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怪我の治療とジト目の同居人

「……いくみさん。あいつはどんな姿勢、態勢でいますか?」


 郁未を背負おうとしゃがんでいた良治だったが、ゆっくりと背を伸ばす。

 もしあの男がこちらの様子を見ているなら刺激するような行動は控えた方がいい。声のトーンも少しだけ落とす。


「こっちの壁にくっついてる。……あと、扉にさっきの鞄に入ってた丸いのが」

「了解。罠だな」

「うん。私もそう思う」


 見つけた瞬間は動揺していた郁未だが、それはもう大丈夫らしい。良治のシャツの裾を握りしめていることは考慮しなければだが。


 透視の魔眼とは本当に便利なものだと思いながら良治はこの状況を切り抜けることに思考を移していく。


(一番過激な策だと、結界を張ってからあの扉ごと術で破壊か? いやそこまで大きな術は無理か。コンクリートを砕くような詠唱術を俺は使えない)


 魔術型七級ということで良治は詠唱術を使えることは使えるのだが、ざっくりと言えば強風を巻き起こす術なので破壊には向いていない。扉を吹き飛ばすのがせいぜいだ。


(となると第二ラウンドってことで再戦か? でも)


 身を隠すようにしている郁未がまた巻き込まれる可能性がある。そうなれば先ほどと同じ展開だ。そして今度ばかりは男は郁未を殺すかもしれない。

 せっかく助けたのに、同じことを繰り返す危険性リスクは避けたいところだ。


(となると……)


