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支部への来客

「――改めてお久し振りです、ひいらぎさん。五年振りになりますね」

「ええ、そうですね。本当に懐かしい」


 固い声をした女性の挨拶に良治よしはるは面倒くささを一切表情には出さずに、むしろ笑みをたたえて対面のソファに座ったスーツ姿の彼女に挨拶を返した。




 先日三宅島で負った傷を東京支部近くの病院で治療し直してから半月ほどが経っていた。

 あの傷は一度縫った後にかけるが治癒術をかけてくれたが、やはり傷を負った直後ではなかったことが原因で綺麗さっぱり、ということにはならなかった。やや赤黒い、十五cmほどの傷跡が背中の左側にあり、これは一生残されるだろう。


 少しばかりの休暇を得た良治だったが、まどかとデートをした以外は特に外出もせず自宅で過ごすことにした。

 表向きには傷の影響でということにしたが、本音としてはかなりの疲労が溜まっていたことを自覚してしまったことが理由だ。それも心身共に。このままではこの先のモチベーションにも関わりそうだと思えてしまったのだ。


 そんなことで何もせずにだらけた生活をしようとしたのだが、思わぬ障害――というか予想外の展開が待っていた。それは片方の同居人の存在である。

 優綺ゆきは率先して彼の世話を焼いたのだ。


 優綺の世話自体はこの家で一緒に住むことに慣れてきたせいか、とても細かいところまで行き届いた文句のないものだった。

 しかし掃除洗濯食事の用意まですべてとなるとさすがに申し訳なく思えてくる。優綺が翌日の学校を休むと言い出したところで、良治はもう大丈夫だと音を上げることになったのだ。


 弟子とはいえ女子高生に何から何までやってもらうのは居心地が悪い。そもそも良治は出来ないのではなくやらないだけなので、罪悪感は彼女が何かしてくれる度に増していく。


 結局のところ良治はまどかとデートをし、翌日怠惰に過ごした以外は仕事場である上野支部に行くことになり仕事をすることになってしまった。


 そしてそんなタイミングで来客が来てしまい、良治はもう今日の仕事が終わり次第飲みにでも行こうかと思い始めていた。


「本当ならもっと早く挨拶をしたかったのですが、遅れて申し訳ありません。こちらも色々忙しかったので」

「いえいえ。私の方も支部創設でやることが多くて、挨拶に行けなくてすいませんでした」


 紺色のスーツの女性と言葉を交わすが、相手から特に謝罪の気持ちは感じられない。だがそれは良治もなのでお互い様だ。向こうも同じ気持ちだろう。


 それなりに見える安物のソファに腰かけ、その後ろに彼女が連れてきた五人ばかりの若者を立たせているのは世良せら皐月さつき。三十代前半の鋭い目つきの女性だ。

 三月に高村から聞いていた通り退魔関連の現場責任者となっており、新支部創設の祝いの挨拶に来たらしい。


「いえ、お気になさらず。大変なのはわかっていますから」

「そう言っていただけると助かります。……それで、その、彼らは?」


 良治がそう言った瞬間、世良の表情が一瞬自慢げになったのを彼は見逃さなかった。


(ああ、これが本題か)


 挨拶は建前で、彼らのお披露目がしたかったのが本音だ。

 後ろで立っているのは男性二名に女性が三名。程度はあるものの、誰もが自信を持っているのが感じられる。


 男の片方は太い眉が印象的で力強さを。一番自信が控えめに見える女性は冷静そうで良治の目に留まった。彼女が良治の好みの範疇ストライクゾーンに入っているのも大きな理由だろう。


「高村さんから聞いているとは思いますが、一年ほど前から適性のある者たちを見つけて、ようやく組織として活動することが出来るようになりました。――今後は白神会そちらに頼る仕事ことも少なくなると思いますが」


 少なくなると思いますが、の先に続く言葉はよろしいでしょうね。もしくは文句はありませんよね、のどちらかだろう。

 申し訳なさそうな雰囲気はない。余裕を持って、上から見るような不遜な雰囲気が滲み出ている。


(昔はここまでじゃなかったと思うけど……時間ときが彼女を変えたのか、それともそれだけ自分の作り上げた組織かれらに自信があるのか)


