続く難問
「……はぁ」
何故こうも面倒くさそうな問題が来るのだろうか。
来訪者の帰った支部で良治は天井を眺めながら溜め息を吐いた。
「そんな嫌そうな表情をしなくても。言いたいことはわかりますが」
「わかってくれて何よりだよ天音。……まったく、なんでこうも退魔士の世界に来たがるかねホント」
椅子の背凭れを軋ませながらぼやく。
才能のない者ならそもそも仕事にならないので問題なく排除できるが、今回は違う。しかも本人は自分の退魔士としての力が目覚めつつあることに気付いていないようだった。だからこそ良治は迷い、悩んでいた。
浅霧景子。来訪してきた高校三年生の名前だ。
彼女はずっと剣道を続けてきていたがこの夏休み中にあった全国大会で剣道人生を終えたらしい。今日来たのも半分はその報告だった。
「この仕事に興味、というか良治さん本人に興味というか憧れ、という風に見えましたけど。その辺はどう考えますか?」
「……どうだろうなぁ」
「まったく。答えたくないからとぼけるのは悪い癖ですよ」
「わかってるなら聞くなよ天音」
「困っている良治さんを見たくなったもので。失礼しました」
「笑いながら言うなと」
くすくすと笑う彼女に呆れたように言う。しかしそれは彼女の言うように良治の中では半ば確信に近いものだった。
(あの視線、優綺に似てるんだよなぁ……)
憧れと信頼の眼差し。それは一番弟子から向けられるものにとても良く似ていた。そして景子と出会った事件の状況を含めて考えると、それがとてもしっくりと来てしまう。
「それで、どうするんですか?」
「うん……考えとくよ」
「即決しないなんて珍しいですね」
「難しい問題だからなぁ」
自覚の有る無しに関わらず、退魔士としての力に覚醒した者への対応は難しいことだ。知識がなければそのまま放置も選択肢に入るが、組織に入らず何も知らないまま生活したとしても何らかのトラブルに巻き込まれる可能性は拭えないのだ。むしろトラブルに遭遇した場合適切な対応が出来ず命を落としてしまうかもしれない。
(最悪なのはあいつに見つかることだしな)
頭を過るのは郁未の件だ。郁未命名のあの『イヒおじさん』に追いかけられ、おそらく良治が間に合わなければ誘拐、もしかしたら命を奪われていたかもしれない。
あの男はまだ捕まえるどころか未だ発見する事すら出来ていない。良治の警告通り東京を離れているのかもしれないが、良治にはあの男がそう簡単に諦めているとは考えていなかった。
『ここで我が望みが叶うとは』
確かにあの男はそう言っていた。良治との戦闘の前に。
(つまりあの男の目的は俺の命。ということだろうな)
そうなればやはり一時的に東京を離れていたとしても、そう遠くない未来に戻ってくるだろう。その時に微妙に力に目覚め始めた彼女を見たら間違いなく郁未の二の舞だ。
剣道をしているといっても退魔士にしてみれば一般人とほとんど変わりはない。運が良ければ一度くらいその場から逃げられるかもしれないが、きっとすぐに追いつかれてしまうだろう。
「ああ、そう言えば」
「ん?」
「支部遠征の件、結局どうなったんですか?」
迷っていたが結局結論の出ないまま別の話を振られる。ずっと悩んでいても結論が出たかどうかは怪しいのですぐに頭を切り替えた。
「綾華さんには許可を取ったよ。しばらく離れることになるから頼むよ。上手くこなしてくれると助かる」
「はい。これは結那さんには向いてませんからね。確かに頼まれました」
支部遠征。それは東京支部を離れて他の支部へ数日間だが出向くということだ。
弟子二人の東京支部の合宿は意識を変えるのに、非常に役立ったように良治は感じていた。やはり新しい対戦相手、環境というものは大切だと再認識するほどに。若い成長期に新しい刺激は欠かせないらしい。
