お手伝い二人
「ごめんなさいね、散らかってて。ちょっと最近バタバタしてて」
「あ、いえ。お気遣いなく」
優綺は向かいの椅子に座った眼鏡の女性にそう言いつつも、少し視線を動かして本当に散らかっているなと心の中で呟いた。
「確かにちょっ――」
「郁未さん」
「あ、うん。ごめん……」
きょろきょろした挙句余計な言葉を口にしようとしていた年上の妹弟子を窘める。その様子を見て、眼鏡の女性が苦笑した。
優綺と郁未が名古屋駅で良治と別れ、この名古屋支部を訪れたのはついさっきのことだ。しかし突然の来訪というわけでもなく、前日には良治が到着予定時刻を伝えていた。
しかし来てみれば名古屋支部は書類や荷物が乱雑に散らかっており、初見では荒らされたのかとも思えるほどだ。
(あの探偵事務所を思い出すなぁ)
一度だけ行ったことのある上野支部階下の探偵事務所を想起させる光景。違う点は煙草の臭いがしないことだろうか。
クーラーがしっかり効いていることに何よりも感謝しながら応接セットの皮のソファーに腰を埋めていた。
「その、二人は二週間くらいのお手伝いって聞いているけど、それでいいのよね」
「はい、そうです」
「二週間でも助かるわ。本当に今手が足りなくて……ああ、ごめんなさい。まだ自己紹介してなかったわね。私は名古屋支部所属、第七位階級退魔士・村瀬瑠璃子。今は支部長の父に代わって支部長代行をしてるわ」
支部長代行。それは大きな役職のはずだが、何故だか彼女は暗い表情で、ともすれば自嘲気味にも見えた。優綺が思うよりも重い役職なのかもしれない。
しかしそれに触れるのは躊躇われ、スルーして話を続ける。
「はい。よろしくお願いします。……その」
「私のことは瑠璃子でいいわ。苗字だと紛らわしいから」
「では瑠璃子さんで。それで早速ですけど私たちは何をすれば?」
「半年くらい前に西部の山間部で魔獣が出たことがあって、それ以降はそちらを重点に見回りをしていて、最近はこちら側……名古屋市側はあまり見れてないのでそちらをお願いしたいの。大丈夫?」
「はい、構いません」
優綺としてみればここから距離のある山間部よりも近い都市部の方が楽だ。初めての土地だが街中であれば迷ってもすぐに戻れるだろう。
「活動は基本的に夕方から、時々深夜からあることもという感じね。今日はどうする? とりあえず部屋までご案内するけど、疲れてるのなら明日からでも」
「いえ、大丈夫です。今日も夕方からですか?」
「ええ。それじゃあ今日からお願いね。じゃあ部屋まで案内するわね」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「本当、礼儀正しいのね。さすが《黒衣の騎士》の弟子ね」
瑠璃子は小さく笑うと立ち上がり、部屋を先に出ていった。
「なんだか疲れてそ。大丈夫なのかな」
「……人手が足りていないと言っていましたし、きっとそれが原因じゃないかなと。……たぶん」
部屋を出る前の彼女は笑っていたが、その感情は読み取れなかった。それが優綺に小さな引っ掛かりを覚えさせていた。
「ま、考えても仕方ないし行きましょ」
「そう、ですね」
郁未の言うようにここで考え込んでいても意味はないし、瑠璃子を待たせるわけにもいかない。
優綺は二週間分の荷物の入ったリュックを背負うと郁未の後を追って部屋を出た。
「良かった、ここでなら窮屈な思いはしないですみそう」
「瑠璃子さんに感謝ですね」
二人はほっとした表情で部屋をぐるりと見回す。ここまで案内してくれた瑠璃子は既に名古屋支部に戻っている。帰り際お茶でもと誘ったのだが仕事を理由に辞退されてしまった。
「センセの部屋よりちょっと狭いくらい? でも十分かな」
郁未の言うようにこのアパートの一室は2LDKで二人で過ごすには十分な広さと言える。正直な話ワンルームで二人だと思っていたので嬉しい誤算だ。瑠璃子の気遣いには頭が下がる思いだ。
名古屋支部から徒歩五分、エアコンとベッド、冷蔵庫まである。残念ながら洗濯機はないが来る途中でコインランドリーを紹介されていたのでこれも問題はない。
「ねぇねぇ姉弟子ー」
「なんです妹弟子さん」
それぞれの部屋を決めて夕方に必要な荷物を整理していると郁未がノックもせずに扉を開けて入ってくる。こんな光景ももう慣れたものだ。
「結局センセからなんか話聞いてる?」
