分かつ袂①
大変長らくお待たせして申し訳ありませんでした。。。
カクヨム版で連載再開のめどが立ってきましたので、第6章をこちらでも公開することにしました。
お楽しみ頂ければとおもいます。よろしくお願いします!
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暑い。
くそ暑い。
死ぬほど暑い。
殺人的な陽射しの下で干からびそうだ。茹でモヤシから枯れモヤシになる日も近かろう。
それもこれも全部、たった今起きた出来事のせいだ。崩れゆくラザロ郊外の保養施設跡を見つめながら、恨めしい思いを殊更に深めた。
数時間前。
元ミズリル兵・フィーの葬儀から二日ほど経ち、俺たちは手がかりを求めてこの場に舞い戻ったのだった。彼女の遺したスケッチブックには少年兵たちを検体にした実験に関することが記されており、研究に使われた場所の一つがここ──かつてミズリル残党らが事件を起こした保養施設跡だったというわけだ。
メモにあった隠し扉を掻い潜った先は確かに、つい最近まで使われた形跡のある研究施設があった。かつて幼少の俺が閉じ込められた施設とよく似ているが、違う場所だ。安堵と失望がぐるぐると溶け合って変な気持ちのまま、探索を始めた。
──ところが。
侵入者があると自爆するシステムが仕込まれていたらしい。
いくらも資料に目を通せないうちに突然アラートが鳴り響き、命からがら爆発する廃墟から逃げ出して、今に至る。
「くっそぉ~……絶対なんかあった! あんだけ証拠っぽいものが散らばってたのに、何一つ奪えなかった!」
イコが悔し紛れに砂を叩いた。ザラっという音が虚しく返事しただけだった。俺は放心して何も考えられない、というか考えたくない。手掛かりが潰えてまた振り出しに戻ってしまった。
と、イザベラが戻ってきた。彼女は見張りとして一人外に残っていたのだが、人影を見たと言って追いかけていったのだ。
しかし戻ったイザベラは申し訳なさそうに肩を落としていた。
「あー、ダメだったか」
「あたしとしたことが……何人かいたんだけどね、車で逃げちまった」
「顔は見えたか?」
「それもダメ。遠すぎたし、一人はお上品に帽子と襟巻、それに手袋さ。紳士でも気取ってんのかね」
この炎天下でそんな恰好をするなど自殺願望でもあるんだろうかと、水を飲んで思った。
俺は例によって日焼け止めクリームを塗ったくり、キャップにサングラス、首元にはタオルを巻いている。ベイにもらったケープの下はタンクトップ一枚だが、風が吹いても熱風なので余計に暑い。
……うーん、なんだか前にも“肌を見せない人”の話をしたような……。
「なあ……師匠からもらった情報に“髪と肌を隠した二人組”ってのがあったよな」
「キースの人かもしれないってやつでしょ? なんでナダの同郷の人が手掛かりになる施設を爆破しなきゃいけないのさ」
「あ、そっか」
簡単に論破されてしまった。ベイがしっかりしろとでも言わんばかりに肩を叩いてきた。うるさいなあ、もう。
「とりあえず……宿に戻るか」
ラヒムのしょげ返った一言に、全員重い腰を上げたのだった。
□ □ □
俺たちが一時休息を取ることにしたこの町は、ガヤラザ州の中でも少し東側に位置する。ガヤラザの主要地点“ラザロ”からさほど遠くもなく、そして東隣の州“リ=ヤラカ”も程よく近い。
町の名前は聞き取りにくくてキチンと記憶できていない。聞き馴染みのない語感が多くて、ああ異郷の地だ、と思わされる。
ラザロの周辺と比べると、随分と緑豊かな町だ。乾燥こそしているが植物が枯れるほどではないらしく、背の高くて葉の大きい独特の樹木や、以前ラヒムが言っていた“葉が分厚くてツルツルした植物”が生えている。
「うん。やっぱり見たことのない植物だよ」
宿の部屋に置かれている観賞植物を指で突いて、ベイに言った。
「十年ちょっと前なら十分、物心ついた齢だ。“オホロ”事件があった頃は毎日雪合戦とかしてたぞ」
「雪合戦? 楽しそう」
イコは目を輝かせるが、そんな生ぬるい遊びではない。狩りの仕方を覚える訓練の一環でもあったから、熾烈極まりない戦いだったのだ。
勝てば夕飯の鹿肉がちょっと増え、負けるとやたらスープの汁が多かった。そんなことを話すと、ベイの目がギラリと光った。
「そりゃ楽しそうだな」
「お前が言う“楽しそう”は別の意味だろ。あ、ラヒムたちかな……『おやつは』?」
