここで過ごそうかな。アドラー、俺は今日の宿を探しに行くけど、君はどうする?」
「……この外つ人どもを監視する。私はエリックとは違って信用していないんだ」
「そう警戒することもないと思うのだけど……まあわかった、気の済むようにすればいい。病室では静かにしているんだよ。じゃあナダ、また後で来るよ。その時にゆっくり話そう」
妙にそそくさと兄さんは出て行った。全員でそのうしろ姿を見送った後、イコが点滴棒をカラカラ引きずった。
「ねえアドラー。女子会やろうぜ」
「…………」
「どう見たってわたしよりアドラーの方が強いから。何ならお菓子の毒見も任せたまえ」
「しかしそこの男は……」
「ベイはナダの子分になったから大丈夫。ほら行こう、小っちゃい頃のナダの恥ずかしい話とか聞きたいんだよね。今後のために」
「俺はどこからツッコミ入れたらいい?」
イコの笑い声を残して、女子二人も部屋の外へ行ってしまった。
俺はどっと倒れ込んだ。清潔なシーツが体を受け止めた。
「……くそっ」
今、何かを聞いた。“おれ”がそれを拒んだ。
思い出していない記憶の鍵の名前だ。酷く恐ろしいのにもどかしい。
「少し寝ろ」
「うん……そうするよ」
目を閉じると、瞼の向こうから昼間の光が透けて入ってきた。だがそれもうたた寝のうちに遠のいて、やがて意識が沈んでいった。
今度こそ何も見えないまどろみの中へ。




