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両親への想い

 ――いや待てよ。


 石段を上がり出した瞬間、良治はあることを思い付いた。

 カメレオンはおそらくこの石段の上の神社、もしくは今現在上っている最中かもしれない。

 一度追いついたのだからそこまで距離はないはず。血の跡もここからでは二ヶ所しかわからず、もう神社に辿り着いているのかは不明だ。


「――蒼空そうくうと草原に宿りし風を司りし精霊よ、我が呼び声に応え立ちふさがりし者に荒れ狂う暴風を――」


 両手を階段の角度に合わせて掲げ、言葉と共に力を集中させていく。

 風が凝縮されるように両手の間に集まっていき、良治は更に力ある言葉を続ける。


「――全てを吹き飛ばす春の突風に晒されよ! 完成せよ! 春華しゅんか暴風ぼうふう!」


 魔術型七級。それは魔術型一人前の階級。

 そして七級になるには普通の術とは格段に上の威力を持つ詠唱術の習得が必須となる。


 普段はほとんど術を使わない良治だが、それでも詠唱術を忘れることはない。いざという時、役に立つ時が必ず来るからだ。


 術名の発声と同時に放たれる春華暴風。

 荒れ狂う風は強大なうねりを伴って階段を舐めるように走り抜けていく。


「――居たっ!」


 階段の終わり間際、一番上付近で何かが吹き飛んだのが一瞬見えた。術に吹き飛ばされて迷彩が解けたのだろう。

 風が立ち消えると同時に一気に、跳ねるように階段を飛ばしながら駆けあがる。


「終わりだ、魔族」

「ゲェ、ゲェゲェ……たカが、人間フゼイがッ!」


 階段の先にあった神社は古びてはいたものの定期的に手入れをされていたことを伺わせる場所だった。

 そこそこの広さの境内、階段から社には石畳のきちんとした参道があり、その両脇は濃い色の土が均等にならされている。


 カメレオンの魔族はこの境内の中央、石畳の上に存在していた。

 しかし前脚は失われ、先ほどの術でダメージを負ったのかかなり疲労しているように見える。迷彩もしていなく、詰みは目前だ。


「ふっ!」

「ゲェッ!」


 優位を感じて走り出した良治の一刀を躱しながらまたも姿を消すカメレオン。

 よく見れば先ほどいた石畳の上には青い液体の跡はない。力で無理やり傷口を覆って止血したのか、それとも土で強引に止めたのか。

 どちらにせよ血痕を当てに姿を探すことは出来なくなった。


(結界にも反応はしない。ダメージを受けてて迷彩が中途半端になってる……なんてこともなさそうだな)


 周囲を見ても、姿もなければ音も聞こえない。地面が石畳と土なのは、カメレオンには有利に働いている。あえて誘い込んだわけではないだろうが、良治には困った状況だ。


(――なら)


 刀を右手で構えたまま左手に力を集めて握り締める。

 そして開いた手には粒の小さな灰色の砂が生まれ、良治はそのサラサラの砂を足元に落とした。


 この砂は術で生み出したものだ。彼の得意属性は風で、副属性も砂を生み出す地ではない。だが得意ではなくともこのくらいのことなら修練次第で身に付けることは出来る。


 石畳に落ちた砂の真上から柔らかくそよ風を吹き付ける。

 すると。


 砂は良治を中心に砂埃となり、円状に広がる。

 その砂埃は一か所だけ何かにぶつかったように乱れた。


「そこッ!」

「ゲェッ!」

「ちっ!」


 手応えは感じたが致命傷まではいっていない。

 思わず姿を滲ませたカメレオンには青い裂傷が一瞬見えたがすぐに消えてしまう。


 今ので倒せなかったのはまずい。先ほどのようにまた逃げられてしまうかもしれない。

 消えた場所周辺で数度刀を振るうがただ空を切るだけだ。


「――ッ!」


 社に近い土の上で微かな音がし、瞬時に反応して刀を再度振るったがこれも空振りに終わってしまう。

 土には青い液体、あの魔族の血液が擦り付けられたように混じっていて、身体を押しつけて無理やり傷口の血を止めたと理解する。


(どっちだ)


