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スケスケ痴女

 突然始まった結那と優綺の模擬戦。

 結論から言えば三十秒も持たずに優綺は敗北した。完敗と言ってもいい、気持ちが良いくらいの負けだった。


 道場の端まで殴り飛ばされたものの、大した怪我がなかったのだけは幸運と言えるだろう。

 しかし立ち去る時の結那の表情を見るに、もしかしたら手加減をしたのかもしれない。結那は勝利したことや身体を思い切り動かしたことへの爽快感を見せることなく、何処か不服そうな、不完全燃焼のような微妙な雰囲気で無言で道場から去ってしまったからだ。


 負けた方である優綺は何かを噛み締めるように立ち上がると、何事もなかったように訓練に戻り、今度は天音、そして更にまどかと手合わせをしていた。

 結果に関して言うことはないだろう。特別重要なことでもない。わかり切っていたことだ。


「次は郁未、と」


 良治は南雲家の客間の窓から外を眺めながら優綺から郁未へと思考を切り替える。

 窓を開けようかとも思ったが、この季節に開けるのはさすがに気が引けた。夜中とは言え七月、ほんの数分で汗が流れ出すのは明白だ。空調の利いたこの空間を捨て去るのは愚かだろう。


 郁未は優綺との模擬戦を見学していたが、しばらくすると道場の外に出て術の練習をしていた。優綺を見ていて何か思うことがあったに違いない。

 その光景を発見したまどかと天音は交代交代で郁未にアドバイスをすることにしたらしく、それはとても微笑ましく、良治にとっては有難いものだった。


 正直なところ郁未が受け入れられるか不安に思っていた面があった。結那はあまり合わないようだったし、天音も今までそこまで絡んでいたところは見たことがなかった。

 もう一人の弟子である優綺は幼い頃から知っていたせいか、良治に弟子入りした時も何の反発もなかった。


 だが郁未は違う。まったくの見知らぬ少女だ。退魔士として生きてきたわけでもない。

 そんな人物がいきなり彼氏の弟子になるとなったらあまりいい気はしないだろう。


 受け入れられた切っ掛けは、まどかだった。

 彼女は道場の外に出た郁未を見ていたらしく、扉の陰から彼女が何をしようとしているのかを確認してから出ていって会話を始めたのだ。


 にこにことしたまどかが話しかけ、それにたどたどしく返す郁未。会話の内容までは聞こえてこなかったがそこに悪意や負の感情は含まれてはいなかった。

 嫉妬しやすい傾向のあるまどかが自分から話しかけた。

 これは良治にとっても結那や天音にとっても大きかったように思う。『よかったですね』と良治の横を通り過ぎた天音の言葉からもそれは理解出来た。


「――どうぞ」

「ん……えへへ」


 襖の向こう側から聞こえて来た微かな足音が止まってから数秒してから声をかけると、照れたような恥ずかしそうな表情のまどかが控えめに襖を開けながら入ってくる。Tシャツに短パンという夏らしいラフな格好だ。

 ちょうど彼女のことを考えていたからか、良治は少しだけ恥ずかしいような気持ちになったがそれは表には出さない。


「どうした、眠れなかったか」

「それもあるけど、ちょっとお話したくて」

「そっか」


 言われてみれば確かに、支部に来てから二人で話すタイミングはなかった。弟子二人のことしか考えていなかったことを反省するが、きっとこの辺のこともまどかは理解しているだろう。だから別に怒りはしないし指摘することもない。良治はこれを反省して今後気を付けることにした。


「はい、お茶。それと――」


 汗のかいたペットボトルを渡したまどかはそのままそっと近づくと唇を重ねる。良治のTシャツの胸元を握る彼女の右手が震えていたことに気付いた良治は無言でその手を左手で優しく重ねる。


「お話、じゃなかったのか?」

「だって、最近会えてなかったし……んっ」


 寂しそうな彼女の唇を今度はこちら側から塞ぐ。

 頭を撫でながら、髪を梳きながら今度は深く口づけを交わす。お互いの唇が完全に離れたのは優に五分を過ぎてからのことだった。


「……もう」

「仕掛けたのはそっちからだからな。じゃあ最初の通り話でも――」


 悩まし気な吐息のまどかからマナーモードで震えた携帯電話に目を移す。あの光り方と震え続けるパターンは電話だ。


「悪い、出るぞ」

「うん、大丈夫」


 断りを入れてから畳の上に置いてあった携帯を手に取る。着信は――天音だった。


「はい。どうした」

「魔獣の群れの出現を確認しました。場所は支部から直線距離で北西に十km少しの山中。以前結那さんと見回りをした場所の更に奥、そう結那さんに話していただければわかるかと」


