とある病室での対談
「え……?」
「悪霊が出たの。それも二体」
普段から巡回をしている市街地での悪霊発見。それも二体。
想定から外そうとしていた瑠璃子からの報告に、優綺は硬直してしまった。
「優綺? どうしたの?」
そんな優綺の様子に郁未が不安そうに声をかける。その声に硬直が解けた優綺は郁未の方に向くと小さく頷いて大丈夫だと伝えると、郁未はほっとした表情を浮かべた。
「えっと、詳しい話をお聞きしても?」
「それはいいけど、それは明日にするか支部に戻ってからね。補導なんてされたら笑われちゃうわよ?」
「……はい、わかりました。これから支部に戻りますね」
「わかったわ。それじゃ」
「はい」
返事をしてから一拍置いて通話を切り、すぐに郁未へと向き直る。
「もしかしてこのまま戻るの?」
「はい。……あ、ごめんなさい。相談もなく」
「ううん、それは別にいいわよ。んじゃ行きましょ。電車なくなっちゃうかもだし」
確かにそろそろ終電の時刻が近づいてきている。タクシーという手段もあるが経費的に使いたくはない。それこそ可能性は低いが金髪に染めた郁未や幼く見えがちな優綺はどちらも補導される可能性があった。
(瑠璃子さんは向こう側って言ってた。なら……)
市街地を担当していたのは自分たち以外には一人しかいない。彼がどうやって悪霊を、それも二体も発見できたのか非常に興味がある。
そして、それと同じくらいに何か不安を感じていた――
「おかえりなさい。本当に来たのね、何か気になることでもあったのかしら」
時刻はあと三十分もすれば日付けが変わる頃合いだ。いつもは現場から直接帰宅している時間で、それをしなかったということは瑠璃子の指摘する通りだった。
「はい。悪霊が出たのとのことで、出来たら詳しく知りたいなと」
「詳しく、と言っても特筆するようなことはないのだけどね。二人とは別の方面を担当していた町田さんが悪霊を発見、撃破したの。それも二件。悪霊と言っても成り立てだったみたいで苦戦はしなかったみたいね」
「町田さんが……」
あの小柄でくたびれた雰囲気の顔が浮かぶ。力強さはないがそこは歴戦の退魔士、成り立ての悪霊など相手にならないのは確かでおかしなところはない。
「町田さんて悪霊を見つけるのが得意って言ってたわ。なんとなく雰囲気で気配がわかるって。私にはわからないけど、経験豊富だしそう言われると信じざるを得ないわ」
「そう、ですね」
確かに経験は非常に重要なもので、時に理屈を超えることがある。退魔士が俗に言う第六感を否定するのもおかしな話なので大体通ってしまう傾向にあった。
「確か、ここ半年くらいだったはず。最初はびっくりしたけどもう慣れちゃったわ」
苦笑を浮かべる瑠璃子の表情に、他の感情が覗いたのは優綺の気のせいではないだろう。
(なんで町田さんに……町田さんなんかにそんな能力が、って感じかな)
嫉妬も多少あるようだが、それ以上に自分の管轄内にそんな能力を持った人物がいることが面倒くさい。そんな感じに優綺には見えてしまった。
「ねー、優綺。私町田さんが能力使ってるとこ見てみたい」
「え……いえ、そうですね。私も一度見てみたいです。なので、一緒の場所にしてもらえませんか?」
「……そうね。お願いできるかしら」
スッと目を細めた瑠璃子と二人の考えていることは同じように思えた。
(乗ったっていうことは、少しは疑問に思っていたってこと、だよね)
ちらりと郁未を見ると彼女は上手くやったでしょと言わんばかりにしたり顔をしていた。
「――こんにちは、初めまして」
「君は……」
名古屋市で一番大きな病院のクーラーのよく効いた一室。豪華とは言えないがシンプルで広めの個室に良治は一日いくらかかるのだろうかとそんなことを入る時に思った。
「ああ、挨拶が遅れて申し訳ありません。東京上野支部の柊良治と申します。突然お邪魔したことも合わせて非礼をお詫びいたします」
「……復帰した《黒衣の騎士》とは君のことか」
「その呼び名はちょっと恥ずかしいのですけどね。……少しだけお話よろしいでしょうか、村瀬支部長」
良治は軽く下げていた顔を上げ、痩せ細った男をそう呼んだ。
男は少しだけ上げたリクライニングのベッドで淀んだ目をしていたが、良治が呼び掛けるとその目が僅かに鋭くなった。
点滴を打たれている腕も酷い肌の色で今にも死にそうな雰囲気を醸し出している。良治はこの場で亡くなるようなことがあったなら、自分のせいにされかねないなと不謹慎なことを考えてしまうほどだった。
「構わんよ。私は動けない。意識があるうちなら答えよう」
「怖いですね。なら端的に幾つか」
本当に意識を無くしてもらっては困ることしかない。良治は軽口は返して本題に入った。
「ではまず先程この病室から去った人物はどなたですか?」
「……彼には内密に訪れるという気はなかったようだね。それだけでもう関係は完全に破綻していると考えても良さそうだ」
溜め息を吐きながら何かを諦めたように呟く村瀬八一郎。口は重いが話してくれる気はあるようだ。
「さっき出ていったのは宮森家の使いだ。名前は知らない。その必要も特になかったからね」
「宮森の……」
宮森家の使い。しかし本家からの使いというわけではないだろう。もしそうならば特に隠す必要はない。良治としても宮森家が村瀬八一郎を支援しているという話は聞いたことがなかった。
「ああ。しかし治療をしたわけでも診察をしたわけでもない。本当にただの伝達だった。……今まで特に指示に従っていた気はないが、今後は一切指示に従うつもりもないがね」
「指示の内容は?」
