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迷彩爬虫類

 突如鋭い痛みが左肩に走り、良治は肩に乗った何かを振り払うように身体を動かして先ほど背にしていた木に左肩を思い切り叩き付けた。


「ど、どうしたのっ!?」

「ぐ……!」


 郁未の声は聞こえるが今はそれどころではない。

 だが肩をぶつけた影響か、乗っていた何かは離れたようだ。痛みと熱はあるものの重さは感じない。


「何かいる、警戒しろっ!」

「え、え……うん!」


 良治の命令に郁未は戸惑いながらも従い、おろおろとしていた保洋はこくこくと何度も頷く。

 二人が襲われればひとたまりもない。つまり良治は二人を守りながら戦わなければならない。だが――


(――見えない。気配も……感じられない?)


 先ほど襲われた瞬間、良治は左肩を見たが何も瞳に映すことは出来なかった。ただ突如として激しい痛みが走っただけだ。

 だがしかし、何かが存在するのは間違いない。肩から流れる血がそれを証明している。


 良治は刀を両手で持ち周囲を警戒する。だが相変わらず気配はない。聞こえるのは風にざわめく木々の葉擦れだけだ。


「あ、あそこっ!」


 郁未の叫び声に反応し、彼女の視線を追う。

 もしかしたらまた見えないかもしれない、そんな予想は外れ、木から伸びる太い枝の上にそれは――いた。


「あれか……! 保洋くんが見たのはあれか?」

「う、うん……!」

「うわ、でっかい……」


 深い緑色をした大きなトカゲ。その印象に間違いはない。

 ただその大きさは尻尾を含めれば三M近くありそうで、目を閉じてはいるが顔のフォルムはトカゲというよりも――


「……カメレオン?」

「だな。俺もそう思う」


 郁未の言葉が端的だが正鵠を射ている気がする。

 だが良治の知識にはこんなにも大きなカメレオンはない。


「郁未、さっき俺が襲われた時は……見えたか?」

「えっと、センセ、後ろにいたからよくわからなかったけど……振り向いた時は、何かが動いたかな、みたいな?」

「……了解した」


 郁未は眼鏡をかけ直してはいない。ということは『透視の魔眼』でも追いきれていないようだ。

 これは困る。あのカメレオンはおそらく厄介な能力を持っている。もう一度見てみないことには確証は得られないが、良治があの質量の相手を完全に見失いことはあり得ないことだ。


 ゆっくりと枝の上をのそりのそりと歩き出すカメレオン。

 そして不意に――閉じられていた目蓋が、パチリと開いた。


「あ、赤い……! センセ、充血してるよあのカメレオン!」

「違う。充血じゃない。あれは――魔獣だ」


 ぎょろりと半分飛び出たような眼球が良治を捉える。

 血の色をした瞳を彼は真っ向から受け止める。


「ゲェイィ……」

「笑った……の?」


 口の端が上がり、郁未の言うように笑ったようにも見えた。

 だが魔獣にそこまでの知性はない。単にそう見えて、こちらがそう受け取っただけだ。


「保洋くんは距離を取って。あのカメレオンを視界から外さずに」

「え、う、うん……!」


 良治本人もカメレオンから目を逸らさずに指示を出す。足音で少しずつ離れていくのを確認して、この魔獣をどうやって仕留めるか思考を巡らす。


(――先手必勝)