 逃げるつもりなのか、それとも良治に逆襲するつもりなのか。どちらもまだあり得る。一度逃げたのもこの場所なら良治を殺せると思ったからだろう。

 簡単に逃げるとは思えないが、カメレオンは大きな傷を負っている。判断がつかない。


 もう一度同じように砂を風で散らす方法はある。

 しかしあれは二度通じないだろう。ジャンプすれば簡単に躱されてしまう技だ。初見、一度限り通じる方法だ。


「――セン、セッ!」


 そこに階段を駆け上がってきた郁未の声が神社に響いた。彼女のすぐ後ろには保洋もいる。

 二人とも――特に郁未はかなり疲労しているようだ。


 ――ああ、決着だ。


 そう良治は感じ取った。


「あ……ッ!」


 郁未の視線は良治の後方奥に向けられている。

 そこから上に移動した瞬間良治郁未に向かって走り出し、同時に左手で空に向けて砂を投げつけた。――郁未の視線を追って。


 投げつけた砂の一部は何かにぶつかったように弾け、良治はそこから郁未に向かう軌道ルートを真一文字に――斬った。


「――ゲェ……!」

「え、え、なんで……」


 鈍い音を立てて土に転がるカメレオン。

 迷彩は解け、もうぴくぴくと手足を動かすだけだ。


「――目は口程に物を言うとはこのことだな。郁未、助かった。ありがとう」

「え? あ、うん。どうもありがとう……?」

「さて」


 なんだかわかっていない郁未に背を向け、瀕死の魔族に近寄る。

 濃い緑をした皮膚は大きく裂け、ピンク色の肉が青い血液に塗れている。目に力もなく、ただこちらを眺めているだけだ。


「――」


 魔族はしぶとい。しかしここまで来てしまえばあとは死に逝くだけだ。


「――ェッ」


 良治は静かに刀を両手で持ち、魔族へと突き立てる。カメレオンの口から小さく空気が漏れたのが聞こえた。

 刀が地面に当たった感触がし、そしてカメレオンの姿をした魔族は黒い塵となって風に消えていった。


 感傷はない。

 そう思ったが、半魔族である自分は死ねばどうなるのかとふと思ってしまう。


 魔族のように塵になって消え去るのか、それとも人間のように身体が残ったまま動かなくなるのか。半魔族の資料や情報は少なく、それは彼の知らない未来だ。


 魔族の死に思考が現実から僅かに乖離したのは、彼にしては珍しいことだ。

 普段の良治ならトドメを刺しても油断なく周囲に注意していたはずだ。


「え――」

「え、えっ?」


 気付かなかった。

 振り向いてその光景を見ても、良治は何が起こったのか理解出来なかった。


「は、ははっ!」


 良治の背中と脇腹のちょうど真ん中あたりに生えた一本のナイフ。

 それを手にして哄笑する少年。


「ぐ……」


 距離を取ろうと足を踏み出すが、力が入り切らない足は縺れてすぐに石畳に倒れこむ。離れられたのはほんの二Mくらいだ。


 赤い、赤い血。魔族とは違う色のそれは石畳の隙間に静かに浸透して流れ込んでいく。


(……ナイフは、抜けたか。でも、かえって血が流れる……!)