「『京都本部に戻った暁にはまた支援をしてやるからそれまで俺の言うことを聞け』。要約すればそんなところだ」
「言うこと、とは?」
「単純なことだ。ある退魔士の邪魔をしろとそれだけだ。《黒衣の騎士》」
「なるほど」
「恨まれているな、君は」
それだけ聞けば本家ではなく、宮森家で八一郎の後ろ盾になっていた人物に当たりはつく。
しかし彼が八一郎の後ろ盾になったのは名古屋支部の支部長になった時よりも以前の話で、元々何故そうなったのかが気になった。
「敢えて『彼』と言いますけど、何故彼は貴方の支援を?」
「特に理由はなかった、と思う。単に自分の権威や権力を示したかっただけだろう。あの頃はまだ当主争いの名残があり、諦めていなかったのだろうな」
三大支部に次ぐ大きな支部である名古屋支部に自分の意見の通る者を送る。確かにそれは自分の影響下にあると言えるし、彼がそう考えて行ったとしても頷ける。
「……でも彼の意見だけで決められませんよね、それ」
「ああ。本当ならそうだったんだが、支部長候補の町田と当主争いの相手はあまり仲が良くなかったようでね。結局お互いの利害が一致しただけに過ぎない。だから支部長になってから指示に従う振りはしているが、別に配下に成り下がった気はない」
「そういうことですか」
向こうが勝手に恩を売った気になっているだけと。そしてトラブルを起こすのも面倒だったので適当に指示を聞いている振りをしていたようだ。人望がないのは昔からかと良治は納得してしまった。
「では二つ目。貴方は何故入院して治療を受けているのですか?」
「聞いていなかったのか? 体調不良だ」
「体調不良は知っています。しかしその原因は知りませんから」
「ただの年齢から来るガタと言っても信用はせんか」
「騙せるとも思っていないですよね。退魔士ですし、まだ老け込むには早いですよ」
八一郎はあと少しで還暦に届くような年齢だが、一般的に退魔士は身体が丈夫な傾向にある。病気への耐性は変わらないが、それを除けば基本的には健康な肉体を持つ者が多い。
「……入院して五か月ほど経つが、なんとか少しずつ良くなってきているのは確かだ。それでもまだ立つのがやっとだが……」
「五か月前……それ以前から身体の不調はあったり?」
「入院する十日くらい前から徐々に体調が崩れていき、支部で倒れたと思ったらこのざまだ。検査は数えきれないくらい行ったが原因はいまいちわからないと言われたよ」
原因不明の体調不良。恐らく何処かしらの臓器に大きな負担がかかっているのだろうが、その原因は特定できていないということだろう。
現代医療の手の届かない領域の病。それが八一郎が長期入院をしている理由だろう。
「……そうですか。ありがとうございます。では最後にもう一つ」
「なにかな」
「名古屋支部長の座を守りたいですか?」
「そうだな……いや、就いた当初はそう思っていた。死ぬまで支部長のままで在りたいと。その頃にはまだ野心もあったからね。しかし今はもういい。病院に来て身体を動かせなくなって、もう疲れてしまった。心が萎えてしまったよ」
「そうですか」
病に罹った者が以前とは人が変わったようになってしまうのは時々聞くことだ。良治が人伝に聞いていた、強硬姿勢を貫いていた名古屋支部長・村瀬八一郎の姿はもうそこにはなかった。いなくなってしまっていた。
「君は……」
「?」
「君に野心はあるかい?」
昔の自分を思い起こしたのか、八一郎はそんなことを聞いてきた。頼りない、何かに負けたような視線に、良治は少しだけ悩んで口を開いた。
「一般的な意味での野心はないですね。ただ、自分の好き勝手に生きていきたいので、誰とも対等以上になれるような立場にはなりたいとは思っていますよ」
「そうか……」
「それでは失礼します。近いうちに何かあるかもしれませんが、その時はお好きなように。では」
軽く頭を下げて病室を後にする。
良治はもうここに来ることはないだろう。この場所にはもう終わった男が居ただけだ。
(大体の情報は得たかな。入院は五か月前。それ以前の出来事と言えば半年前に名古屋支部の管轄内で――)
一つずつ集まった欠片を組み立てていく。
だがきっと最後までは埋まらない。決定的なアイテムが残っているかどうか。しかしそれは望めないだろう。
(全てを詳らかにするのは無理か。まぁそんなもんだよな。全部が全部上手くいくことの方が珍しい)
弟子が関係していることということで出来るだけのことはしてみたが、解決は無理だと判断した。
犯人の目星も動機も予想がついた。決定的なことが起きた時期も。だがそれを可能にした道具があるはずだが、それは見つかりそうにない。
(変に突っ込んで盛大にやらかす前に止めるべきか? ……いや)
それも経験だ。最後の尻拭いは自分がやればいい。今考えることはその後の二人、というか優綺へのケアだ。
どうやって愛弟子を慰めるか。そんなことを考えながら良治は病院を出た。
「――あ」
そこで気付いた。もしかしたらの可能性を。
「――――」
思い付きで小さな声で囁くように言葉を紡ぐ。すると微風が頬を撫でたような気がした。
「ワンチャン、かな」
覚えのない匂いに、上手くいくことを祈って再び良治は歩き出した。
【恨まれているな、君は】―うらまれているな、きみは―
良治は良くも悪くも目立つ立場にあるので恨まれることも多い。良治自身は嫌われているなら別に嫌われたままで良いと考えているので特に気にしてはいない。
ただハーレム状態になっていることに関しては自分でも少々思うところはあるらしい。