 即座に方針を決めて駆け出す。長期戦は本当に予想する能力があった場合不利になる。ならその前に打倒するのが得策だ。やられる前にやる。これこそが最高の結果だ。


 木の上でのったりとした動きのカメレオンを切り裂くのは簡単なことだ。高さという問題は身体強化した退魔士には障害になりえない。


 だがカメレオンは良治の行動に敏感に反応すると、器用に尻尾を枝に巻き付けくるりと枝の下に移動して良治の横薙ぎを躱す。


「――ッ!」


 避けられたが良治に動揺はない。落下していく最中にもう一度切りつけるが、今度は幹の方へ逃げられる。

 先ほどののっそりとした動きとは見違えるほどの反応速度だ。


 着地し、赤い瞳を睨みつける。

 次はその反応速度を考慮し――そう足に力を入れた瞬間、良治の足が止まった。


「――チカラ有る者……退魔士か。コレは大した得物ダ」

「しゃ、喋ったぁ!?」


 郁未の叫び声に気を良くしたのかカメレオンがまた笑みを浮かべる。あれが笑っている表情なのは勘違いなどではない。言葉を吐き出した以上、それは事実だ。認めるしかない。


 だがそれよりも。それよりも重要で危険性の高いことがわかってしまった。


「ゲェゲェゲェ……柔らかそうで丸呑みしたいが、退魔士はダメダ。腹から破られかねン。しっかりト噛み砕イテから喰わんとナァ」

「ヒッ――」


 恐怖のあまり一歩後ずさる郁未。しかし逃げ出さないのなら十分だ。殺気を向けられ、喰うと宣言されて怯えない人間はそうはいない。


「お前――」

「ン、どうした退魔士よ」

魔族・・か。扉から現れたのか」


 魔族。それは魔界に住むという知性有る者の総称。

 魔獣との違いは知性の有る無し。

 報告では魔獣と思っていたが、言葉を発し、意思疎通が出来る以上人間並みの知性を持ち合わせている。

 疑いようはない。信じたくはない。しかし――


「ゲェゲェ――そうダ。察しが良いナ退魔士」


 濁った、聞き取り辛い声で良治の言葉を肯定する。

 その途端カメレオンの周囲に瘴気が静かに広まっていく。


「郁未、少し下がって」

「は、はいっ!」


 瘴気は長時間吸えば死に至ることもある。

 退魔士ならほぼ問題ないが、訓練を始めたばかりの彼女には酷だろう。だが遠くに行かれてもそれも困る。結局ある程度安全そうな距離にいてもらうしかない。


 魔族相手となれば良治でも油断の出来る相手ではない。

 宇都宮支部で薫と仕事をした際に遭遇した『蜘蛛』。魔族に成りかけと思われた魔獣に良治は苦戦をした。そして魔族は魔獣の上をいく力を持っている。


 そして二人を守りながらというこの状況。有利とはとても言えない状態だが、それでも良治はこのカメレオンと戦わなくてはならない。


「――ッ!」

「ゲェッ!」


 刀の柄を握り直し、一直線に駆けて真横に薙ぐ。突きや振り下ろしよりも、広範囲をカバーすることを重視した結果だ。

 そして――にやりと嗤ったカメレオンは良治の予想通りにその姿を消した。


(――やはり、見えないッ!)


 奇襲は――まずあり得ないことだが――良治がうっかり見逃してしまった可能性があった。しかし目の前でスッと消えられてしまったのなら、これ以上の証拠はない。


 このカメレオンは、姿を自分の意志で消すことが出来る。

 それも姿だけでなく、気配の一片すらも残さずにだ。


 良治が集中して見ていたのにも関わらず、カメレオンの巨大な体躯は掻き消え、何処に消えたのか見当もつかない。横薙ぎが空振りに終わったことからそこにはもう存在しないのは確かだ。


(だが――姿を、気配を消せたとしても)


