ブレイク・アウト①
しばらく更新が止まっておりました。すみません。
◆ ◆ ◆
「殺れ」
グローブを嵌めた武骨な手から、か細い小さな手へと、それが渡された。
その奥ではボロ雑巾のようになった捕虜兵が、手錠をつけられたまま地面に転がっている。彼は動かなかった。まだ生きているが意識はなく、死の気配がハエを呼び寄せている。
「訓練通りに。撃てるのも腕がいいのもよく知ってる。お前に足りねえのは強さだ、強い怒りだ。思い出せ……お前の村を焼いた奴らは誰だ?」
「……ッ……」
浅黒い肌の少女は全身を震わせたまま、手渡されたそれを真っ直ぐに構える。
だが振動が先まで伝わり、照準が定まらない。金属同士がカタカタと微かに鳴る音が、天井の抜けた牢に響く。残酷なほど。
(ダメだなあれじゃ。撃っても当たんねえ)
銃を手渡した教官の隣で、俺は少女の様子を見守る。教官は短気な男だ、苛立ちが加速度的に募っていくのがよく伝わってくる。
彼女が失敗すれば、この男はまた殴るだろう。もしかすると手だけでは済まないかもしれない。つい先日敵に陵辱された末に殺された少女がいた──その本当の下手人を俺は知っている。舌打ちしながら貧乏ゆすりを始めた男を目だけで盗み見た後、再び少女に目を戻して、ひっそりと息を吐いた。
そして行動に出た。
「フィー。貸せ」
大股で少女に近寄り、震える手から拳銃を奪って引き金を引いた。
一発目。弾が当たった肩を中心に身体が魚のように跳ねた。
二発目。片足が跳ね飛んだ。空いた二つの穴から赤黒い液体が流れ出した。
三発目、四発目は反動で手がぶれて草生した床をはじいた。
五発目──頭蓋が砕けて飛び散った。俺と少女のすり切れた靴を、床を、教官の足元を、それは汚した。血と肉と骨の破片は俺の顔にも飛んできた。
六発目を撃ったが空っぽの音が虚しく響いただけだった。誰かが先に一発使っていたらしい。
音の止んだ牢に風が砂を連れて吹き込んだ。
「ほらよ。死んだぜ教官」
顔に付いた肉片を拭ってそう言い捨てた。砂と血の混ざった嫌な味が口中に広がっていた。死んだ捕虜から流れ出た幾筋もの赤黒い川は、やがて一つに集まって俺の足元で血だまりを作った。
少女のすすり泣きが上がる牢を、暴力的に強い陽射しが場違いなくらいに明るく照らしていた。こんな時でも空は平等に突き抜ける青さをしていた。
──俺が初めて、人を殺した日。
□ □ □
暑い。
くそ暑い。
死ぬほど暑い。
体中の水分が頭皮から湯気になって出て行きそうだ。
というか、今頭蓋の中を覗いたら脳みそが茹で上がっているんじゃないだろうか。
「茹でた脳みそって美味いのかな」
「何を口走ってるんだ少年。気をしっかり保つんだ」
右サイドからラヒムが、これまた爽やかな声で励ましてくる。
しかし残念ながら彼の爽やかさをもってしても、車内の空気は涼しくならない。
「無理むりムリ。マジ無理だってこれ。死ぬって。人間が生存できる気温じゃねえからこれ。なんでお前らは平気なのかな、俺一人が茹で上がりそうなモヤシみたいになってんのはどうしてかな」
「そんな少年に朗報。ガラクトじゃあこの気温はまだ序の口だぜ」
何かが沸点に達して、がくりと首の力が抜けた。
何が一番暑いかというと、車内での席順だ。
警護上、俺は助手席ではなく後部座席に座ることになった。代わりに今はイザベラが助手席にいる。そして俺の両サイドを、完全武装した筋肉と筋肉が固めているのだ。唯一イコだけが変わらず運転席でヘビメタをかけている。ドライブテクも流しているナンバーもヘビメタだ。
そういうわけだから、筋肉の間で細くなっている俺は、誰よりも暑いのだ。いろんな意味で。
「おいおいナダぁ、くたばってる場合かァ? ノってこうぜベェェイビィィーーーヒェァ!」
「イコうるせえ……本当うるせえわ……」
「あっこの曲、あたし知ってるこの曲。あーいいわあ痺れるわー、いい趣味してるわねお嬢ちゃん」
「姉御も知ってんの!? かっけえよねこのギター」
そして金切り声を上げだすレディス二人。
もう俺はどこから突っ込めばいいのか分からない。ラヒムは相変わらず爽やかスマイルだし、ベイは朝から仏頂面だし、たぶん俺が何を言ったところで何も変わらないのだろう。
休憩ポイントはまだだろうか……。
俺たちは日の出前に出発した。早朝はやはり肌寒いくらいであったが、日が昇ってややもすると気温は急上昇、あっという間に灼熱のガラクトへと様変わりしたのだった。
赤土の大地に突き抜けるような青空がよく映える。岩と砂が支配する土地に、時折思い出したように低木や茂みが生えている。カラカラに乾いた空気は熱しやすく冷めやすく、日中と夜とで気温が全然違うのだとイザベラが教えてくれた。
「大将。大丈夫かい」
「ああだいぶ……」
休憩に停まった低木と車で日陰を作り、そこで休んで水を飲む。せっかく冷えていた水があっという間になくなってしまった。水は俺の能力で量産し放題とは言っても、温度調節まではできない。きっと人肌くらいのぬるい水が出る。
「アレだねこれは。早々にレモンの出番だね」
イザベラが昨日の買い物袋の山からレモンを取り出して、薄く輪切りに切った。これを入れることで少しでも爽やかしい味にしようというわけだ。実際体の調子を整える作用もあるとかないとか……そういうことに関しての理解は諦めているが。
「ありがとう。ああ、やっぱり違うな、レモン入りだと」
「みんなの水筒にも入れてやろうか。おーいベイズ、こっち来な。今のうちに補給しとけばいいよ」
イザベラは辺りを窺っていたベイを日陰に呼び寄せ、ベイの水筒にもレモンを入れた。そこへ俺が水を注ぎ足す。
「ベイ、大丈夫か? 調子悪いのか」
ふと気になって尋ねる。俺の問いに怪訝そうに眉を寄せるベイの顔色は、肌のせいでやや分かりにくいが少し青い。
「朝もあんまり食ってなかったろ。故郷は久々なんだろ、暑いなら無理は……」
「あー、いや。悪い。何でもねえんだ。ちょっと今朝の夢見が悪くてな」
「お前が悪夢を? 珍しいな、これまでにそんなことなかったのに。付き合いは短いけどさ。何にせよ無理は禁物だぞ、この暑さで涼しい顔してる方がおかしいんだから」
「そりゃ単にお前が暑さに弱えだけだろうが」
レモン水を一口飲んで、ベイはまた向こうへ行ってしまった。妙にそわそわしているのは、先日も言葉を濁した“俺がガラクトへ来てはならない理由”が関係しているのだろうか。当の俺がへばっている場合ではないのだろうけど、そうは言ってもさすがにこの気温は体に堪える。
「さて、そろそろ行こう。早いところ進んじまって、明日にはラザロのホテルで快適クーラーライフだ」
「……楽しみだよ」
イザベラに促されて、俺は再び筋肉の隙間に収まったのだった。
狭い。絶対おかしい、こんな隙間、普通は人間を押し込む広さじゃない。
中継地点のラザロまであと一日──。




