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Blank-Blanca[ブランクブランカ]  作者: 奥山柚惟
第4章 裏切り、追跡、そして魔女
27/97

コーヒーはいかがですか①

R04.11.23_微調整・修正しました。

  + + +






 一人の男が森の倒木に座っている。

 彼の手には、ブラックコーヒーがほわほわと湯気を立てるキャンプ用のマグ。その芳しい香りが男の鼻腔を満たすも、男の顔は疲労が色濃く浮かんで消えない。

 癖の強い茶髪を空いた手でくしゃりと乱し、男は盛大な溜息をついた。湯気と共にそれは宙に溶け消える。


「どうしたのよ。全然寝てないじゃない」


 男の背後から声をかける人物があった。スラリと背の高い女だ。緩くウェーブのかかった栗色の髪を払い、男の隣に腰掛ける。


「眠ってる場合じゃなかったんだよ……」

「何か問題が?」

「そう。それもとびきりの」


 ヤバい。そう短く一言口にし、男はコーヒーを飲み込む。その様を見て女は眉を曇らせた。


「本当にヤバいのはわかったから、空きっ腹をそれで膨らまそうとするのはやめなさいよ。体に悪いわ」

「胃が食べ物を受け付けないんだ」

「……何があったの。ちゃんと共有して、ガナン」


 男──ガナンは飲み物の苦味を数十倍濃縮したような顔をした。


「裏切り者が内部にいる線が濃くなった。誰かが情報を横流ししてる」

「……へえ。そう。ふうん……一体どこの誰かしら、そんなことをするおバカさんっていうのは」

「落ち着きなよ、喧嘩っ早いなあ君は……だから言いにくかったんだ」


 殺気立つ彼女を宥めながらガナンは苦笑した。そしてマグの中身を揺らして目を細めた。


「人物の特定はまだこれからだ。大体見当はついてるけど、証拠がね、掴めるかどうかってところと……あと恐らく今回のチームの中枢にいる奴だろうから。下手を打つと全体に影響を及ぼしかねない」

「分かり次第教えてちょうだい。骨も残さないわ」

「あはは。頼もしいな、ローズは」


 笑うガナンの目の下は深い隈が浮き上がっている。コーヒーを飲み干すとガナンは立ち上がって伸びをした。関節がパキパキと音を立てた。


「まずは()()()に指示。先発隊と後発隊にも連絡と指示を出して、そうしたら僕たちは炙り出しにかかる。ボスにも報告しよう、心当たりがあるかもしれないし、ベイズチームへ何か伝言があるかも」

「はあ……まったく、ただでさえややこしい案件なのに、これ以上複雑なのはご免こうむりたいわ。私嫌いなのよね、面倒事と回りくどいことは」

「僕もだよ」


 車に乗り込み、自嘲気味に嗤う。


「なのにいつだって、こういう面倒でコソコソした役回りだ」






  + + +






 とある町の宿の一室。

 少女がベッドの上であぐらを組み、広げた地図を睨んでいた。そこへドアのノックと共に男が一人入ってきた。


「戻ったよアドラー。ってこら、また外套着たままで……カーテンも閉めとるのだし、少しくらい緩くしたって大丈夫だよ」

「“かめら”なるものがあると聞いた。部屋に仕掛けられていたらどうする」

「普通は隠しカメラなんて仕掛けないから。宿にいる時くらいゆったり過ごそう、な? ほら、壁にかけるから、寄越しなさい」


 男の言葉にアドラーと呼ばれた少女は渋々、着込んでいたマントのような上着を脱ぎ、更に髪を隠すように被っていた帽子も取った。男が満足げに頷いた。


「町で聞き込みしてきた。白い髪と肌の男がこの町にいたのは間違いない。この宿でも三か月くらい働いていたということだ。最近になって突然辞めたというけれどね。近頃は見かけないと皆口を揃えていたよ」

