外法の研究者
良治と結那が漫画喫茶を出たのは人が増えてきた、午後十時を回った頃だった。
普通の繁華街なら今がピークだろうが、歌舞伎町周辺はむしろこれからが本番だと言える。
だがそれでも道を歩く人々は多く、歩き進むのも一苦労だ。
良治たちはそんな人の波に混じる為、腕を組んで紛れ込む。
周囲を歩くカップルたちも同じように腕を組んでいるが、あれで歩くのは凄い、慣れの問題なのかと良治はそんなことを思った。
カップルの他には酔客や更にもう一軒を勧めてくる客引き、そして巡回中の警官の姿もちらほらと見える。まだ報道はされていないが連絡はされており、厳重な警戒がされているようだ。
だがそれでも行方不明事件は止まらないだろう。
別に良治は止まってほしくないわけではない。止まり、早く解決すればいいのにと心の底から思っている。
これで止まるのなら良治たちの出番はなくなる。それはきっと犯人が良治たちの仕事の範疇の者ではないことが濃厚になるからだ。
(――だが)
だがこの厳重警戒の中止まることなく続くようなら、それは十中八九こちらの領分――外法士の仕業だ。
相手が自分の利益の為だけに他者を傷付ける外法士なら、良治は組織の人間としても、一人の退魔士としても見逃せるものではない。
路地の入口に目をやりながら、人の流れに逆らわずに歩き続ける。
「何か感じるか?」
「ううん、まったく。良治が感じられないのに私がわかるわけじゃない」
「評価されてるのは嬉しいけど、ちゃんとチェックだけは頼むぞ?」
「はーい」
良治は良治で結那の直感力を評価している。それは良治にはないものだ。
不審に思われないように適度に話し、目を合わせながら一定の速度で歩く。人が減ってきたら多そうな方の道に進み、出来るだけ浮かないように心掛ける。
人混みを歩くのは嫌いだが、そうも言っていられない。結那がいてくれて良かったと安心する。
「ああ、忘れてたけど占いはどうだった。何か今回に関する未来は見えたか?」
「あ、ごめん。私も忘れてた。――今夜、たぶん蟻を相手にするみたい。きっと蟻型の魔獣ね。良治が風系の術を使ったのも見えたって。でも火系統の方が良さそうかもって言ってたわ」
「ふむ。火系統か」
普段から使うのは一番得意な風系統の術に偏っている。使い慣れており、かまいたちを発生させなければ殺傷能力が低く加減がしやすいのが理由だ。
おそらく慧の見た未来でも良治はそうしたのだろう。そして何かのミスをした。そのミスの回避方法が火系統の術を使うこと。そういうことなのだろうと彼は理解した。
結那の姉である慧の占い――未来視の一番の利点はその正確性もあるが何よりも見た後で変化させることが出来る点にある。つまり事故や事件などを避けられる可能性があるのだ。
だが良いことばかりではない。それなら毎日のように占ってほしい人間たちが押し掛ける。そして実際に起きたことだが、最終的には彼女を攫うことを思い付く人間が出るのだ。
しかし彼女の占いは同じ人間に短期間に行えば行うほどその確度は失われていく傾向にある。そしてそのことを自衛の為か慧は占う前に相手に告げている。余計なトラブルは避けたいのだろう。
結那もそのことを知っているので、何か重要なことを控えた直前にしか占いを頼むことはない。重要な時に確度が下がるのが怖いからだ。
「それともう一つ。これは姉さんの言葉をそのまま言うわね。
『結那ちゃん、そう遠くないうちに恋敵が増えそうだから実力行使も考えておいた方がいいわよ』だって。……何か言うことはある?」
「……さすがにまだしてもいないことについて発言は出来んよ。勘弁してください」
「まぁ、いいけどねー」
慧が視たというならそうなる可能性はあるのだろう。普通に暮らしていけばそうなる可能性が。
だがそれを知った今、良治や結那が何かしらの行動をすれば立ち消える可能性が生まれる。何をどうすればいいのかわからないが。
まだしてもいない浮気を責められたような気持ちを抱えてしばらくするとホテル街に差し掛かった。周囲の人ももうまばらだ。
このまますぐに引き返すのもおかしいので、一度適当な道に出てからまた戻ろうかと道を探し始めた良治の腕に力が加わった。
