夕陽の告白
告白。それは秘密の吐露であり、勇気を振り絞った行為。
そして、学生の間で告白と言えばそれはほとんどの場合愛の告白を指す言葉でありまさに青春を表す一大イベントに他ならない。
良治はリビングから聞こえてきたその言葉に少しの間動きを止めていたが、小さく息を吐くと固まっていた手を動かしてドアノブを回した。
「――あ」
「お、おはようございます先生」
「うん、二人ともおはよう。でも近所に迷惑だからもう少し声は抑えるように」
テーブルで向かい合わせに座っている二人に挨拶をする。郁未は短く声を上げた後、しまったと言わんばかりにそっと目を逸らし、優綺の方は動揺しながらもきちんと返してくる。とても性格が表れる一場面だ。
「ごめん、なさい」
「はい……」
「次からは気を付けてな」
「はぁい。あ、そうそうセンセ、それでね。優綺がクラスメートに告白されたって!」
「あの郁未さんっ!?」
叫びながら蹴飛ばしそうな勢いで椅子から立ち上がる優綺。テーブルを叩く良い音も聞こえてきた。
真っ赤になった優綺の顔を見て、郁未がようやく何かに気付いたように「あ」と声を漏らす。
「あ、えっと……ごめん優綺」
さっきの表情は『大声をあげてしまったこと』に対してのもので、今回のは『うっかり優綺の心情も考えずに喋ってしまったこと』に対してのものらしい。
てっきり良治は先の反応が後の反応の理由だと思っていたので少しだけ優綺が可愛そうに思えた。
「告白されたのか。まぁ優綺は可愛いからね。当然と言えるか」
話しかけられた以上反応はすべきだろう。素直な感想を述べてみる。
「可愛い……あ、ありがとうございます」
「それで、どんな感じの子にどんな風に告白されたんだ?」
「え、センセが聞いちゃうの」
「うーん、ちょっと気になるかな」
郁未が話をこちらに振らなければそのままスルーしようかとも思っていたのだが、もう一度聞いて僅かばかりだが好奇心が湧いて、知りたいと思ってしまったのだ。
このセミロングの可愛らしい一番弟子にどんなことがあったのかを。
おそらく良治が聞かなければこの話題はひとまず終わっていただろう。郁未が自分の失態に気付いたので、少なくとも良治の前ではこの話題はもう出さないはずだ。
ならば自分で聞くしか知る術はない。
「……わかりました。ええと――」
優綺は椅子に座り直すと、微妙な表情の郁未と微かに笑みを浮かべていた良治たちを交互に見つめてから重い口を開いた――
それは一昨日の午後に遡る。つまり金曜日の放課後だ。
「あ、あのさ、石塚」
「はい、なんですか矢板くん」
夕陽で影が伸びた校舎裏、教室の掃除当番だった優綺は最後の仕上げとも言うべきゴミ捨てを終えて一息ついたと同時に声をかけられた。
振り返る前から相手は誰かはわかっていたので驚きはない。教室から距離を置きながら自然を装って優綺を追っていたことに気付いていたからだ。
素人の尾行に気が付かないようでは退魔士とは呼べない。そこで何故か郁未のことを思い出して優綺は少し笑ってしまった。
優綺が小さく笑みを浮かべたことに彼は何か良い方に考えたらしい。
「その、さ。突然でホントに悪いって思うんだけど……」
悪いと思うのなら今からでも控えてくれないかなと思う。
だがきっと彼にそんな選択肢はないのだろう。強い覚悟を感じる表情に、優綺はそれを諦めた。
残念なことに周囲には二人以外誰もいない。
後頭部をガシガシと掻きながら喋っているのはクラスメートの男子だ。バスケ部に入ってその高い身長と運動神経で、この学校ではそれなりに強いバスケ部で既に練習試合に出場している逸材――とは噂好きの友人の談だ。彼女曰く一年生では異例のことらしい。
優綺は全く気に留めていなかったが、そんな実力と割と整った顔立ちで一年生の間では一番人気らしく、キャーキャー騒ぐ友人たちの影響で頭の片隅には残っていた。そうでなければまず『どなたですか』とでも聞いていただろう。
それだけ優綺は男子に興味がない。ほとんどのクラスメートの男子は名前か顔だけ、もしくはどちらもわからない状態だ。顔と名前が一致しているのは目の前で目が泳いでいる矢板以外はほんの二、三人だろう。そういった意味ではまだ矢板は望みがある方だと言える。
「ええと、用がないのなら」
「あ、ちょっと、ちょっとだけ待ってくれっ」
言葉の途切れた矢板に優綺が立ち去ろうとするがすぐに止められてしまう。優綺としては早く教室に戻って待っているであろう友人たちを解放してあげたい。もう一つ個人的なことを付け加えるのなら、早く帰宅して今夜の訓練の為に仮眠を多く取っておきたいところだ。
「その、俺、前から……四月からずっと石塚のこと見てて、めっちゃ可愛くて、気になって……。
――俺っ……石塚のことが好きなんだ……! その、俺と付き合ってくれ!」
それは大きな声で、矢板総一郎というこの少年は優綺に向けて愛の告白をした――
「――男らしいっていうか、凄いわね。ああ、若いっていいわね……」
「郁未さんも十分に若いでしょうに……私が言うのもなんですけど」
