少年兵“B”③
子供たちと別れてから、どれくらい経ったろうか。霧と炎のせいで太陽がどこにあるのか分からない。
火炎放射器はみるみる森を侵食している。どこもかしこも炎と煙が立ち上り、死体も夥しいほどにその数を増やしていた。“味方”のものだけでなく、ガスマスクを着けた死体も転がっていた。
水気のたっぷり含んだ緑の密林が死の気配で溢れている。そんな中を、誰とも徒党を組まず一人きりで、ただ殺す対象を探して彷徨う。
(喉……渇いた……)
暑い。水が飲みたい。
渇きのあまり泥や血を啜ったりもしたが、吐き気が悪化しただけだった。朦朧とする頭でふらつきながら、炎の方へと歩を進めていく。
“敵”。膝を撃つ、ナイフで首を斬る。
“敵”。目をえぐる、銃弾を浴びせる。
ずっと動き通しで体が鉛のようになってきた。もう何人殺しただろうか。頭も重たい。煙を吸い過ぎたか、それとも血の臭いでおかしくなってしまったか。
「ま……待て! 俺は味方だ、撃つなッ……助けてくれ、なあ俺の腕知らねえか!?」
木にもたれる兵士がいた。足が変な方に捻じれて、片腕がなかった。
長くない。撃った。死んだ。
「……早く……早く殺さねえと……」
生ぬるい血を全身に浴びて、それだけを繰り返す。何のためにとか、そんなことまで考えられない。体の感覚がどんどん朧気になっていく気がする。
ふと瞼を持ち上げると、いつの間にか“敵”に囲まれていた。追い立てられてきた“味方”が這う這うの体で俺と背中合わせになった。何とか突破口を開こうとするが、茂みに隠れるのが精一杯、包囲されていることに変わりはない。
「ああ……おしまいだ、クソ……死にたくねえ……」
震えがこちらにまで伝わってくる。
そいつが俺の顔を見た。顔半分の皮膚が剥けて骨が見えて、むき出しになった目玉が俺を捉えていた。
ああ──長くない。
「お前……もしかして少年兵か」
「よく分かったな」
「そりゃ分かるさ……そうか、初めて話すけど、そうか。少年兵……」
空気の熱が上がった。一帯を焼き払う気だ。
その兵士は覆いかぶさってきた。
「な……にすんだよ」
「すまんなあ少年兵。でも最期ぐらい……若ェ奴のために体張らせてくれたっていいだろ、なあ神さま。こんなんで罪滅ぼしになるなんざ思っちゃいねえけどさ、ハハ……」
次の瞬間、ゴウッと空気が唸りを上げて熱を連れてきた。
たまらず目を瞑る。庇われたって助かりっこない。きっとすぐに火炎は俺を呑み込み、装備を、皮膚を、内臓を融かして燃やして焼き尽くしていく──
(もういいだろ。これでやっと……)
「…………?」
急にふっつり音が途切れて静かになった。
どさり、と仰向けの腹に何かがのしかかった。
目を開けると、事切れたそいつの持っていた銃が目に映った。
ひっかいたような小さな傷が無数につけられていた。数えていたのか。
(いや違う、そうじゃなくてだ)
炎が消えていた。
あの業火が嘘のように異常な静けさが辺りを支配していた。ぷすぷすと燻る草木や地面が、確かについ今まで炎に包まれていたことを物語っている。
恐るおそる草陰から頭を出して様子を窺うと、ガスマスク兵たちも呆けたようにノズルを構えて突っ立っていた。目が合ったが双方動かなかった。
動けなかった。
静寂に耳鳴りがする。急に密林がとんでもなく広く大きなものに感ぜられた。というか……森全体が何かの気配で満ちているような、何かの意思を持ったような。
怖い。
風がない。俺がいくら息を荒げても、空気は少しも揺らがない。目だけで天を見上げると、霧を纏った木々の天井が腕を一杯に拡げて俺たちを見下ろしていた。
「……おい……なんか聞こえねえか……」
ガスマスク兵が静寂を破った。
息を止めて耳をそば立てる。微かな葉擦れの音? そこらじゅうからサワサワと囁くような音がこだまして、徐々に騒めきを深めていく。
止まった。
自分の呼吸音がやたらと響く。
──刹那、森全体が怒涛の唸りを上げて軋み始めた。
「に──逃げろ!」
叫んだ、走った。俺がそう叫んだのか、ガスマスク兵の誰かが叫んだのか、とにかく一目散に森じゅうから兵士全員で逃げ走っていた。その間も森はうねり続け、俺たちを追い出そうとするかのように、轟く音と共に強い風が奥から吹きつけてきていた。
「ぐぁ……ッ」
「ほら掴まれ! とにかく走れ!」
