報告書作成
――この先に足を進めてはならない。それは死と同意義だ。
そう町田は直感した。加速していた身体が止まったのはその男の間合いの間近だった。
(《黒衣の騎士》、何故ここにッ!?)
その名は依り代になっているこの身体の主から得ていた。
多くの魔族を討ち取ってきた退魔士。決して遭遇してはならない相手。
それが今、目の前に存在していた。
逃げるしかない。大きなダメージを負っている現状、この危険な相手との戦闘は勝ち目がない。辛うじて間合いに踏み込まなかったのは僥倖だ。
もう一度背後の煙に飛び込んで逃げよう。
そう思いながら振り返った先にはもう煙は流され、代わりギロチンのように刀を振り下ろし始めた一人の男が在った。
「――あ」
正面から文字通り両断。
その声はどちらの身体から発声されたのか。もしかしたら両方からかもしれない。そして、町田だった魔族は二つになった身体が地に着く寸前に両方とも黒い塵と化して何処かに流されていった。
「……ありがとう、柊君」
「いえ。自分はここに立っていただけですから」
良治は町田を両断した丹羽に静かに言う。自分がしたことは何もないと。
「それでも。でも、それで良かったのかもしれません。……自分たちの手で決着をつけることが出来ましたから」
「そうですね」
沈痛な表情だがホッとしているのも確かなのだろう。
名古屋支部で起こったことを名古屋支部員たちでけりをつけることが出来た。内々で解決出来たと言えなくもない。責任を果たせたことに安堵してのだろう。
「まさか、そんな……」
この場に居る名古屋支部に所属しているメンバーの中で、唯一未だ現実を受けとめ切れていない人物がいた。
「これが現実です。あとは報告をきちんと受けて、知ってください。何があったのかを」
良治は背後で事態を飲み込めていない名古屋支部の支部長代理に向かって言う。まだ若く、その職責の大きさも理解出来ていない。代理とは言えある程度の責任は果たさなくてはならないだろう。
「…………はい」
瑠璃子は長い沈黙の後、小さいが確かにそう答えた。
「丹羽さんたちもお疲れ様でした。正直ここまでのことは想定していませんでしたが」
「君の想定外なら私たちにわかることではなかったよ。ただ、君の進言に従って様子を見に来て良かったことは間違いない。……町田さんも少しは救われたと思いたい」
「……そうですね」
町田久太は半年前に既にいなかった。この半年存在していたのは町田の姿を借りた紛い物に過ぎない。
町田の心情は良治には測り切れないが、それでも望んで死んだとは思えないので救われたと信じたかった。
「柴田さんも林さんも……今日のところは瑠璃子さんと一緒に戻ってください。明日中にはこちらの報告書を提出しますから。そちらは何か兆候や疑わしいことがなかったか思い出して纏めておいてくださると助かります」
「……ああ」
「わかったわ。任せてちょうだい」
力強く、そして僅かながら笑みを浮かべた林に少しだけ安心して皆を見送る。誰の背からもポジティブな感情を感じられないが、それでもきっと少ししたら大丈夫だろう。彼らも歴戦の退魔士なのだから。
「さて」
良治は瑠璃子たちの姿が消えるのを待つと振り向いた。そこに待っていたのはなんとも微妙な表情の優綺と郁未、そして片膝をついて頭を下げている黒頭巾の少女だった。
「お疲れ様、二人とも。魔族相手によく生き残ったよ。うん、本当に」
「あ……ありがとうございますっ」
「本当に、辛かったよぉ……まだ目が痛い……」
緊張した表情から気が抜けたようにホッとした優綺の顔は汗と埃に塗れ、両手で握った棒からは力が抜けていくのが見えた。そして目をシパシパさせて落ち着きのない郁未。良治は相変わらずだなと苦笑する。
「優綺はこの後郁未と協力して報告書を……って報告書の書き方はわからないか」」
「あ、書き方はわかりますけど、パソコンがないので……」
「そうだな。じゃあ俺のノーパソ貸すからそれで。期限は明日十二時までに名古屋支部に」
「はい。わかりました」
「じゃあ……」
良治が目線を投げたのは未だに顔を伏せたままの少女だ。
「まずは感謝を。頼んだことには含まれていなかったけど、きっと二人を助けてくれたんだろう?」
「あ、はい。郁未さんがピンチの時に助けてくれました。その、先生。その人は……?」
優綺の言葉に黒頭巾の少女は顔を上げる。良治が微かに頷くと少女は口を静かに開いた。
「はじめまして、《黒衣の騎士》柊良治様。私は黒影流の江南朱音と申します。……差し出がましいとは思ったのですが、自己判断で介入致しました。申し訳ございません」
「いいよ、むしろそれで郁未が助かったようだから。ありがとう、江南さん。本当に助かった」
「……そう言っていただけるのなら」
江南朱音。頭の中で検索するがヒットはしない。だがそれも黒影流ならば当然だろう。良治でさえ黒影流は継承者と二番手しか知らないのだから。
良治は彼女と会ったことはない。しかし誰かが手助けしてくれていたことは理解していた。
京都本部を出たところで呟いたことを彩菜が聞き、自分自身は動けないので誰かを寄越した。そして良治は名古屋支部長との面会後、独り言でお願い事をした。なので彩菜の指示で自分の近くに誰かがいて、その者が町田の監視をしていたのは知っていたことだ。
――誰かが町田さんが悪霊を発見する手法を掴んでくれたらなぁ。
「君が居なければ二人は死んでいたかもしれない。心より感謝を。彩菜にも伝えて欲しい。ありがとう、と」
「確かに承りました。――それでは」
立ち上がりぺこりと頭を下げると林に飛び込んで一瞬で夜闇に消えた。さすが黒影流と言える。動きに無駄がなかった。
