炎の炉①
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──砲弾が地面にぶつかる時の、腹を揺らす音。
耳元を細い笛のような音が通り過ぎていく。弾も武器も潤沢に持っている異教徒たちに追い詰められる中、幼い怒号とハンドサインが少年兵たちの間で飛び交う。
もう少し。
持ちこたえろ。
オレたちのベイザムは、きっとすぐに来てくれる。
“ベイザム”の名を口にするだけで胸に熱い火が灯り、大人よりずっと強い戦士になれた。ある者は銃を、ある者はナイフを握りしめ、果敢に敵に向かうことができた。
死体の山に隠れて互いの手を握る。
もうすぐ、もうすぐ。
握っている誰かの手が、冷たくなっていく。
もうすぐ、もうすぐ。
敵兵に銃を向けられた。冷えて固まった誰かを引き寄せて弾避けにする。
もうすぐ、あと少し。
ひっきりなしに響く銃声の中、ひと際大きい破裂音が轟いた。
──ああ、来てくれた。
「みんな喜べ! もう安心だ、オレたちのベイザムが来てくれたぞ! これでオレたちァ無敵だ!」
死体の山で満面に歓喜を浮かべて喜び合う仲間の数は、既に半数になっていた──。
◇ ◇ ◇
ジハルドは手足が長い。成長してこの特徴がより顕著になった。
特に脚力では少年兵時代から右に出る者を、俺は見たことがない。
予想出来ていた。接近戦、遠距離戦、新戦法を使ってくる場合……あらゆる事態をこの十年間ずっとシミュレーションしてきた。
だが、“オホロ”の力を得ているなどとは思わなかった。
俺の敗因はそこにある。
「昔のお前ってマジ、カッコよかったよなあ。情けがねえ、隙がねえ、完璧な戦士。あんなに美しいものをオレぁ見たことなかった……オレたち“いらない子”のヒーロー、みんなを導く戦の神」
頭上から酔いしれた声が降ってくる。
空気を求めるので精一杯だった。鼻血が顔面スレスレの地面に血だまりをつくっていて、息を吸うと血も一緒に吸い込んでしまうのだ。顔を上げたくても後頭部を踏みつけてくるブーツがそれを許さない。
ジハルドを追った先に辿り着いたのは、奴が殺戮を繰り広げたラザロ郊外の保養施設、その廃墟だった。
打ち捨てられた廃墟は、しかしつい最近まで何者かが出入りしていたような跡があった。目的までは探るつもりはないが、どうせろくなものではない。ジハルドのわざとらしいほどの誘いに乗って地階に降りてみれば、長い廊下の果てにコンクリートが剥き出しの広い空間が広がっていた。
ジハルドはひとり、その部屋の真ん中に突っ立っていた。
俺の姿を見るなり口元の血を拭ってニヤリと笑い、一戦交えて、
……俺が炎に負けたというわけだ。
服の袖が燃えて腕に火傷を負ってしまった。この程度で済んで命拾いしたが、情けねえ。
奴から逃れようともがく俺とは対照的に、ジハルドの声は静かだった。危うささえ感じ取れるほどに。
「どんな苦境でも、いつだってベイザムがいれば乗り切れた。何人死んでも、何人用済みになっても、ミズリルはちゃあんと戦神の弓矢になってた」
突然、ジハルドが笑い出した。最初は堪えるように、しかし次第に抑えきれなくなったのか、高笑いが焼け焦げたコンクリートの広間で反響してこだました。
「ヒャハハ……ああ、最ッ高にクールだったよ。この力を手に入れた時、オレらなんかが手にするよりずっといい方法があるって思いついたんだ。最強無敵のベイザムと、この“オホロ”が合体したら──そりゃもうホンモノの神さまだろ! なあそうだろ!? 頼むよベイザム、お前さえウンって言ってくれりゃあいいんだ、じゃなきゃオレ、お前を殺しちまうよォ!」
「安心しろ。その前に俺がテメエを殺す、ジハルド」
もがくフリをしてベストをまさぐっていた指が、ナイフを探り当てた。
鞘から引き抜くままにジハルドめがけて振り上げた。掠るにとどまったようだが、驚いたジハルドが飛び退き体が自由になった。
「悪いが神にゃ興味ねえんだ。諦めてここで死ね」
「いいやァ? 死ぬのはお前だよ、ベイザム」
着地して地面に手をついたまま、ジハルドは肩を揺らした。