木の根に足をとられて転ぶと、誰かが抱き起してくれた。プトリコ軍の紋章を腕につけていた。礼を言うのもそこそこにまた走り出す。後ろからも続々と兵士たちが逃げてきていた。
誰も彼もが敵味方の境なく、手を取り合って走っていた。藪を抜け、起伏を越え、崖を登った。気の遠くなるほど走った頃、ようやく光が見えてきた。
“オホロの森”を抜けた。
しかし誰も立ち止まらず、目の前を流れる川を渡り始めた。幅の広い、一番深いところで大人の腰まで水深があるような川だ。
この川さえ、と何故か思っていた。この川さえ渡りきれば、“アレ”から逃げおおせるはずだ。ひたすらに向こう岸だけ見据えて、水流に身を揉まれて、足を進めた。
と、隣を進んでいた男の頭がどぷりと沈んだ。思わず立ち止まると、やや経った後にまた頭が浮き出た。水を飲んだのか咳き込み喘いでいる。
「あ……あし、脚が……」
「何してんだ、ンなこと言ってらんねえぞ! 死にてえのか!」
「撃たれてんだよ……ッ、ゲホッ、クソが……」
再び頭が水に沈みそうになる。
服を引っ張ってそいつの腕を俺の肩に回して持ち上げた。驚くその男に構わず、体力の残りカスをかき集めて水を掻いて行った。
体が、重たい。
チクショウ、動け、早く渡れ、動け。
「ぐ──ぅぉおおおあああ!」
あと十歩。
あと五歩。
「おーい! がんばれ、こっちだ!」
「手ェ伸ばせ、手! よしよし、よく頑張った!」
リ=ヤラカ兵とガヤラザ兵が俺たちを陸地に引きずり上げてくれた。
渇いた荒れ土を頬に感じる。ゴロリと仰向けになると、突き抜けるような青空が広がっていた。轟くような森の音が遠く聞こえる。
息が整うのを待って、肩を貸した兵士の怪我を布で止血してやった。プトリコ兵のそいつは粗末な処置をぼうっと眺めていたが、ポツリとこぼすように声を発した。
「俺、ラヒムってんだ。お前は?」
「……ベイザム」
「ハ……マジかよ。お前が? そりゃあ……」
空気がピリリと張り詰めたが、俺は武器に手を伸ばさなかった。ラヒムと名乗ったプトリコ兵も銃を取らなかった。
「……一回だけ、お前らとカチ合ったことがあってよ。別に恨み言を言おうってんじゃねえぜ、ただ……なんか、勝手にごっつい鬼神みてえな奴を想像してたもんで。ガキどもは容赦ねえし、ガキにしちゃあしっかりした作戦だし、ちょっと気ィ抜けばどこからか狙撃されて頭吹っ飛ぶし。手ェ焼かされたわ、お前らにゃ。まさかこんな……普通の少年だとは思わなかったよ」
「そんなに有名だったのか」
「そりゃあな。おっかねえのなんのって。あの狙撃、アホみてえに正確だったな。誰が?」
「俺」
「マジ? んで指揮も執って? 訓練つけてたのもお前? ……天才っているんだなあ」
森から漂う強い殺気が、ゆっくりと揺らいで薄れていく。それを感じながら兵士たちは語り合っていた。まるで憑き物でも落ちたような顔つきだった。
川を渡ったおかげで全身の返り血は洗い流されていた。鈍かった思考も晴れ渡っていた。生まれて初めて、爽やかですっきりとした心地を味わった気がする。
ラヒムがはにかんで頬を掻いた。
「なあ……助けてくれてありがとうな。正直言うと、あの時見捨てられると思った」
「別に。俺じゃなくても助けただろ」
「あはは。なあ、“ベイザム”ってそっちの武神の名前だろ。なんでそんなの名乗ってんだ? 本名は?」
「ただの成り行きだ。……“ベイ”で名前が似てたとか、どうせそんなテキトーな理由だ」
「ベイ、ねえ。戦神を名乗ってた奴にしちゃあ、それもそれで間抜けた名前だな。あ、分かった。間を取って“ベイズ”だな! よろしくベイズ」
「勝手に名づけてんじゃねえよ、何が分かっただ」
「悪いわるい。弟みてえでさあ」
ラヒムは楽しそうに白い歯を見せて笑った。その後で、笑うのも久しぶりだ、と再びはにかんだ。
青い空が、この時ばかりは希望の色に思えた。
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百年近くにわたる民族間の確執に終止符を打ったこの出来事は、そう月日を経ずしてガラクトじゅうに広まった。
そして、独自の価値観を築き上げていたガラクト地方の宗教は、この日を境に衰退の一途を辿ることとなる。ある兵士曰く、
『紛い物の教典を信じ、悪魔へと身を堕とした我らは、あの日、本当の神をあの密林に見た』