「まるで忍者……」
郁未の言葉は間違っていない。立ち位置も仕事もその通りだ。
「じゃあ二人は戻って報告書を。休息と報告書作成の配分は自分たちで決めて。明日名古屋支部で待ってるから」
「はい。――あ」
「お疲れ様」
ぽんぽんと優綺の頭を優しく撫でる。
一番弟子は生死を分ける戦場で懸命に立ち向かい、生き残った。
それを思うと、良治は自然と手が伸びた。
「うぅ……」
「はいはい」
隣の不服そうな郁未にも同じように撫でる。もう二十歳だというのに優綺よりも歳下に見えてしまうのは何故だろうか。
最後に一目しか見ることが出来なかったが、見習い二人を含めて三人で魔族を追い詰めたのは素晴らしい戦果だ。しかも被害はゼロ。手放しで褒め称えるべき成果と言える。
しかし良治は褒めはしたもののこの後にやらなければならないことを指示した。それはもちろん報告書のことだ。
一昔前の退魔士なら報告書など支部に詰めている事務員などに報告し纏めてもらうのがほとんどだった。しかし良治としてはそれくらい自分でやるものだと考えているし、詳細な部分の間違いや勘違いなどがなくなるのでより正確な報告書になる。それに階級が上になり副支部長以上になれば結局のところ事務仕事は付いて回ることになる。それならば最初からやり方を覚えておいた方が良いに決まっている。
自分のことは自分で。
自分でやれることは自分で。
向上心を持ち、自分の持つ可能性を貪欲に広げて欲しい。
他人には求めないが、良治は自分の弟子たちにそれを求め、教えたいと思っている。
(まぁそれが過ぎると全部自分でやらなくちゃって思うようになるかもだけど)
自分がやった方が早いことが増えると全部自分でやるようになりがちだ。そこのところを良治は二人にやらせることで、頼り頼られる関係で上手く成長してくれたらと考えていた。
「じゃあ向こうに荷物置いてあるから行こう」
「はい」
「はーい」
また一つ死線を超えた弟子たちが、これからも強く生きていけるように。
良治は歩き出してからそう祈った。
「m、a、l、d、i、n、iっと」
「やっと起動しましたね」
郁未が打ち込んだパスワードでノートパソコンが起動し、優綺はホッとした。せっかく良治から借りたノートパソコンだが当然のことだがパスワードが設定してあり、二度ほど間違えたあと、恐る恐る良治に連絡をした結果メールを送ってもらっていた。
正直なところ、このパスワードも何かの課題かと思い三十分ばかり悩んだのだが、それはただの思い過ごしで単純に良治がパスワードの設定を忘れていただけだった。
普段はミスのない師のミスに優綺はちょっとだけ疲労を溜めてしまった。ミスのない人間などいないのはわかってはいるのが、そう思ってしまったのは激戦のあとで精神的にも余裕がなかったせいかもしれない。
「じゃあゆっきー任せていい? あ、ちょっと待って」
「どうしました?」
「これ、開けていいかな?」
郁未がカーソルを合わせたのは一つのファイルだ。『弟子育成方針』とタイトルの付いたファイルに優綺も興味を魅かれる。
「……やめておきましょう。私たちは見ない方がいいかと」
「えー、でも気になるじゃん。――えい」
「あ」
「……うん、知ってた」
「ですよね」
ファイルを開けようとするとパスワードを要求された。さすがにこれを本人に尋ねるわけにはいかない。覗き見は許されないということだ。
「んじゃ改めて優綺お願いね」
「わかりました。でも郁未さんもやり方は見ててください。先生、絶対次は郁未さんにやらせますよ、報告書」
「う、確かに。……がんばる」
ベッドの上に置いたノートPCを二人で話しながら、あの時はこう思っていた、どうするべきだったかなど意見を交わしながら報告書を進めていく。新たな発見もあり、これは一人で作成していれば得られなかったことだと報告書の終わりの方で優綺は気付いた。
(ありがとうございます、先生)
少しずつ気付き、学べていることに優綺は感謝をする。願わくばこれからもずっと長い間一緒に居られたらと願う。
(……でも)
でもそれは叶うのだろうか。いつか弟子として過ごす時間に終わりは来る。半年以上一緒に生活をしてきて、あの人がどんなことを大切に考えているのかが段々と理解出来てきた気がする。
「あ……」
肩にかかった重さに現実に戻される。見ると郁未が静かな寝息を立てながら優綺の肩に頭を乗っけていた。報告書に取り掛かってから二時間、彼女の意識は限界を迎えたのだろう。
「……お疲れ様でした」
ゆっくりと起こさないように郁未をベッドに移して布団をかける。普通の女子高生では無理だが退魔士なら簡単にできてしまう。自分がされる方ではなくする方なのが少しだけ微妙な気持ちだ。
床に置いたノートPCの画面に向き合う。最後にもう一度内容を読み直して保存。電源を落として静かに畳んで、優綺はようやく大きな息を吐いた。
(長い一日だったなぁ……)
優綺の使っているベッドは郁未が眠っている。優綺は隣の部屋のベッドを使わせてもらおうと思いながら少しだけ自分のベッドに寄りかかった。
この一日の色々な場面、感情がフラッシュバックする。
そして唐突に優綺の意識はブラックアウトした。
(先生――)
微かに笑みを浮かべて、優綺は眠りについた――
【m、a、l、d、i、n、i】―m、a、l、d、i、n、i―
良治のノートPCのパスワード。優綺も郁未もこのパスワードの意味はよくわからなかったようだ。
このパスワードは良治の趣味の一つが関連するらしい。それだけで、特に深い意味はなさそうだ。