「『一人五百リルまで』。なあ大将、この合言葉変えねえ? いい齢したおっさんが恥ずかしいったらありゃしねえ」
「却下。入っていいぞ」
部屋の木の扉を開けてやると、イザベラとラヒムが入ってきた。二人は本部との交信を図っていたのだが、表情を見るに結果は芳しくないようだ。
「やっぱダメだったか?」
「全然ダメ。うんともすんとも返事しやがらない」
「最後に通信してからもう一週間経つってのに。ガナンの野郎は何を手間取ってンだ」
そう言ってラヒムはドカッとソファに腰を下ろした。クッションが反動で跳ね上がったのを、イザベラがキャッチした。
「ガナンと……ローズだっけ、二人の身に何かあったんじゃないか?」
「まあ、ガナンだけならその心配もするんだが。ローズは弊社きっての凄腕銃士だ、ちょっとやそっとの危険で任務に支障出すようなヤワじゃねえ。裏切り者の件のヤバさを見誤ったか……あんまり考えたくねえけど、ボスが一枚噛んでるか」
ボス──俺のパトロン、ガヴェルだ。
俺とイコが逃げる手助けをしてくれている。ベイやラヒムたちを遣わしたのも彼だ。
だが完全に信用するには危険だ。イコの父親・ザッケスに指示を出し、重要なアイテムがイコの手に渡るよう仕向けた男でもある。
そういえば、暗号がナントカっていうのはどうなったんだろう。イコと二人になった時にでも聞いてみようか。
「これ、会社は関係なく、あたし個人の考えとして聞いてほしいんだけど」
イザベラが施錠して切り出したのを見て、俺たち五人の周りを薄い空気の膜で覆った。盗聴防止に音を遮断するのだ。
頷いて合図すると、イザベラは話し始めた。
「能力を持つ大将をいち早く保護して護送して、似た能力を持ってるミズリルとかち合った。しかもそのミズリルってのは我らがエースの古巣。こんな偶然あってたまるかって話でしょう」
「何が言いたい、イザベラ」
「簡単な話、ボスが黒幕じゃないの? ってこと」
何とも言えない沈黙が降りた。疑問を呈したラヒムも少なからず考えてはいたのだろう。だが一応はガヴェルの部下である手前庇わずにいられない、ラヒムとはそういう男なのだ。「根拠は?」と問う彼の眉間は皺が寄っていた。
「ないよ。女の勘」
「……ワーオ」
「でも正しいと思ってる。女だてらにあの戦争を生き抜いてないよ」
一方イザベラは自信満々に豊満な胸を張って見せ、すぐ顔つきを厳しいものに戻した。
「ここは大人として、若者のためにひと肌脱ぎたいと思う。ラヒム、手伝ってね」
「え、決定事項なの? 俺巻き込まれんの? ねえちょっと、イザベラ、ねえ」
「しつこいよ。……それでベイ、あんたはこれからどうする? たしか『ミズリルを見つけるまで』って雇用契約だったよね」
窓際で腕組みをしているベイに視線が集まった。
ベイはヒラリと手を振った。
「その通り。俺ァもう社員じゃねえ。しばらくはコイツらといることにした」
俺とイコの間でハイタッチが交わされた。よかった。ベイという男はもう俺たちの一部になってしまっていたから。
「おやおや、熱烈だねえ」
「あったりまえェ。よしベイ、カレシ枠はナダで埋まってるから、特別にアイジンにしてやろう」
「……な、俺がいなくなって誰が教育すんだ」
進んで保護者役を引き受けてしまった。浅黒い親指でさされたイコは口を尖らせながらも嬉しそうだ。
……アイジン発言は主にベイが被害を被るので、今後はやめた方がいいと思う。ついでにカレシ発言もやめていただきたい。
とにかくそういうことなら、とイザベラが手を叩いて話を戻した。
「あたしらは一度、ガナンたちがいるはずの拠点に戻ってみようと思う。ガラクトでの報告も必要だし、『二人じゃ対処できないアクシデントに応援する』っていう名目でね。元々対象二人のことはベイがほとんど一人で護ってたから、ベイ一人を残してもしばらくは怪しまれない。……どう?」
「……場合によっちゃ、俺らこのまんま敵同士になっちまうわけだ」
その言葉にハッとする。
ラヒムたちは強い。個々の実力もそうだが、綿密に練られたチームプレイはきっと、他の組織の中でもトップクラスだろう。
そんな彼らが敵に回るかもしれない。ガラクトに入る前に過った想像が現実になってしまうのは、正直痛い。
それに、ラヒムの言う“俺ら”にはベイも含まれている。恩人であり、友人であり、同僚である互いと敵になるなんて……。
