新たな命
「マジかっ!」
「おうマジだ。一時間くらい前に産まれたよ。綾華も子供も無事だ」
声量を抑えてはいるものの、湧き出る嬉しさは止められないらしい。電話の向こう側の、病院にいるらしくややくぐもった声の友人の姿を思い描いて良治は小さく笑った。
良治が和弥から妻である綾華の出産の報告を得たのは、あの新宿の件から三日後の早朝だった。
後処理が終わり、この日も二人の弟子の訓練を終えて帰宅して自室に入った矢先に嬉しい連絡があったというわけだ。
「それは何よりだ。でもまだ予定日より早かったよな?」
「ああ、まだ一週間以上あったから焦ったよ。それも陣痛来てすぐだったし」
「まぁ長くかからなかったってことはいいこと、なはずだ。頑張れよ」
「サンキュ。頑張る、というか頑張ざるを得ないというか頑張りたい。全力で」
どんなことがあっても常に前向きなところは和弥の長所だ。見習いたいところであり、少しは学べたかもしれないと思っているところでもある。
「そういうとこがお前のいいとこだよ。……ああ、他に連絡をしておくところあるか? バタバタするだろうから少しくらいなら」
これから和弥は綾華と子供に付きっきりになる。こればかりは代わることは出来ないが、それ以外の雑事の負担は少しくらいなら軽くできるだろう。
「あー、でもきっと綾華もまどかあたりに連絡するはずだから……いや頼むわ。東京支部に回しておいてくれ」
「了解」
綾華ならおそらく近々自分で連絡をするだろう。だが少しでも負担を減らしたい気持ちはわかる。頑張ってくれた妻を少しでも休ませてあげたいのだろう。
「――あ、もう一か所頼んでいいか?」
「もう一か所? 何処だ?」
良治はそれなりに顔は広い。大きな支部の支部長くらいなら直接連絡は取れる。だが和弥が白神会を通さず個人的に連絡をしてほしい場所とは何処なのか。
「霊媒師同盟」
「……なるほど」
確かにそこに連絡をするのに一番適した人材は良治だ。良治以外に適任はいないと言ってもいい。嬉しくはないが。
霊媒師同盟に連絡、ということはつまり従兄妹である志摩崩に連絡をするということになる。ここで良治は四月頭あたりに電話をして以来、一か月以上一切何もしてないことに気付いた。
「まぁそんなわけで頼む。んじゃ」
「……おう、頑張れ」
通話が終わり無機質な電子音が流れ――それも途絶えて携帯電話は買った当初のままの待ち受け画面に戻る。
「……さて」
今から電話をするのはない。こんなまだ五時にもなっていない時間、崩はまだ夢の中だろう。何処かにメモでもしておいて、ひと眠りしてからがいい。相手にとっても自分にとっても快眠はこの上なく贅沢なものだ。
「あの……」
「どうぞ」
「はい、失礼します」
携帯電話を眺めていた良治の背後から聞こえてきたのは遠慮がちなノックの音と声。
そう言えば大きな声を上げていた。おそらく電話をしているのが聞こえていたのだろう。この部屋のドアも壁もそこまで厚くはない。
「どうした」
「あ、大きな声が聞こえたので……何かあったんですか?」
入って来たのはまだ部屋着にも着替えていない優綺だった。帰って来たままの服装で、心配そうな表情を浮かべて両手を胸のあたりでぎゅっとしていた。
「ああ。でも悪いことじゃないから大丈夫だよ。綾華さんが無事に出産したって連絡だから」
「わ……それはおめでたいですねっ」
ぱぁっと顔が煌く。どうやらこの時間の電話ということで何か良からぬことが起きたのかと思っていたらしい。その傾向は確かにあるので彼女の気持ちもわからないでもない。
「たぶんそのうちお祝いに行くから。……そうだな、二人も一緒に行くか」
優綺が良治の弟子になったのは綾華の協力があってこそだ。こういうお祝い事にはちゃんと挨拶をしておいた方がいい。
そして郁未は未だに京都本部に行っていない。一度挨拶はしておかないとならない為、これもいいタイミングと考えて連れて行くべきだ。
「私、赤ちゃん見たいです。お願いします」
「了解。一週間後くらいか、向こうが少し落ち着いたら行こう。郁未は?」
「あ、郁未さんはお風呂入ってます。あとで伝えておきますね」
「わかった、頼むよ」
そういえば郁未は今日の訓練で盛大に転がっていた。と言っても転がしたのは良治自身だ。上手い具合にカウンターが入ってしまい、棒で突かれた郁未は数M転がり髪の毛が酷い有様になっていたので帰宅して真っ先にシャワーを浴びたい気持ちはわかる。
