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悩み事と解決方法

 狭い。

 いや正確に言うなら狭く感じるようになった、と言うべきだろう。良治の住むマンションの一室の間取りも広さも変わっていないのだから。


 今年三月になるまでは一人だったのが気が付けば三人暮らしだ。引っ越した当初使っていなかった隣の部屋とウォークインクローゼットは既に埋まってしまっている。良治の、もし誰かと一緒に住むとしたら三人の彼女たちになると思っていたが予想は外れた。


 相手が弟子たちなのはこの際良い。問題は別にあった。


「もう空いてる場所がなぁ……」


 良治の借りている一室は2LDKだ。つまりもう空いている場所がない。満室だ。やはりどうしようもない。


「申し訳ありません、あるじ様。となれば朱音は主様と同室でも構いません。端の方に置いていただければ……」


 目を伏せながら積極的なことを言うのは昨日から上野支部に、というか良治付きになった江南朱音だった。

 初対面の時とは違い、黒装束ではなく動きやすそうなTシャツに短パン姿だ。小柄なせいで顔を伏せられると本当に表情が見えなくなる。


「さすがにそれは駄目。他の解決策を考えよう」


 そんなことになれば三人の心証も悪いし、同居する二人の弟子たちからも白い目で見られかねない。

 それにほぼ初対面の相手が自分のプライベートルームに居るということが非常に負担だ。むしろこちらの方が断る理由としては大きい。


「しかし……ならばどういたしましょう」

「ひとまず昨夜と同じで上野支部の仮眠室で。君が居る間は使用しないようにするから。急いで部屋を準備するから少し待って欲しい」

「わかりました」


 素直に頷く朱音だが、内心は微妙だろう。おそらく良治と同じ部屋か、少なくとも同じ家に用意できなければ不服を唱えるに違いない。


「あともう一つお願いがあるのですが」

「……何かな」

「私のことは朱音と。呼び捨てで構いませんので」

「……わかったよ、朱音」

「ありがとうございます」


 いいように振り回されてるな。良治は心の中でそっと溜め息を吐いた。









「ん、どうした柊くん。現物ゲンブツだぞ」

「あ、いや。失礼しました」


 ピクリと反応した良治の手に常連の中年男性が訝し気に声をかける。何でもないように答えたが、その内心は指摘通りで動揺してしまっていた。


(危ねえ。振聴フリテン気付いてなかった)


 振聴とは自分の和了あがり牌を既に自分で捨てている状態のことだ。このまま他人の捨てた牌でロンしてしまうとチョンボ、つまり罰則を受けることになる。

 更に言うなら良治はリーチをかけており、もう手牌を変えることが出来ない。自分で持って来れば和了れるが、それはこの反応の後を考えると少々恥ずかしい。


「ロン。柊くん掴んじまったな。何処で待ってたんだい?」

「あはは、内緒です」


 和了でも流局して聴牌でもない限り自分の手牌を晒す義務はない。自分のミスをわざわざ教えることもないので素知らぬふりをして牌を流していく。


 結局そのまま流れを掴むことは出来ず四着ラスを引いた良治は、ラス半コールをしてもう一度だけ打った後帰ることにした。ちなみに最後も四着で今日は散々な結果だ。


「お疲れ様。今日は駄目駄目だったわねぇ」

「まぁこんな日もありますよ」


 今日得たことは、悩み事をしながら麻雀をしてはならないということだ。相変わらず強面なのにオネエ言葉の店長にひらひらと手を振る。


「ふふ、そんな日もあるわよねえ。……それにしても柊ちゃんは凄いわよねえ」

「何がです? 今日は散々でしたけど」

「麻雀じゃなくて、いくみちゃんのことよ。随分明るくなったし、笑顔がステキになったわ。麻雀の成績は落ちたけど、これは些細なことね」

「それは良かったですね。是非本人に言ってあげて下さい」


 店長の言葉は本当だろう。良治もここで出会った頃と今を比べるとまるで別人のように感じるほどだ。

 しかしだからと言って自分が彼女を変えたとは思っていない。多少影響はあったかもしれないが、変化を望み、変わったのは彼女自身の素質故だ。


「もうこの間言ってあげたわよ。そしたら全部柊ちゃんのお陰って満面の笑みで言うじゃない。んもう妬けちゃうわぁ~」

「……さいですか」


 何を言っても無駄だと判断して適当に流すことにする。弁解するだけ逆効果になりそうな予感もしたので間違ってはいないだろう。


「っと失礼。また今度」

「は~い、またねぇ~」


 突然震え出した携帯電話を片手に店を出る。画面には番号だけでなく見知った名前が表示されていた。

 良治は彼女が何の用だろうと思いながらもエレベーターのボタンを押して電話に出る。


「はい」

「あ、良治さんこんにちは、ですっ」


 やや上擦った少女――ではなくもう女性と呼ぶべき年齢の聞き覚えのある声。


「こんにちは、鷺澤さぎさわさん。珍しいですね、何かありました?」

「……名前……いえ、実は今蒔苗まきなちゃんと新宿の方に来ていまして、その、良かったらお会いできないかなと」

「蒔苗さんと新宿に。なるほど」


 返答しながら思考を巡らせる。良治の今日の予定は空白だ。考えなければならないことは多いが、時間と身体自体は空いている。麻雀を切り上げたこともあり、むしろこれから何をしようと悩むところだったくらいだ。