「そんな顔すんな、少年。傭兵稼業やってりゃ良くある話さ」
「昨日の敵は今日の友ってな」
「おやァ、何やら頭良さげなこと言ってるなあ。ルアクの教育の賜物だな。ま、読み書きはまだ──」
「よめるっつってんだろが」
あ、読めないのか。そんな節はあったが、聞くに聞けなかったからスッキリした。
地図は上手に読めるのにな。人間、思わぬ得意不得意があるものだ。
「まあそういうことで。あたしらは明日にでも発とう。もちろん先発・後発隊も一緒に引き揚げる。三人の予定は聞かないでおくよ、誰が口を割るとも知らないからね」
「そこでおじさんを見ないでくれるかね」
短い間の仲間は随分とあっさり別れを告げた。出発までまだ間があるとはいえ、もう少し惜しんでもいいものを。
……いや、思えば、ここまでの旅で誰かに惜しまれるようなことがあったろうか。
危険な旅に出るというのに、イコの叔母・アリカさんもあっさり見送ったし、俺の師匠など思い出したくもない送り方をしてきた。
夜、寝る前にぽつりとそう漏らすと、イコは少し唸った。
「たしかにそうだね……そう考えるとさ、孤児院の人たちはあったかい見送りだったね」
「俺が十五で出て行く時もそうだったよ。俺だけじゃない、あそこで暮らした子たちはみんなそうだった。ああいうのが“別れ”だと思ってた」
「孤児院だけが理由じゃないと思うよ」
イコはタオルケットを肩まで引きずり上げて、イコには珍しく柔らかい笑顔を浮かべた。
「ナダは人を大事にする奴だから」
「……そうかな」
「そうだよ。だからベイも戻って来たんだ」
イコの隣の寝床に俺も寝転んで、明かりを消して闇を見つめた。空調の音が微かに聞こえる中、言葉が溢れ出た。
「……あいつをますます縛り付けちまったんじゃないかって思うんだ。もっと別のやり方があったんじゃないかって」
「あったかもね」
「でも、俺はバカだから、やっぱり他の方法なんて思いつかない」
目を閉じる。より深い闇に目を凝らす。
紛争も、“オホロ”の炎も、炎を消した森も、俺は見たことがない。その記憶はベイのもので、囚われていたのはベイだから、俺が介入していいものではなかったのかもしれない。
ベイはきっと今でも、その炎が、森が、目を閉じた闇に浮かぶのかもしれない。あるいはずっと護り導いてきたミズリルたちが。
……俺の瞼に、白い部屋や、故郷の山が浮かぶように。
「何がその人のためになるかなんて人それぞれだよ。道徳的じゃなかったり、何気ないことでもさ、その人にとっては救いだったりするんだよ。きっとベイは“縛る”のが一番いい方法だったんだ」
本当に?
この先長い人生を、俺の一言が決めてしまったとしても?
無言の問いに、イコが突然体を起こして脈絡のない一言を放った。
「わたしはナダとごはんを食べるためについてきたんだよ」
「……急になんだよ、どういう意味だ?」
「ナダと一緒に食べるごはんが一番おいしいって話」
「もっと分かんねえ。そのためだけに危険な目に遭ってるって言うのかよ」
いつものように冗談でも言っているのかと思って、少し笑ってイコに背を向けようとした。
ところがイコは、声の調子を変えずにまた謎かけのようなことを言った。
「おいしいごはんを当たり前にするのって、意外と大変なんだよ。人間にとって死活問題なんだよ」
「イコ……?」
「ふふ。分かんないか。いいよ、分かんないまんまで。でもナダには感謝してんだ。この前の焼肉もおいしかった」
「ありがとう」と口にしたイコは、普段のような、調子いい少年のような空気を消していた。
そこにいるのは俺の知らないイコだ。静かで張り詰めた、荒々しいものを鎮めて深くに湛える湖のような。どこか遠くて危うい、綺麗なのに恐ろしいもの。
“女の人”だ。
ザラリと心臓を舐められるような感覚に、不意にそう思った。
──のも束の間、その体がぐにゃりと傾いだ。
「なッ、イコ? どうし……」
「…………すぅ」
「は……寝た……?」
慌てて抱き止めた腕の中で、イコは寝息を立てていた。揺すってもびくともしない。何なら白目すら剥いている。
(なんだよ眠たかったのかよ。だからおかしなこと言って……)
寝床に横たえてタオルケットを被せた後で、ふと思い返した。
イコと出会った時を。
(“おいしいごはん”──か)
思いを馳せるうち、眠気との境目が曖昧になって、やがて意識がまどろみに溶けていった。




