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黒頭巾の少女

「……あれ?」


 いつまで経っても痛みは来ない。もしかしたら痛みを感じる間もなく頭か何処かに致命傷を受けてもう死んでしまっているのかもしれない。

 そんな怖いことを考えながら、郁未は恐る恐る強く閉じていた目蓋を開けていく。


「え……?」

「無事ですか?」

「あの……どなた様で?」


 へたり込んでいる郁未の前で背を向けているのは黒装束に身を包んだ自分よりも小柄な――少女だった。

 忍者のような恰好の少女の手には日本刀にしては短めの直刀。恐らくそれで襲い来る触手を切り払ってくれたのだろうと見当をつけた。


「今は気にしないで。それよりも早く立ち上がって。助けた意味がなくなるから」

「あ、うん」


 黒い頭巾のようなものから覗く両目はとても理知的ではあったが言葉よりとても柔らかいものだった。それだけで郁未は彼女が信頼に足る存在だと確信した。


「邪魔者だと? 結界は破られてはおらぬというのに……まさか最初から存在していた、のか」


 郁未にもまだ周囲に結界が張ってあるのは感じられる。先ほどから変化したようにも思えない。そうなると町田の言うように、二人と同じように最初から結界内にいたということになる。


「誰かに疑われていたということか……まぁ良い。色々と聞きたいことはあるが消えて貰うしかないからな」


 黒い霧に浮かぶ赤い瞳が笑ったように見え、郁未は慌てて棒を構える。


「――では」


 黒頭巾の少女は一言残すと足音もさせずに町田に向かっていく。


「えっ!?」


 まさか正面から行くとは思っていなかった郁未は思わず声を上げるが、数本の触手を避けた少女は更に密度を増してきた触手を華麗なステップから大きく回り込むような動きですべてを躱していく。


「ちょこまかとッ!」


 反対側まで回り込み、郁未と逆側にいた優綺の場所に重なる――と同時に優綺が少女と交差するように今さっき少女が走ったルートをなぞっていく。


「む……!」


 別方向に動く二人に迷うが、町田は一瞬の逡巡の後にそのまま少女に触手を送り出す。


「――!」


 そして、それを見た優綺は急ブレーキをかけると真っ直ぐに町田に迫っていく。


「甘い……!」

「く……!」


 突きの体勢に入りかけていた優綺に数本の触手が向かう。狙いは甘いが無視できるものではない。


「――」

「……!」


 そこで優綺と目が合った。何かを伝えるような、強い意思。


 しかし郁未に出来ることはほとんどない。攻撃は通じず、近寄れば簡単に絡め捕られ、触手がその身を穿つだろう。逃げ惑うくらいのことしか今の郁未には出来ない。

 ――なら。


「だらっしゃあああああああああああ!」

「っ!?」


 郁未は奇声を上げながら走り出す。町田が気が違ったかと思うほどの形相の郁未に注意を引かれるが、それでも大したことは出来ないと判断して無視をした。それよりも優綺、そして黒頭巾の少女の方が脅威だと。


「そぉい!」


 郁未は持っていた棒を思い切り黒い霧の中央目がけて投げ込む。しかし無視することを決め込んだ町田は面倒そうに僅かに身体を揺らすだけだ。


「――あっりがとッ!」

「なッ!?」


 棒を投げ捨て、両手が空いた郁未は思い切り、すべての力を合わせた両手に集め出す。これを直撃させたところで大した威力はない。棒術の訓練ばかりしていた郁未に魔族にダメージを与えるような術は扱えない。