「たぶん郁未さんと同じ程度だと思います。『今名古屋支部の人手が足りないから手伝いがてら経験を積んでくるといい』、こんな感じでしたけど」
「うーん、優綺も同じかー……」
他の支部への合宿。それは色んな支部員たちと訓練し様々な経験を積むことだ。今回はそれに加え人手不足なので仕事もというスタンスだ。
「もしかしたら他に何かあるのかもですけど、まずは言われたことをしっかりやりましょう。先生の面目も潰れてしまいます」
「さっきもさすが《黒衣の騎士》の弟子って言われちゃったしね。頑張らないとね」
「はい」
そっと髪の琥珀色の花のブローチに触れる。
先月夏祭りで良治に買ってもらった大切なもの。これに触れれば困難な状況でも頑張れる気がするのだ。
郁未という妹弟子を連れて訪れた初めての場所。自分を知る者はいない。まずはきちんとした仕事をして信頼を得るところからだ。瑠璃子からは有難いことに一定の信頼はあるようだがそれは師である良治の影響故だ。これからは自分の力で確たる信頼を得るべきだろう。
「名古屋支部の人たちでどんな人たちなんだろ。っていうか何人くらいいるんだろ」
「全部で七、八人くらいだったはずです。大き目の支部なので」
上野支部と分割した東京支部の方が今は人数が少なくなっている。名古屋支部は三大支部には数えられていないがそれらに次ぐ大きな支部の一つだ。
「センセ、今はもう京都本部かな」
「ちょうどお話をしている最中だと思いますよ。余計なことよりもまず仕事を片付ける主義ですし」
「うーん、じゃあ連絡はしない方がいいわね」
「今じゃなくても、この二週間はしない方が良いかもしれませんよ」
「え、なんで?」
びっくりした郁未がこちらに来て座り込む。金色の髪が揺れてちょっとだけ綺麗だなと優綺は思った。
「この間の合宿もそうですけど、きっと今は応用というか、基本的な訓練を終えてのその先だと思うんです。だから――」
「じゃあ出来る限りこっちからは連絡しない方がいいってこと?」
「はい。私はそう思います」
「ふーん……まぁそうね。私はまだまだ自信はないけど、優綺はもうそういう段階みたいだし……納得かな」
普段は思ったままを口に出すことが多い郁未だが頭の回転は悪くない。彼女も思い当たるところがあったらしく素直に優綺の考えを受け入れる。
「ええと、ひとまず基本方針はそんな感じで。ちゃんと仕事をして、ちゃんと名古屋支部の人たちとコミュニケーションを取って信頼を勝ち取るんです」
「おっけー。コミュ力なら接客業で鍛えられてるし任せておいてっ」
「……そうですね」
頼もしいようなそうでないような微妙な気持ちになる。
しかしコミュニケーション能力に優綺は自信がないので結局彼女頼みになりそうだ。
「あー! その顔信じてないでしょー!」
「いえ、そんなことはないですよ?」
「疑問形なのが尚更あやしー!」
「あ、ちょ、まだ荷物が、郁未さんっ!?」
怒った顔をした郁未がツインテールを振り回して優綺に襲い掛かるが、簡単に押し倒される優綺でもない。
「……もう」
「く、私じゃ無理か……」
結局数分ほど力比べを何故かすることになり、疲れた二人は僅かに息を切らせてなんとなく手を止めることになった。
「……何してるんだろ、私……」
「ごめん。謝るからそんな現実逃避というか虚無らないで優綺」
「……ふぅ。さて人心地ついたところで早速」
「相変わらずせっかちですね。まぁ大切な弟子たちが関わっているのなら仕方のないことでしょうけど」
「わかっているのならお早く。知ってると思いますけどあまり気の長い方ではありませんから」
「失礼しました。では本題に入りましょう」
「ありがとうございます綾華さん」
良治が出された麦茶のグラスを八割がた飲み、会話を進めた相手は長い黒髪の美少女――に見えるが実際は一つしか変わらない。
白神会総帥補佐。それが今テーブルの向かいに座る女性の最近就いた役職だ。
「噂は既に聞かれていると思いますが、名古屋支部の現支部長である村瀬八一郎が病によって入院しています。現在その娘の瑠璃子さんが代行していますが中々上手くいっていないようで、遠からず名古屋支部が瓦解する可能性がありました。今回はそれを未然に防ぐ一策と思ってください」
綾華はそう言うが、ただ二人が仕事を二週間手伝うだけで名古屋支部の状況がそう簡単に変わるとも思えない。
