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屋上での交渉

 築三十年は過ぎていそうな雑居ビルの屋上。

 周囲には所々にガラクタのようなゴミが散乱しており、更に屋上には大きな看板があって周囲からこの場所はかなり見え難いと思われた。

 これならそうそう目撃されることもない。わざわざ結界を張ることもないだろう。しかし。


(――状況は良くないな)


 そこそこの広さはあるものの、機動力とスピードを活かした戦闘は難しいかもしれない。

 それにへたり込んだままの郁未も気にかかる。戦闘に巻き込む可能性も高い。


「イヒッ」


 気持ちの悪い笑みを浮かべる男を観察しながら、戦闘の出来そうな中心部に歩いていく。その間視線は一度たりとも外さない。


 腹の出た、小太りで茶色のスーツ姿のサラリーマンらしき姿。

 だが実際は違うだろう。


(退魔士……いや外法士げほうしか)


 外法士とは退魔士としての力を犯罪行為などに使用する退魔士の呼び名。組織や寺社に属していなく、各地を転々としている者が多い。

 放浪していた時期の良治が、退魔士の力を自分の利益だけに使用していたら外法士と呼ばれていただろう。


 男はニマニマと笑っているが隙は無い。

 先ほどの動きを見ても最低でも一人前。

 そう良治は判断していた。


 年齢、そして良治の名と姿を知っていることも含めて経験もかなりあるだろう。油断できる相手ではない。


(しかも真っ当なタイプじゃなさそうだしな)


 体格や動きを見ても刀を持って正面から戦うタイプには見えない。

 転魔石で日本刀を取り出した良治を見ても、一向に何か武器を手にする様子がなかったからだ。


 武器を持たない空手の人間に刀を振るうのは抵抗がある。それが例え敵だとしてもだ。

 だがそれこそ相手が狙っていることなのかもしれない。

 屋上の中心部で立ち止まった良治はそう感じて――覚悟を決めた。


「――行くぞ」

「どうぞ」


 駆け出したのは宣言した良治。鞘をベルトに固定し、刀身を抜き放つ。

 トップスピードに入る前に男の間合いに入り、袈裟切りに振り下ろすが、それは鈍い金属音によって阻まれた。


「イヒッ!」


 刀を受け止めたのは右腕の外側。

 そこに何かを仕込んでいたのを音と手応えで理解する。

 良治の注意がそこに行った瞬間、男の左手が奔った。


「ちっ!」

「イヒヒッ、さすがですねぇ」


 慣性の法則で前のめりになっていた身体をどうにか後ろに下げ、際どいところを銀閃が掠めていく。

 見ると男の両手には二本のナイフ。それも大き目のダガーだ。


 良治の初手の斬撃は一撃必殺を狙ったものではない。まずは様子見、七割から八割程度のものと言える。

 そしてそれは正解だった。


(……やっぱり簡単な相手じゃないか)


 本気の斬撃だったのなら、受けた腕に深手は負わせられただろうが返す左手を避けることは出来なかっただろう。となると良治の方が致命傷を受けた可能性は否定できない。

 初見の相手には慎重に当たるという良治の慎重さが功を奏した。


「何者だ」

「それは今必要なことですかね?」


 探りを入れるが男は答えない。

 お喋りだが言っていいことと言わない方がいい情報はわかっているようだ。


(やりづらいな。俺は相手を知らなくて、相手が俺を知ってるってことが特に)


 名を告げる前に名前と顔が一致していた以上、良治の戦闘スタイルもそれなりに知られているはずだ。

 それが即致命的なことにはならないが、それでも致命傷を避けられることは増えてしまう。


(それにあの動き、過小評価は出来ないな)


 斬撃の受け方とカウンター。どちらも慌てた様子はなく流れるような動きだった。少なくとも戦い慣れていることだけは確かだ。


 仕事柄恨みを買うことは多い。

 現在白神会と敵対する組織はないものの、数か月前に行った陰陽陣内部の一派の『陰陽陣独立運動の会』などには恨まれているだろう。昔のいざこざまで考え出したなら切りがない。

