ブレイク・アウト②
「さて若人諸君。社会科の時間だ」
一夜を野宿で過ごした翌日。一次中継地点のラザロへ近づく中、我らが爽やか担当ラヒムが飴玉を噛み砕いて切り出した。ガラクト事情に疎い俺に配慮しての“授業”をしてくれるらしい。
「おさらいしよう。ここガラクトは三つの州で構成されている。ナダ、三州すべて言えるかい」
「西から順に、プトリコ、ガヤラザ、リ=ヤラカ……だな」
「ピンポーン。パーフェクトだナダ。その三州にはそれぞれ似て非なる民族がすんでいる。その民族の住む地域ごとに、ザックリと州境が引かれているんだが……実はこの三民族、つい十年ちょい前まで争っていたんだ」
シトラスの風のように、随分ヘヴィーな情報を言いのけた。眩しく白い歯を光らせつつもラヒムの目は遠い。
「ま、とどのつまりは宗教戦争ってやつさ。殺って殺られて殺り返して……報復に報復を重ねるうち、戦争はどんどん血みどろ化していって、気がつきゃ自分たちが何のために戦ってるのか分からなくなっちまってた。神の名を掲げて免罪符にするにゃあ、誰も彼もが行きすぎちまってたってェわけさ」
「でもさあセンセイ。じゃあどうやって戦争は終わったの?」
イコは空気を読んでヘビメタを消していた。運転も心なしか穏やかなものに変わっている。直線を進んでいるのにあれだけ揺れる方がおかしかったのだ。
いい質問だ、とラヒムは微笑んだ。
「俺たちみーんなの神サマをすげ替えちまうような出来事が起こったのさ。戦いがもつれ込んだリ=ヤラカの果ての地で、俺たちは本当の神……いや、神なのかな。未だにアレが何なのか──」
「お話中失礼するけど、ちょっとヤバいことになったかも」
突然イザベラが鋭い声を発した。ピリッと雰囲気が張り詰めたものに変わる。
「後ろ。まだ遠いけど……つけられてるっぽいわ」
「どこだ?」
「六時の方向。真後ろよ」
ベイが窓を開けて手鏡を差し出した。ラヒムは銃をガシャガシャいじり出した。安全装置を外す動作だ。
「いるな。車が一台……イコ、スピード上げろ」
「ラジャー。スピード全開、いっくぜえ!」
上半身が慣性に従って後ろに引っ張られた。ベイとラヒムが開けた窓から砂混じりの風が吹きつけてくる。俺は用意していた茶色のカツラを被った。もし追手なら、俺は多少なり見た目を誤魔化す必要がある。
「どうだベイズ!? 奴らの装備は!?」
ラヒムが風に負けじと声を張り上げる。
「砂埃で見えねえ! もう少し様子を見る!」
ベイも声を張って返す。
イザベラは依然険しい顔つきで辺りを窺っている。他に車輌がないか警戒しているのだろう、囲まれてしまえば一巻の終わりだ。
「ああマズいね、距離詰めてきてる。イコ、もうちょっとスピード出せない?」
「これ以上は無理だよ姐御。たぶん風だ、この車四角いからモロに影響受けるんだ」
「風?」
胸の奥をざわりとした何かが掠めた。ラヒムの上に身を乗り出して、窓に顔を近づける。
「何やってる? 危ねえぞ、座ってろ」
「悪いなラヒム、ちょっと上借りるぜ」
風は窓の外をびゅうびゅう吹き荒れている。砂が舞う。上空は気持ちのいい青空、遠くの方では穏やかな姿の荒れ野が広がっている……。
胸をざわつかせる何かが名前を得た。ハッキリとした違和感だ。
「ベイ、後ろの車はどんな形をしてる?」
「どういう意味だ?」
「この車みたいに四角いのか、それとも流線形かって話」
「……四角いな。オフロードの軍用ジープに似てる。それがどうした」
「じゃあ訊くけど、この車は風食らってスピードが上手く出ねえのに、どうして後ろの車は追い上げてきてるんだ?」
ベイの目が見開かれた。ラヒムは半笑いで片手を額に当てた。
「おいおい……どういうカラクリだそりゃ。おじさんついて行けないよ、説明してくれ少年」
「スピード上げたって言ってもこんなに風が強くなるか? あの車は別に俺たちを風よけにしてはいない。風よけに出来るほど近くにはいないからな。なのにこの向かい風はあの車を避けていってる……」
「風の流れが見えるのか」
「見えるんじゃないけど、何て言うのかな、わかる。感覚で」
俺の感覚が告げる。この風は不自然な流れ方をしている。まるで誰かが意図的にそうしているかのように。