このまま手元に置いてじっくり育てるよりも、ある程度実力がついてきた現状、もっと色々な刺激を与えて貪欲に吸収して貰いたい。そう考えた結果、綾華に連絡して幾つかの支部に出向く許可を得たのだった。
「ん、頼んだよ。まぁ何かあったら連絡してくれ。まどかの方が近いだろうからそっちでもいいけど」
「何かあったら両方に連絡することになると思いますよ。というか私がまどかさんにだけ連絡したところで向こうから良治さんに連絡があるでしょうし」
「違いない」
「でしょう?」
ふふ、としたり顔の天音を見て良治も自然に笑みが零れた。
「それで、最初は何処に行くんですか? 近場の宇都宮支部あたりですか」
「いや違う。俺も最初はそのつもりだったんだけどな。綾華さんから指定が入った」
「何処へ?」
「名古屋支部。支部長の村瀬さんが入院してるらしくて人手が足りないらしい。だから仕事の手伝いが重点――だけとは思えないんだよなぁ」
「それは綾華さんが名古屋支部をわざわざ指定してきたから、ということですか?」
「そういうこと」
勘ぐり過ぎかもしれないとも思うが、同時に彼女なら何か思惑があるのかもしれないとも思う。
単純に人の足りない場所に都合が良いから派遣しただけということなら良いなとは思ってはいるが、名古屋支部できな臭いことがという話もあったのも頭には残っている。それに関わりは持ちたくないなというのが本心だ。
「気になるなら直接訊いてみては」
「そのつもり。でも電話じゃ話すとは思ってないから俺は二人を名古屋に送ったらそのまま京都まで行ってくるよ。ついでに和弥にも会っておきたいし」
顔を合わせて離すこと。それは相互理解の一助になる。
特に綾華は話を面と向かってでないと内心を語らないことがあるので京都に行かなくてはと思っていた。
「和弥さんに用でも?」
「んー、まぁそんな感じだな。顔を見ておきたい、みたいな」
自分にはいまいち、まだ覚悟が足りていない気がする。覚悟を決めたところで時間が経てばどうしても緩んでしまう傾向にある。
良治はその戒めとして、気が緩んだと感じてしまった時、どうしたらいいのかと悩んでいた。
そして、その為の行動だ。
(自分一人でなんとか出来ないところが情けないが、出来ないよりはマシだ。そのうち自己完結出来るようにしないといけないとは思うけど)
誰かに頼らなければならないことはやや不服だが、目的を達成できないよりは良い。不要なプライドのせいで自分や周囲の誰かが傷付いたら後悔することになるだろう。
「途中から一人なら気を付けてください。何が起こるか、誰と遭遇するかわからないですから」
「心配し過ぎださすがに。名古屋から京都の短い距離だし、さすがに白神会お膝元の京都近辺で何かしてくる奴はそうそういないさ」
接触してきそうな心当たりは黒猫くらいで、彼女も白神会というか黒影流、もっと言えば彩菜に追われていることは理解している。京都に近付けば捕捉される確率は格段に上がる為そこまで来ることはないだろう。捕まれば殺されるのは間違いないのだから。
それに黒猫との約束は七月末まで。もう八月になっているので不干渉の期間は終わっている。
「そうだといいんですが」
「気を抜くつもりはないけど可能性は低いとは思ってるよ。少なくとも俺ならこんな天気の良い日は外に出たくはない」
八月も上旬から中旬に変わり猛暑真っ只中。外に出ればすぐに汗が落ちてくるだろう。
「そうですね。私も暑いのは苦手ですからそう思います。けど」
「けど?」
「結那さんみたいに暑い日こそ活動的になる人もいることもお忘れなく。いつだって例外はありますから」
「……そうだな。覚えておくよ」