「行方は誰も知らぬのか」

「ああ。残念ながら」


 そうか、とアドラーがため息交じりに目を伏せた。

 かと思うと不意に顔を上げ、腰から短剣を抜いて手入れを始めた。


「えっ。何、いきなり手入れなんて始めて」

「いざという時あなたを守れるように」

「……あまり治安の悪い場所へは寄らないようにしよう。君に倒される人たちがかわいそうだ」

「何故?」

「だって君、容赦しないだろ。それからその言葉遣い。少しずつでいいから()()()の話し方に慣れていこう。女の子はそういう風に喋らないんだよ」

「交渉事はあなたがしてくれているでしょう。問題ない」


 男は困ったように眉を下げた。

 そしてアドラーの隣から地図を取り上げ、ある一点を指さした。


「浅黒い肌の女の人が言ってたんだが。ここよりも東の、大陸中央部辺りの“リ=ヤラカ”という州にある密林──“オホロ”という地名らしいが、どうも妙な話があるらしい。誰一人の侵入も許さず、もし入れば森から拒絶されるとか」

「森に拒絶される? どういう意味だ?」

「さあ、よくは分からなかった。だが何か掴めるやもしれないぞ。ベルゲニウムに関する手掛かりだとかな。行ってみないか?」


 ややしばらく考え込むように顎に手を当てていたアドラーだったが、やがて頷いた。


「いずれにせよ、あの男を探す宛もないことだし、それが良かろう。賛成だ」






  □ □ □






 ワイユの町を出た車は荒れ地を走っていた。赤土の大地に青い空が良く映える。

 暑さが堪える時季はもう少し先だが、七月を迎えた今でも既に薄っすら汗がにじむほどには暑い。俺はどうも暑さに弱いのだが、イコとベイが平気そうにしているところを見るとまだまだ序の口らしい。

 イコの運転が安定する頃合いを見計らって、パドフさんの包みを開けてガトーショコラを二人に配った。ご丁寧にお手製クリーム付きだ。死ぬほど美味い。水筒に入れてもらったコーヒーと合わせると絶品だった。

 このコーヒー、もしかしてチェン所有のマシンで淹れたものだろうか……。




 昼食の休憩の時、ベイに通信が入った。

 いつもは簡単なやり取りで終わっているのに、今回はやたらと長くベイは席を外している。俺もイコもメリアさん特製サンドイッチを食べ終わってしまって、ベイを待つ間水筒に残ったコーヒーを堪能していた。


「おかえり。長かったな。サンドイッチ食えよ、美味いぞ」

「あー……サンキュ。食いながら話がある」


 ようやく戻ってきたと思ったら、ただでさえ人の良くなさそうな顔が殊更に暗い。受け取ったサンドイッチを一口で半分も食べてしまって──飲み込んだ。


「もったいない。味わって食べろよ」


 呆れ声がイコから上がった。俺はあっけに取られてしまって何も言えなかった。そんなに口を大きく開けていただろうか……?


「まあいいや。話って?」

「んむ。しばらく外部からのオペレートはナシになった」


 オペレート、“指示”。それがなくなった。

 ……感想が「マジか」しか出て来ない俺もいよいよ、語彙力の低下した若者ということなのだろうか。マジか。


「要は、これからは現場の俺らの判断で移動するってことだ。“俺ら”ってのァお前ら二人も含まれンだからな。勘でも何でもいい、ヤバいと思ったらすぐ言うこと。俺らの基本的な行動は“逃げる”、極力戦闘や直接の対処は避ける方向でいく。いいな」