 少なくとも世良本人に退魔士の適性はない。高村から昔彼女がどうして退魔関連の部署に来たのかは聞いている。人間関係での摩擦など、あまり上手くいかなかった結果たらい回しにされ最後に辿り着いたのがここだったという話だ。

 この場所では高村は世良をコントロールし上手いことやってきたのだが、現場責任者という肩書きが出来てからやや暴走気味のように感じられる。


「――ええ、問題ありませんよ。私としても仕事が減って楽になるのならそれで言うことはありません。是非頑張って貰いたいですね」

「……そうですか。それはどうも。……では、今日は挨拶に来ただけですので、これで」


 良治の反応が予想外だった為か、世良は僅かに驚いた表情をしてから目を泳がせて席を立つ。

 良治は彼女がもしかしたら自慢話でもしてくれるかと期待していたが、そこまで考えなしではないようだ。


「そうですか。ではもし手が足りないようなことがありましたら、その時は連絡してください」

「……はい、それでは」


 良治も立ち上がり自ら支部の扉を開け、最後まで腑に落ちないといった感じのまま世良が、そして五人の新人退魔士たちが続いて出ていく。


「……失礼しました」

「いえ。お気を付けて」


 最後に目に留まっていた彼女からかけられる。予想していなかったので少しだけ驚いたが、良治は出来るだけスマートに返答する。下心などはない。


 彼女たちが階段を降りていき、姿が見えなくなるまで見送ると良治はそっと扉を閉じた。


「……はあ」


 精神的な疲労を隠そうともしないまま自分の席に座り、目を閉じて顔を天井に向ける。急で望まない来客などとても歓迎できるものではない。最後にほんの少しだけ気が軽くなったがそれは焼け石に水だ。


「お疲れ様でした。運がなかったですね。コーヒーでいいですか?」

「頼む」

「はい。少々お待ちを」


 静かになった事務所に落ち着いた声が響く。その気遣いに満ちた声の主は少しだけ茶色い髪を揺らせてコーヒーを淹れてくれている。


「どうしました?」

「いや、なんでもないよ。ありがとう天音あまね

「いえ。……でも今日は特にやらないといけないことはないので、ゆっくりしてください」

「そうさせてもらうよ」


 出された温かいコーヒーを飲みつつ彼女に礼を言う。

 元々来る予定ではなかったので急を要する仕事はない。事務仕事も今天音が行っているものくらいなものだ。


 つまり本当にゆっくり、何もしなくていい状態と言える。


「……コーヒーありがと。ちょっと五階うえで身体動かしてくる」


 なんとなく天音が仕事をしているのに自分が休んでいることに罪悪感を覚え、良治は腰を上げる。

 背中に微妙な違和感は残っているが身体が動かないわけではない。それに休み過ぎると元の状態に戻すのに時間がかかるだろう。


「ふふ、いってらっしゃい。……好きですよ、良治さんのそういうところ」

「……そりゃ嬉しいな。俺もちゃんと仕事優先する天音のことが好きだよ」

「ありがとうございます。とても嬉しいです」


 良治は軽く手を振って扉を開けてトレーニングルームにしてある五階へ向かう。


 色々考えた末に良治が行動を起こした理由に天音は気付いているだろう。そのことを良治はとても嬉しく思う。それはそれだけ自分のことを理解しているということなのだから。


(それに、弟子がいるのに師匠が怠けちゃ示しがつかないしな)


 ある程度の実力がついてきたなら、次の段階は実戦に近いものになる。その時に身体が動かないで幻滅されるのは少しばかり悲しい。


(――そして、もう一つ)


 もう一つ。最後の理由。

 良治がトレーニングをしておこうと思った理由。


(時間を無駄にしてちゃ、いつまで経っても追いつけない。例え追いつけなくても、後悔だけは残したくない)


