名古屋支部員たち
「お嬢さん方、あまりまぁ気を張らないでも大丈夫ですよ。緊張するのは当然ですが、この辺には時々しか霊は出ませんので」
「……そうなんですか」
爽やかな笑顔で優綺と郁未をお嬢さんと呼ぶのはこの名古屋支部の主戦力筆頭である丹羽三郎だ。夜なのに歯がキラリと光ったように見えたがきっと気のせいだろう。
優綺と郁未が陽が落ちた頃もう一度名古屋支部に戻るとそこには一人を除いた名古屋支部所属の全員が揃っていた。おそらく二人に合わせて顔を出してくれたのだろう。
相変わらず疲れた顔をして座っていた瑠璃子、そしてその傍らに立っていたのはやや猫背の中年男性。更に男女が二人ずつ。こちらは二十代から三十代のように見えた。
中年男性はここの副支部長の町田久太。温和な笑みを浮かべていて、とても老成しているように感じられた。
「まずは道とわかりやすい建物を覚えるところからだね。まぁここは名古屋駅から近いから最悪タクシーでも使えば大丈夫だろうけどね」
この丹羽は二人ずついた男女の一人で今回二人の道案内を買って出た人物だ。
落ち着いた表情と整った面持ちも相まってとても女性に人気がありそうだ。優綺と郁未は魅かれなかったが。
「他の人たちもこの近辺にいるんですか?」
「いや他の皆はもう少し遅くなってから東部の方へ行くよ。半年くらい前に魔獣が一度出現してね。それからはそっちを重点に見回りをしているんだ。名古屋近辺の見回りは減っていて、今日は僕たち三人だけだよ」
「いつもは?」
「いつも市街地担当はだいたい二人だけど別行動でやっているね。……退魔士の活動は基本的に二人組でやることになっているけど、さすがに人手が足りなくて」
話に聞いていた通りで当然現場でもその認識はあるらしい。
白神会は不慮の事態に備え基本的に二人組での仕事を推奨している。東京支部でもほとんどの仕事が二人組で行っており、一人の行動時は拠点から近場での見回りなどに限定されている。
「それは……大変ですね」
「まぁね。でももう皆慣れたと思うよ。特に都市部には魔獣の発見報告はないし、危険そうな山間部は必ず複数で当たっているから問題が起きたことはないよ」
微笑む丹羽から不安は感じられない。危険な事態に陥ったことがないのは本当なのだろう。
世間話をしながら暗くなってきた道を歩く。しかし夏休みともあれば人通りが絶えることはなく、常に数人の人々が視界に入る。
横目に不審な人物と霊がいないか確認しながら丹羽の後をついていく。時々振り向いたり大通りを行くのはこちらに配慮してだろうと優綺は感じ、郁未はあまり深く考えずに足を進めていく。
「――お疲れ様でした。今日はこの辺にして帰りましょう」
そう爽やかな笑顔で丹羽が言ったのは名古屋支部を出てから三時間ほど経ってからのことだった。
時刻は十時前。色々歩き回ったがそこまで名古屋支部から離れているような感覚はない。優綺は道を曲がる度に名古屋支部からどの方向に移動しているのかを確認していた。
「お疲れ様でした。ここで解散ですか?」
「勿論名古屋支部まで送りますよ。ここからはゆっくり帰りましょう」
「あっつーい……べたべた」
夜とは言えまだまだ暑い。郁未の言うことは優綺も感じていることで額と背中はびっしょりだ。途中で休憩もしたし飲み物片手だったがそれでなんとかなるほど名古屋の夏は楽ではない。
「タオル使いますか?」
「いえ大丈夫……いえ、やっぱりお借りします」
「はいどうぞ。生方さんも」
「あ、ありがとう、ございます……あースッキリする……」
豪快に顔を拭く郁未にちょっとだけ引きながら、優綺は控えめに顔と首筋を拭う。そして明日はタオルを用意しておこうと決める。忘れそうな郁未の分と二枚あればいいだろう。
「……うん。基礎体力は問題なさそうだね。今日は何とも遭遇しなかったから実戦の動きは見られなかったけれど」
「まぁ、きちんと訓練は受けていますから」
「さすが《黒衣の騎士》の弟子だね。しかし本人の実力は言うまでもないとして、教える方はどうなのか気になるところではあるね」
「先生とはお知り合いで?」
「昔は時々名古屋支部に顔を出してくれててね。会えば世間話くらいはする仲だよ。復帰してからも顔を合わせてはいるしね」
暗くなった道からちょっとした公園に入っていく。ここを横切るとショートカットになるのだろう。
「実は昔、一緒の作戦に参加したことがあるんだ。残念ながら僕は途中で負傷して戦線を離脱してしまったのだけど。でも」
「……でも?」
公園の広場、その真ん中で先を歩いていた丹羽が立ち止まる。
