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新たな刺客たち

「……はぁ……はぁ」


 夏特有の熱気と濃い草木の匂い。獣道にも似た道とも言えない道を疲れた足取りで進む一団。その先頭の男は流れる汗を拭うことにも疲れていた。


 彼の後ろに続くのは六人ほどの者たちで女子供も含まれている。ちらりと背後を覗き見るとやはりというか当然のことに、皆足が止まっていないのが不思議なくらい疲れ果てていた。


 それでも彼は、彼らは歩き続けていた。もう後ろは振り返れない。彼らは故郷を――棄てたのだ。


(何故、こんなことになったのだろうか……)


 疲労と暑さのせいかそんなことがぼんやりと頭を過る。しかしすぐに冷静になった。もう変わってしまったあの組織には居られなかったのだと。


 切っ掛けは組織のトップである盟主が部下によって軟禁されたことから始まる。その部下がクーデターに失敗し盟主が復帰したことは男にとっても喜ばしいことだった。盟主は美しく頭の回転の早い聡明な少女で、若いがその分幼い頃から知っている為頑張って盛り立てていきたいという気持ちが男には強かった。


(白神会の奴らめ……)


 助けられた盟主はヒーローの如く現れた白神会の男に傾倒してしまった。

 クーデターを起こした謀反人には嫌悪と怒りしかなかったので盟主が助けられ、そのまま盟主として復帰したのは良い。白神会という他組織の介入によって、というのも仕方ないと思えた。むしろ白神会の完全な傘下になり吸収されなかったことは僥倖だ。そのことに男は深く感謝をしたくらいだった。


(あの男、ひいらぎ良治よしはる……!)


 だが盟主にとって王子様のように現れた柊良治。あの男の存在だけは許せなかった。

 霊媒師同盟の権利は守られたが、盟主は白神会、というよりも柊良治個人に忖度するような気配が濃く表れている。それが男にはどうしても許すことが出来なかった。――彼女が恋をしたことが、どうしても。


 裏切られたような鬱屈した気持ちのまま、男は事件の起こる前よりも忙しく仕事をこなしていた。

 それまでは退魔士としての仕事などひと月に一度程度で、農業の傍らの副業という決して粉骨砕身で取り組んでいたわけではなかったが、『霊媒』というこの霊媒師同盟の退魔士独自の術を持つ者の大半が戦死したことによって一気に仕事が増えてしまった。


 勿論戦死の理由はあの事件だ。歩く集団の中の男三人は霊媒の出来る霊媒師で、それぞれ当時怪我と病気、そしてクーデターを起こした男についていくことを良しとしなかった者たちだ。

 後ろを歩く男二人も忙しくなった仕事をする傍ら、親族を殺されたことや元々白神会を快く思っていなかったことで同行することになっていた。


 霊媒師同盟からの脱退、夜逃げ。それは言葉にすれば簡単だが、行うことは難しいことだった。

 横の繋がりが強いこの地方、組織にあっておかしな行動をすればたちまち露見してしまう。出来る限りの現金や荷物を持って行きたかったが、さすがに家や土地を売却してしまえばバレてしまうだろう。


「そろそろ、か……?」


 出来る限り見つからないように故郷から出て半日。男たちはある場所に辿り着こうとしていた。

 そこは新潟県北部の山中にある小さなやしろ。永く手入れのされていた様子のない寂れた場所だ。


「――ようこそ。この暑い中、こんな場所までご足労ありがとうございます。――イヒっ」

「あんたが、あの女の言ってた協力者か……?」


 朽ちかけた社の陰から現れたのは一人の小太りの男だった。小太りの男自身が言ったような環境であるのにスーツに鞄と、まるでただのサラリーマンにしか見えない格好だ。

 しかし男はこちらに近寄ってきた時に、この伸び放題になった元境内の草むらを足音一つさせていなかったことで相当な使い手だと認識した。


「えぇえぇ。あの猫に言伝を頼んだのは私です。是非とも皆様に頼みたいことがございまして、はい」


 頼みたいこと。それを成す為に六人はここに来たのだ。






 不満を持ち、裏切られた気持ちを胸に抱えていたが、だがそれでも霊媒師同盟から抜けようなどとは考えたこともなかった。先祖代々繋いできた仕事と土地だ。自分の気持ちなど関係なく、人生の限りまで続いていくものと信じていた。

 しかし。


『や。こんにちは。なんだか白神会のとある退魔士を恨んでそうな貴方、良かったら私のお話聞いてみないかにゃー?』


 そんなことを言う年齢不詳の女性にったのは二週間ほど前の出来事だった。

 黄昏時の幻影かと思えるほど現実離れをした感覚の中、話を聞いていた男はいつしか自分の中にあった気持ちを全て吐き出してしまっていた。まるで魔法にでもかけられたように。


『や。それは本当に本当に大変で辛かったにゃ。きっと他にもおんなじような気持ちの人もいるかもにゃ』


 男は心当たりのあった者たちを思い浮かべ、いると答えた。


『――じゃあ手伝うにゃ。私は協力してくれそうな人を知ってるにゃ。その人たち以外には気付かれないように、この日、この時間に』


 小さな、とても小さなメモに記された日付と時刻、住所と目的地。


『その協力者は柊良治の排除を目的に動いてるにゃ。きっとその後のことも色々面倒を見てくれるはずだし、このまま何もしないよりかはいいじゃないかにゃ?』


 そう言って黒い耳付きフードの謎の女性はくるりと身を翻して陽の完全に落ちた砂利道に消えていった。


 一晩経ってから胡散臭さに気付いたが、男にとってそれはもうどうでもいいことだった。

 組織や盟主に抱いていた不満を吐き出した男は妙にすっきりとした晴れやかな気分になっていて、代々属していた組織への愛着や盟主への忠誠はもう一片たりとも存在していなかった。