 もしかしたら霊媒師同盟の白神会を敵視する勢力の可能性もある。


「今度からこちらから行きますよっ!」


 良治の思考は動き出した男によって中断させられる。

 それと同時に今はそれを考える場面でないことを理解した。


 男の動きは真っ直ぐ良治に向かってくるものではなく、撹乱するように周囲を素早く駆け、時折攻撃をしては一撃離脱を繰り返す。

 時には看板裏を足場にして多角的に仕掛ける。


 男は両手のダガーで二撃してはまた良治の間合いから逃げていく。

 しかし一撃目を避け、二撃目を刀で受けて良治は掠り傷一つ受けずに対処していく。まるでゲームのような感覚だ。


 男は確かに身軽で素早いが、受けと見切りに長ける良治には対応することは難しくない。


 しかしこのままでは埒が明かない。それに男は必ず戦略を変えてくるだろう。そうしないと良治に傷を負わせることが出来ない。

 だがその前に良治から対応を変化させる。――主導権を持たせたままなのはなんとも気に食わない。


「――ッ!」

「ぐぅっ!」


 今まで避けていた一撃目のダガーに合わせて刀を思い切り横薙ぎに振るい、そのダガーの刃を半ばから切り飛ばす。


 今までとは違い、男は左手の追撃をせずに汚れた屋上を一回転し、良治を睨みつける。

 良治は態勢の崩れた隙を見逃すつもりはなく、男がこちらを見たタイミングにはもう一歩を踏み出していた。


「ちっ!」


 折れたダガーを投げられるが、それは予想範囲内。男を見たまま刀で簡単に弾く。

 もう一本投げてくるか。その可能性も考慮していたが、それは予想外に的中した。


「はっ!」


 右手に持っていたダガーではなく、スーツに隠された左足の裾から小さな銀色を取り出すと、それは掬い上げるような一切無駄のない動きと軌道で正確に良治の心臓に向かってくる。


「っ!」


 思わず減速し、刀のつばで弾き飛ばす。

 甘く見ていたわけではないが、やはり侮れる相手ではない。


「イヒッ!」


 一瞬出来た時間で男はこの屋上に繋がる扉の傍に移動していた。

 ――そこには。


「そ、その鞄の中、何か丸いものが――!」


 突然起こった脇からの声に視線を動かす。

 郁未の瞳は眼鏡を通さないまま茶色の鞄に注がれていた。


(見えてる!)


 あの鞄はあの男の持ち物だと理解する。そしてその中はろくでもないものが入ってるだろうことも。


 男の動きを止めなければならない。

 しかし太い指は滑らかな動きで鞄の中をまさぐると、瞬時に野球ボールほどの黒い球が出現し――


「――ボン♪」

「ッ!?」


 かちりとボタンを押したような音をさせた後、男は中空に軽く放り投げた。


 刀で打ち払うか。

 そう考えもしたが投げられた球は間合いの外。それ以外の方法は間に合いそうにない。


「ッ!」


 対抗策は短すぎる時間では見つからなかった。

 良治は手を前に出して全力で円形の障壁を展開し、来るであろう衝撃に身を固くした。


 球が重力に負けて落ち始めた頃、一気に煙が噴き出し、更に良治は衝撃に備えて腰を落とす。


「……?」


 しかし一向に煙以外の現象はない。

 音も、衝撃も。


(――まさか!)


 障壁を解き、球があるだろう方向へ強風を巻き起こす。

 風属性は良治の最も得意な属性。指向性のない煙を吹き飛ばすのは容易なことだ。

 だが視界が戻っていくと先ほどまで男が居た場所には何もない。男も、鞄も。


 煙に乗じて逃げたのか。

 姿を消して良治に襲い掛かることも十分に出来たはずだ。それをしなかったのなら逃げたと判断――


「――ひっ」


 良治はそこで大きな間違いをしていたことに気が付いた。

 まだ晴れ切っていない煙の向こう側からのか細い声。

 そこに答えがあった。


「イヒヒッ。さてどうしますか《黒衣の騎士》」

「あ、あ……」

「てめえ……」


 服を掴まれ無理に立たされた郁未の背後に、口を三日月のようにした笑みの男。首筋には無骨なダガーが添えられている。醜悪な笑顔に良治は刀を強く、強く握りしめた。


 あの球は爆弾ではなく、ただの煙幕。

 男の言葉に警戒し、後手に回ったことが現状を招いてしまった。


 初見の相手に後手を踏むのは仕方のないことだ。

 不用意に前に出れば足を掬われる。

 個人対個人だけならば良治の対応は間違っていなかった。


(間違えたのは相手の行動予測だ)