「あの日……オホロでお前に切り捨てられてさァ、オレたちホントにショックだったんだぜ。今でも夢に見るんだ。ベイザムが地獄から殺しに来る夢を」
「…………」
「ハッハハ、マジ笑えるよな。戦いの神だったはずの男が、いつの間にか“死神”にすり替わってンだ。だからサラたちと話してたんだ……『仲間にするか殺すかすれば、オレたちの死神は消えるはずだ』ってな」
──だからよ。
ゆらり、と長い手足が揺れた。
奴の手のひらに熱が収束していく。
「死んで、オレを楽にしてくれよ」
二度目だ、炎が迸って俺を追いかけてくるのは。
襲い来る熱を躱すも、徐々に逃げ場がなくなっていく。熱い、呼吸すると肺が焼けそうだ。この炎で焼くつもりか、それともさっきのようにねじ伏せるのが目的か。
「……ッ!」
ヒュ、と光るものが飛んできた。咄嗟に頭を傾けて避けた。
投げナイフ。炎に紛れて殺す気だ。
炎が邪魔で姿を捉えられないが、気配は探れる。力が揺れ動く元があるのだ。“白い少年”と過ごすうち身についた感覚を使い、奴の居場所を見極めに束の間動きを止めた。
(……あそこだ)
炎の揺らぎの隙間を縫ってその一点へ飛び込む。
視線が交錯、
突き出された刃を弾き、
懐に身を差し込んで背負い。
地面に放り投げて腕を捻り上げた。低い呻き声が上がる。
「……悪かったとは思ってんだ」
背を踏みつけ、片腕を締め上げたまま、腰の手榴弾に手を伸ばす。
「お前らは知らねえんだろうが、俺も結局ただのガキだったんだよ。お前らとちゃんと向き合わなかった」
「……な、にを」
「“ベイザム”も“ミズリル”も全部俺が始めたことだ。俺が殺した。殺させた。あの戦争が終わった時に、俺らはみんな用済みになってた。……平和な世の中に、俺らみてえな戦の残りカスは、要らねえんだよ」
ピンに指を引っ掛けた刹那、オホロの森で俺を庇って死んだ兵士が脳裏をよぎった。
なあ、お前、死に損だったな。俺なんか庇わなきゃ、今も生きてたかもしれねえのに。
「終わりにしよう。俺とお前で、ミズリルは最後だ」
「…………や……嫌だいやだいやだ! 終わってたまるか! 退きやがれッ!」
「く、っそ」
鼻先をまたも炎が掠め、身を逸らした隙をついてジハルドが俺と間合いを取った。炎が次々とジハルドの周囲に立ち上がっていく。奴はもう笑ってなどいなかった。恐慌、そして怒りで逆上しているのが、炎という形で具現されている。
「ざけんなよなァ、ンなこと聞いてねえんだよ、死ぬのはお前だけだ! 俺は生きるんだ……お前が言ったんだ、『生きるための闘いだ』ってお前がそう言ったんだ! ここで死ねって? そん、そんなこと言うお前は偽物だ、テメエはもうベイザムじゃねえ!」
ゴオ、と空気が恐ろしい音を立てて震える。熱風が上半身を煽り、堪らず床に倒れ込んだ。
これまでとは比べ物にならない量の炎が、無機質な空間に満ち満ちた。酷い熱で立ち上がれない。逃げられない。あの日“オホロ”が消してしまった炎が、今、時を経て迎えに来たのだと──腑に落ちた。
だがここで諦める訳にはいかない。
ジハルド、最後のミズリル兵、奴だけは何としても道連れにする。
持ち合わせているすべての手榴弾を使おう。
全方位にばら撒けば、いくら脚が速くとも逃げられない。炎しか操れないジハルドに爆発を止められはしない。
伏せったまま手榴弾をすべて引っ張り出した。
目を閉じて祈りを込め、ピンの輪っかに指を掛ける──
──白い、足が、見えた。
突如、空間を支配していた炎の渦が逆巻いた。
無秩序に荒れ狂っていた火炎たちが、何かの意思に従って一点へと集められる。その陽炎の向こうでジハルドの顔が慄いているのが見えた。
ふ、と。
空気の鳴動が止んだ。
音の消えた灰色の広間に、氷のように涼やかな声が一つ、落とされた。
「指を離せ、ベイ。何かの拍子に起爆でもされては滑稽が過ぎるぞ」
白い素足。
すり切れたズボン。
バサリと空気を揺らす、見覚えのあるカーキ色の軍用ケープ。
白い照明に輝く白髪。
「さてジハルド。あの場で出来なかった話の続きをしようか」
“白い少年”──ことナダが、そこにいた。




