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たった一つの助言の効果

「やっ!」

「うひっ!?」


 深夜の上野公園、いつもの場所でいつものように訓練をしているのは優綺ゆき郁未いくみだ。

 二人とも良治よしはるの渡した同じ棒を使って打ちあっている。攻勢なのはやはり訓練歴の長い優綺で、良治が教えだした棒術も十分様になっている。


 良治は二人の攻防を観察しながら額に噴き出て来ていた汗を手で拭う。もう七月も中旬、屋外で訓練するには厳しい気温だ。深夜で気温も下がり、陽射しもないとはいえそれでも立っているだけで汗が出て来てしまう。


 街灯の僅かな光に優綺の髪飾りが僅かに反射した。

 それを見て優綺と二人で行った七夕のお祭りを思い出す。と言っても二人でいた時間は短く、すぐに大人数になってしまったのだが。


 その短い時間に買った琥珀色をした五枚の花弁のブローチ。

 それを彼女はとても喜び、大事にし、常に付け続けていることを良治は知っていた。プレゼントしてから一週間、彼女のモチベーションはずっと高いままで今が教え時として最適とさえ思えてくるほどだ。


 彼女たちが順調に力をつけていくのを見て、良治自身ももっと上に、強くなりたいと思うのだが中々その為に裂く時間がないのが現状だ。

 一朝一夕で身につく強さを良治は求めてはいない。何かの切っ掛けで一気に伸びることは確かにあるが、それはほとんどの場合未熟な若い頃にあることだ。自分はもう成長期を過ぎ、今はもう少しでも昔に近付くことしか出来ないと考える良治には難しいと感じていた。


「ひゃあっ!」


 郁未の悲鳴で良治は思考を目の前の二人に戻す。

 郁未の棒は優綺に弾かれ地面に転がっていく。当の郁未は尻餅をついて両手を上げ、降参の意を示していた。


「そこまで。郁未、ちょっとこっちに」

「……はぁい」


 説教の類と思ったらしい郁未が少しだけ重い足取りで歩いてくる。優綺はほっとした表情だ。


「優綺の棒捌きはどうだ?」

「……すっごい。一生かかっても私には出来ないかも」

「一生かければ届く範囲だとは思うけど」

「そうかなぁ」

「届くし、なんなら今ここで勝つのも無理じゃない。それは――」


 腰を落として郁未の耳元で囁く。ちょっとツインテールが邪魔だった。


「え、うん……うんうん。わかったわ!」

「よし、じゃあそんな感じで」


 大きく頷いた郁未を見て良治は先ほどの位置まで戻る。ちらりと見た優綺は何かを探るような表情で二人を交互に見たが、すぐに何かを考え出したようだ。


「じゃあもう一度やろうか。これが終わったら休憩で」

「はーい」

「わかりました」


 優綺はいつも通りの構え。やや強めに棒を握っている。

 対する郁未はいつもよりもリラックスしていて余裕が見えた。


「――はじめ」


 良治の声で模擬戦が始まる。先手を取ったのはやはり郁未だった。


「はっ!」


 基礎を踏襲しながらもやや大雑把な棒の軌跡。優綺はそれを丁寧に捌いていく。

 優綺は積極的に攻勢に出ず、郁未の様子を伺いながらやり過ごしているようだ。


「うっ!」

「――ッ!」


 しかし実力差がある状態では郁未が攻め続けるのにも限界がある。無理に放った郁未の突きを優綺が大きめに弾く。

 そしてそれをチャンスと見た優綺は今回初めて一歩前へ出た。


「っ!?」


 棒を弾かれて体勢を崩した郁未は、意味ありげに棒から離れた左手を優綺の前に出した。そしてそれは優綺の動きを止めるには十分な出来事だった。


「やぁっ!」

「ぐ、うっ!」


 右手一本で振られた郁未の一撃は優綺の左肩に直撃し、苦悶の声を上げる結果になった。致命傷でも吹き飛ばされたわけでもないが、避けられない一撃が入ったのは間違いなかった。


「それまで」

「やった、勝ったっ」


 その場で疲労も忘れてぴょんぴょんと飛び跳ねる郁未に良治は満足げな笑みを浮かべる。郁未当人もまったく勝てると思っていなかったらしく喜びを爆発させていた。


「……あの、郁未さんにどんなアドバイスをしたんですか?」

「その前にはい。休憩がてら座りながらな」

「あ、はい。ありがとうございます」


 近付いてきた優綺にタオルとスポーツドリンクを渡して座らせ、満足顔で歩いて来た郁未は良治の逆隣りに座ったところで話を再開する。


「で、そうだな。自分で考えてみようか。まず今回郁未の行動で引っかかったことを挙げていこう」

「ええと、先生の話を聞いてから何か自信があるようでした。それといつもと少しだけ構えが違ったような……?」

「あとは?」

「凄い攻撃的でした。でも結局何か策のようなものはなくて。それで、一番に気になったのはあの前に出された左手です。あれは……?」


 自分の動きを止めた左手。当然それが一番気になることだろう。


「よし郁未。最後のあの左手の意味を優綺に教えてあげて」

「え、うん。あの左手だけど……なんの意味もなかったよ?」

「え……?」


 郁未の無邪気な答えに言葉を失う優綺。だがその気持ちはわかる。

自分がしてやられたことに何の意味もないと言われたら絶句してしまうだろう。


「俺があの時言ったのは、何か作戦を聞いたふりをして余裕を持つこと、普段と違うことをすること。そしてきっとそうしたら優綺は様子見に回るから、そこから攻撃に回る瞬間に何か意味深な行動をすること。これだけだよ」


