労働者の権利①
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翌日。
我が総力を以って師匠の家を脱出した。
俺を殺し屋だかスパイだかに育て上げたい師匠に物理的手段をもって引き留められたので、出発までに時間がかかった。どうも俺はそちらの道への素質を見出されているようだが、生憎今後の進路に“スパイ”だなんていう選択肢はない。これっぽちもない。断固お断りさせて頂きたいし、師匠の妨害も思い出したくはないので、この話はここで終わりである。
ベイが師匠と何かやり取りしていたようだが、ベイは話す気もなさそうだ。ここのところベイは少し接しづらい空気だ。ガラクトのことが気掛かりなのだろう、あまりその話題には触れないようにすることにしている。
森を出て再び車に乗り込み、もはや恒例の急発進の洗礼も済ませ、旅路は順風満帆……
──の、はずだった。
ベイの通信機が着信を知らせるまでは。
「ようガナン。裏切り者の件は片付いたのか?」
イコが車を停めるかとバックミラー越しに問いかけるが、片手を振って断った。珍しいな、車内でそのまま通信するとは。
「あーヴィゼンの野郎か。前からコソコソ胡散臭え奴だった……はァ? 証拠は揃ったんだろ、まだ泳がせるってお前……」
ベイの声に怒気が混じり始める。空気がヤバい。苛立ちというより、もはや心底腹を立てている様子だ。
「ベイ、やっぱり一回停めようか? 落ち着いて話した方がいいよ」
「いや……ああそうだな、そうしよう。ありがとう……」
雰囲気に耐え切れずイコが車を停車させ、ベイは通話しながら車外に出た。ベイから「ありがとう」なんて言葉が出るとは、今日は雨でも降るんじゃなかろうか。
しばらくはくぐもった低い声が外から聞こえていたが、突然怒鳴り声が上がった。
「──ふざけんのも大概にしろ!」
尻が座面から数センチは浮いた。
イコが驚いて身を寄せてきた。ベイの怒号は一度では治まらない。
「ガラクト通るだけで百歩は譲ってンだぞ、ただでさえ面倒百倍だってのに、よりによって“オホロ”に行けだと? それも“ラザロ”を通って! ハッ、そりゃ随分と豪華なツアーじゃねえか、平和ボケしたテメエの頭のおめでたさがよく分かったよ!」
「おいベイ……」
「俺だけじゃねえ、ラヒムもイザベラも、ルアクも、さんッざん口酸っぱくして忠告してたよなァ? あそこにナダを連れて行く? 笑わせるぜ……あんな場所で能力が暴走してみろ、キャンプファイヤーにガソリン注ぐのと同じだ! 何故それが分からねえ!」
いたたまれなくなって窓を開けてベイに声をかけるも、怒り心頭の奴は気づく様子もない。それどころか加速度的にひどくなっている気がする。
すると窓を開けた俺にも、ベイの通信の相手の声が聞こえた。初めて聞く“ガナン”の声は、あくまで冷静に──それこそ熱したフライパンに冷や水をかけるが如く、こう言い放った。
『ボスの指示だ。逆らうことは許されない』
……口の端が引きつるのを感じた。
“堪忍袋の緒が切れる”音を、俺は人生で初めて聞いた気がした。
「そうかよ……よぉく分かった」
傭兵の声は静かだった。
その静かな声が、この男の声が、これほど背筋の凍る心地にさせたことがあっただろうか。
「ストライキだ。労働者の権利だ。分かるなガナン……ボスが考えを変えるか、よっぽどマシな代替案が出るまで、俺ァテメエらの指示に応じねえ。せいぜいそのよく詰まった脳みそ働かせるこったな!」
言うだけ言い放って、ベイは乱暴に通信を切った。ついでに電源も落としてしまって、ベストのポケットに突っ込んだ。
俺は引きつった顔をまだ戻せずにいた。チラとこっちに目を遣って、ストライキ決行をキメたベイは悪い笑みを浮かべた。……非常に、ものすごく、人相の悪い笑顔だ。
「自由時間勝ち取ったぜ。どうするね、ボス」
どうしましょうね、と返せただけグッジョブだ。
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「ガラクト地域のど真ん中、“ガヤラザ”州の……何つーかな、首都じゃねえが、一番でかい町があってな。“ラザロ”って町なんだが。そこを突っ切れってんだぞあの石頭」
酒も入っていないのにこの愚痴り様である。
それも昼間から。
イコが何かから逃げるようにぐいぐい飛ばしたおかげで、昼過ぎくらいにガラクトの手前の町“ピアドル”に着いた。予定より二時間短縮という驚きの速さだったが、俺は特に文句を言わなかった。……言う気にならなかった、気持ちはよく分かるし俺がドライバーだったとしてもかっ飛ばしただろうから。
町に着くなりベイは一番上等で綺麗なホテルを選んだ。普段は大部屋のある安宿に泊まるところだが、今回は安全性と快適さ重視だという。値段を目にして思わず固まった俺の肩をベイが叩いてきて、片方の口の端を上げてこう言ったのだった。
「心配すんな。ガナンになすりつけてやる」
……これからはベイに対する態度を改めようと思った。
ベッドの三つある部屋を取り、ルームサービスをイコが片っ端から頼んで一時間が経過。