 良治の目から傷口がほとんど見えない。血が流れていることもあり正確な位置と深さが把握出来ない。


「な、なんで! 保洋くん!?」

「これが、これが一番いい結果……これが!」


 赤に染まったナイフ、両手も真っ赤で流れた血が保洋の肘からぽたりぽたりと雫が落ちていく。

 今までで一番大きな声を上げ、両目を見開いた彼は――今度は郁未を凝視する。


「ぐぅ……ッ!」

「さ、刺したのに、なんでまだ動ける……なんで生きてるんだ……!」


 無理やりにでも身体を起こそうとするが足はおろか手にもなかなか力は入らない。

 普段使わない詠唱術の負担とカメレオンに噛まれたダメージ、そして最後のナイフは良治の身体の自由を容赦なく奪っていた。


「ぐ、ううぅ!」


 何よりも傷口を塞げないことが、血が流れ続けていることが立ち上がらせるだけの気力と体力を失わせていく。

 シャツの傷口付近、そしてズボンの大部分は流れる血を吸収して重くなっていた。


 ――だが、それでも。それでも立たなくてはならない場面がある。


「せ、センセ、無理しちゃダメッ!」

「ここで、無理しないで――何処で無理をする……ッ!」

「う、うそだぁ……」


 四つん這いの姿勢から上半身を起こし、片足を立てる。


「……ッ!!」


 叫びにならない叫びと共に――柊良治は立ち上がった。

 手に持ったままの刀もそのままに。


「あ、ああああ……ッ!」


 保洋が絶望的な表情で戦慄する。血を流しながら立つ退魔士を見て。


「センセ……?」

「……あれ?」


 しかし良治に出来たのはそこまでだった。

 立ち上がるだけで全精力を使い果たした彼は、もう一歩も足を動かすことが出来なくなっていた。


「――……」


 辛うじて意識はあるものの、いつ終わりが来るかわからないほど小さな意識。目は何かを映しているのか理解が追いつかないほどに混濁していた。


「――は、はははは。そうだよね、動けるはずがない。ああ、これで、いいッ!」

「保洋くん、なんでこんなことぉっ!」

「――必要だったんだ」

「え……?」


 良治に駆け寄ろうとした郁未に立ち塞がり、血の滴るナイフを向けて少年は感情の抜けた声音でそう呟いた。


「――必要だったんだ。退魔士を……『《黒衣の騎士》を殺した魔族を殺した』――退魔士ボクになるためにッ!」

「え……? それってどういうこと?」

「母さんと、父さんは……立派な退魔士だったって、それを証明するんだ!」

「うわっ!」


 叫びながらナイフを振り、血が数滴地面に落ちる。

 興奮した様子の保洋に、良治はその言葉の意味を冷静に捉えていた。


(――ああ、汚名を……)

「ボクの両親は立派だったってお婆ちゃんは言うけど、ボクは知ってるんだ! 大した才能もなくて、死んだのも何かの実験中の事故だって! 力がなくて失敗して死んだって!」


 誰からかそう聞いたのだろう。

 彼の両親の葬儀に参加した誰かだろうか。

 その言葉自体は間違っていないのかもしれない。


(だけど、それを口にするのは)


 誰が言ったことなのか、それはもうわからない。

 だがその言葉は彼の心に深く刺さり、沁みこみ――人生を変えてしまった。


「だから! だからボクは証明するんだぁっ! ……その為に、その為には……!」


 保洋は震えながらも力の限りナイフを握り締める。

 木刀はどうしたのかと思ったが、おそらく転魔石で戻したのだろう。


「――ダメだよ、保洋くん。それじゃきっと証明にならない。それに、それ以上に、立派な両親だったって、君が誇れなくなるよ。胸を張れなくなっちゃうよ」

「な、なにを……」


 悲しそうな、静かな声が保洋を止めた。

 いつもの明るい雰囲気はない。金髪がとても不釣り合いに感じるほどに。


「私も両親いないってさっき話したよね。父は母に殺されて、母は私の前で自殺したの。だから、保洋くんの気持ちはあんまりわからない」

「え……?」


 暗い瞳に保洋の身体が完全に硬直する。震えも止まり――止められたのか――ただ郁未の言葉を茫然と聞くだけになっている。


「――私の目、魔眼って言うらしいんだけど、透視の出来る私を父は何処かに売ろうとしたの。TV局か何かの研究所かは知らないけど。

 母はそんなこと出来ないって言って、ある日……言い争いから母が包丁を台所から持って来て――父の胸を刺したの。何度も、何度も。父が動かなくなっても」


 淡々と、まるで静かに降り積もる雪原にいるような錯覚さえ覚える口調で言葉を紡いでいく。


「母はその後『ごめんね、ごめんね』って繰り返しながら……父を刺した包丁で自分の首を切ったの。私はもう何が起こったのかわからなくて――理解したのは丸一日以上経ってのことだったわ」