 三つ目の選択肢。それが一番良さそうだと良治は思い至った。


「あの、どうするの……?」

「声を潜めて。で、背中に乗って」

「え、うん」


 見える脅威、恐怖があるせいか郁未はしゃがんだ良治の背に躊躇いなく乗る。持っていたバッグは前で繋いだ腕で持ち、良治の胸当たりで固定する。


「しっかり捕まってて」

「うん。……でもこれってすっごく恥ずかしい……」

「言われると俺も恥ずかしくなるからお互い気にしない方向で」

「……うん」


 感想をあえて言うとするならば、重さは優綺以上、感触は同じくらいか。

 だがそんなことを考えていることは一切顔には出さず、良治は軽く郁未を背負い直すと屋上のへりへ足音に気をつけながら歩いていく。


「え、何処に……?」


 耳元で聞こえる声を無視して縁から下を覗き込む。

 バランスが悪いせいか少しばかりふらついてしまい、背中に柔らかいものが押し付けられるがそれは意図したものではない。


「……下には誰もいないな。よし」

「どうするの……?」

「舌を噛まないように気を付けて」

「え? え?」

「こうするんだよっ」

「え、ええええええええええええっっっ!?」


 ビルとビルの間の細い路地に良治は郁未を背負ったまま身を投げた。

 重力を感じながら風を起こして落下速度を軽減していく。

 郁未のあげる絶叫はこの際気にしない。しても仕方ないことだ。


「っ」

「う゛っ!」


 ビルやマンションの半階分程度の階段を飛び降りたくらいの衝撃に良治は余裕で、郁未は顔に似合わない鈍い声を出して着地した。

 路地にあったゴミ箱は風と着地の衝撃で吹き飛んでしまい、若干の罪悪感があったがそれは心の中での謝罪で諦めてもらうことにした。


「立てる?」

「む、無理……」


 力いっぱいしがみついていて、落下のショックもあって完全に硬直してしまっている。引き剥がしてもすぐに走ることは出来なさそうだ。


「じゃあこのまま移動するから」

「うん……」


 上を見るが覗き込む者はいない。軽く見回しても誰の視線もないようだ。


 目撃者はいない。それならあと警戒すべきは追ってくる可能性のあるあの男だけだ。となれば次の行動は一つしかない。


 飛び降りたビルの入り口とは逆方向へと走り出す。一度姿を見失えば追撃は諦めてくれるだろう。


 ぐったりとしている郁未を背に、良治は出来るだけ狭い路地を選びながら自宅への道を駆けていった。









「――ん?」


 壁にピタリと身体を張り付けていた男は遠くから聞こえる叫び声にぴくりと脂肪の付いた腹を震わせた。


 屋上の扉から立ち去ったと見せかけて罠を張り、気配を殺してこの姿勢で待つこと数分。そろそろこの金属製の扉が開いてもいい頃だ。

 こちらからは向こうの声も音も聞こえない。騒がない限り届くことはないだろう。


 だがそれはこちらからも同じことで、静かに準備すれば鞄の開閉や仕掛けで生じる音も聞こえない。

 扉を開けた瞬間にスイッチの入る爆弾は先ほど煙幕を発生させたものとは違い、殺傷を目的とした正真正銘の爆弾だ。良治は煙幕の時障壁を展開したが、不意打ちならば突破出来る可能性もある。

 もし致命傷を逃してもこの手に握るダガーが傷を負わせる。最悪女を狙えばいい。


 そんな準備をして待っていたのだが、聞こえてきた絶叫で何かが起きたことを悟る。


(もしや……?)


 屋上へ繋がる扉のあるこの場所には小窓すらなく、外は確認できない。躊躇いはあったが男は罠を解除し、音が出ないように扉をゆっくりと動かしていく。


「……なんと」


 男に視界に二人はいなかった。あるのは積み上げられたガラクタと使い捨てた煙幕弾くらいだ。

 ここには誰もいない。そしてさっきの絶叫。

 男は急いで看板の隙間から地上を見下ろすが、路地にあるのは倒されたゴミ箱くらいなもので、あの二人は影も形もなかった。


(まさか罠がバレた? ……その可能性はあるな)


 思えばあの女は鞄の中身を把握していた。何かの能力を持っているのかもしれない。


(……今後考えなければなりませんかね)