 先を歩く親友。その背中に追いつきたい。


 そして良治は五階の部屋の扉を開いた。












「……さすがに予想外だったな」


 世良が来訪してから二日後。たった二日後のことだった。その当人から連絡が来た、来てしまったのは。


 電話を切り終えた良治は自分の席の背もたれに体重をかけ渋い表情で考え始めた。


 先日ああ言った手前、素直に彼女からの仕事を受けはしたものの正直なところはもっと弟子たちの訓練の時間を取ったり、行方が掴めていないあの男の調査をしたかったのが本音だ。


 警察や政府からの仕事はなくとも民間からのものはある。更に京都本部からの支援もあるので上野支部が忙しく働かないでもそれなりにやっていけたりする。


 そんな状況での世良からの依頼。嬉しいものではない。

 ただ相手も本意でなく、嫌々頼んできたのは電話越しに伝わってきた。おそらく本当に手が足りなくなってしまったのだろう。世良はそんなこと口にしてはいなかったが。


「世良さんからの電話ですよね。どんな依頼だったんですか」

「新宿で行方不明者が出てるらしい。すぐにファイルを送るって――来たな」


 今日も事務所にきちんと出て来ている天音が、良治のデスクの上のパソコンを覗き込む。

 タイトルに『新宿』とだけ記されたメールに添付されたファイルを開く。ちなみに本文はなしだ。


「……結構な事件になりつつ、というかなってるなこれ」

「ですね。行方不明者、その候補まで含めるとかなりの人数です。捜索願いが出てる分で八名。でもそれは最低八名、ということでしょうし」


 二人でテキストを読み進めていくうちに段々と眉と眉の間が狭まっていく。天音の言う通り被害者は把握出来ていないが八名以上だろうと予想はつく。


 警察がこの事件に気付いたのは三日ほど前らしい。

 二週間ほど前から行方不明者の捜索願いが出され始め、その者たちの共通点が新宿だという。

 遊び場所や勤め先が新宿で、そこで忽然と姿を消した――そういうことのようだ。


 東京で行方のわからなくなるのはままある話だ。一人暮らしなら尚更で、誰も知らない場所で予想もつかない生活を始める者もいる。

 だが今回行方不明になっているのは若い女性がほとんどで、捜索願いは一緒に暮らす家族や実家から連絡のつかなくなった家族から警察に届けられたようだ。


 ファイルにあった行方不明者のリストには幸運にも知っている人物はいない。だがいつ知り合いが犠牲になるかはわからない。知り合いの多くは退魔士で自衛の手段を持っているが、全員ではないのだ。


「今夜から取り掛かりますか?」

「ああ。早い方がいい。となると……」

「私と結那さんは別件で埼玉に行くことになってますが。そうなると……結那さんをそちらに向かわせた方が良さそうですね」

「だな。そうなるな」


 今夜二人は魔獣目撃の報告があった件で埼玉に向かうことになっていた。

 となると新宿に向かうことになるのは良治になる。だが明らかに誰かの悪意がある事件に一人で行くのは不安がある。

 良治は自分の力を過信してはいない。一人ではどうにもならない事態はあるのだ。


 では誰を連れて行くか。

 真っ先に弟子の二人のうちどちらか、ということになるのだが、正直足手纏いになるだろう。


 三宅島では活躍をした郁未いくみだが、都市の中、狭い範囲で混戦になることも考えられる。巻き込まれた場合彼女を守りながら戦うのはそれだけで不利になる。

 残るは優綺だが、今日明日は平日で学校がある。どうしても手が足りない場合でないのなら休ませたくはない。きっと仕事のことを話せば休むと決めてしまうだろう。


 そうなると危険度の低そうな埼玉から一人をこちらに配置するのが無難ベターな気がしてくる。

 そして天音と結那、どちらかと問われれば当然良治と同行するのは結那だ。


「一応言っておくけど、天音のことが嫌いとか、そういうんじゃないからな?」

「大丈夫です、わかっています。でも珍しいですね。良治さんが私に対してちゃんと言葉にしてフォローするのは。どうしたんですか?」


 僅かに驚いた表情を浮かべる天音。

 良治がこういったことを天音に言うのは確かに珍しいことだ。


「いや、天音は俺のこと理解してると思うし、俺も天音のことある程度理解出来てると思ってる。言葉にしなくても意思疎通が出来てると思うくらいには。でもなんか、それに甘えてちゃいけない気がして。ちゃんと言葉にしておきたかったというか、誤解されたくないというか」