二十歳の女性が高校生の恋愛模様を羨むのはどうなのか。
話が進むにつれて前のめりになっていた郁未と同じだけ優綺は引き、良治はそんな二人を見て苦笑する。最初考えていたような摩擦はなく、短い期間でまるで姉妹のような関係に見えたからだ。
「ねね、背が高いってどれくらい? 身体つきとかっ」
「背は……そうですね、一八〇くらいだと思います。身体つきは割とがっしり、かな?」
「へぇ、へぇ……! うん、なんとなくイメージ出来たかも。そんなコが優綺に……!」
「そんな想像してどうするんですか……?」
にやにやと嫌な笑みを浮かべる郁未に困惑しながら少し引く優綺。意地が悪そうというか悪戯っ子のような笑い方にどちらが年上かわからなくなりそうだ。
「なるほどなぁ。うんうん。優綺に惚れるなんてその子はとても見所がありそうだな。じゃ顔洗ってくるよ」
「あ……」
「え?」
聞きたいことは聞き終えたとばかりに良治は洗面所に向かう。後ろから二人の声が聞こえたが立ち止まることもないだろう。
「――あの、センセ。なんで最後まで、っていうか優綺がどうしたか聞かないの?」
洗面所で顔を洗い終わり、備え付けのタオルで滴る水を吹き終わったのを見計らったタイミングで、扉から覗き込むような体勢の郁未がおずおずと口を開いた。
どうしても気になってしまったのだろう。優綺はそれを尋ねるかどうかを迷い、それを見た郁未が気を利かせて来たと良治は予想した。もしかしたら完全に彼女の好奇心かもしれないが。
「なんでって。そんなのもう最初から答えなんて決まり切っているじゃないか」
「え?」
優綺の対応など聞かなくても予想できる。いちいち聞く必要もないと判断したからその先を促さなかっただけのことだ。
「今の優綺の最優先事項は一人前の退魔士になることだよ。それ以外に構っている余裕がないことは、優綺が一番理解してるはずだから」
優綺の学ぼうとする姿勢に疑いの余地はなく、それを良治は信頼していた。むしろ少しくらい遊びを覚えて視野を広げた方が良いのではと思うこともあるくらいだ。
良治自身は今の優綺の年の頃は訓練よりも実戦が多く、迷う暇も退屈する暇もない日々だった。だからあの頃は今の彼女のようにひたすら訓練に明け暮れることはしたことはないが、それでも昔の自分よりも刺激の少ない生活なのはわかっている。
だがそれを向上心が上回り、地道な努力を続けられている忍耐力を良治は心底尊敬し、認めていた。少なくとも自分には出来ないことだと理解しているからだ。
「……知ってたけど、凄い信頼してるんだね優綺のこと」
「そりゃまぁね。向上心があって飲み込みも早い。教え甲斐があるってもんだよ」
教え子として満足以外の何物でもない。逆に自分の教え下手が気になってきていて、頑張らなくてはならないなと感じているくらいだ。
「それに優綺はまだ誰かと付き合いたいとか考えたことないんじゃないかなって、そんな風にも思えるし。仕事が、ってわけじゃないけど今は訓練が恋人って感じかね」
「……はぁ」
「どうした?」
「ううん、なんでもない。なんでもなーい」
「んー?」
郁未は何か不満そうに言うとそのまま身を翻してリビングに戻っていってしまう。残されたのは何故か消化不良感を残された良治だけだ。
「あ、一つだけ」
「……なんだ?」
戻ってひょっこりと顔だけ出してきた郁未はツインテールを揺らしながら一言呟いた。
「センセって彼女三人もいるのにあんまり女心に聡くないわよね」
「…………」
今度こそ去った郁未のいた場所を苦々しい表情で眺めながら、良治は少しだけ時間を置いた後溜め息を吐いた。
「……そんなん知ってるよ、痛いほどに」
気分を切り替えようと、良治はもう一度顔を洗い出した。今度は先ほどよりも多めの水で強めに。
「ね、優綺、どうしたの?」
「あ、ええと……喜んでいいのか落ち込めばいいのか、ちょっとわからなくて。……いえ、信頼されてることを喜ぶべきですよね――ってこっちに聞こえるように喋らなくても」
「たまたま聞こえちゃっただけだと思うわよー。断ったとは思ってるけど、実際なんて言ったの? おねーさんに教えてよー」
「断ったのだけわかってればいいじゃないですか――って背中から抱き付かないでください、もうっ」
「ほらほら、戻って来ちゃうから早く早く」
「もう……別に大したことじゃないですし、普通のことしか言ってません。……『憧れている人がいるので、今はその人を追いかけていたいのでごめんなさい』って。それだけですっ――ああもう、郁未さん、ニヤニヤしないでください! だから言いたくなかったのにぃっ!」
【憧れている人がいるので、今はその人を追いかけていたいのでごめんなさい】―あこがれているひとがいるので、いまは(以下略)―
石塚優綺が矢板総一郎を振った時の言葉。ちなみにこの後矢板はその人は誰か聞いたが優綺は答えなかった模様。
彼はこの後の高校生活で彼女を作らず、優綺に認められたいが為に部活に打ち込みこの学校初のインターハイ出場を決めるまでに至るのはまた別の話。