「あそこ見て」
結那の小さな言葉にホテル街の雑踏に目を向ける。仕事中は真面目なので『あのホテルに行きたい!』とかではない。何かを彼女は見つけたのだ。それも事件に関係しそうな何かを。
「一瞬何かが見えたけどそれだけだ。何が見えた?」
良治が目を向けて見えたのは何かの影が路地に入るところだった。
それも五十mは離れており、ネオンが煌びやかだとはいえしっかりと見ることは出来なかった。
「ふらふらした、たぶん女性があそこに入っていったわ。酔ってたのかもしれないけど、なんか気になって」
「了解。誰か見てるかもしれないからこのままのスピードで」
「おっけ」
ホテルを探す振りを適当にしながら問題の路地に差し掛かる。
少し身体をずらして二人で視線を送るが、闇に染まった路地に動くものは何もない。饐えた臭いとエアコンの室外機だけが鈍い音を響かせているだけだ。
「おかしいわね……」
結那が眉を顰める。結那の言う通りなら女性が一人でこの路地の中に入っていったはずだ。しかもふらふらとというのなら歩く速度はそこまでではないはずだ。しかしその姿は影も形もない。
路地は狭く、奥行きは十mほど。そこから左に曲がっておりL字型になっているようだ。雑居ビルが立ち並び、幾つか扉が見えるがそれ以外に隠れられそうな場所はない。
「行こう。後ろに気を付けて」
無言で頷いた結那を背にゆっくりと歩き出す。
見える範囲にある扉は三か所。両隣のホテルの裏口、そして正面のビルのものだ。
この路地を通って先に行ってしまっている可能性はもちろんある。だがそれと同じくらいどれかの扉の奥に女性がいる可能性もある。
そもそもあの女性が事件とは全く関係ない可能性、それもあるのだが、現状何の手掛かりもない以上目に付いた可能性を一つずつ潰していこうと考えていた。
L字を曲がり、路地の先を確認したが女性の姿はない。並ぶ建物に扉もなく入ってきたのと同じくらいの道に出るだけだ。
良治は路地から出ないままそっと先の道を見るが特におかしな点はない。カップルが二組ほど歩いているだけだ。
後ろについてきていた結那に首を振って路地を戻る。
曲がり角まで戻り、ぐるりと周囲を見る。特に変化はなく、三つの扉が静かに佇んでいるだけだ。
「一つずつ見ていく」
「それしかないわね」
まずは目に入っていたピンク色をしたホテルの扉に手をかける。
鉄製の扉のノブを回すとすんなりと開く。
結那と目を合わせてゆっくりと開いていくと、音が聞こえた。
「……」
「……」
数秒半開きにした後、良治は開いた時と同じ速度で閉じていき――静かに、閉じ切った。
「……ここじゃないわね、きっと」
「だろうな、たぶん」
扉の奥からはTVからの音らしきものが聞こえ、高級そうに見えるカーペットの廊下。もしかしたら誰かにこのホテルに連れ込まれたのかもしれないが、とりあえず普通のホテルにしか見えなかった。
ひとまずここは違うと判断して隣の白いホテルの裏口に向かう。
しかしこちらの扉は鍵がかかっており開くことはなかった。ある意味これが普通だろう。先ほどのホテルはかなり不用心と言える。
「こじ開ける?」
「無茶な。ここは後回し。あのビルを調べてから」
「はーい」
関係のない場所の扉を壊すのは後々トラブルになる。きっと解決出来ても世良あたりに怒られるだろう。今までなら責任者が怒られ、その責任者から良治に来るところだが、残念ながら現在は良治が責任者だ。避けることは出来そうにない。
「――」
「良治?」
三つ目の扉。路地の一番奥にあったビルの錆びた扉のノブに触れた瞬間、良治は顔を顰めた。
ここだ。間違いない。
「触ってみて」
「……あ」
促されて結那もノブに触れるとすぐに理解したようだ。――結界が張られていることに。
規模はわからないがこのビルは結界によって守られている。しかも簡単なものではなく、それなりに手間がかかっているものだ。
良治たちが普段仕事で使っている結界は防音、耐衝撃、認識阻害、通行不可などを条件付けたもの。認識阻害は普通の人間が近寄るとなんとなくそこを避けるといったものだ。