 良治にとって言うまでもなく天音は大事な女性だ。

 あまり付き合っている三人を比較することはないが、おそらく一番良治の思考に近いだろう。

 誤解されているとはさほど思ってはいないが、もし誤解されていたら嫌だと良治は思ったのだ。


「……ずるいです。なんですかそれ。その、とても嬉しい、です」

「照れるな、俺も恥ずかしくなる――っ」


 真っ赤になった天音は次の瞬間良治の胸に手を当て――三十秒ほどしっかりと口づけをしてからゆっくりと離れた。


「……天音、何か言うことは?」

「えっと……その。ごめ――んっ」


 恥ずかしそうに視線を彷徨わせる天音がこちらをちらりと見た瞬間、今度は良治が彼女の肩に手を添えて唇を奪う。

 嗅ぎなれた香りが良治の鼻腔一杯に広がる。唇の柔らかさと匂いに十分に満足してから良治は身体を離した。


「これでおあいこ。さて仕事の話に」

「……はい」


 ぽーっとした雰囲気の天音をそのままにして、椅子を座り直してパソコンの画面に意識を戻す。


(……何処まで何を話したっけ……?)


 意識を戻したはいいが、思考が戻らずに手が止まる。良治は自分も天音もあまり今の状態は変わらないのだと苦笑した。


「良治さん、私が埼玉に一人で行って、新宿には結那さんが行く、というところです」

「……サンキュ」

「ふふ、良治さんでもこんなことあるんですね。とても嬉しいです」

「そりゃあるさ。まぁでもあまり言わないでくれ。……照れる」


 恥ずかしいことを連続でした自覚はある。あまり触れて欲しくはない失態だ。可能なら忘れて欲しいところだがそれは無理だろう。良治も、天音も。


「はい、わかりました。ふふっ」

「……あー、それで、うん、結那を連れて行く。それでいいな?」

「はい。大丈夫――いえ、一応理由を話してくれませんか」


 悪戯っぽい瞳でこちらを覗き込んでくるショートカットの彼女に、良治はそう来るかと思いながら再度向き直る。


 先ほどのことがまだ残っていて気恥ずかしさがあったが、彼女がそれを求める以上話すべきだろう。言葉にすることの大事さをついさっき自分で言ったところだ。


 天音はわかっていながら聞いてきているのは理解している。それでもここは言わないのいけないのだろう。


「……結那を新宿こっちにするのは、天音は一人でも大丈夫だからだよ。攻守にバランスが良くて判断も適格、更にぶちもいる。手に負えない状況でも逃げるだけなら大丈夫だと俺は思ってる。……これでいいか?」

「はい。良治さんが私のことをちゃんと評価してることがわかって何よりです」


 余裕のある微笑み、に見せているが頬の赤さは隠せていない。だがきっと自分もそう変わらないだろうと思って良治は指摘をやめた。


「――まぁ、大事な彼女だからな」

「な――」


 普段言わないような言葉を言ってみるのも悪くないだろう。

 良治よりも赤くなって固まった愛する彼女を見て、良治は恥ずかしいことを言った分は取り戻せたと心の中でガッツポーズをした。



【ぶち】―ぶち―

天音の相棒である黒い狼。普段は身に付けている指輪に住んでいる。

魔獣が人に懐いた稀有な例。これはぶちが生まれた直後から一緒にいたからだと考えられる。

ちなみに毛並みは黒一色でぶち模様は一切ない。名前の由来は「ぶち殺す」のぶちから。天音の命名センスは恐ろしい。

天音の他には唯一良治の言うことを聞くことがあるらしい。

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