そして振りむいた彼の表情は優綺の予想外のものだった。
照れて、いた。
「でも、僕は彼と、《黒衣の騎士》と戦えたことを誇りに思っている。彼の指示で、指揮で戦えたことに。それだけでも嬉しいことなのに、その戦いはきっと後世まで語り継がれるかもしれないあの『富士山決戦』!」
それは優綺は簡単な話でしか知らない事件。
以前良治に聞いたことがあったが上手くはぐらかされてしまっていた。その後天音と結那にも訊ねたがその口は重かったのを覚えいる。
「あの時まだ高校生だった彼に衝撃を受けたよ。自分よりも歳下の高校生に劣等感や嫉妬を覚えた。でもそれはほんの最初のことで、すぐに敬意に変わった。あの事件で一番名を上げたのは当時まだ綾華さまと結婚前だった和弥君だったけど、僕には柊良治という人物が一番輝いて見えたんだ」
「……もしかして、その、先生のファン……?」
「はは、そうだね。きっとそうだと思う。でも本人には言わないでくれよ? ……恥ずかしいからね」
郁未の言葉に照れ笑いする丹羽。本当に本当らしい。
「……はぁ」
「さ、帰ろう。もうすぐだから」
足早に進んでいく丹羽。なんだかさっきよりも親近感が湧いたような気がした。
「良い人そうね」
「はい。私もちょっと嬉しい気持ちです」
「私も。……きっとこれって『好きなことを共有できた』ことの嬉しさって感じかしらね」
「……なるほど」
自分のこの感情に名前を付けられていなかったが、それをあっさりと郁未に言われてしまう。
「さ、行こ?」
「はい」
なんだかこれから上手くやっていけそうな予感。
二人は笑い合って彼の後を追った。
「さて、今日は私とだ。こんな年寄りと一緒で申し訳ないが」
「あ、いえ……」
翌日午後七時、支部に来た二人を待っていたのは丹羽ではなく、昨日一人いた中年男性だった。
名古屋支部の副支部長という役職の割にはやや覇気がないように見え、なんとなく苦手だなと優綺は感じた。
名古屋支部では村瀬八一郎に続く年長者で、年寄りというが年齢はまだ四十代だ。白髪混じりの髪とやや小柄なせいで年齢よりも大分上に見えてしまう。
名古屋支部を出発した三人は何を語るわけでもなく黙々と昨日とは違う道を歩いていく。普段は騒がしい郁未も町田に気後れしているのか口を開くことはない。
「あの……」
「ん?」
「その、町田さんは名古屋支部、長いんですか?」
沈黙に耐えかねて切り出したのは歩き始めてもう優に一時間を過ぎた頃だった。特に解説もなく、霊すら発見できていない中なんの目的や目標を伝えられない状態であまり知らない人間と歩くのは正直苦痛で、完全に集中力の切れていた郁未のこともあって優綺は自分から話しかけることにした。
「まぁ今の支部員たちの中だと私が一番の古株になる。もう二十年くらいか」
「一番の……あの、今の支部長さんよりも、長いのですか?」
「村瀬支部長は……前任の支部長が死んでから移ってきた人だ。名古屋に来てまだ四年くらいだよ」
四年。その言葉を聞いて優綺は良治が一度白神会から去ってからのことかと思ってしまう。昔のことを聞くとどうしても良治がいた頃の話かいなくなってからの話なのかをまず考えてしまう癖がついてしまっていた。
(もしかしたら先生の知らない話を聞けるかも……?)
考え過ぎかもしれないが良治は自分たちに何かを期待している可能性がある。期待していなくても上手くやれば認めてくれるだろう。それに現地の退魔士と交流を深めるのも悪くないことのはずだ。
「懐かしいな、あの頃はよかった」
「あの頃というと、前の支部長さんの……?」
「ああ、いや。なんでもない。ただの年寄りの思い出だ。……さ、行くぞ」
「あ、はい」
話を切り上げて歩き出した町田の背中には何か感傷のような、後悔のようなものが見えた気がした。
「ね、優綺」
「郁未さん?」
「あのおじさん、居場所ないのかな。なんか歳も一人だけ離れてる感じだったし」
「……」
小声で言う郁未の言葉に思わず黙ってしまう。それは優綺も薄々感じていたことでもあったからだ。
「どうした、まだ今日はもう少し歩くぞ」
「すいません。行きましょう」
「はーい」
なんとなくバツの悪そうな表情で待っていた町田に、取っ付きにくさはあっても嫌悪感はない。
少なくても彼の人となりがある程度知れるまでは、もう少し会話をしていこうと優綺は決めた。
【一番の古株】-いちばんのふるかぶ―
名古屋支部での町田久太の立場。一番浅いのは前支部長死後に異動してきた村瀬親子。他のメンバーは差はあるものの皆だいたい十年ほど在籍している。