「少しくらい、夕方くらいまでなら構わないですよ」

「ありがとうございます、それで大丈夫です。では新宿に着いたら連絡ください」

「わかりました。ではまた後で」

「はいっ」


 気分転換も必要だろう。せっかくの機会だ。乗ってみるのも悪くないだろうと思えた。









「あ、こちらです」

「どうも。お久しぶりです二人とも」


 立ち上がって軽く手を振るのは電話の相手だったかおる。隣に座っているのは聞いていた通り宮森蒔苗だ。宇都宮支部を支えていると言ってもいい二人。薫は二十歳過ぎ、蒔苗に至ってはまだ高校生でとてもそうは思えないが実力は確かなものだ。


「久しぶりです柊さん。最近また怪我とかしてません? 大丈夫ですか?」

「またって。いやまぁ仕事柄生傷は絶えませんけどね。でもそれはお互い様でしょうに」

「えへへ、そうですね。でも柊さんは我慢したり隠したりするので、ちゃんと聞いておかないと」

「信用ありませんね」


 蒔苗の言葉に苦笑するが確かにその通りだと思う。しかしそれを認めるのもなんだか癪なので流しておく。


「それで、お二人はなんでまたこちらに」


 小さな丸いテーブルを囲んでコーヒーを一啜りしてから疑問を投げかける。宇都宮支部に何かあったのか、それとも仕事がなく暇なのだろうか。


「ここのところ立て続けに仕事ばかりだったので息抜きです。お買い物も全然出来ていなかったですし」

「薫さんフル稼働だったし、私が提案したんです。ちょっと頑張り過ぎですよぉ」

「心配かけてごめんね蒔苗ちゃん。でも今までの分を取り戻さなきゃって思うし、何より頑張りたい気分なの」

「……もう」


 以前手の治療をしてもらった礼に宇都宮支部で仕事を手伝った事思い出す。あの時の薫は相棒であった赤月政大の死から前線での仕事が出来なくなっていた。

 それを解消するきっかけに良治は関与したが、あれから良い方向に進んでいるようだ。頑張り過ぎるのは危険だが、それでも彼女の笑顔を見て良治は言い変化をしたと思えた。


「それで、一つ聞いておきたいことあるんですけど。……なんで薫さん、柊さんのこと『良治さん』って呼んでるんですか? もしかして、そういうことだったりします?」

「違います。そういうことじゃないです」


 蒔苗の探るような視線と言葉に良治は即答で断言する。誤った噂は即時否定しておかなければ大事になる。


「そうですけど……なんだか嬉しくないです、それ」

「と言われても。違うものは違いますし、彼女もいるので誤解は広めたくないので」

「……そうですね」


 先程までの笑顔は何処へやら、薫の表情が一気に曇る。しかし良治としてもここは譲れない。はっきりしておいた方がいい。


「なるほど。そんな感じなんですね……納得」

「……うん、そんな感じ、よ」


 自嘲気味に笑む薫に思うところはあるがこれは仕方のないことだ。

 薫のことは嫌いではない。むしろ好感も持っている。昔から知っているのでどんな人間かも理解はしている。だが――


「――でも、はい。わかってますから。大丈夫です」

「……そうですか」


 元の笑顔を取り戻した薫ははっきりとした口調で言う。それなら良治は何も言うことは出来ない。


「あの、柊さん。なにか私や薫さんにお手伝い出来ることってないですか? この間のお礼も兼ねて」

「お礼って言われても。むしろこの間のがお礼ですし」

「お礼のお礼ってことで。別に悪いことじゃなくないですかっ」

「……じゃあ、まぁ持ちつ持たれつということで」

「やたっ」


 引く様子のない蒔苗に折れる。しかし何かあるだろうか。

 現状急を要する仕事はない。仕事自体はあるが結那と天音で十分足りている。その程度の仕事をわざわざ頼むのは気が引けた。何かこう、普段の仕事とは違う、気分転換の延長線上になるようなことは――


「……そうですね。それじゃあ仕事ではないのですが頼みたいことが」

「仕事じゃない、頼み事ですか?」

「私たちに出来ることなら。それで、どんなことです?」

「――模擬戦の立ち合いを。是非とも」


 良治は微かな笑みでそう言った。




【持ちつ持たれつ】―もちつもたれつ―

恩を受けたら恩を返す。そんな関係性を表す言葉。

誰もが一人で生きていくことは出来ない。そんな当たり前を知っている人々が扱う優しい言葉。

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