急転直下の模擬戦
「よ、お疲れさん。ちょっと時間いいか?」
「ん、なんだリョージ来てたのか。ああ良いぞ。――すいません、ちょっと」
軽く手を振って一緒にいた男たちを先に大きな木造の門の中へと帰す。
「悪いな疲れてるのに」
「いやいーよ。それよりも上がっていくか? 酒でも冷たいお茶でも飲んでけよ」
「いや今日はすぐに帰るよ。有難いけど」
「そうか、残念だ」
酒を飲む理由を探していたのかもしれない。それはちょっと悪いことをしたなと良治は苦笑した。
この短髪でガタイの良い男は言うまでもなく和弥だ。仕事帰りのこのタイミングで彼と運良く会えたのは幸運なことだった。
一度京都支部を訪れた良治は中々実行に移せていなかった用事を済ますと、翌日ふらりと京都本部を再訪することにした。和弥か綾華か彩菜、最悪隼人でもいいと思いながら訪れたのだが、本部の門前で会えたのが和弥だったことにほっとした。
「んで、どうした。綾華と喧嘩でもしたか?」
「いつか対立はするかもしれんが喧嘩にはならないと思うぞ。まぁそれはそれとして聞きたいことがあってな」
「聞きたいこと? なんだ?」
訝し気に首を傾げる和弥に、良治は少しばかり躊躇ってから口を開く。
「――別に忘れていたわけじゃなく、京都本部に顔を出していればそのうちに遇うんじゃないかって思っていたんだけどさ」
「……?」
珍しく本題から切り出さない良治に、和弥は更に眉根を寄せる。
「そうでなくても、きっと悪戯好きな隼人さまあたりが仕掛ける可能性もある、そう思ってもいたんだけど、誰も何も言ってこない。そしてその姿を見かけることもなかった」
真っ直ぐに和弥の瞳を見つめる。見つめ返す彼の瞳の中に動揺や後ろめたい感情がないことを感じ、良治はほんの少しだけ安堵しながらその先の言葉を紡いだ。
「――なぁ、禊埜塞は何処に居る?」
「その質問には私が答えようか」
口を開きかけた和弥の邪魔をするように背後から言葉を投げてきたのは紺の和装の人物。良治が最悪、と想定していた人物だった。
「……お館様」
「預かっていたのは私だからね。だからそれを語る責任を持つのも私だろう? さ、こっちにおいで」
いつも通りの微笑を浮かべ、こちらの返答を待たずに本部に戻っていく白神会の総帥。良治が断るなどとは微塵も考えていないらしい。
「リョージ――」
「行くさ。聞いたのは俺だしな」
複雑そうな表情の友人の言葉を遮って歩き出す。行くしかないのだ。
不安は行動で斬り払う。どんな事実が待っていようと動揺はしない。そう良治は心に決めて一昨日潜った門を再度踏み込んだ。
『禊埜塞』。
それは富士山決戦を引き起こした首謀者の一人の名だ。
彼は陰神に所属していた父親を良治に殺された恨みから復讐を決意し、父親と同じ陰神に居た魔族・シグマの協力を得て行動を起こした。
しかし結果は彼にとって散々なものだった。良治との一対一で敗れ、更に協力者であったシグマに魔界の扉を開くために利用され、挙句に見捨てられた。
すべてが終わった後に意識を取り戻した彼は意気消沈しており、良治の意向で白神会京都本部に預けられることになった。
(禊埜塞……今はどうなっているのか)
京都本部に預けられた後、良治は数度顔を合わせたことはあるが言葉を交わしたことはない。何とも言えない複雑な視線を投げられただけだ。
良治は隼人の背を追い、入ったことのない小径へ入る。京都本部には何度も訪れているがまだ良治の知らない場所も多い。本部が広いというのもあるが。
(ん?)
良治のすぐ後ろに付いて来ている和弥が小さく息を飲む気配に良治は小さな疑念を抱いた。
(和弥はこの先にある物を知っている……?)
