激闘、五分
「へぇ」
隼人がほんの少しだけ意外そうな、それでいてそれも予想の範囲内のような声を上げたのが、良治にとっては不服だった。
五分耐えることが今回の目的だが、逃げ回ってもこの狭い道場で逃げ切れるとは思えない。倒してしまうのがベストだが、それは白神会トップを相手に望めないだろう。
初見や手の内の見えない相手との戦闘だと良治は見に回ることが多い。隼人は良治ならそうしてくると思っていたはずだ。
(ならまずはその予想を外したい)
結果初手は良治が取ることになった。隼人は余裕からか、まず最初には動かないという良治の予想も当たり、いきなりお互いダッシュからの鍔迫り合いという格好にはならなかった。
走り出し斜めに振り下ろした木刀は僅かに下がった隼人の鼻先に数mm届かない。良治としても当たるとは思っていなかったのですぐさま軌跡を逆になぞるように切り返す。
「うんうん、やる気なのは結構なことだね。退屈せずに済みそうだ」
「ッ!」
二撃目も余裕で躱され、隼人が言葉を発したことで僅かばかり生まれた気の弛み。攻撃後という隙も相まったのかもしれない。
「うん、そうでなくちゃね」
「っぶねぇ……」
殺気も敵意もない、構えもない単純に片手に持っていた木刀を振るっただけ。ただそれが恐ろしいほどの速度で良治の頭を狙っただけだ。
反射的に首を逸らして避けたものの、それは紙一重とは言えず、前髪の右側を少量だが持って行かれてしまった。無理な動きをしたせいでやや首を痛めたがそんなことを気にしている状況ではない。
(耐える? 五分だけ? ――何を甘いことを考えていたんだ俺は)
避けなければ間違いなく頭部にヒットしていた。怪我だけで済まなかったかもしれない。自分の認識の甘さに怒りが湧いてくる。
「時に和弥君。このゲームの対戦成績はどんなものだったっけ?」
「……百三十戦して俺が五十五、そっちが七十四。分けが一つ」
「ああ、そんなものだったね。引き分けはあれか、綾華の出産の報告の時かな」
「ああ」
時間は止めていない。和弥のスマホは床に伏せられたままだ。故に良治は二人の会話中も隼人から視線を動かしていない。
(今行っていることを和弥は百三十、そして五十五……成功率は四割ちょいか)
和弥ですら五割を超えていない。なら彼に劣る自分は出来るのか。
「――ッ!」
「集中力は切れてないみたいだね」
これだ。ほんの少し、僅かに思考した隙をこの男は突いてくる。悪魔的な洞察力、そしてそれを可能にする技術が恐ろしい。
良治は隼人の突きを何とか木刀で逸らし、自然に後ろに下がろうとして――止めた。
(耐えればいいってことは、倒れなければいいってことだ。なら、前に出る!)
普段の自分の思考とは違う気もするが、もはや悩んでいる場面ではない。
悩んだ時こそシンプルに。
良治は残りの時間全て、前に出ることを決めた。
「へえっ!」
隼人がそんな良治の姿勢に驚きつつも何処か喜んでいるようだった。そんな彼の表情を一瞬でもいいから焦らせたくなる。
横薙ぎ、袈裟切りと続けていくがどれも簡単にあしらわれてしまう。突きだけはリスクが高過ぎると判断して控える。
「ッ!」
「うん、そろそろ――」
隼人はどれもほぼ同じ間合いで避けていく。それを利用して最後の横薙ぎは片手、それも柄頭のギリギリを持って振るったがほんの少し着物を掠めたにとどまる。これも予想されていたのだろう。
しかし。
「――少しくらい手を出させてもらおうかな」
さっきまで数度出してたじゃないか、そんな言葉が出そうになるがそんな余裕はなくなっていた。
笑顔はそのまま。しかし気迫が違う。隼人の全身に力が漲っていく。
(隼人さまが白神会最強なのは知っている。日本でも最強かもしれないことも。だけど――だけどここまで遠くはなかったはずだ!)