ベイは何というべきか……ああ分かる、分かるよ、仕事のストレスから解放された気持ちはとてもよく分かる。ただ初めて見る一面に俺もイコも戸惑いを隠せず、せっかくの快適さを心から楽しめないのも事実だった。たしかに俺は「ベイにも少しは休息を」と昨晩考えていたばかりで、それが意図せぬ形で叶ってしまったわけだが、やはり戸惑いは大きい。
「ッたくよ、こっちがいくら忠告しても聞きゃしねえ。なまじ頭が回るからって過信してやがんだよ。そんなに言うならテメエが“オホロ”に行けってんだ、一遍でもアレ見てりゃあ、あんなクソ指示なんざするわけがねえんだ」
いや、イコは我が物顔で窓際の日当たりのいいところを陣取り、ケーキを頬張っていた。ベイは一人でソファーを独占している。
今までに泊まった宿で、ベイは決してゆったりとわらじを解くことがなかった。常に気を張り巡らせて、空いた時間は武器の手入れや見回りなどに充てていたのだ。
それが今はどうだ。
銃の手入れだけ終わらせた後は、防弾ベストまで脱いでしまってMAXリラックスモードである。こんなベイ見たことねえ。誰だお前。ただの筋肉むきむきの独身男性である。……この言い方も間違ってはいないか。
「……独身だよな、お前」
「なんだ急に。所帯持ってるように見えるか?」
「奥さんいても納得いくわ」
自分の横に女の人を置いて肩を抱いていても何ら違和感を抱かない。とてもしっくりくる。イコもうんうん頷いていた。ベイは複雑そうな顔をした。
「独身だ」
「残念。なあ、聞いてもいいか」
聞くなら軽いノリで。この空気なら行ける。努めて何気ない風を装って、俺は尋ねた。
「ガラクトに何があるんだ? 俺が行ってマズいことがあるのか?」
「……あー……」
黒い目が俺から逸れた。しばらく部屋の何もない空間を彷徨って、そして俺の足元辺りに戻ってきた。
「……あっちは有色人種だらけだからな。中には白人にいい感情を持たねえ輩もいんだよ。お前はある意味カラードなんだろうが、それが通用するような場所じゃねえんだ」
「ホントにそれだけか? さっきの通信はもっと深刻な空気だったろ。なあベイ、俺の話だろ、話せねえことがあるのは仕方ないけど少しは説明してくれ。お前がそんなに警戒してるのを見ると不安なんだよ」
ルームサービスのピザが一切れ、ベイの口に消えていった。大きく咀嚼して飲み込む……食べるの早いな。
ジンジャーエールをグイっと煽り、浅黒い顔が気まずそうな表情を作った。
「悪い。上手く話せる自信がねえ……誰かに説明なんてしたことねえんだよ、アレを」
少し時間をくれとだけ言って、ベイは部屋に置いてあった新聞を眺め始めた。ベイのことは気長に待とう。俺もルームサービスで運ばれてきたジュースとフライドチキンに取り掛かったのだった。
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その頃、ガナンはとある廃屋で頭を抱えていた。
手には通信機。現場の第一線で体を張ってくれている部下の言い分も尊重したい、だがボスであるガヴェルからの直接の指示には必ず意味がある。理由も知らされぬまま“リーズバーグ”へ向かい、一人の少年を援護せよとの指令が下った時もそうだった。会社の総力を挙げてその少年を護衛し続け、今に至る。
ガナン自身、かつての紛争の爆心地とも言える“ラザロ”へわざわざ赴くなど馬鹿げているとは思っている。
少年の護衛に直接携わるメンバーにはガラクト地方出身の者が多い。紛争経験者の彼らは実力と経験を兼ね備えた心強い味方だ。そんな彼らが、こちらの耳にタコができるほど「ガラクトは止めろ」と言うのだ、無視すべきものでは決してない。
「ストライキ起こすのも当然だよなあ……」
そう独り言ち、疼くこめかみを押さえる。
少年の傍に控える“ベイズ”を皮切りに、他の護衛メンバーまでもがストライキを起こし始めたのだ。仕事に忠実な彼らのことだ、完全に護衛任務を放棄したわけではないのだろうが、今のままでは確実に少年を連中に取られる。
すると別室で通信していたローズが戻ってきた。
顔を見るに、結果は思わしくないようだ。
「やっぱりダメよガナン、ボスはオホロへ行けの一点張りよ」
「まぁじかー。あの人は一体何をしたいんだ? たしかにこのまま逃がし続けてもいずれエイモス社の連中に追いつかれる、だけどよりによってガラクトなんてさ」
「この前掴んだエイモス社の噂……彼らに説明すべきだと思うのだけど」
ローズの言葉にガナンは唸った。
「……言いにくいなあ。特にベイズには。だって何て言えばいいと思う、『元ミズリルの奴らがエイモス社の手下になった』なんて言った日には、あいつすぐさま戦線離脱するぞ。ああくそ、戦力欲しさにあんな契約にしなければよかった」
「そうね……ここで戦力の低下は何としても避けたいわ。やっぱり伏せましょうか」
それがいいな、とあくび混じりに返して、埃っぽい床に置かれた荷物を枕にして寝転がった。腫れぼったい瞼が重みに負けたように閉じられる。
「ちょっと寝る。一時間経ったら起こして」
「ええ」
ややもすればガナンから規則正しい寝息が上がった。
憂いを帯びたローズの目がただ、揺れていた。
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