「これくらいならッ!」


 これ以上近付くのは危険というボーダーライン上で郁未は強烈な雷を爆発させた。一瞬しか光らなかったそれは、しかし全力。力強い雷光は黒い霧を覆うように光り輝いた。

 魔族にも視界というものがある。だがそれだけでなく、魔族は『力』を感知する事にも長けていると言われている。


「く……!」


 全力で放った雷光は視界だけでなく力の流れをも乱し、町田は周囲の把握が出来なくなる。

 攻撃される。ならばそれを防ぐべく威嚇をするべきだ。

 そう思い、触手を操ろうとした瞬間――黒い霧の核を鈍い衝撃が襲った。


「がはぁッ!」

「当たった!」


 最初の郁未によるアドバイスを参考にした、優綺渾身の突きが確かな感触を与える。ダメージは入った。しかし致命傷にはなっていない。


「そのまま!」


 もう一度と思い、棒を引こうとした優綺に鋭い声が耳に飛び込む。


「はいっ!」


 その意図を察した優綺は核に棒を当てたまま待機する。そして衝撃はその直後に訪れた。


「――あ、ああああああああああああああああッ!」

「手応え、有り」


 真上から身体と共に振り下ろされた刃渡りの短い直刀。それは正確に優綺の握った棒の先端を掠めるようにして、何かを真っ二つにした。










「あ、あ、あ、あ、あ、あ――」

「目、目があああああ」

「ああもう!」


 黒い霧が収束していく隣を気にしながら通り過ぎ、自分の放った光で目が眩んでいた郁未を引っ張り起こすとすぐに距離を取る。致命傷を与えたはずだがまだ油断は出来ない。


「痛いよぉ優綺ぃ」

「あんな至近距離で稲光を見れば当たり前です。相手に目眩めくらまししようとして、自分も巻き添えになってどうするんですか」

「うぅ……」


 唸る郁未を横目にしながら集まっていく霧を注視する。向こう側にいる少女に目をやる。彼女も不用意には動かず状況を見守っているようだ。


「こ、この……よもや、この私が」

「姿が……」


 黒い霧が収束するとそこに現れたのは町田の、苦悶に満ちた人間の町田の姿だった。

 膝と両手を地面につき、息も絶え絶えといった様子で今にも倒れて消えそうにも見える。光りの鈍くなった赤い瞳が二人を見つめていた。


「このまま消えるなど……あるものか!」

「っ!」


 町田は残った力を振り絞るように足に込めると二人の方へ駆け出した。避けることは出来ない。優綺の背後にはまだ視界が復活していない郁未がいる。


「えっ」


 咄嗟に棒を構えて迎撃態勢に入る。人間の姿の町田を攻撃するのは気が引けてしまい、先手を取ることが出来なかった。

 しかしそんな優綺の気持ちをある意味汲んでくれたように、町田は優綺と郁未の横を素通りした。慌てて棒を振るも、棒は町田の背を掠りもしなかった。


「――結界がっ!?」


 優綺は既に結界が消え去っていることにこの瞬間気付いた。恐らく町田が黒い霧から人間の姿になった時に消えたのだろう。目の前のことに集中し過ぎていて誰も気付けなかった。


「――な、お主ら……」


 しかし町田はそう遠くない場所で立ち止まっていた。黒頭巾の少女と一緒に慌てて走り出すと、彼が止まった理由を理解した。


「町田さん……これは」

「赤い瞳……って」

「……なんと」


 丹羽、林、柴田。

 名古屋支部員の三人が町田の進行方向に立っていた。それぞれが何かに気付いたように沈痛な表情で言葉少なに呟く姿は、彼らの心情を思うと胸の痛むものだ。

 無理やり見せつけられた現実による哀しみと驚愕。それらは彼らの動きを止めるに十分なものだろう。長い時間を共にしたからこその動揺。それを責められる者はいない。


「ふっ!」


 しかしその動揺を理解したが故に、町田は再び駆け出した。


「――ッ!」

「ぐ!」


 丹羽の横をすり抜けようとした町田に、厚みのある日本刀が彼を断罪するかのように振り下ろされる。

 哀しみ、驚き、動揺した。だがそれは敵となった元同僚を見逃す理由には成り得ない。


 丹羽の一撃は町田の右腕を切り飛ばしたが、町田は痛みを感じるような素振りすらなく速度を落とすことなく去ろうとする。柴田が結界を張るも、それも障害には成り得なく、体当たりだけで消し飛んだ。


「くぅ!」


 林の放った火球は町田の背後から飛んだ何かに迎撃され、当たる前に爆発して辺りに煙が広がる。


「追うぞ!」


 三人は追いついた優綺と黒頭巾の少女と一緒になって町田を追う。

 ――だが。


「止まっている……?」


 危険を承知で煙の中に飛び込もうとした丹羽が立ち止まる。確かに彼の言うように魔族の気配は煙の向こう側で止まっているのが優綺にも感知できた。


「あれは……」


 元々大した術でもなかったので煙はすぐに風に流されて魔族の背中が現れた。

 そして、魔族の背中のその向こう側に二つの人影。一組の男女だ。


「な……」


 町田が茫然とする最中、青年はゆっくりとした動作で腰に差した刀に手をかけた。


 黒いシャツを着た青年。《黒衣の騎士》と称された男が魔族に死を告げるように、そこに居た。



【黒頭巾】―くろずきん―

少女が被っていたもの。忍者のもののようにピッタリとはしておらず、フードのように余裕のある頭巾。口元にはマスクなどはなく開放されている。

一般的な黒影流の者は口元まで隠していることが多いので、この少女の場合は他の者と接触を継承者に認められている可能性が非常に高い。

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