 出来れば可能な限り早く不安要素は排除しておきたいが、まだその準備は出来ていない。

 単独での勝負では柊良治に勝てそうにはない。それは今回で確認出来たことだ。


「――覚悟しておいてください、《黒衣の騎士》。必ずあの時の恨み、晴らさせていただきます……イヒッ」












「あの、ここは……?」


 タクシーで移動しようかとも考えていたのだが、結局良治は最後までおぶったまま自宅へと戻ることになった。

 昼前という時間帯でそれなりの人たちに奇異の目で見られはしたが、別に通報されるようなことではない。


「俺の家。手当てするから」

「そうなんだ……」


 おぶったまま器用にポケットから鍵を取り出して一階の自動ドアを開け、エレベーターに乗って四階にある自分の部屋に辿り着く。

 その間とても背中の郁未がそわそわしていたが、良治はそれを初めて来る場所で緊張しているのだと判断した。


 ガチャリと鍵を開けて自宅に入る。

 するとすぐに出迎えがあった。


「おかえりなさ……い?」

「ただいま。怪我人だ、風呂場のドア開けて通れるようにして」

「あ、はい」


 留守番をしていた優綺は最初こそ動じたものの、すぐに事態を飲み込んで良治の指示に従い脱衣所と風呂場の扉を開けに向かう。


「あ、あの……今の子は?」

「あー……なんていうか。一緒に暮らしてる」

「……そうなんだ」


 おずおずと聞いてきた郁未が返答を聞いて脱力していく。

 良治としては退魔士の世界を知らない彼女になんと説明するか迷った末の答えなのだが、何か失敗した気がした。


「それよりも、っと。とりあえず風呂場で怪我したところの汚れを落とすから」

「うん……」


 良治は片手で郁未の靴を脱がすとそのまま彼女を運んでいく。

 脱衣所を通り過ぎると空の浴槽に郁未を座らせて靴下を脱がせた。


「先生、次は」

「タオル。あと湿布と包帯、固定用のテープをリビングに」

「わかりました」


 優綺に再度指示を送り、良治は膝をついた姿勢でシャワーの温度を確認する。十分に温まったことを確認し、郁未の素足にお湯をかけ始めた。


「っ!」

「ごめん、染みるだろうけど我慢して」

「うん、大丈夫……」

「……」


 郁未の返事にほっとして視線を落とすと、太ももの先に薄いピンク色の布が見えた。

 彼女の座っている高さとしゃがんでシャワーをかけている良治の視線が何の因果かピタリと合っている。


 よこしまなことは考えてはいけない。

 今はシャワーを、お湯をかけて汚れを落とすことが重要――そう思った瞬間、良治は自分の術で洗い流せばよかったことに気付いた。


(……いや、あの場で治療は出来なかったし、どっちにしろ落ち着く場所は必要だったから結果オーライか。でもなんでそんな簡単なことが浮かばなかったのか)