忠告は素直に聞いておくに限る。それが親しい間柄なら尚更だ。
眩しい陽射しが締めたカーテンの隙間から漏れ出ているのを見て、良治は立ち上がるときっちりとそれを閉めた。
「いやいや暑いにゃー。あ、アイス食べるかにゃ?」
「…………えぇ……?」
予想外、想定外。心に留めておいたはずだったが実際に遭遇すると多少なりとも動揺してしまうのは仕方のないことだ。
いつもの猫耳付きパーカー姿の少女。長袖が暑くはないのだろうかと心配しまいそうだ。
「や。《黒衣の騎士》さんはちょっと気を抜きすぎじゃ? あたしが黒衣の騎士さん個人に恨みを持っていたらここで終わっていたかもしれないにゃ」
両手にカップアイスを持った黒猫はついさっきまで優綺の座っていた三人席の真ん中に音もなく座る。
「……よくこんなギャンブルに出たもんだ」
「ギャンブルは否定しないにゃ。今もちょっと怖いくらいにゃ。でも」
「でもそれを押してでも会いに来た。そういうわけだな。何があった?」
黒猫が姿を現したことに疑問しかない。不干渉期間も終わっており、ここは名古屋から京都に向かう新幹線の車内なのだ。
「その立ち直りの速さはさすがにゃ。うん、そうにゃ」
命を落とすことを覚悟で来たということだろうか。真剣な眼差しで良治は話を促す。
「黒衣の騎士さん、しばらく、数か月以内に何かが起こるにゃ。それまではあまり隙を見せない方がいいにゃ」
「わかった。だけどどういうことだ? 何を何処まで知ってる?」
「それを話すわけないにゃー」
「まぁ、そりゃそうか。……オーケー、ありがとう」
ここで捕まえて京都まで行けば白神会としては完璧なのだろう。しかし協定期間が終了しても会いに来た彼女を捕まえる気にはなれなかった。
「んじゃ、あたしはこれで」
「ああ、待った。聞きたいことがまだある」
「ん、答えられるものなら」
「なんで、白神会を抜けた?」
以前に聞きそびれたこと。どうしても良治は気になってしまっていた。基本的には悪い人間だと思えない彼女が白神会という組織を抜け、追われる存在になった理由を聞いてみたかった。
「――そう、そんなことが気になると」
常に笑みを浮かべていた彼女が真顔になる。そしてとても嫌そうなことを思い出したように視線を外す。
「――や。簡単にゃ。上司についていきたくなくなっただけにゃ」
「黒影流継承者・浦崎雄也、か」
「そうにゃ。それだけにゃ。だから白神会から抜けたのにゃ――と、そろそろ本当に行くにゃ。彩菜っちは怖いからにゃー」
黒猫は立ち上がりひらりと立ち上がると通路をとことこと歩いていく。そして一度も振り返ることなく、扉の向こう側に消えてしまった。
浦崎雄也についていきたくなくなった。
そう彼女は言っていた。
(なら話し合いでどうにか……は無理だな。特に、俺じゃ)
彩菜との対立も、彩菜が持っていた憎悪もそれが原因ならば納得が出来る。
きっと黒猫は浦崎雄也の正体を知ってしまったのだろう。そしてそれは彼女にとって受け入れ難いことで、そのたった一つの理由で白神会を抜ける理由には十分だったということだ。
(《影裂き》、か)
遠い昔に復讐相手が口にした言葉を思い出す。
浦崎雄也が嫌われる理由。それは良治にとっても無関係ではないことだ。
解決できない問題に良治は視線を落とす。するとそこにはアイスのカップが一つ存在していた。
(――まったく)
自分の中で彼女をどうカテゴライズすればいいのかわからないまま、良治は溶けかけたアイスの蓋を開けた。
【溶けかけたアイス】―とけかけたあいす―
おそらく黒猫が新幹線車内で購入したと思われるカップアイス。何かしかけられたり薬を盛られたりはしていなかった模様。
ちなみに味は良治の好きなチョコミントだった。




