事前確認の重要性
東京都三宅島。
竹芝桟橋からフェリーでおよそ六時間半かかる、伊豆諸島北部の島の一つだ。八丈島よりも北に位置し、雄山という火山を中心にした直径八km程度の円形に近い形。
この雄山は度々噴火しており、良治の小さな頃にもニュースでそんなことを言っていた記憶がある。
何故そんな程度の知識しか持っていない良治と郁未が三宅島に来ることになったのか。それは完全に消去法だった。
「そんなわけでお願いできる?」
「了解です。まぁ仕方ないですから」
「うん、ありがと。それじゃお願いね」
そんなやり取りの電話をしたのは丸一日前だ。
訓練を終えて早朝に帰宅した良治たち。仮眠を取って昼に起きたタイミングで良治の携帯電話にかけてきたのは東京支部の支部長、つまりは良治にとって直属の上司になる南雲葵だった。
彼女の言った内容を簡単に纏めるとこうなる。
遠い親戚が三宅島にいて、そこで魔獣らしき動物の目撃があった。その調査に行ってもらいたいと、そういう内容だ。
最近何処かに遠出するような仕事もしていなかったので、良治は割りと乗り気で快諾した。上野支部の主力である結那と天音は別件の仕事で千葉に行っている。となると動けるのは良治くらいなものだ。
二人の仕事が終わるのを待っているという選択肢は当然浮かんだが、それを待っていて被害が出たら間違いなく後悔する。最速で行動して間に合わなかったのなら諦めもつくが、良治は出来るだけ後悔しない方を選びたかった。
そこで次に出てくるのは一人で行くか、それとも誰かを連れて行くかという問題だ。
「私、ついていきたいです」
話を聞くなり即座にそう言ったのは優綺だ。そして良治も優綺を連れて行こうとそう考えていたのだが、一つ問題があることに気付いてしまった。
「駄目。優綺は学校に行きなさい」
「う、それは……」
そう、優綺はまだ高校生なのだ。もう学校も始まっており、入学から半月でいつ終わるかわからない連休を取らせるわけにもいかない。一日くらいなら考えなくもないが目途は立っていないのだ。
簡単な仕事だと予想はしているがそれは確定してはいない。一日で戻れる保証はない。
そうなると誰が。次に浮かんだのは東京支部の副支部長であるまどかだ。二、三日に一度連絡はしているが中々会う機会はない。このタイミングでとも思ったが、そうなると一瞬とはいえ東京支部と上野支部で戦闘の出来る人材がいなくなってしまう。
先日の件もあり、僅かな時間でも空白を作るのは躊躇いがある。そもそもまどかが出る余裕があるなら、先ほどの電話でまどかが行く、もしくは相談がなされるだろう。それがないということはその余裕がない。ないからこちらに話が来たということになる。
つまり、今回は良治一人で行くことがベスト。
そう思い至ったのだが――
「センセ、私それついていっていい?」
「郁未さん、それは」
「えー、だって優綺は行けないんでしょ? なら私が行って何か手伝えないかなって」
優綺の言葉を意に介さずに意見してきたのは、ここ最近深夜の訓練時に泊まることが多くなってきた郁未だ。
今日も来客用の布団を三畳ほどのウォークインクローゼットに敷き、すやすやぐっすりと眠っていた。
今のところウォークインクローゼットには何も置いておらず、使う予定もないので問題はないのだが、いつの間にか彼女のスペースのようになっている状態はよろしくない。だがきっと強く言うと泣かせてしまうような気がして、注意するタイミングを伺っている最中なのがこの数日続いている。
「いやいや。それは」
「えー、ダメ?」
一歩前に出て上目遣いをする金髪ツインテールに眼鏡をかけた美少女。いやもう少女という年齢ではないが。
冷静に連れて行けるかどうかを考えてみる。印象だけで決めてしまうのは悪いことだ。
現在の生方郁未の状態。
退魔士としてはまだまだだ。それはそうだ、まだ指導を始めて半月だ。
出来るのは最低限の気配遮断、体内を流れる力の扱い、一瞬だが放てる火花程度の雷系統の術。そして、魔眼。
魔眼の扱いは冷静でさえいればなんとかなる目途が立っている。だがもし魔獣と遭遇し、命をの危険を感じた場合、普段通りに扱えるかは未知数だ。
(いつかは実戦に出ないといけないのはそうなんだけど)
退魔士として生きる以上、それは避けては通れない道だ。例え事務方として仕事をしていくにしても、それは最低一度現場に出てからになる。
