自由と責任
「ん」
テーブルの上に置いてあった携帯電話が静かに明滅するのを見て、椅子を揺らしながら座っていた良治は『来たか』と僅かに笑みを浮かべた。
やや早いタイミングでなのが気にかかったが、それはきっと何も考えていないのではなく、何か引っ掛かりを見つけたのが良治の予想よりも早かっただけだろう。
「はい」
「お疲れ様です、優綺です。今大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫だよ」
数日しか離れていないが随分懐かしい気もする。それだけ常に傍に居てくれたということだろう。
「それで、その。名古屋支部の報告をと」
「うん。そっちはどうだい。力になれてる?」
「ここ数日は私たち二人と誰かが付いて見回りしてました。でも明日からは順番に休みを取ったり、もう少し広い範囲の見回りをしていくみたいです」
研修は終わり、明日からは戦力として数えられるようだ。何も問題はなく順調らしい。
「……大丈夫みたいだね」
一瞬『名古屋支部の人たちと仲良く出来てるかい?』と口に出そうとして止める。さすがに過保護だろう。まだ高校生とは言え実力的にはもう少しで一人前だ。その為の遠征でもある。
「はい。これからが本番ですけど。でも何とか出来ると思います」
「優綺がそう言うのなら大丈夫なんだろうけど、過信はしないように」
「はい。……それで、ちょっと聞きたいことがあるんですが」
「うん、なんだい」
ここからが本題。良治の求めていることかどうか答え合わせの時間だ。
「その、なんだか名古屋支部の人たちの間に微妙な雰囲気があって……いやその、色々あるのかもしれないんですけど、どうしたらいいのかなって」
「ぶっちゃけ結構ギクシャクしてたりするのよね。ちょっと居づらかったり」
「あ、郁未さんっ」
歯切れの悪い優綺の言葉を率直に言ってきたのは郁未だ。良治は最初から一緒に居ると思っていたので驚きはしない。
「郁未もお疲れ様。調子は?」
「今日は休みだったしへーき。むしろ優綺の方が色々考え事多くて大変そうかな」
「そうか。なら引き続き優綺のサポートは頼むよ」
「はーいっ」
「……もう」
大変そうな優綺をそのまま放っておく郁未ではない。話し相手になったり相談には乗ってくれているはずだ。なので良治はそれを前提に言葉をかけた。二人から否定の言葉が出ないことから間違ってはいないのだろう。
「ええと、それで――」
「任せる」
「え?」
「自分の良いと思うことを、自分に出来るやり方と範囲でやるといい」
「……いいんですか?」
声音に迷いがありありと見て、いや聞き取れる。それも当然のことだろう。
優綺はやや保守的なところがある。自分の裁量や権限を越えることは自分でやろうとはしない傾向だ。
自分は良いと思うことがあっても、先任や目上の者がいる場合中々意見を言うことが出来ない。言えるようになるのは、時間が経ったりある程度信頼関係を築いてからになる。現状の名古屋支部での立ち位置はどちらもまだ満たしていないだろう。
「ああ。何かあったら俺に言って。もしくは俺のせいにしていい」
「――はいっ」
「それでどうするの優綺?」
師との電話が終わった後、郁未は開口一番そう訊ねた。
しかし不安そうな表情ではなく、ニヤニヤとした表情で何か姉弟子を試すかのような物言いだ。
「私に何が出来るのかまだわからないけど……とりあえず動いては見ようかなって」
名古屋支部員たちは決定的な仲違いをしているわけではないが、それでも微妙な雰囲気と距離を持っている。
それは本来なら支部の外から来た優綺たちが介入すべき問題ではない。あくまで支部に務める者たちの問題で、彼らが解決に向かうもこのまま捨て置くも自由なことだ。
だがそうは言っても気になることは気になる。しかし自分の行うべきことではない。