俺の力が暴走しているのではないとすれば……そんなことができる存在といえば。
(まさかな……そんな訳ない)
「わー、こりゃマズいねえ。奴ら撃ってきたよ。銃持ちかー、困ったなあ」
ラヒムが俺を中央の席に押し戻した。口元こそ笑みを作っているが、目はギラギラと闘気を漲らせている。
「暢気に言ってる場合かラヒム。先に撃ってきたのは奴らだ、存分にやれ」
「リーダー、ボムの使用許可を」
「オーケーだ。タイミング見て使え。イザベラは引き続き警戒を。イコ、お前はそのまんまアクセル全開、だが落ち着いて運転しろ」
手早く指示を出し、ベイは早速撃ち始めた。続いてラヒムの銃も火を噴く。首をひねって後ろを見ると、ガラス越しにも追跡車の影が見えた。時折何かが点滅しているように見えるが、あれは射撃の光なのか。
「奴らの撃ち方は三人か」
「よくわかったなあナダ。風の様子に変化はあるかい」
いいや、とラヒムに返して汗を拭う。今回俺に出来ることは何もない。ただ風を読み、能力を応用して周囲の状況を探るくらいしかできない。
そう俺が悔しがる間も、ベイとラヒムは撃ち続けていた。当てようとしているというより相手の出方を見ているらしい。
「ラヒム、そろそろ始めるぞ」
「了解。ボムはいつでも行ける」
始める? 今の今までバンバン撃っていたじゃないか。
と、ベイは銃を引っ込めて別の銃に持ち替えた。もう少し長いもの、いつかにベイが“狙撃用”とか言っていたものだ。ラヒムはそのまま撃ち続けているが……。
(撃ち方が変わった……?)
連射式のそれが奏でるリズムが、先ほどとは違うように感じる。ずっと撃ち続けるのではなく、タタン、タタン、というように計算して放っている。
そこへ、ひと際大きい発砲音が一つ。ベイだ。
「うわ……フロントにヒビ入った……」
「ドライバーを仕留めたかったんだが。そんなチャチな車じゃねえか。ラヒム、ボムいけ」
「了解。はーいご乗車の皆さまー、耳塞いどきなさいよー。オラ食らえッ」
右サイドの傭兵がにこやかにボールからピンを口で引き抜き、後ろに向かって放り投げた。慌てて耳を塞いだ直後、突発的な衝撃が全身を襲った。
「ありゃ。やるねえ、避けやがった。じゃあコレいっちゃおうかな、高いからあんまり使いたくねえんだが」
あまり悔しくなさそうに残念がり、今度は身を乗り出して地面に何かをバラ撒いた。嫌な予感しかしない。するとベイがぐいと俺を引っ張って、頭を下げるようハンドサインを出してきた。
「ハイいきますよ。ぽちっとな」
そして、二度目の衝撃。しかし一度ではなく、連続して何度も爆発音がした。続いてぐしゃりと何かが潰れる音。
車が停まった。俺は顔を上げた。イコが汗でびっしょりになった髪の毛を括っていた。
「どうだ? 当たったのか?」
「ああ。車はな。信じられるかベイズ、奴ら爆発の寸前に脱出したぜ」
イコとイザベラにそのままでいるよう合図し、ベイとラヒムは車を降りた。
俺もベイに続いて外へ出た。風がおかしな動きをしたのがやはり気になる。もし奴らが無事なら、キース族の人間なのか確かめなければ──。
車外は爆風が起こした砂塵で視界が悪かった。目を凝らすと、炎を上げる車の残骸と、数人分の人影があった。
ベイとラヒムが予断なく銃を構える中、ようやく彼らが見えた。
膨らんでいた期待が一気にしぼんだ。彼らの肌は浅黒かった。キース族ではない。
(いや……それなら何故)
「ベイズ。おい、ベイズ」
ラヒムの声に我に返る。中年傭兵はベイの肩を叩いて呼び掛けていた。見れば、ベイは銃を中途半端に下ろしたまま目を見開いて固まっていた。
ラヒムが静かに諭す。
「ベイズ、ダメだ。今は止めろ。こっちの体勢が整ってない。二人守りながら相手取れる連中じゃねえ。一旦撤退して、しっかり冷えた頭で作戦練ろう。な?」
穏やかなその声には焦燥も感じ取れた。再び肩に手を置かれてようやく、ベイは声を発した。瞳の奥に動揺と──殺気を宿したまま。
「……ナダ。車に乗れ。逃げるぞ……全速力だ」
砂に掻き消されそうな、掠れた声だった。
イコがいつものように急発進した。誰も文句は言わなかった。