隼人の年齢は三十半ばを超えた頃。良治は三十路以前の彼を知り、全力の状態も見たことがある。しかしここまで圧倒的でなかった覚えがある。自分が衰えたせいかとも思ったが、もう以前と比べてほぼ遜色のない状態には至っている。
「ふふ、驚いているね良治君。その驚きは理解出来るよ。私だって驚いたのだから。
まさかこの歳になってまた成長期が来るとは思っていなかったよ」
その言葉は確かに耳には届いたが、その意味を理解するには僅かばかりの時間がいった。
(――成長期? 今成長期って言ったのか……? ――マジかよ)
三十も半ばを超えてからの、再度の成長期。
「意識が散漫になってるよ」
「ぐぅっ!」
思考を目の前に戻すと同時に襲ったのは左肩に走る痛み。隼人の突きに良治は反応出来なかった。
「はは、現状を認識するのに時間がかかり過ぎだよ。今のが本当のことでも嘘でも、別に今それは必要なことではないだろう?」
その通りだ。それを聞いたところで対応が変わるわけではない。
「まぁ、本当のことなんだけどね。ねぇ和弥君」
「……まぁ、そうとしか思えないのは本当だけどさ」
視界に入っていた和弥が苦々しく肯定する。勝負に関与したくはないが聞かれたことには答えざるを得ないのだろう。
「……うん、もう揺れないか。まぁそれでこそ良治君だね」
和弥は嘘はつかない。長い付き合いなのでもしも嘘をついたところでわかるだろうが。
「むしろ本当のことだと確定したのでメンタル的にはすっきりしましたよ」
「それにしちゃ顔がこわばっているよ。っと」
笑顔のまま踏み込んで切り払い。それを良治は思い切り打ち払った。
「ほぅ!」
話の最中に一手来ると予想していた。そして一気に攻勢に出た。
残り時間は半分くらいだろうか。最初は意識していたがもはや時間の感覚がわからない。ただこのまま実力的にも精神的にも劣勢のまま終わることは耐えがたかった。例えこのゲームに勝ったとしてもだ。
「いいねぇ……いいねぇ!」
「ッ!」
良治が攻勢に出て隼人が受けに回ったのはほんの数合だけだ。すぐに隼人の剣閃が襲い来る。
しかし良治はもう後ろに下がらないと決めていた。下がるのは衝撃で下がらされた時だけだ。
良治の振るう木刀は隼人には届いていない。逆に良治の身体には何度も鈍い衝撃が走っている。それでも良治は止まらない。
(致命傷だけ食らわなければそれでいい――!)
前へ、前へ。リスクは承知。だがそれでも通したい意地がある。
お互いが振るう木刀が当たり、時に重い音が響き、躱した時には空気を切り裂く音が響く。
意識せず道場全体が戦場になっていく。本気で打ち合えば自ずと動きは大きくなり、それは狭い道場を段々と傷つけていく。
「ッ! ――はぁぁッ!」
「まだ来るか!」
良治は振り下ろし、隼人は横薙ぎ。全力対全力、そしてタイミングが合い過ぎた結果良治の木刀の先が折れて吹き飛んでいく。
だが良治はそれさえも意に介さず更に踏み込んでいく。
木刀を振り下ろした体勢からの逆袈裟。至近距離、折れた木刀でも間合いは問題ない。あちこちから叫ぶ痛みもどうでもいい。
狙うは隼人の身体中央部。
しかし隼人も同時に動いている。当然だ。
隼人は真上から打ち落とすような軌道。
上と下から激しくぶつかり合った。
そして――場違いな電子音が鳴り響いた。
「ふう、ゲームは良治君の勝ちだね。いやぁ参った参った」
隼人は良治の額に触れそうだった木刀を下げて道場の中央へ戻っていく。
(……どこが……どこがおれの勝ち、なんだ)
上下に噛み合った勝負は隼人に軍配が上がり、両手が吹き飛びそうな衝撃で体勢を立て直すことは出来なかった。
そして直後にトドメの一撃――が来る直前で時間が来て、この勝負は終わってしまった。
ゲームとしては勝ったが勝負としては敗北だ。
「それにしても楽しかったねぇ。予想以上だったよ」
「……それはどうも。それで、自分の勝利でいいんですよね?」
「うん。五分耐えきったわけだしね」
内心は敗北感で一杯で、自分の口から『勝利』なんて言葉を吐くのも嫌だがそうは言っていられない。正直なところ一瞬こんな勝利なんて返上しようかとも考えたのだが、ここは名よりも実を取る方が良い気がしたのだ。
「では、聞かせてください。禊埜塞は今何処に居るのかを」
因縁の相手の居場所。因縁と言っても相手の方が強くそう思っていて、良治は彼の父親を殺した負い目はあるもののそれは真剣勝負の結果なのでそこまで強く感じているわけではない。
数年前の戦闘で塞も卑怯な手で父親が殺されたのではないことを理解したが、それでも何もかもすっぱり切り替えられるようなことはなく、どうしても言葉にしづらいもやもやとした感情とわだかまりが二人の間にはあった。
「さぁ? 今何処に居るのか、私も実は知らないんだよねぇ」
「は?」
敗北感から投げ出しそうだった報酬。
それでも大切な情報で苦々しくも手に取った勝利の末に隼人が答えた言葉は――それは良治を茫然とさせるのに十分なものだった。
【成長期】-せいちょうき―
退魔士の成長期は男女で異なる場合が多いが男性は大体十代後半から二十歳前後までの傾向がほとんどで、三十半ばを過ぎてから二度目の成長期を迎えた前例はない。