「では」
「ああ」
優綺が扉を閉じて去る。今日は平日で優綺には学校がある。郁未が風呂から上がったら入れ替わりに入り、軽い朝食を食べたらもう登校時間だ。
こう見ると優綺に睡眠時間がないように思えるが、平日は学校から戻ってきたらすぐに寝ていて起きるのは日付けが変わる手前。それから訓練に向かい、少し休んでから学校という生活が一緒に住むようになってからの日常だ。
(もうそろそろ次の段階に入りたい、が)
体力にやや不安は残るが、その他に関してはそろそろ一人前と呼べる領域に差し掛かってきている。近接型の退魔士としてという注釈はつくが。
そもそも彼女はどちらかと言うと魔術型に特性のある退魔士だ。それがそちらを伸ばすよりも先に近接型の訓練をさせたのは、良治の好みが多大に影響している。ギリギリのところで生き残る可能性が高いのは近接型の方で、それはやはり体力面が影響している。
相手を倒すことよりもまずは生き残って欲しい。
そして一人前以上の退魔士になるにはやはり真剣勝負が一番だ。ある程度知識や技術が理解出来るという土台に、ようやく経験を上乗せしていけるようになる時期。ここでどれくらい経験を積めるか、それは今後の成長に非常に大きな違いとなる。
(優綺の方針はそれにするとして……あとは郁未か)
郁未も基礎体力は付きつつある。と言っても優綺に比べればまだまだだが、今まで訓練など受けて生きてきていないのでそれは仕方ないだろう。
郁未は優綺よりも更に魔術型寄りの印象がある。近接戦闘は苦手なのでどうしてもそうなってしまうということだろう。
幸い術の扱いは少しずつ向上しているのでこのまま伸ばしていくのが一番だと思える。年齢のこともあり、色々なことを覚えさせるよりも一つのことを集中して吸収させていった方が大成出来そうだ。
(あとは座学か。ちゃんとその辺も纏めておかないとな)
退魔士として必要な知識は多い。戦闘に関することは当然として、その他にも覚えておいた方がいいことはある。それらは役に立つかはわからないが、いつか生き残る切っ掛けになるかもしれない。
――良治は睡魔が来るまでのおよそ一時間、メモにペンを走らせた。
「この度はおめでとうございます。ご健康そうで何よりでございます」
「ありがとうございます。こちらこそ遠方からわざわざありがとうございます。深く感謝致しております」
「いえ、お気になさらずに。赤ちゃんを見るのはとても好きなので……ふふっ」
にこやかにやり取りをする二人の長い黒髪の女性。そこに他意はなく、純粋に感謝と幸せを願う言葉が交わされているように良治には思えた。
実際に敵対関係でもなく、深い付き合いでもないのでそれは間違っていないはずだ。
出産して一週間が経った綾華は京都本部の敷地内にある自宅である離れのベッドにいた。彼女の隣に置かれたベビーベッドにはすやすやと眠る小さな赤子がおり、その可愛さでその場にいる全員の目を奪っている。
特に二人の弟子は挨拶をしてからずっとその赤ん坊の手を人差し指で触れていて、とても微笑ましい光景だ。
綾華はベッドの上ということで部屋着代わりの浴衣、崩の方も派手過ぎない着物で、これでベッドでなく布団だったなら時代劇の一幕かと錯覚するくらいだ。
「崩さまもきっとそのうちに……」
「そうですね。そういう時が来ればいいなと、そう思います」
良治に背中を向けた状態で話す崩から、なんとなくこちらに意識を送られた気がしたがスルーする。
反応しても良いことはない。良治の隣に立ついろはからも横目で視線が飛んでくるが気付かない振りをする。
良治たちが今いるのは綾華の私室で、ベッドにいる綾華の一番近くで椅子に座っているのは霊媒師同盟の盟主の志摩崩。そしてその後ろに良治といろはが立っており、二人の弟子は前述のとおり置かれたベビーベッドに食いつきっ放しだ。
本当なら良治たち三人で訪れる予定だったのだが、崩に連絡をしたところノリノリでお祝いに行きたいと言い出し、最終的にまたも護衛として付き添うことになってしまった。
面倒なことは避けたかったのだがどうやら白神会では志摩崩の担当は良治だと認識されているらしく、『他の誰が担当するんですか?』と経緯報告をした後綾華に言われてしまっては逃れることは出来なかった。
