崖下の戦闘
良治が崖から飛び降りて重力に身を任せたのはそう長い時間ではなかった。浮遊感の中、風を地面に向けて放ち衝撃を緩和する。
足から衝撃を吸収するように、そして手を付き頭部をぶつけないよう着地をした。
「行くぞ」
「おっけ」
「はい」
結那は派手に転がっていたがあれは受け身で、衝撃を和らげる手段の一つだ。土に塗れていることを除けば有効なものの一つだろう。
天音は黒狼『ぶち』に跨っている。途中で喚び出したのが良治にも見えていた。
森の奥から幾つもの殺気と共に獣の走る音が聞こえてくる。音の大きさからしてやはり天音の言っていた通り中型から大型のようだ。
「数は?」
「およそ二十頭程かと」
「了解」
数頭、数匹ならきっと天音一人で対処していただろう。だが二十ともなればそれは難しく、おそらく天音は数を確認してすぐに応援を呼ぶことを決めたはずだ。
自分の出来る範囲と出来ない範囲。それを正確に理解するには高い状況把握力と客観的な自分の能力の評価が求められる。
「まだ死にたくはないですし、助けてくれる人も近くにいましたしね」
「なんでも一人でやろうとしてた頃とはだいぶ変わったな」
「それはもう随分前のことでしょう。それに貴方に言われたくはないですよ。今だって貴方は――」
「二人とも、来る!」
「来ると言いながらお前は向かっていくんだよなぁ!」
結那は良治と天音に注意を促しておきながら自らは暗い森の中に突っ込んでいく。先手必勝、一番槍は譲りたくないらしい。
「行きますよ」
「ああ」
思わず結那に突っ込んでしまったことがちょっと恥ずかしいが、それを表に出さないように走り出す。隣の天音が小さく笑ったのは気のせいだ。
照れ隠しをするように良治は転魔石で刀を出して走り出した。
――魔獣との遭遇は直後のことだった。
「はぁああああっ!」
結那の気合の入った声と鈍い打撃音が響き、殴りつけられた魔獣は気に叩き付けられる。
その魔獣は一見すると黒ヒョウのようだった。しかしそれと比べると体格はやや大きく、そして何より違うのは魔獣特有の赤い瞳だ。
「結構いるわね!」
いつの間にか装着していたグローブで二匹目を相手にする結那。軽快なフットワークで鋭い爪を避けていくが相手はその一匹だけではない。彼女の死角から飛び掛かっていく『黒ヒョウ』を天音が手にした大鎌で迎撃して弾き飛ばす。
「気をつけてください、思ったよりも固いです!」
「了解!」
大鎌の斬撃を食らった黒ヒョウは地面を転がったもののもう既に立ち上がっている。直撃だったはずだが出血はなさそうでピンピンしていた。
「ッ!」
横から別の黒ヒョウがまるで足を刈るような低い体勢で飛び込んでくるが、良治はそれを飛びあがると同時に刀で真上から迎え撃つ。
しかし肉を切り裂くような手応えはなく、まるで何かを削っただけのような感触だった。
「良治っ!」
「どうした――おい」
「こいつらの毛ってすっごい固いわ! 針金っていうか、金属っぽい!」
「フシャー!」
呼び声に振り向くと、激怒していると思われる黒ヒョウをヘッドロックした結那が毛を毟るようにして観察していた。
「お、おう。わかった、ありがとう……」
「どういたし、ましてっ!」
「キャンッ!?」
毛を毟られた黒ヒョウは結那に蹴り飛ばされていく。ちょっとだけ不憫に見えなくもないが仕方ないことだ。
しかし何はともあれ金属に近い毛並みを持つということは斬撃は通用しづらいということだ。攻撃方法を変える必要がある。
良治のベルトに付けてあるポーチにはまだ幾つかの転魔石がある。その中から良治は一つを選び取り、すぐさま襲い掛かってきた黒ヒョウの眉間に突き立てた。
「良治が槍使うとこなんて久し振りに見るわね!」
「槍の方が適してると思っただけだよ」
鉄製のシンプルなものだがモノ自体は決して悪いものではない。深く突き刺した槍を痙攣する黒ヒョウから抜き、血を振り払う。
「天音、無理はしなくていい、時間だけ稼いでくれ!」
「――はい!」
良治の意図を理解した天音が返事をする。
主武装が大鎌の天音では黒ヒョウ相手に決定打を与え辛い。なら彼女が時間稼ぎをしている間に良治と結那で少しずつでも数を減らしていく方が良さそうだ。
「ち……!」
仲間を殺されていきり立った黒ヒョウたちが同時に多方面から襲い来る。その数四匹。
結那はやや遠い場所、天音はぶちと共に五匹ほどを引きつけている。
逃げ場はない。助けも来ない。一匹には攻撃される覚悟をして槍を振るおうとした瞬間、頭上から雷のような一撃が突き刺さった。
(まどか!)