 電話越しの天音は固く静かな声で、まるで会話とは思えないような感じで事実のみを羅列していく。

 その声音で仕事関連の用件だと頭を切り替えた。


「北西十km少しの地点に魔獣の群れ、場所は結那に聞けばいい、それでいいか?」


 自分の聞いた言葉を理解し直す為と確認の為に復唱する。


「はい。手強そうです。結界を張っていますがお早めに」

「了解した。無理はするなよ」

「はい」


 言い終わると同時に通話が切れる。それだけ集中したいのだろう。あまり余裕はなさそうだ。


「魔獣だ。結那を起こしてすぐに――」

「おっけ! すぐに車準備するわね! 場所も任せて!」


 スパーンと襖を勢いよく開け放った結那が仁王立ちでそう宣言すると身を翻し猛ダッシュで玄関に向かっていく。


「待て! せめて着替えてからにしろっ!」

「はーーい!」


 まどかと一緒に固まった良治は一瞬でフリーズから復帰するとそれが一番大事なことだと言わんばかりに叫んだ。


「まどか、準備。急ぐぞ」

「あ、うん。……でも」

「でも?」

「さすがにスケスケのネグリジェ姿は、どうかと思うよね、うん」


 さっきまでいた親友の姿に、さすがのまどかも呆れているようだ。

 彼女があんな恰好で部屋の前にいた理由、それは深く考えなくてもわかることで、良治は少しだけホッとした。












 結那の運転する車は法定速度を僅かに超える速度で山道を丁寧になぞっていく。普段の彼女の性格から運転もやや荒っぽいような印象を持つが、そのハンドル捌きはむしろ繊細で驚いてしまう。


「ホントに起こさなくてよかったの?」

「ああ。疲れてぐっすり眠ってるみたいだったしな。それに訓練で体力使い切って眠ることが出来るのも若いうちだけの特権だよ」


 きちんと着替えた結那が助手席の良治に疑問を投げかける。それは優綺と郁未のことだ。


 準備をしている最中に迷ったことだが、出る前に部屋を見ると二人は異変に気付いた様子もなく深い眠りについていた。昼間の訓練は厳しく中身の濃いものだったせいだろう。結那の大きな声に反応しなかった以上無理に起こすことはない。


 良治はバタバタとした物音に気付き起きてきた葵と翔、そして正吾に支部と弟子たちを任せることにした。魔獣が今天音が把握しているだけとは限らない。万が一に備えてだ。


「私たちはもうそんなこと出来ないもんね。でもあの二人怒らないかな?」

「大丈夫だろ。現場に行って戦力になるかは半々だし、そもそも起こされなければならないことが減点だ。その辺は理解してくれると思うよ」


 退魔士の仕事は昼夜を問わない。むしろ夜の方が多いくらいだ。

 突然の仕事に起こされることもあり、退魔士として生きていくと自然に些細な音や気配に敏感になっていく。そうでなければ信頼を失う仕事だ。


「そろそろよ。――あ」

「天音だな」


 車の進行方向に小さく赤い光が数度点滅したのが見えた。天音がこちらを確認して炎で合図を出したのだろう。


 数度のカーブを経て停車する。良治たちは素早く降りるとUターン用のスペースから崖下の谷を注視している天音に合流した。


「お疲れ様。様子は?」

「結界で閉じ込めてはいますが時間の問題ですね。ただこの周辺に人家がないことがとても幸運です」

「まどか、見えるか?」

「……結界のせいで魔獣は見えないけど、地形はわかる、かな。ただ木が多くて見通しは悪いよ」

「さすが」


 灯りのない谷底を見通せるほど良治は視力に自信はない。力を使ってある程度視力が強化出来るものの、それは普通の人間の延長上だ。

 まどかは射手として一流だが、それを支えるものの一つに類稀な視力があった。


「天音は見えるか?」

「さすがにこの距離では。近付けばそれなりに見えますが、あまり頼りにはしないでください」

「了解」


 組織の暗部出身の天音も良治よりは見えるようだ。ちなみに結那は良治と同じ程度しか見えてないようで、目を一生懸命に凝らして崖下を睨んでいるがまったく反応がない。


「それで結界内の魔獣の数と種類は?」

「中型から大型が全部で――結界、破られます!」


 天音が叫んだ瞬間、濃密な殺気と瘴気が四人を襲う。

 しかし誰一人臆する者はいない。


「降りる。崖下から一体も逃がすな!」


 言いながらガードレールを乗り越える。結那と天音の二人も言い終わるより前に宙に身体を躍らせていた。


「――」


 三人を見送るのはまどかだけ。彼女の役割は上からの射撃、援護だ。


 ――振り返った一瞬、目が合い、良治はそれだけで無敵になれたような気がした。




【スケスケのネグリジェ姿】―すけすけのねぐりじぇすがた―

結那が良治に夜這いを仕掛けようとした恰好。部屋に入ろうとしたところ話し声が聞こえてきて中の様子を伺っていたらしい。

まどかも挑戦しようとしたことがあるが、恥ずかしくて買うのを断念したという。

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