聞きたかったがそんな雰囲気ではない。それに少しすれば嫌でもわかるだろう。そう思い黙って先へ進むことにする。
「――中へ」
「ここは……」
京都本部の奥の奥。そこはやや小さめの建物――道場だった。
此処に一番近い良治の知る場所はきっと和弥と綾華たちが住む離れだろう。もしかしたら隼人の住む住居もここから近いのかもしれない。
(そうなるとこの道場は、まさか)
「うん、察しが良くて嬉しいね。さすが良治君だ。――そう、ここは神刀流の道場だ」
神刀流。それは白神会の頂点を示す流派。今はこの白兼隼人ともう一人、白兼和弥しか存在していない。当然他の者は許しがなければ立ち入ることの出来ない神聖な場所だ。
「ここでは何が起こっても知る者はいない。あの雄也さんだって呼ばない限りここには来れない」
隼人の警護をしている黒影流継承者でさえいない場所。とんでもない場所に連れてこられてしまったと思える。
三人とも道場の中央部に着くと、変わらぬ微笑で彼は再び口を開く。
「さて、先ほどの問いだけど――ちょっと都合が良すぎると自分で思わないかい?」
「それは、そうですね」
一度自分の勝手で組織を飛び出し、自分の関わったものをすべて捨てた。戻って来たからと言って昔のことを聞かせて欲しいというのは我が儘だろう。それも知る者の少ない情報をだ。
「うんうん、そう思ってくれてるならいいよ。じゃあ知ることに対して何かしら対価を払うのも当然だよね」
「対価?」
「良治君の個人的な欲求で知りたいことだからね。教えるのならそれ相応の対価を払うのは当然だと私は考える。ここに来るまでに色々考えはして、辿り着いた結論は――私の運動不足解消とストレスの発散に五分だけ耐えること。これでどうかな?」
「運動不足解消とストレス発散……」
つまりは模擬試合みたいなことだろうか。それを五分やると。
その提案は悪くないように思えた。
「いやぁ他にも『崩さんと結婚して霊媒師同盟に潜り込んでほしい』とか『祐奈ちゃんと結婚して蓮岡家を継いでほしい』とか『魔界に行って統一してきてほしい』とかあったんだけどね。さすがにそれを要求すると断られそうだしねぇ。まぁ良い落とし所じゃないかと」
「他の三つが酷すぎて比較すると良いように思えるってだけだと思いますよそれ」
相手に無茶な要求をするときの常套手段だ。良治もやる時があるのですぐに理解した。
(まぁそれはそれとして)
五分だけ耐えること。そう隼人は言った。耐える、とは。
「耐えるということですが、反撃は?」
「もちろんありだよ。普通にやってもらって構わない」
「それなら」
白神会の頂点の存在、自分よりも格上なのは確か。しかし模擬戦、五分だけ、負けなければいいという条件なら出来そうだ。
「じゃあ早速やろうか。木刀はいるかい?」
「いえ、持っているので」
ベルトに付けた小さなポーチから転魔石を取り出し、すぐに木刀を喚び出す。何よりも自分で用意した物が一番だ。
「じゃあ和弥君、五分計ってくれ。五分後に鳴るように。ああ、スタートしたら見えないように床に置いてくれると助かる」
「……ああ、了解」
和弥がなんとも不安そうな表情で頷いたのがとても気になったが、彼は自分の携帯電話を弄り出したのを見て良治は靴下を脱ぎだした。さすがに足の踏ん張りが利かないのは怖い。
「準備はいいかい?」
「大丈夫です」
靴下を道場の端に畳んで置き、正眼の構えを取る。
相対する隼人は木刀を右手でぶらりと持つだけだが、それが彼特有の構えだということを良治は知っていた。
(この人が戦うとこなんて見たことないけどな)
昔和弥が隼人をどうやったら負かすことが出来るのか相談を受けたことがあった。まさかそれがこうやって役に立つなんて思いもしなかったが。
「いくぞ――はじめ!」
和弥の声が狭い道場に響き、良治は白神会最強――いや日本最強かもしれない退魔士に向かっていった。
【日本最強】-にほんさいきょう―
日本には退魔士のトップとされる《四護将》と呼ばれる人物たちがいる。その中の一人は過去に死亡し、もう一人は霊媒師同盟の志摩崩である。残りの二人が日本最強を争っているのではないかと噂されているが、他にも《紅の天災》などもおり、真相は闇の中である。