誰の援護かなんて振り返らなくてもわかる。
一条の落雷は寸分違わず黒ヒョウの脳天を直撃し、そのまま地面に縫い付けた。突然のことに戸惑った黒ヒョウたちだったが、すぐにまた動き出そうとして――出来なかった。
黒ヒョウたちの怯んだ一瞬、しかし一瞬で十分だった。
一匹目の眉間に槍を突き刺し、抜くとそのまま後方にいた二匹目の赤い両目を薙いで切り裂く。そして三匹目が飛び掛かるべく足に力を入れた瞬間その咥内に深々と槍と刺し入れた。
「っと、さんきゅ」
「これくらいなんでもないわよ」
視力を失った二匹目にトドメを刺そうとした良治よりも早く結那が右フックで吹き飛ばしていた。やはりこちらを気にはしてくれているようだ。
「あんまり離れすぎるなよ」
「わかってるって。もう良治から離れるわけないじゃない」
「そういう意味じゃ――ッ!」
会話をしながら背中合わせに黒ヒョウを狩っていく。斬撃が効かないことに最初こそ戸惑いはしたが、対応方法さえわかれば怖くはない。鋭い爪や牙で一撃を貰えば深手は負いそうなので決して油断は出来ないが。
ちらりと天音の方を見るとひらりひらりと黒ヒョウの攻撃を、時には木の枝や幹を利用して器用に立ち回っていた。相変わらずの身の軽さだ。ぶちもその天音に合わせるように動いていて、さすが産まれた時から一緒なだけはあるなと感心する。
「まどかも調子出て来たみたいね!」
「だな」
あまりこちらには来ないが、まどかの矢は天音に纏わりついている黒ヒョウたちに時折突き刺さっている。頻度こそそんなではないが、射てば黒ヒョウの身体を外すことはない。
結那はいつも通りの接近戦で殴る蹴るの戦闘スタイルだが良治はそうはいかない。刀ではなく槍を扱っている分間合いは伸びたが懐に入られるとやや分が悪く、飛び込みのスピードに長じた黒ヒョウを牽制しながらの戦闘をすることになっていた。
(相手の得意不得意、自分の扱う武器で戦闘方法は変わる。この辺もちゃんと教えないとな)
相手と自分を理解し、そしてそれに合った戦闘方法を取捨選択出来れば勝率はぐっと上がる。実際に適した戦闘方法を実践出来ればという前提はあるが。
「あとは向こうだな」
「おっけ!」
二人は周囲の黒ヒョウを殲滅させるとまどかの援護の元立ち回っている天音の助けるべく走り出す。
暗闇の中戦う天音と目が合い、彼女が微笑む。余裕そうだなと良治が思ったのも束の間、彼の視線は天音の後方で固まった。
「結那、天音を頼む」
「え、あ――おっけぃ!」
良治の言葉の意味に気付いた結那が天音に向かい、良治は微妙に進路を変更して更に加速していく。向かう先は崖、そしてまどかの視界からは捉えられない崖下から登っていこうとしている黒ヒョウだ。
「まどか、下から一匹っ!」
「はーい!」
お互いの高低差は暗闇で分かり難いがざっと三十Mくらいある。黒ヒョウが今いるのは高さ十Mくらいのところだろうか。
あのまま上り続けることが出来るかはわからないが、まどかのところを目指しているのは間違いなさそうだ。
黒ヒョウもだがそれよりも自分はどうするか。小さな凹凸を足掛かりに少しずつ上昇していく黒い影を見ながら良治は考える。
(さすがに崖をよじ登るのは俺には無理だ。なら――)
風系統の術が得意と言っても空を飛ぶことは出来ない。浮かぶことが出来たとしても制御は無理だろう。
(――よし)
まだ黒ヒョウが崖の上に到着するには余裕がありそうだ。まどかも崖下を覗き込んでいるがその姿を捉えてはいないらしい。弓を構えたまま動いていない。
良治は強く地面を蹴って崖の壁へと跳んだ。
「はっ!」
そして壁を更に蹴って目をつけていた木へ。そこから木のしなりを利用して一気に黒ヒョウのいる窪みのある小さな足場へ飛び込んだ。
「ギ――!」
「――ッ!」
赤い瞳が良治を見た瞬間、怯え、怯んだような気がした。
良治は迷うことなく黒ヒョウの首に槍を突き刺し、黒の魔獣は岩壁に繋がれた。
「……ふぅ」
首を貫かれた魔獣は密着していた良治の腕を一噛みすると、それが最後の力だったように息絶えた。
「良治、大丈夫っ?」
「問題ないよ。向こうはまだ残ってる?」
「ううん、終わったみたい。こっちからはもう魔獣は見えないかな」
これで今夜の仕事は終わりだろう。しかし晴れやかな気持ちなど欠片もない。あるのは仲間が無事なことへの安堵感と殺生をしたことへの虚無感だ。
(……帰ろう)
良治は塵になって消えた魔獣の残滓を一瞥すると、左手で頬に付着していた返り血を静かに拭い、感情の消えたような表情でなんとなくまだ夜明けの遠い星空を眺めた。
【槍使うとこなんて久し振りに見るわね】―やりつかうとこなんてひさしぶりにみるわね―
良治がポーチに幾つか入れてある転魔石で喚び出せる武器の一つ。
熟練度も刀とそう変わらないが普段は刀で事足りるので出番は少ない。
この槍は自宅の押し入れに保管してあるが、大きなスペースを取っているのが悩みの種。




