出発前日
R04.11.23_微調整・修正しました。
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ガラクト入りする前に装備を整えたいというベイに合わせ、俺たちも食材の買い出しに町中へ繰り出した。ベイの勧めで俺は帽子にサングラス、そして口元をショールで覆って完全防備だ。
この“ピアドル”という町、行商人が拠点にすることが多いそうで、貧しい地域の多い中東部地方にしては随分と豊かな町並みを構えている。市場は商人の売り込みの掛け声で溢れ、とても賑やかで活気づいた空気だ。
「ベイみたいな肌の人が多いね。っていうか、人通りスッゴイなあ」
人ごみに流されていったイコが戻ってきた。曰く、目立つ目印がいてはぐれないとのこと。……複雑だ。
俺が買い物の荷物を抱え直すと、包みの一つがひょいと取り上げられた。
「ほら、殿方はちゃんとエスコートしてあげなさい」
「でもあんたも荷物多いだろ」
「あたしはいいのよ。ヒョロもやしに心配されるほどじゃないわ」
そういってウインクしてくるのは、昨晩合流したベイの同僚イザベラである。護衛・兼荷物持ちとして買い出しに付き合ってくれているのだ。
ベイやラヒムと同じ肌の色で、やはり同じくガッチリした体型の女性だ。ちょっとやそっとの衝撃ではぐらつかないであろう体幹が窺える。対して俺は真っ白だし、痩せこけているし、“ヒョロもやし”のあだ名が憎らしいほどピッタリだ。民族の体質の差異であることを願う。
イザベラは多い荷物を片手に軽々抱えて俺たちを見回した。
「さあさ、あと入用なものはない? 聞いた話じゃ、ガラクトでは変装するってことだけど」
「今回は女装はしないの?」
「嫌です。肌の色変えてカツラ被って、あとは布で顔を隠せば十分だろ。……おいちょっと、なんで残念がってる、何日もアレやらされるのは結構キツいんだよ」
レディ二人は揃ってブーイングのヤジを飛ばしてきた。そんなことをしても女装はしないからな。
そんなやり取りを交わしながらホテルへ戻る道すがら、すれ違った人がイコの肩にぶつかった。よろめいた拍子にイコの抱えていた紙袋からイモが転がり落ちて、路地を転がって行った。
「ああッ、悪イ少年。わざとじゃねえんだ……待ってろや、今拾ってくるから」
そう言って駆けていったガラクト人の男は、軽い身のこなしでイモを追いかけたと思うと、あっという間に俺たちの元へ戻ってきた。
「ほらよ、傷んではいねえ。悪かったな。肩痛くねえか?」
「どうも。お兄さん足速いねえ」
「まあな! この俊足が取り柄なのさ。……おっと、こうしちゃいられねえ、待ち合わせがあるんだ。じゃあな!」
嵐のような男だ。颯爽と人混みの中を駆け抜け、背中が見えなくなった。
イコがしたり顔で口角を上げた。
「聞いた? わたしのこと“少年”だってさ。やりィ」
「見かけによらずいい奴だったな。顔にでかい傷があるから喧嘩屋かとも思ったけど……イザベラ、ナイフにかけてる手、戻していいと思うぞ」
万一喧嘩を吹っかけられた時のためだろう、イザベラはややピリッとした空気をまとって男を見ていた。大ごとにならずに済んでよかったが、彼女の護衛としての腕前を窺い知れてよかったかもしれない。
「残念。弱い子に手を挙げるような輩なら、即座にぶっ飛ばしたのに」
……喧嘩っ早いのは彼女の方かもしれない。
それ以外は何事もなく、ホテルの部屋に戻ってきた。部屋ではベイとラヒムが地図を広げて行動計画を立てているところだった。
「ただいま。こっちは整ったよ。二人の方は?」
「ラヒムが上手くやってくれたおかげで、ずっと悩みの種だった弾不足がスッキリ片付いた。イカれた野郎との撃ち合いになってもこれなら大丈夫だ」
「……ラッドのアホにはキツく言っておくよ。ウチのオペレーターの情報収集のおかげで大まかなルートも定まってきたところだ。ちょうどいいから今説明しちまおう」
買い物袋を置いて全員でテーブルを囲んだ。地図はガラクト地方の三州を抜き出したもので、細かな地形や地名が記されていた。ところどころにピンがうってあるのがルートだろうか。
ラヒムの穏やかで落ち着いた声が説明を始める。
「まず、俺たちは今ココ、ガラクトの西域“プトリコ”州との州境の町にいる。ここからずーっと真っ直ぐ東へ向かい、途中のオアシス帯……そうココだ、この場所で一旦休息を取る。恐らく車で二日もかければ辿り着くだろう。その後は川に沿って一気に“ガヤラザ”州に入り、北へ迂回して目的の“ラザロ”へ。イザベラ、異論は?」
「北回りルートで行くのはどうして? この川、ラザロまで流れているのよね。道があるわけでもなし、このまま川沿いで行くのが手っ取り早いんじゃない?」
「川の流れ込む地域はアレが……ほら、“旧保養施設”。俺が避けてえって言ったんだ」
イザベラに応えたのはベイだ。
「例の事件があった現場だ。ここ一体のエリアは廃墟化して無法者が住み着いてる。通らねえ方がいい」
「事件って……ああなるほど、そういうこと。それなら仕方ないね、北回りが最適。口挟んでゴメンね」
「いいや、ありがとう。続けるぞ──」