だから何処かで仕事に連れて行くことになるのだが、それは一人前になってからにしたい気持ちが良治にはある。
だがそこで、偶発的とはいえ優綺は実戦を経験していることに気付いた。そして学校がなければきっと彼女を連れて行くという判断をしただろうことも。
「……郁未」
「うん!」
「君の選ぼうとしている道は、いつ何処で理不尽に殺されるかわからない死地だ。俺はまだ君がそこに立ち入るには足りないと思う。だから決して勧めない。
それでも――それでも君は行きたいのか。未熟なままで、いつ死ぬともわからない場所へ。怪我を負い、殺されようとした時、文句を言っても覆らない世界の埒外へ。……殺されることに文句がないのなら来るといい。――俺が行くのはそういう場所だ」
「ひ――ッ」
良治のこの表情を彼女が見るのは二度目。ビルの屋上以来のことだ。
訓練では見せたことのない圧力に郁未がよろめいて後ずさる。傍にいた優綺も身動きが取れずに硬直していた。
「わ、私は……」
泳いで彷徨っていた目が止まり、定まっていなかった視点が確かに良治の顔で結ばれる。
殺気こそ放っていないが仕事モードの良治の圧力に耐えるのは、慣れない者には非常に負担となる。それを郁未は真っ直ぐに見つめ返した。
「――私は、行く。頑張るから、文句なんて言わない。言うとしたら自分にだけだから。だから、連れて行ってください」
頭をゆっくりと下げながら二番目の弟子が願い出る。
少しだけ、ほんの少しだけ笑みを浮かべて、良治は圧力を消し去った。
「いいよ、連れて行こう。震えてはいたけど、まぁ及第点だ」
「や、やったぁ……」
「おいおい」
「大丈夫ですか?」
言葉と共にへたり込む郁未。慌てて優綺が郁未に寄り添い顔色を確認する。
「あ、うん。大丈夫。でもなんだかすっごい疲れたぁ……」
「それはそうですよ。何の心構えも出来てない状態であんな……よく立ち直れましたね。というか先生、やりすぎでは」
「ん、そうかもね。ただ」
「ただ?」
「それを乗り越えた郁未を見直したよ。凄いな。俺は郁未を過小評価していたみたいだ」
退魔士の道を選んだ環境、状態、心情。
それらが良治の郁未に対する評価を低めに見させていた。
半月の間に僅かずつだが上方修正していたのだが、それでも足りなかったらしい。
――そんな出来事があって。
良治は郁未を連れて三宅島に行くことにした。
「うわぁ……!」
セスナ機から降り立った郁未が目を細めながら感嘆の声を上げる。
雲一つない晴天。そして海からの風が身体を包む。気温もまだまだ高いとは言えない季節で、爽快感で心が満たされるようだ。
郁未でなくともはしゃいでしまいそうないい天気に良治も思わず仕事を忘れ、目を細めて空を眺めてしまう。
「さ、そろそろ行こう。仕事仕事」
「うぅ……はーい」
気持ちよさそうに両手を広げていた郁未に声をかけ、先に歩き出す。
現在時刻はちょうど正午。まだまだ出来ることは多い。そしてやればやっただけ帰るのは早くなる。
良治は基本的に早くやって早く終わらせ、早く帰りたい性分だ。だらだらとやって時間を無駄にしたり、必要のない残業は嫌いだ。
二人はそれぞれ普段使っているものよりも大き目の荷物を持ち、三宅島空港を出る。この空港は島の東側に位置し、二人が泊まる予定のペンションもさほど遠くない場所にある。
このペンションを利用することにした理由はまず空港に近いこと、そしてレンタカーもあることだ。他にもダイビングや釣り等のレジャー体験も出来るようだったが、それは今回の仕事には関係ない。
空港を出たところで一台だけ待っていたタクシーに乗り、数分でペンションに到着する。
こじんまりとした宿泊施設だが手入れは行き届いていて、部屋の方もきちんと掃除のなされていた和室で言うことはない。数日の拠点としては十分だ。
「さて。じゃあ頼むよ」
「はーい、任せてよねっ」
必要のない荷物を部屋に置き、レンタカーに乗り込む。思っていた四人乗りではなく、小さめのワゴン車でかなりゆったりとした空間だ。
良治は自分と郁未の荷物を二列目の座席に置き、自身は助手席に座る。運転するのは免許を持っていた郁未だ。
(本当に助かった。まぁ運転手役だけの為じゃないけど)
郁未が免許を持っていて助かったのは本当のことだ。