「え、いやちょっとついて行けてねえです。待ってくれよ、俺の監視だか何だかをしてたんじゃねえのか? それを後回しにするほどなのか?」

「襲われた時のサポートもないわけでしょ。安全なルートだって分かんないまま進むんだから。ヤバいじゃん。大丈夫なの?」


 二人で問い詰めると傭兵の動きが止まった。いろいろ言いたげに口の端がピクピク動き、


「──はあァァァー……」


 ……やがて長い長い溜息を吐いた。

 いろんなものが凝縮された、触れそうなほど濃厚な溜息だ。


「正確には、本部とのやり取りが制限されるってことだ。直接的に護衛に関わるメンバーだけで通信や連携を取る。だから援護に関しては問題ねえ、が……」

「随分急な方針変更だよな。いろんな情報が本部に集約されてるんだろ、あっちは危険だとかこっちは安全だとか」

「そこだよ、問題が起こってんのは」


 まだ昼間なのにベイは疲れ切っている。眉の間を大層険悪にさせて、言った。


「内部に裏切り者がいる可能性が出てきた」


 うらぎり。

 一瞬意味が飲み込めず、俺とイコで顔を見合わせた。


「うらぎり……って、裏切り!?」

「まあ、言われてみりゃあそれが一番納得いく。考えてもみろ、あらかじめ安全なルートを検証してから進んでいたはずだってのに、やけにトラブルが続いてねえか? 町を出るなり検問にかかったり、盗賊と鉢合わせたり」

「たしかに……」

「中枢に近い誰かが情報を敵に流していた線が濃いってわけだ。だから俺ら本命を切り離して、どいつが犯人かを炙り出すってことになった」


 空を仰いだ。俺の経験上、悪いニュースが降ってくる日には大抵嫌味ったらしいほど清々しい天気だったりする。

 今? 完璧な晴天だ。それはもう清々しいほどの。


「そんなさあ、下手な三文噺じゃあるまいしよ……」

「事実はナントカより奇なりってな。てなわけだから、とりあえず近場の町に向かうぞ。今考えなきゃなんねえのはその後の進路だ」


 俺もイコもまだショックが抜けきらないというのに、ベイは切り替えが早い。ちゃんと先を見通している。俺やイコに足りないものを持ち合わせるこの男は、たまに邪魔に思えても頼りになる奴なのだ。

 ベイが荷物から地図を広げて、ある一点を指し示す。ワイユから東北の地点だ。


「今この辺だろ。で、向かう町は“デュカス”。北の州境付近の町だ。地図じゃ分かり(づれ)ェが、ここは山の麓に位置する。俺としては、デュカスでしばらく滞在した後、この山を抜けるルートを提案する」

「山かあ。車通れる?」

「通れるよ。俺行ったことある」


 挙手すると二人の目線が俺に向いた。浅黒い指が示す場所から、俺の白い指がつうっと東へ動く。


「この辺りに車道がある。山向こうの町に繋がっていて、車同士がすれ違えるくらいには幅が広い。心配すべきは山を越えた後だろう、その“山向こうの町”ってのが治安が悪くてな」

「詳しいね」

「中等部の頃、この山で友達とキャンプした」


 あの時はめちゃくちゃに怒られた。友達の家に三人くらいで泊まりに行くつもりが、仲間の一人が急に「オレんちの持ってる土地で冒険しようぜ」なんて言いだして、あれよあれよという間にヒッチハイクで連れて行かれたのだ。それも一週間くらい。

 帰ったら捜索隊が出ていた。桐生にぶん殴られただけで済んだのは幸いだ。


 ……閑話休題。


「じゃあこの向こう側の町に降りないで、山の北側はどう? 距離は長そうだけど、途中に小さい村みたいな表記がある」


 イコの小さい手が俺の指す場所より少し左を叩いた。

 なるほど、俺には見つけられなかったが、そこにはたしかに人里があるようだ。


「道路が途中で分かれてるから、ここで左に行けばいいと思う。そんなに高い山じゃないんでしょ、ナダ」

「高くはないけど、そうだなあ……この時期なら霧が濃いかもしれない。安全運転で頼むぜ。後生だから」

「仮にも山道だからな。とにかくゆっくり走れよ。いいな」


 ベイも横から念を押す。ファーストコンタクトをイコに台無しにされた悲しき過去を持つ男である、涙ぐましいことだ。

 信用がないとイコは口を尖らせたが、残念ながらお前は前科n犯だ。諦めろ。






  □ □ □

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