俺はガラクト地方の地理や事情をまったく知らないから、説明を聞いても安全なのかどうかはピンとこなかった。時折飛び交う不穏なワードの数々を聞くに、お世辞にも治安がいいとは言えないのはよくわかったが、それまでだ。
行程は最後に北部地域の山を越えることになっている。師匠も言っていた“ザンデラ山”は、向こう側に樹海が広がっているという話だが、それさえやり過ごせれば、旅はひと段落を迎えそうだ。
と、ここで何とイコが手を挙げた。
「ザンデラの樹海を抜けられる保証は? 自殺スポットで有名だって、学校の地理学の先生が言ってた」
「よく知ってるな。その通り」
「その通りって、イヤイヤ。違うでしょ。なんでそんな当たり前な顔してんのさ! ナダからも何か言ってよ」
「何かって……何を?」
「ハァ!? 信じらんない、マジで言ってる!? その辺に首吊り死体があったらどうすんのさ!」
どうと言われても。
「死体の方が安心だ。襲ってくる心配がねえ」
「ベイ、この脳筋、そういう問題じゃねーだろが! みんながいくら強くたって、オバケはどうにもできないだろ? 銃が効く相手じゃないんだしさァ」
「オバケなんていないさ。お嬢ちゃん、考えてみろ、これから入る土地の方が百万倍曰く付きだぞ。なんせ何百年という殺し合いがだな……」
ラヒムがおどけて妙な抑揚をつけてそう言うと、イコは耳を塞いで喚いた。
「わー、わー! 馬鹿バカ、おっちゃんのバカ! ふざっけんなよ余計なこと言いやがって、夜眠れなくなっちゃうじゃんかよ!」
「そこで突っ立ってるカレシくんに寝かしつけて貰えばいいだろ」
「あそっか。ナダよろしく」
……何故そうなる。
話の着地点がおかしなことにはなったが、樹海の通過方法については近くなってから考えることになった。
ラヒムはそれから予備のルートや非常時の行動、作戦等諸々を説明していった。俺やイコの知らないところで、いつもこういう連携がなされていたのだろう。ありがたいし心強く思う一方──
(敵に回すと厄介だ)
仮に俺がガヴェルと対立することになったとして、そうすれば彼らは俺を追う側に回る。隙のない連携と綿密な作戦行動を掻い潜って、俺は逃げ回れるのだろうか。
ベイは俺を撃つだろう。それができる男だ。仕事に忠実で、冷静に物事を見極める男だ。
(……いつから?)
不意に、胸に仕舞っておいた引っ掛かりに何かが掠めた。
ベイは三十そこそこ……俺と十くらいしか年の差はない、はず。言い換えればまだ若い。ラヒムの方がずっと年上だし、イザベラも恐らくラヒムの方が年が近そうだ。
だというのに、むしろ年長二人の方がベイの勘を頼って、本人もそんな二人に応えている。その様はさながら歴戦の傭兵──。
ストップ。
それは今、さして重要ではない。思考を深めすぎるとあらぬ方向へ考えが及ぶ、俺の悪い癖だ。
話し合いが煮詰まった頃には既に日が傾いていた。年長のラヒムが地図からピンを引き抜き、満足顔で紙を丸めにかかった。
「うん、戦術のおさらいはこれくらいで大丈夫そうだ。いざとなったらナダにも動いてもらうからそのつもりで。合図とか連携については道すがらに話そう。他に心配なことは? ないな? よし。では諸君」
そして最後に、悪い笑みを浮かべて。
「上司がケツを持ってくれる。明日の出発に向けてたっぷりと英気を養おうじゃねえの」
イコが歓喜に飛び上がり、イザベラがルームサービスの表を手に取った。ベイは冷蔵庫に冷えているジンジャーエールを取りに行った。
顔を拝んだことはないが、ガナン、ご愁傷様です。
「あっラヒム、注文するのか? 俺ギガバーガーとスパゲッティとミートパイ、それからマルゲリータピザとビーフシチューと……」
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日没を迎えた。今夜の月は明るい。
石を積み上げて作られた家々が並ぶ町を、一人の男が歩いていた。暗がりでも分かる浅黒い肌の彼は上機嫌で口笛を吹いている。
「おいジハルド。やめろ、耳障りだ」
通り過ぎようとした路地の闇からもう一人、男が現れる。
ジハルドと呼ばれた男はすぼませていた唇をニヤリと歪めた。
「おいおいイール。あんまりでっけェ声で名前呼ぶんじゃねえよ。ここでお縄になっちゃあ終いだろ、ここからが面白えトコロなのによ」
頬に走る十字傷をなぞり、ジハルドはうっとりと目を細めた。
「ああ、楽しみだなあ。早く手に入れてえなあ……」
「気持ち悪イ笑い方すんじゃねえ。キッチリ仕事はして来たんだろうな」
「モチ。プトリコの女をぶっ殺すのも我慢したぜ。あの女も殺り甲斐ありそうだな……胸も身長もでけェ上に気も強そうだ、俺がちょっくらお喋りしてる間も探り入れてきやがってた」
「マジかよサイコー。やっぱ遊んで来てんじゃねえか……そろそろ行くぞ、待ちくたびれたサラが痺れ切らしてんだ」
ジハルドはイールの立つ路地に身を滑り込ませた。
あとには月の光がただ、砂に塗れた石の町を照らすだけであった。
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