 男は迷うことなく知り合い二人に電話をし、すぐさま直接会うべく家を出た。






「皆さん中々の腕をお持ちなようで。これなら期待できますねぇ。霊媒を使えるのは三人ですかな?」

「……ああ、俺たち三人だ」


 飛んでいた思考を元に戻して返答をする。


「それではまず東京に行ってもらいます。もう部屋を抑えてありますので行くだけで結構です。あとは近いうちに指示を出しますのでそれまでは目立たない程度に自由にしてください。これは生活費を兼ねての前金ということで」

「おお……!」


 両隣にいた男たちが声を上げる。手持ちの現金は少ない。彼らは自分だけでなく家族も守らねばならないので当然の反応だろう。


「三人にそれぞれ五十万。これとは別に今後はそれぞれ月十万。ああ家賃はこちらで払いますので安心してください。そして――上手くいったらその時はそれぞれ百万。これは成功報酬ですので是非とも頑張ってください。……イヒっ」

「百万……! 本当か」

「はい。勿論。それだけの価値がありますから」


 破格な提示だ。人ひとりを消すだけで百万。いくら相手が強かろうが霊媒師が三人もいれば難しいことではない。


「ただ相手はよく群れていますので。タイミングを間違えれば奇襲は出来なくなります。なので一人で救援が来ない状況を慎重に探りますので、それまでは待機ということで。よろしいですかな?」

「ああ。なるほど、だからこそ月十万か」

「はい、そういうことです。待つのも一つの仕事ということで」


 必ず殺せる状況を根気強く待つための資金というわけだ。それだけ小太りの男は一回で確実に殺したいらしい。よく群れているという言葉から、一度失敗してしまえば以後は集団で行動する可能性は高いのだろう。そうなれば成功率は著しく下がる。となればやはり絶好の機会を待つべきだろう。


「……おやぁ?」

「なんだ? そこの二人は無理だぞ」


 視線の先には女性二人と子供しかいない。女性はそれぞれ後ろについてきていた男たちの妻で、子供は片方の息子だ。

 女性たちには退魔士の素養はない。ただ生まれた家が退魔士の家系だった為知識があっただけだ。


「いえいえ、私が見てたのはその子ですよ」

「なに?」

「……え?」


 きょとんした顔の男の子。ここまでよくわからないまま連れてこられたというのに疲れた顔も不安そうな顔もしていない。豪胆と言うべきか。


「お、おい。どういうことだ」


 隣りにいた男の子の父が困惑しながらも守ろうと間に立つ。それを見て小太りの男は小さく笑った。


「イヒっ。いえねぇ、そこのお子さんも結構な力を持っていそうだなと。どうです、その子も雇わせていただけませんかねぇ。もちろん前金と成功報酬は払わせていただきますので」

「な……ッ!?」

「断るのならこのお話はなかったことにしますが、どうしますか。イヒっ!」

「ぐ……ぐっ!」


 父親が歯を食いしばる。男としてはこの話がなくなるのは困る所の話ではないが、それでも家族を天秤にされては口を挟むことは出来なかった。


「……僕、お父さんのお仕事手伝うよ」

つかさっ!?」


 沈黙を破ったのは男の子の言葉だった。


「みんなが困ってるのわかるもん。だから、僕も一緒に頑張らせて」

「司……!」


 母親が我が子を泣きながら抱き締める。真っ直ぐな息子の瞳に、父親は小さく頷いた。


「……わかった」

「イヒっ、ありがとうございます。助かります」

「おい、要求は呑むが無理はさせない。それが条件だ」

「いいでしょう。こちらも奇襲に使えれば、程度の認識ですから」


 返事だけで口を閉じてしまった父親に変わり男が釘を刺す。誘った手前少しでも出来ることはしておきたかった。


「――ああ、そう言えば皆さんのお名前を聞いておりませんでしたね」

「俺は芦田あしだだ。こっちは白岩しらいわ八木やぎだ。それで、あんたは?」


 自分と二人の名を告げる。下の名前まで言う義理と信頼はない。そして、期待せずに同じ事を小太りの男に投げ返した。


「イヒっ、そうですねぇ……私のことは《熊》とでもお呼びください」

「《熊》、ねぇ……」


 本名は欠片も晒すつもりはないらしい。

 だが小太りの男の言った《熊》という言葉はなんだか上手く当て嵌まっているような気がして受け入れることは難しくなかった。

 それに自分を誘った女性は熊に対して猫で、それもすんなりと納得してしまった一因だった。


「はい。昔はそんな名前で呼ばれていたので是非それで。それでは――」


 熊と名乗った男は口角を吊り上げ、歓喜を叫ぶようにこう宣言した。


「――私たちの生活を、組織を破壊した男、《黒衣の騎士》・柊良治を! 必ず! 殺しましょうッ! イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ!」


【熊】―くま―

動物の熊、ではない。この場合はとある外法士のコードネーム。以前組織に居た時に付けられたものに近いらしい。

現在小太りではあるが、当時はさほどでもなかったようでその状態では熊と呼ばれていたのも納得出来るようだ。

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