優綺は問題を認識した結果、動けなくなってしまった。
「うん、私もそれが良いって思う。……センセに感謝しないとね」
「……はい」
それを良治は許してくれた。自分の良いと思うことをしていいと。
だが。
(だけど、それで動いた結果何も出来なかったら……いや、今よりももっと悪化するだけに終わったら)
許可を、自由を与えられたことがこんなに怖いと感じるなんて思ってもみなかった。
良治は責任は自分が持つ趣旨を言っていたが、そんなことはしたくない。
初めて実感する、責任という名の重み。それが急に怖くなってきた。
「大丈夫だって」
「え?」
そっと優綺の手を握ってきた郁未の優しい声。
「大丈夫だって。私も協力するし、何よりセンセが任せるって言ったんでしょ? センセは無茶なことは言うけど無理なことは言わないでしょ。ならきっと優綺に出来ることってことよ」
「……そう、ですね。きっと」
きっと郁未の言う通りだ。それに全力を尽くすことに意味があるはずだ。そう優綺は思った。
(必須ではなかったはずの課題。それをクリアするかどうかで評価は変わると思うけど、それはきっと若干、なはず。私が一生懸命考えて、全力で動くことの方が大事。先生はそう考えてる……といいな)
そう思えばほんの少しだけ気が楽になる。それに郁未もいる。出来ることはきっとあるはずだ。
「よろしくお願いしますね、郁未さん」
「うん。任された!」
「……はぁ」
翌日の担当地域は名古屋市街地。。優綺は郁未と二人で見回ることになったことに僅かな安心感と、支部員の人から何か新たな情報を得られないことへの肩透かし感で何とも言えない気分だった。
「まぁ仕方ないって。担当を決めるのは瑠璃子さんだし」
「そうなんですけどね。でも、それでもちょっと残念で」
やる気を出したタイミングで外されてしまうとどうしてもモチベーションに影響が出てしまう。
「わかるけどさー。でもそのうちそれぞれ別行動になるかもだし、今のうちに楽しておこうよ」
「……まぁ、そうですね」
今は特に楽をしておきたい場面ではないのだが、わざわざ気を張っておくこともない。重要な場面で全力を出せないことが一番駄目なことだ。
優綺は適度な緊張感は持ったままようやく見慣れ始めた街を歩いていく。
正直なところを言えばこの周辺には霊がいない。ここ数日巡回していて目撃したのは浮遊霊が一体だけだ。都市部は悪霊が発生しやすいとはいえ、一日や二日では発生しない。なので自然と郁未は元からだが優綺の緊張感も薄らいできてしまうのは当然のことだった。
「……疲れただけだったね」
「言わないでください。たまたまいなかっただけで、いなかったことを確認したことに意味があるんですから」
「それはそうだけどさ。……それ、建前でしょ」
「……さ、帰りましょ」
「もー!」
誤魔化すように踵を返して帰路につく。
今日は何の成果もなく、疲労を溜めこんだだけに終わってしまった。
溜め息を静かに吐きながら瑠璃子に電話をかける。時刻は二十三時、何事もなく終えた仕事の報告だ。
「お疲れ様です。優綺ですけど、こちらは特に何もありませんでした」
「うん、お疲れ様。連絡ありがとうね。そっちは特になかったなら良かったわ」
「いえ……? あの、そっちは?」
そっちは。確かに電話の向こうの瑠璃子はそう言った。
「うん、実は向こうには出たらしいの――悪霊が」
ほぼ皆無だと思っていた可能性。
その言葉に優綺は自分の顔が引き攣るのを止められなかった。
【優綺のサポート】―ゆきのさぽーと―
郁未の役割。そして彼女のやりたいこと。
歳下ではあるが退魔士として先輩で姉弟子にあたる優綺。しかし背伸びしがちな背中を郁未はそっと支え、補助したいと考えている。
それは誰に言われたのではなく、自ら感じ、決めたこと。郁未はこの役割を密かに誇りに思っている。