ちなみに結界内に目的の場所がある場合、ある程度離れて結界の効果が切れるとまた戻る、結界の効果で離れる、切れてまた戻るを繰り返すとても迷惑なことになってしまう。
だが普通の人間でない退魔士の場合、認識阻害は効果を発揮しない。離れていても結界の気配を感じることが出来ることが多い。
だが以前陰陽陣独立運動の会の襲撃を受けた際、良治は相手に存在を悟らせない結界を張ったことがある。このビルにいる何者かも同じような技術を持っている可能性は高い。
結界の気配を隠すあの技術は普通の退魔士が学ぶようなものではない。結界を専門にする『結界士』と呼ばれる者が手にするような技術だ。
良治も使えるが、それは広く浅く、覚えられそうなものは覚えておきたいという彼の性格が大きな理由だ。
幼い頃から復讐を目標に生きてきた彼はすべて一人で戦うことを想定していて、身につく技術は片っ端から試してきた半生の成果とも言える。
触れなければわからない、気配遮断を織り込んだ結界。この先にいるのは間違いなく退魔士。そして事件に関わる外法士の可能性は高い。
「結那、結界を頼む。扉は俺がやるから」
「了解。ふふ、思いっきり殴れるって気持ち良いわよね」
「……結界は張っておこう」
グローブを取り出して右拳に力を溜め始める結那。手加減をする気はないようだ。良治も転魔石で刀を喚び、周囲に音が響かないように結界を張る。
「はあああああああッ!」
拳が結界に当たる鈍い音と、結界の破れるまるでゴムが弾けるような音が周囲に奔る。
「――ッ!」
そして間髪入れずに良治は退魔剣で錆びた鉄製の扉のノブの部分を切り取る。綺麗に円形に切り取るのは無理なので『く』の字に二度に分けてだ。
以前なら退魔剣を使わずとも斬鉄をしていたが、その時は村雨を使用していた。
現在はそれなりだが普通の刀なので退魔剣なしで出来るかは微妙なところだ。そのうち確認しておこうと良治は頭の片隅に置いておく。
「せやああああああッ!」
鍵のなくなった扉を今度は回し蹴りで建物の中に蹴り飛ばす結那。ちなみに扉は外開きなので完全に力技だ。ストレス発散にしか見えない。
というか鍵を壊す必要はあったのかという疑問すら湧いてくる。
「中にいる奴にバレるし、そこまで派手にしてほしくなかったんだけど」
「あ、ごめん。なんか扉って蹴り飛ばしたくなるじゃない?」
「……まぁ今後はもう少し考えてな」
「はーいっ」
結界がなくなっただけなら襲撃か、それとも何か事故が起きたのか絞り込めない。しかしその後に扉を吹き飛ばして轟音が響き渡ればどうだろう。間違いなく敵襲だと思うだろう。少なくとも良治ならそう思う。
だがその辺はそこまで変わらないと判断して内部に一歩踏み込む。やましいことをしているのなら結界を破壊された時点で何者かの襲撃だと直感する。
そして――
「何者だっ!」
「出て来てくれて助かった」
「探す手間省けたわね」
奥の扉から慌てたように現れたのは眼鏡をかけた白衣の男。それは良治には見覚えのない顔だった。
知らない相手には慎重に当たりたい。だがここは男の拠点だ。何か仕掛けられているかもしれず、長引けば不利になるかもしれない。
突入した場合、飛び出してくるか怯えて逃げ出すか半々だったがこの男が選んだのは前者だった。つまりはそれなりの備え、もしくは自らの力に自信があるということだ。
良治たちの入った部屋は灯りが中央に一つだけぽつんとあり、廃墟のようにガラスや木片などが散乱した広い部屋には何も置かれていない。――いや。
「ち、出ろ!」
男の声が反響し、灯りの届いていなかった奥の隅から何かが立ち上がるような気配のあと――それは腐臭と共に現れた。
「……最っ低」
「――屑が」
二人の瞳に怒りが灯る。
普段なら結那を諫める良治でさえ彼女に追随するように言葉を吐き捨てた。それほどまでに二人の前に立ち塞がった『コレ』は不快だった。
高くない天井すれすれの身長。右腕は鱗に覆われ、指先は鳥のようだ。左腕は毛むくじゃらで類人猿を思わせる。そして両足は灰色で太く、象のようだ。
――これは合成獣だ。
誰かの意思が介在して作り出された人工の生命体。
生物の肉体を埋め込んだり、継ぎ接ぎにしたりする外法の術。白神会では禁じられていることの一つだ。