 凄絶な、今の彼女からはとても見通せない過去。

 彼女が今笑っていることがまるで何かの間違いのような気さえする。


「だから、私は両親を誇れない。父はお金に目が眩んだし、母は自分のしたことに耐えられなくて私を置いて逝っちゃったから。

 ――でも。でも保洋くんはまだ引き返せる。まだやり直せる。これからいっぱい訓練して、いっぱい幽霊とか魔獣とか倒して、立派な退魔士になれたら、本当に自分で誇れるような退魔士になれたら! 保洋くんの両親も凄かったんだって言い切れるようになるから――だから、諦めないでっ!」

「あ、あ……」


 保洋の持つナイフが零れ落ちる。

 血痕の上に涙が落ち、赤が滲んだ。


「ボクは、ボクは……でも、もう」

「大丈夫だって。センセって丈夫だからきっともう傷くらい塞がってるって。だってほら、立ち上がってるし。大丈夫だから。やり直せるから」


 赤くなった彼の手を両手で握り元気づける。

 涙と鼻水でボロボロになった保洋は本当に大丈夫なのかと良治に振り向いた。


「……《黒衣の騎士》はこんなんじゃ倒せないよ。もっと、訓練して……いつか正面から俺を倒せるような退魔士に、なるんだ」


 郁未の話の途中から左手をなんとか動かし、傷口に手を当てて出血を少しだけでも抑えていた良治は、半分自分が何を口にしているかわからない状態で口を開いた。


 良治は保洋に対して恨みを、憎しみを感じていなかった。

 刺されたこと自体は痛くて不快で、早く治療したいとは思うが、それでも刺されたことは自分に隙があったことの証明と言えるからだ。


 動機に関しても自分勝手な言い分ではあるが同情する部分がないわけではない。

 それに郁未が、自分の弟子が言葉だけで止めたのだ。

 なら師匠である自分はそれに乗るのが常道だろう。


「ご、ごめんなさい……!」

「ああ……あと、返事は?」

「う……はいっ」

「声が小さい」

「――はいッ!」

「……よろしい」


 そろそろ本格的にまずい気がしてきた良治は、もう別に立っていなくてもいいとは思ったが、結局座ることを止めた。


(ここで座ったら一瞬で意識持っていかれそうだしな……)


 それにまだ言うべきことが残っている。


「保洋くん、すぐに病院に電話して。なるはやで!」

「あ、うん!」


 やっと救急車を呼ぶということに気付いてくれたことに安堵し、小さく息を吐く。到着まで意識を保てばなんとか生き延びることが出来そうだ。

 そして郁未が駆け寄ってくる。


「センセ、どうしたら――」

「郁未、よく聞いて」

「あ、え?」


 右手を開いて刀を離し、その音に驚きながらも金髪ツインテの弟子は師匠の顔を見る。

 ゆっくりとした動作で、血で汚れていないことを確認した右手を上げ――良治は弟子の輝く髪を、頭を撫でた。


「――よくやった。凄いな」


 弟子が頑張ったのなら褒める。

 立派なことを成したのだ。良治に出来なかったことをしたのだ。

 褒めて伸ばす主義など関係なく、褒める以外の選択肢などない。


「あ……ありがとう、ございますっ!」


 何かの指示を受けると思っていた郁未が一瞬戸惑い、でもその言葉の意味を理解して――彼女はまるで救われたかのような笑顔を浮かべた。


 ――ああ、連れてきてよかった。


「あ、センセ、センセッ! ちょっと!?」


 温かな気持ちに気が緩んだその刹那。

 良治の身体は郁未へ倒れこみ。

 彼の意識はブラックアウトした――



【副属性】―ふくぞくせい―

一番の得意属性である主属性の次に得意な属性のこと。特化していたり、他に得意なものがない場合はなしと記載される。

良治の場合メジャーな四属性はある程度行使出来るが、そのどれも副属性ではない。

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