 良治はあまり結果オーライ、結果論という言葉が好きではない。

 結果的に成功したことというのはつまり、途中の方法や考え方が間違っていたということだ。

 成功だけを喜んでいては成長はない。必ずあった間違いを反省し、修正しなければならない。


「先生、タオル持ってきました」

「うん、ありがとう。リビングに行くから椅子の準備を」

「はい」


 十分に汚れを洗い流し、手を引いて郁未を立たせる。

 丁寧に彼女を足をタオルで拭き、肩を貸してリビングへと向かった。


「なんか他人ひとに足とか拭いてもらうって恥ずかしい……」

「……言い出したら終わりが見えないから気にしない」

「……そうね」


 脱いだ靴下を持ちながら顔を赤くした郁未をリビングに通し、治療をしやすいようにテーブルから外されていた椅子に座らせる。

 椅子の準備を、という言葉だけでしっかりと意図を理解してくれる優綺の評価を上げつつ、テーブルの上に用意されていた湿布を手に取った。


「なんか手馴れてるわね」

「そりゃね。怪我するのには慣れてるし」

「それで……あのイヒイヒ言ってたおじさんのこととか教えて欲しいんだけど」

「うーん……」


 手際よく湿布を張り、包帯を巻いていく。

 視線が上に行かないように気をつけながら、彼女への回答をどうするか迷う。


 彼女は退魔士の世界を知らない。

 だが彼女の持つ能力、魔眼は一般社会には受け入れられないものだ。

 それでも今まで折り合いをつけて生きてきたはず。そうでなければ表面上だけでもこんな性格には育たないだろう。きっと彼女は両親や周囲の環境に恵まれていると思えた。


 そんな彼女を不条理行き交う世界に巻き込みたくはない。

 真っ当に生きていければそれに越したことはないのだ。


「――よし、これで終わり。痛みは少しはあるだろうけど、すぐに治まるはずだから」

「ありがと。それでさっきの質問は……」

「その質問には答えられない。知らないなら知らない方がいいことがある。せっかくその眼鏡で普通の生活が出来るようになったんだ。だからそれでいいと、俺は思うよ」


 立ち上がって優綺の出してくれたお茶を手に取りながら、良治はそう答えた。

 やはり踏み入るべきではない。

 これからも平穏な生活をしていくのに、必要な情報ではないのだ。


「……そう」


 良治が発した答えに不満そうな表情を浮かべながらも郁未は結局そう頷いた。

 納得は出来ずにいたが、それでも良治の言ったことを理解はした。

 自分の知らない世界があり、それはとても危険な世界なのだと。


 あの男に追いかけられたこと、ビルの上での二人の激闘。どちらも今まで見たことも聞いたこともない異常な出来事だった。

 良治が来なければ殺されていただろう。もしかしたら殺されるよりも酷い目にあっていたかもしれない。彼の言いたいことはそういうことだ。


「店まで送っていくよ」

「……ううん、大丈夫。もう一人で歩けるから」

「駄目。まだあいつがうろうろしてる可能性があるから。まぁどうしても一人で行くって言うならせめて店の前までタクシーを使ってくれ」

「うん、そうする。でさ、電話番号教えてくれない? メモも携帯電話もなくしちゃったの」

「ああ、なるほど。了解、ちょっと待って」


 脱いであった靴下を包帯の上から丁寧に履きながら言う郁未に、良治は優綺が持ってきたメモ帳にさらさらと書いていく。


「じゃあ一応私のも。……はい」

「ありがと。『生方うぶかた郁未』、こんな字だったんだね」

「あ、お店じゃ平仮名だしわからないもんね」

「ああ。まぁとりあえず何かあったら連絡してきて。話くらいは聞くよ」

「ん、そうする」


 足を確認しながら立ち上がり、満足そうな顔で微笑む。良治が思っていたよりも痛みはないようだ。


「あ、ちょっと洗面所貸してくれない?」

「ん、どうぞ」

「ありがと」


 バッグからポーチを取り出してぱたぱたと洗面所に向かう。おそらく化粧だろう。涙と汗で塗れたまま店に行く勇気はないようだ。


「それで先生、あの人は……?」


 郁未が洗面所に消えると同時に、少し離れた場所で控えていた優綺が尋ねてくる。突然連れてきた女性が気になるのは当たり前のことだ。


「よく行く店の店員さん。外法士に追われてたのを助けたって感じかな」

「外法士に、ですか?」

「ああ。……郁未さんは魔眼保持者だ。詳しい話は聞いてないからあくまで予想だけど、たぶんそれが理由だと思う」


 透視の魔眼で何か見てはいけないものを見てしまった、もしくは何か見ていることをあの男に気付かれた。そんなところだろうと良治は見ていた。


 生方郁未は魔眼保持者であって退魔士ではない。

 つまり退魔士としての『力』を持っていない。一般人と同程度か少し上程度で、少なくとも現状では退魔士にはなれない人間だ。


「この先はどうするんですか」

「現状維持かな。特別な力はあるけど退魔士こっちの世界で暮らしていくには力不足だし、普通に暮らそうと思えば暮らせると思うから」

「そうですね……それにしても先生があの人を背負って帰って来た時は、また女の子って思ったんですけど」

「またって言うのはちょっと……」


 真面目な話から急に責められるような話になってたじろぐ。優綺の頬がちょっとだけ膨れているような気がするのは気のせいか。


「洗面所ありがとう……ってどうしたの?」

「いやなんでもない」

「ならいいけど……あ、あなたもありがとうね。助かったわ」

「いえ……」


 戻って来た郁未に礼を言われて戸惑う優綺。もしかしたら少し人見知りの気があるのかもしれない。

 優綺はこれから高校生、郁未の年齢はわからないが二十代前半だろう。年上の知らない人にプライベートで話す機会はほとんどないはずで、この態度も仕方ないと思える。


「――それじゃ。本当にありがとうね。また会いましょ」

「ああ。本当に気をつけて。何かあったら遠慮せずに」

「うん。それじゃね柊さん」


 なるべく早く心配をかけた店長に謝罪と感謝を伝えたいのだろう。

 眼鏡をかけ直した郁未は身支度が済むとすぐに手を振りながら良治の家を出て行ってしまった。


「……なんか、よくわからない人でした」


 ぽつりと言った優綺の、郁未への印象は言葉通りのようだ。

 金髪ツインテールでとっつきにくい見た目だが、しっかり礼を言えて、そしてすぐに出て行ってしまう行動派。

 それを混ぜたらよくわからなくなってしまったのだろう。


「まぁほんの十分くらいしかいなかったしなぁ」

「はい。でも――」

「でも?」

「悪い人ではないと、仲良くできそうだと思えました。……この先はわかりませんけど」

「…………」


 その言葉の意味を察して黙ってしまう。

 優綺のジト目が刺さるようでそっと良治は視線を外した。


「あー、それじゃ今日の座学は外法士について説明しよう。優綺、お茶を」

「……はい」


 今日は一日優綺に優しくしよう。

 既に疲れていた良治は、まだ天辺を過ぎてもいない時計を見ながらそう決意した。



【ツインテール】―ついんてーる―

髪型。髪の毛を両サイドで結んだ髪型。似たものにツーサイドアップ、おさげなどがある。

良治が好きな三つの髪型の一つ。

この髪型が似合う女性には好感を持つ傾向にあるらしい。

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