良治は昔キメラの研究所を見たことがある。だがそれは退魔士の世界を生きてきた良治でさえも口にしたくないような光景で、思い出したくもないものだ。
その時に何体かのキメラを見た。
亀の甲羅を持つ竜。
影を移動する黒蛇。
人間など容易く飲み込むほどに巨大なスライム。
だが今目の前にいるのはそれらを遥かに凌ぐ嫌悪感の塊だ。方向性が違うとも言える。
無造作にくっつけたようなその姿もそうだが、それ以上に。
「ははは、いいねえ! その表情!」
哄笑する眼鏡の男に、噛み砕かんがほどに良治は奥歯を噛み締めた。
「――テメェ、人間を素体にしやがったな……ッ!」
胴体部分はまるで太い血管のようなものが縦横無尽に奔り、その頭部はもう意思の欠片もない――女性のものだった。
助ける手段はない。
一目見ただけでそう確信する。もう彼女の瞳や表情に意思や人間性は感じられない。肉体的にももうどうにもならないだろう。
つまり、もう――彼女を救うことは出来ない。意識が残されていなさそうなことが最後の救いと呼べるレベルだ。
「それが何か? 知りもしない人間がほんの数人研究の犠牲になっただけの話だろうに。――それとも何か。君たちは正義の味方を気取ってたりするのかな? うぅん?」
胸糞が悪い。
挑発するような言動のすべてが、この男の存在がすべて癇に障る。
「――この……キメラを造ったのはお前か?」
「ああ。良い出来だろう?」
「……この周辺で起きてる行方不明事件を起こしているのも、お前か?」
「そんな事件の話は聞いたことがないのでわからんなぁ。ただ――このひと月で二十人ほど素材にしたり餌にしたりはさせて貰ったが。いやはや選び放題というのは良い言葉だ」
罪悪感など皆無。むしろ快楽を感じているような恍惚ささえ感じられる。
「――結那、彼女を頼む」
「……わかったわ」
結那が一瞬返事が遅れたのは彼の表情を見たからだろう。
良治の顔は無表情。怒りが頂点に達して、そこから引いた状態にあった。
「ね、私が言うのもなんだけど、冷静に――」
「わかってる」
「一度深呼吸して。お願い」
「……」
結那が進言し、そして知らずにこれ以上ないほどに握り締められた、刀を持っていない左手をぎゅっと掴まれる。グローブ越しに、そしてグローブから出た指先から温かいものが流れ込んでくる。
若干の苛立ちを覚えながらも良治は言われた通りに一度深呼吸をする。
良治は感情をコントロールする時や集中力を高める時に深呼吸することも多い。だからこそ結那の言葉を素直に聞けた。
左手を彼女の手にされるまま開いていく。
「落ち着いた?」
「――ああ。悪かった。でも指示は変わらないけど」
良治はあまり気が長い方ではない。正確に言うなら彼は怒りに触れることだと一気に噴き上がる。瞬間湯沸かし器とも言えるだろう。
許せる範囲が広い代わりに許せないことには容赦がない。
自分の短気さを理解はしていて、それを直したいとも思っているが実際にそうなってしまうと忘れてしまうものだ。
こんな時、隣にいて落ち着かせてくれる者を有難く感じる。得難いものだ。
「うん、それは大丈夫。じゃあ――行くわよっ!」
とても許せること、許せる光景ではない。
だが冷静にならなければ命を落とす確率は上がる。
そしてそれは周囲を巻き込むことにもなるだろう。
「――覚悟はしてもらおう」
「は、沸点の低いガキが! 現実を思い知れッ!」
一歩先に踏み出した結那を追うように良治も刀を握り締めて走り出す。
この男を野放しにしておくことは出来ない。
底から沸き立つような怒りと明確な殺意と共に、良治はその刀を振るった――
【合成獣】―キメラ―
複数の動物、魔獣などを掛け合わせたり継ぎ接ぎして造り出した異形の生物。本来の生物よりも高い性能を目指して造られるが、失敗することがほとんどで成功例は少ない。
混ぜ合わせる生物の数が少ないほど成功率も上がると言われるが、それでも成功した研究者は数えるほど。
動物の死骸を使い悪霊を憑依させたり、人間を使い操作しやすくするなどの研究もあるとのことだが、言うまでもなく白神会ではいずれも禁止されている。