 優綺の性格上、未知のことがあるとわかれば様子見から入るのは想像に難くない。そうなればこちらに余裕が生まれ攻撃に出るのは難しくない。それが上手くいくかは別としてだ。


「でもやっぱり優綺って凄いわね。ずっと攻撃してたのに全部防がれちゃうなんて」

「弟子にしてもらって一番教えて貰ったことですから。それで、最後の意味深な行動っていうのは」

「あ、うん。私も聞きたい」

「優綺はともかく郁未は意味を理解してなかったのか……」

「あのタイミングじゃ聞けないじゃない? 自信満々でいなきゃだったし」


 一番最初に言ったことを優先した為聞けなかったらしい。だが実際にそれで乗り切ったので多くは言わなくていいだろう。


「まぁやったことは最初と同じようなことだよ。優綺は未知のものに対してまず観察する傾向にある。それが守りから攻めに切り替えようとした時に起きたらどうなるか」


 結果はもう出ているが、優綺は迷うと思ったからこその提案だった。攻撃に出ようとした瞬間に不可解なことが出てくれば、そのまま攻撃するのかそれとも防御に回るのか判断しなければならない。


「……なるほど。どうするか迷って動きが止まることを見抜かれていたと」

「そういうこと。この辺は人読みになるけど、でも停滞は良くない。攻撃に移った以上そのままいくか、危険と判断して防御するのか。それとも動きを止めてその場でとどまるのが最適なのか。思考を止めずにどれかしらを選べるようにね」


 思考が停止し身体が硬直している状態、それは言うまでもなく無防備な状態だ。それも今回は相手の間合いに入ってる。実戦では致命的だっただろう。


「はい、わかりました。もう郁未さんには負けません」

「ふふーん。また勝っちゃうかもよ?」

「もう騙されません。真っ当に行けば勝てると思いますし、今後はそれでいきますから」

「う……いや、もう少し慎重にいって欲しいんだけどぉ……」


 策なしでの真っ向勝負なら郁未に勝ち目はない。先ほど良治がしたことは、郁未の勝てないことのストレス緩和と優綺の過信の抑制が目的だ。狙いは上手くいったと言っていいだろう。


「ああ、そうだ。判断の話と言えばいつか言ったことは覚えてるかな」

「私に足りないものの話で、私が判断力って言ったことですよね」

「そうそう。でもたぶん俺の思う意味とは違うかもと言ったこと。優綺はどんな意味で使ったのかな」


 あれは訓練を始めてからそんなに経っていない頃の話だ。話の内容もそうだが、その話の後に一緒に来ていた結那と真剣勝負をしたことでかなり印象の残る日だったと言える。


「私が言ったのは、その相手に合わせてどうやって戦うのかです。どんな武器や術を使うのかとか、どんな戦い方をするのかとかです」

「うん、そうだよね。でも俺が考えてるものとは違うんだ。判断力とは相手とどう戦うではなく、まずその相手と戦う必要はあるのか、その戦闘がもたらす成果はなんなのか。その判断力だ」

「成果……」


 退魔士の仕事はどうしても戦闘が多い。それ自体が目的なこともあるだろう。しかしだからと言って全てを戦闘で解決していっては大事なことを見失ったり、必要以上のものを失ったりするだろう。

 だからこそ何も考えずに戦うのではなく、その戦闘の意味を理解してほしいと良治は考えていた。


「確かに相手を倒すことでしか解決しないことはある。でも時にはそれ以外の解決方法もある。そのことを忘れないでほしいんだ」


 相手を打ち倒す以外の解決法。当たった仕事の最終的な目的。

 それを常に心に留め置いていれば余計な戦闘は避けられることがあるかもしれない。

 それは自分を守ることで、更に言うなら相手を傷つけずに治められる重要なことだ。


 戦闘なんて避けられるなら避けた方がいいに決まっている。

 良治は退魔士として生きてきて、これからもそうであるだろうが、それでも出来るだけ人は殺したくないと思っている。稀に現れる外道以外はだが。


「一人の退魔士としては上からの指示だけ聞いてればいいんだろうけど、俺としてはもっと視野を広く持ってほしい」

「視野を広く、ですね。頑張ります」

「うん。郁未も考えることを忘れないでな。もちろんそのタイミングも含めて」

「え、あ、うん。が、がんばる」

「……まったく」


 自分の話じゃないと思ってほとんど話を聞いていなかった郁未に頭を痛めつつ、良治はまだ教えるべきことが多いことを自覚した。


 教えたいことは多い。だがそれはある意味自分の人生経験そのもので、基礎の知識や技術を踏まえてからのことも多く、今一気に教えても混乱するだけだ。


「よっし、もう休憩はいいな。優綺、ちょっと手合わせしよう」

「っ……はいっ!」

「気合が入ってるようで何よりだ。郁未、合図を頼む」

「はーい!」


 まずは戦闘に巻き込まれても自衛できるだけの実力を。

 良治は優綺たちと同じ棒を喚び出し、薄く微笑んで構えた。


「はっじめ!」

「やぁっ!」


 先ほど後手を踏んだことを吹き飛ばすように、優綺は思い切り良治の身体目がけて突きを繰り出した。




【人読み】―ひとよみ―

特定の個人に対する読み。付き合いの長い者や親しい者に対して効果が高く、性格や行動パターンを根拠にするもの。

良治は戦闘だけでなく、趣味である麻雀でも使用しているらしい。

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