 そこに存在することだけは間違いない。

 例え霊だとしても退魔士の斬撃が入ればダメージを負い、消え去るだろう。実体を持ったカメレオンなら尚更確実にダメージを与えられる。


「――郁未!」

「右の木の上っ!」


 良治の意図を理解した郁未が指を差しながら叫ぶ。

 ざっくりとした位置だが、良治は構わずカメレオンが乗っていそうな枝の上を切りつけた。――だが手応えはない。


「あ、今度は下、向こうの木の――って次は向こう……ああもう、じっとしててよぉっ!」


 見えていても口が間に合わない。

 先ほどの軽やかな動きを見ていたのでそれが理解出来た。

 木々の枝や葉がランダムに揺れて音を立てる。これは――


「郁未、アレはどんな感じで移動を?」

「えっと、木から木にジャンプしたり、尻尾を枝に絡みつけて――ってセンセ!」

「ぐ……!」

「ゲェッ!」


 肩の最初と同じ部分を噛みつかれ、歯を食いしばった口から苦悶の声が漏れ出る。

 だが郁未の注意がなければおそらく首筋に噛みつかれ、致命傷になっていた。


 痛む肩を無視して刀を振るうと、微かに当たった感触があり、やはり見えていなくても当たりさえすれば倒せるという希望が生まれた。


 そして実体があるのなら、必ず音を発する。良治は移動時に生まれるその音を目標にしていこうと決める。

 案の定着地をした音と振動が感じ取れ、すかさず思い切り振り下ろすが捉えられない。かなりの素早さだ。


「――マジか」


 これならいけるかと思い、結界を張ってみたが結果は伴わない。

 通常なら結界内に存在するものの数や位置を把握出来るのだが、今結界内で理解出来るのは自分と他の二人だけだ。

 どうやらあのカメレオン、気配遮断という点では完璧に近いらしい。結界でその存在が掴めないのは初めての経験だ。


 わからないものは仕方ない。

 良治はすぐに結界を解くと、耳に意識を集中させる。

 別段良治は耳が良い訳ではない。身体強化で聞こえやすくなっているが、常人よりも多少音を拾いやすい程度だ。


「郁未、方向だけでいい。言える範囲だけでいい。位置を」

「それならっ!」


 郁未が返事と共に、次々に上や右など方向だけを言葉にしていく。

 良治はその言葉と同じ方向に意識を向け続け、移動する際の微かな振動や木の軋む音を拾っていく。


 それはカメレオンにも聞こえているはずだ。自分の位置を知る退魔士がいることに、完璧な隠形を看破する存在に気付かないはずがない。


「――右! ――えっ」


 郁未が戸惑った瞬間、良治は動き出す。――彼女の元に。

 距離はほとんど開いていない。二人の間は五Mもない。

 その距離はつまり、良治が一挙手一投足の間合いギリギリ――


「ゲェッ!?」

「――捉えたッ!」


 郁未に襲い掛かろうとしたカメレオンの短い前脚を切り飛ばし、良治は会心の手応えを感じる。

 前脚は地に着いたあとぴくぴくと動いていたが透明にはならない。本体から離れれば無理なようだ。


「ゲェッ、おまエっ!」


 衝撃で土に塗れて転がったカメレオンはたまらず姿を現すと、憎々しげに赤い双眸を良治に向ける。

 だが良治には関係ない。手傷を負わせ、姿を現した今こそ絶好機。

 良治はカメレオンに返答することなく追撃に入る。


「あ、逃げる!」

「どっちっ!」

「左!」

「追うぞ、ついて来い!」


 姿を消し逃亡を図るカメレオン。逃がすつもりはない。

 だが見えない良治には郁未のサポートは必須で、特に相手が逃げたのなら彼女がいなくては追うのは不可能と言っていい。


「ゲェアッ!?」

「うおっ!?」


 森の中を走り出して数分したところで、不意に何かを踏ん付けたような感触と同時に鳴き声が響く。良治は体勢を崩して転倒しそうになるが、何とかそれだけは踏み止まって回避する。


 一瞬カメレオンが再度姿を見せたものの、すぐにまた透明になって走り出す。

 どうやら尻尾か何かを踏んでしまったらしい。森の中で走り難かったが、全速力で追っていたので前脚を失ったカメレオンに知らず追いついてしまったようだ。


 ちらりと後ろを目だけで見ると、ようやく追いついて来た郁未と保洋の姿があった。当然といえば当然だが、さすがに彼の速度スピードにはついてこれなかったらしい。


「保洋くん、この先は?」

「はぁ、はぁ……小さな、神社が……」

「ありがとう。先に行く。郁未も出来るだけ速く来てくれ」

「は、はいぃ……」


 二人の返答を聞きながら更にカメレオンを追う。

 カメレオンは姿を完全に消し去る前に走り出したので、まずはその方向へ向かう。

 移動速度はそこまで速い訳ではない。それは追いつけたことから証明されている。


 刀を握り走ること更に数分。

 すぐに保洋の言っていたと思われる場所が見える。

 だが神社そのものが見えたわけではない。見えたのは白い石段だ。


 ――ここから何処に。


 その疑問は瞬時に氷解する。


 青い液体が石段の上に続いている。量は少なく、その間隔も開いている。念の為に下を見るがその青い液体はない。


 今の状態のカメレオンに罠を張るような余裕はないはずだ。

 今まで逃げている最中にもあったと思われるが、それは量が少ないこと、土に混じって見えなかったと判断する。


 石段の段数はそこまでではない。小さな神社というのは本当だろう。

 この三宅島にはかなりの数の小さな神社があると昨日泊まったペンションの主人に聞いていた。この場所もその一つなのだろう。


 ――ここでトドメを。


 もしも罠ならそれごと叩き潰せばいいだけだ。そんな大した準備は出来はしない。

 それにそのうちに郁未たちも追いつく。彼女の魔眼があれば勝率は跳ね上がる。


 郁未たちを待つ余裕はない。三人で現れれば逃げの一手だろう。

 良治が一人しかいなかったならとりあえず逃げずに戦闘になる可能性は残る。


 まずは足止め。期待は薄いが行くべきだ。


 良治は石段の先に見える青空を見据え、一気に石段を駆け上がった。



【充血してるよあのカメレオン】―じゅうけつしてるよあのかめれおん―

一般的なカメレオンの瞳は小さく黒い傾向にある。しかしこの魔族の場合は黒い部分がほとんどなく、それ以外が赤に染まっている。その為充血してるようにも見えるのも仕方ないこと。

だが咄嗟に充血してると叫ぶ精神性はどうかと思われる。

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