「つまり二人が名古屋で仕事をすることによって何かしら副次的な効果があると?」
「そういうことです」
「まったく……」
つまり主たる目的は仕事をこなすことではなく、それによってもたらされるであろう支部の雰囲気の改善らしい。
「まぁそれくらいならいいですけどね。でも上手くいかなくても文句言うのはやめてくださいよ」
「それは勿論。指示には入っていませんし。でも良治さん的にはどうでしょう。彼女たちはそこまでやってくれると思いますか?」
探るような、試すような視線。綾華のこの微笑みが良治は好きではない。彼女の兄を思い出すからだ。
「そこまで理解して、もしくは終わってからでも自分で気付ければもう一人前でしょう。無論成功が条件ですが」
「期待はしていると?」
「俺なんかが本気で期待なんかかけたら潰れかねないと思いますけど。でも少しは期待してますよ」
今まで二人に与えてきた課題は無理ではない範囲のもので、努力と僅かな気付きで乗り越えられるものだった。
しかし二人は時に良治の予想を超えて結果を出してきたのも事実で、良治はそれをとても評価している。
「それは楽しみですね」
「……」
楽しみ。その言葉に何処か不穏な響きを感じたが、ここで追及しても意味はないだろう。言葉にしてもない以上何かを喋るとはあまり思えない。
「――そう言えば、何か名古屋支部できな臭いことがあったとか」
「良治さんの耳にも届いていましたか。中々情報通ですね」
「たまたまそんな噂を聞いただけですよ」
周囲の温度が一瞬下がるような感覚に藪をつついたかと思ったが、綾華の反応はすぐに治まり元に戻る。とりあえず刹那の寒気は空調の利き過ぎたエアコンのせいにしておくことにした。
「そうですか。……名古屋支部の報告書を見ていると悪霊の討伐件数が極端に少ないのが気になっていて」
「悪霊の討伐件数?」
「はい。普通であれば全体の半分ほどは悪霊関連の仕事です。浮遊霊や地縛霊など、悪霊にまだなっていない霊は一般人にはほとんど影響を与えられませんし、悪霊になって初めて大きな影響や被害を及ぼします」
「そうなって初めて認識され、俺たちに仕事として振られるわけですからね」
目に見えない、感じられないものを脅威として騒ぐ者はいない。
「はい。ちなみにこれが名古屋支部の報告書です」
「……用意が良いですね」
「たまたまですよ」
おそらく良治からこの話題を振っていなければこの展開はなかったはず。密かに黒猫に感謝する。
良治は机の上にそっと出された紙の束を手に取って目を走らせる。
「……件数自体はおかしくはないような」
「ええ。件数自体は。しかし悪霊の討伐案件を注目してみると――」
「――ほぼ同じ人物、しかも単独行動中。つまりこれは水増しだと?」
「はい、そういうことです。他にも単独行動中に悪霊を討伐している者もいますが、ある一人の単独行動中の討伐があまりにも多すぎます」
「なるほど。この人物の調査、探りの意味も含まれると」
「ええ。これでその人物が本当に悪霊を討伐していれば良し、もし水増ししているのなら成果報酬の横領です。見過ごすわけにはいきません」
それはそうだろう。当然のことだ。
「では私はそろそろ。穏人のところに戻らないといけないので」
「わかりました。それでは」
黒猫からの情報がなければ悪霊の討伐件数の話はされなかったはず。更に隠し事はあるかもしれないが一応それなりに付き合いの長い友人だ。何か決定的な、致命的なことを隠していたりはしないはず。
部屋から綾華がいなくなり、良治は小さく息を吐くと立ち上がった。
京都に来た理由はこれだけではない。ついでに済ましておきたい用件があった。
(名古屋に戻る選択肢もあるにはあるが……)
それはさすがに過保護すぎる気がする。今後のことも考えれば二人がどれだけやれるのか、そして何よりも良治がいない状態の経験を積むことは重要だ。
(弟子離れ出来ていないのか……? いやまさか)
自分らしくないことを考えてしまい、良治は僅かに苦笑しながら京都支部を後にした。
【名古屋支部の報告書】―なごやしぶのほうこくしょ―
綾華から渡された直近半年ほどの報告書とデータ。ざっと見ただけでは気付かない場所に気付けた綾華はさすがと言えるだろう。
並んだ名前の中には良治の知る名前も多かったが、以前とは違う支部長の名前に良治は少しだけ寂しさを覚えてしまったことは彼一人の心の裡に仕舞われている。