「――それでは私たちはこの辺で。お身体に気をつけてくださいね」
そう崩が言って立ち上がったのはそれから雑談を数分してからのことだった。良治が前もって早めに切り上げようと話をしていたのでそれを考慮してくれてのことだろう。
「すいません。本日は本当にありがとうございます。またいずれ」
「その時を楽しみにしていますね。では」
丁寧なお辞儀をして部屋を出ていく崩とそれについていくいろは。
「その、また来ますね」
「はい。優綺さんも頑張ってくださいね」
「は、はいっ」
赤ん坊に後ろ髪を引かれながらもぺこりと頭を下げて優綺も出ていき、残されたもう一人の郁未はちょっと迷ってからお辞儀だけして退出していった。今日が初対面で何を言ったらいいのかわからなかったのだろう。
お祝いの言葉は部屋に入った時に言ってたので、良治としては許容範囲だ。
「それでは俺も。本当にお疲れ様でした」
「おめでとうと言わずにお疲れ様と言うのは、とても良治さんらしいですね」
ふふ、と笑う綾華。言われて確かにおめでとうだろうと思って自分に苦笑する。めでたい時くらいそっちを優先してもいいだろうと。一度言っただけでいいと思ってしまっていた自分は何処かずれている。
「まぁそれはそれとして、これから兄さんたちに会うのですか?」
「ええ。お茶でも飲みながら今後のことを話したいと」
正直なところ嫌な予感しかしない。綾華の出産祝いという用件が終わった以上出来れば急用をでっち上げてでも帰りたいところだ。
本当ならそそくさと帰るつもりだったのだが、綾華のところに来る前に隼人に見つかってしまったのは致命傷だった。というかきっと待ち受けていたのだろう。
(そうじゃなきゃ白神会の総帥がその辺をうろうろしているわけが――いやそういうことする人だけど。まぁ今回は何かしら用件が、面倒ごとがあるんだろうな……)
最近は落ち着いているらしいが、昔はフットワークが軽い気まぐれな人物だった。それだけに何をしてもおかしくないと思えてしまう。
主にその被害にあっていたのは和弥と良治、そして綾華も心労を抱えていただろう。
「それは……頑張ってください」
「はい……」
悪い人物ではないが無茶振りは勘弁してほしいというのが本音だ。それは綾華も同じらしい。
「ええと……そういえば先日元陰神の外法士を倒したと。何かが起こっているのでは?」
「その可能性はありますね。ただ何故このタイミングなのかっていう疑問はありますが。霊媒師同盟が動いたことで何かしらのバランスが崩れたんでしょうかね」
最近あった大きな事件といえばやはり霊媒師同盟の白神会襲撃事件だ。それしか思い当たることはなく、それによって何処かの勢力バランスが変化し、その余波で活動的になった勢力がいる――そう考えるのが妥当だと思えた。
「そうですね、私もそう思います。ですが」
「ですが?」
「もしかしたら良治さんに原因があるのかもしれませんね。恨みは買っているでしょう?」
「まぁそりゃそうですが。でもそれを言ったら退魔士なんて仕事してる者は大概そうですよ」
「ふふ、そうですね」
悪霊などを相手にしているだけならいいのだが、それ以上の魔族になれば知能があり、そうなれば恨まれることも出て来てしまう。
そして恨んでくるのはそれだけでなく、敵対する退魔士も非常に多い。仕事がかち合ったり利権争いだったりと理由は様々だが、一度敵対してしまうとその収拾は難しい。
生きていく限り誰にも恨まれないのは非常に困難だ。逆恨みを受けることもあるだろう。だが一般的にはそれが命の危険まで行くことは多くない。
しかし退魔士は一般人以上にそれが身を脅かすレベルまで行ってしまうことが多いということだ。
それだけに要らぬ恨みを買わないようにするのは大事だと二人の弟子に教えていたりする。
「じゃあそろそろ行きますね。ご自愛ください」
「はい。まどかをちゃんと構ってあげてくださいね」
「了解です」
最後に赤ん坊の顔を見て、良治は微笑みながら穏やかなその部屋を出る。
――『穏人』
ベビーベッドの頭の方に置かれた名前は、その男の子にぴったりな名前だなと良治はそう思った。
【穏人】―やすと―
白兼穏人。和弥と綾華の間に産まれた男の子。産まれたばかりだが周囲の大人を引き込む力強い瞳を持っている。
伯父にあたる隼人は穏人をとても気に入っていて猫可愛がりしているらしい。