良治は未だに免許を持っていない。東京を離れ地方にいたこともあったが、それでも都市の中心で暮らしていたのでどうしても必要な場面には出くわさなかったからだ。
東京に戻って来たがそれは以前よりも顕著になっている。都心では電車が網目のように張り巡らされており、むしろ車の維持費と場所が面倒なくらいだ。
「えっと、道はわからないから案内お願い」
「了解、任された。とりあえず地図を見て。ここが目的地。で、今ここ」
「ふむふむ……なんとなくわかったわ。でも細かい指示はしてね」
「ああ」
ペンションは島の南東にあり、まず行かなくてはならない葵の親戚の家は島の北部にある。なので一度引き返すような感じで空港を通り過ぎ、海沿いの道を北上していくことになる。
三宅島の中心は雄山があり、中央部は通れないので何処に行くにしても島をぐるりと廻る大きな道路を通ることになりそうだ。良治は地図を見て最初に山手線を思い浮かべたが、その認識はだいたい合っていると言えるだろう。
「……なぁ、一つ質問していいか」
「……」
「運転、久し振りだったり?」
「……」
運転を始めて一分も絶たないうちに良治はハンドルを握る郁未に問いかけた。問いかけざるを得ないようなハンドル捌きだったからだ。
なんというか、端的に言うなら『荒い』。それでいて自信がないように思えるのだ。
良治はシートベルトをしているのは当然だが、更にドアの上部にある取手に手をかけて身体が揺れないように身体を固定する。
「郁未さん?」
「……もしかして、不安にさせちゃった?」
「まぁ、うん。スピードも出たり出なかったりだし」
「そうね。……じゃあ――もっと出すわね!」
「ちょっと郁未さん!?」
一気にアクセルを踏み込んで重力に身体を持っていかれる。郁未の表情は前方一点に集中されていて、鬼気迫る形相だ。
「実は――二年振りだったり!」
「よしわかった! 郁未、一旦止まって! 止まって――ぐふぅっ!」
シートベルトがなかったら間違いなくフロントガラスに突っ込んでいた。その代償として身体がシートベルトに締め付けられたが、まだこっちの方がマシだろう。
「と、止まったわ、よ」
「し、シートベルトは良い文明……いやそれより。あの、郁未」
「な、何かしらっ?」
呼吸を整えて運転席を睥睨する。だが視線を向けられた当人はすっと目を背けてとぼけだす。
「これからも運転するつもりは?」
「えっと。出来たら運転したいかなと思ったり……?」
「……なら任せる。でも幾つか条件を守って。まず自分の身が安全と思える運転をすること。次に他の車や歩行者を見たら、基本的に止まること。最後に出来たら何処にもぶつけないこと。いいかな?」
「……センセ、優しすぎない?」
フロントガラスの反射越しに目が合う。
申し訳なさそうな、照れているような。
そんな視線を受けとめて良治は口を開く。
「そんなことない。俺は俺で怪我しないようにしてるから、俺のことは気にせずに今言ったことを守って。出来なかったら運転は中止で」
「……うん。わかった。やってみる」
島内は車通りも人通りも少ない。あまりすれ違うこともないだろう。
あとはこっちが気を付けて運転さえ出来れば大事には至らない。
そう考えていた良治だったが、目的地に到着する頃には後悔することになり、自身の想定の甘さを痛感することになる。
「……戻ったら、運転の、練習、してな……」
「ごめんそうする……」
目的地に到着した二人だったが、良治は車を降りるなりそのまま車に手をかけて寄りかかる。地面にへたり込まなかったのは年上として、師匠としての意地だ。それに地に膝をつけば郁未の罪悪感が更に上がってしまうだろう。
駐車場の白い砂利を虚ろに眺めながら、良治はぐるぐると不快に蠢くような胃の腑がどうにかならないかと祈る。身体は強化出来ても内蔵はそうはいかない。
車に酔った良治はなんとなく酔っていない郁未を恨めしく思いながら、ようやく顔を上げた。
――ここか。
港のある北部の町、そこから少しだけ南の山に入った古びた屋敷。
そこに葵から聞いた親戚の表札があった。
『東雲』。
それがこの屋敷の主の名だった。
【東雲】―しののめ―
南雲家の縁戚、分家。血の繋がりは葵の四代前に遡り、今では交流も多くはない。
更に昔は、東雲家以外にも他の分家も存在していたが、時流に乗れず消え去ってしまった。
現在の東雲家は三宅島に住む二人しか残っていない。