 男の予想外の行動。

 戦闘行動に端で座り込んでいた郁未を考慮していなかった甘さ。

 その二つに良治は唇を噛んだ。


「……わかった」

「では武器を捨てて――」

「却下だ」

「は……?」


 良治の言葉に男が口をぽかんと開ける。

 良治はわかったと言ったのに、男の要求を即座に跳ね除けたからだ。


「逃がしてやると言っているんだ。手出しはしない。その娘をその場に置いてさっさと何処か行け」

「……立場がわかっていないようですね。有利なのはこちら、貴方がそういう態度なら彼女がどんな目に合うかわかりませんよ?」

「お前こそわかっていない。人質は無事だからこそ価値がある。……その娘にほんの僅かでも害をなしてみろ、その時お前は死ぬ」

「ほう?」


 ぴくりと片眉を動かす男。

 笑みは消え、目が座っていく。


「必ず殺す。この先何があっても必ず殺す。――今俺と最後まで殺し合う覚悟があるなら好きにすると良い」


 良治の表情に怒りはない。憎悪もない。

 ただ無表情の裏に渦巻く感情を男に叩き付けた。


(――さぁ。どうでる、ダガー使い)











「……ふむ」


 ――男は考え出す。今ここでやり合って勝てるのかと。

 その答えはすぐに出た。答えはノーだ。

 探していた相手を思いがけず遭遇し興奮のまま戦闘を開始してしまったが、そもそもまともに勝負をして勝てないと判断したから搦め手と戦力増強の準備をしていたのだ。

 今ダガーを首筋に当てている彼女も、どうしても入手したいというわけではない。惜しい気持ちはあるがいくらでも代わりは見つかるだろう。


「どうする」

「……このまま解放すれば見逃す、と?」

「ああ」

「その言葉を信じろと」

「交渉で嘘は吐かない。信じる信じないはお前次第だ」


 良治の目は冷たい。

 こんな目をした退魔士を信じろというのは難しい話だ。外法士として生きてきた男はそう思った。

 だが男の調べてきた《黒衣の騎士》という男は嘘を吐くような者ではなかった。


「……いいでしょう」


 今自分が受けている印象と調べ上げた情報。

 そのどちらを重視するか迷ったが、男は最終的に情報を選んだ。

 ここで雌雄を決することになった場合、やはり分が悪い。それが大きな理由だった。


「じゃあその娘をそのままにしてゆっくり扉から出ていけ」


 そう告げて良治自身は郁未と男、屋上の扉と正三角形を結ぶ位置に移動していく。もちろん視線は男から動かさずにだ。


 男はゆっくりと扉へ向かう。

 何かの切っ掛けや隙があれば仕掛けるつもりだったが、やはりそんなものは見当たらず男は諦めた。


「――それでは、またお会いしましょう。……イヒッ」


 バタン。

 耳障りな音を残し、スーツの男は鞄を手にして立ち去った。











「大丈夫?」

「うぅ……はいぃ……」


 物理的にも精神的にも解放された郁未はへたり込んだまま良治を見上げていた。

 もうそこには背筋が凍るような目も、表情も、雰囲気もない。

 何回か店で見た穏やかでそこにいるのが当たり前のように感じられる優しいお客さんだ。


 自分の身に何が起こってどうなったのか、それは郁未にはわからない。だが良治が助けてくれたことだけは確かなことだと信じられる。

 そのことだけで、郁未の瞳から涙が溢れてくる。

 ずっとあった不安や恐怖、痛みやストレスが溶けていく。


「あ……」


 膝をついて無言で頭を撫でてくれる手に、深い場所から感情が噴き出してくる。


「――っ!」


 それに耐えきれず、郁未は彼の胸に飛び込んだ。

 流れる雫が止まるまで。












「ご、ごめんなさい。もう大丈夫」

「うん。じゃあ帰ろうか」


 十分もしないうちに落ち着いた郁未を先に立ち上がった良治が引っ張って立ち上がらせる。

 涙と鼻水の跡でボロボロだが、赤くなった目は確かな力強さがあった。これならもう大丈夫だろう。


 郁未は膝を擦りむいており、かなり歩き辛そうだ。コートも汚れている。さすがに今からバイトは無理だろう。

 怪我自体は良治でも治せそうなものだがだいぶ血と埃で汚れてしまっている。血は問題ないが、埃は洗い流してからでないと後が怖い。


「あ、携帯電話は?」

「……逃げてる途中であいつに壊されたの思い出した。もうっ……!」

「それは……まぁ了解。じゃあ店長には俺から今日休むって連絡を入れておくよ」

「あ、待ってっ」


 ポケットから取り出した携帯電話を操作しようとしたところでその手を掴まれる。その手にも細かい傷があった。


「どうしたの?」

「私、バイトは行くから。だから遅刻って……っていうか電話貸して。自分で連絡するから」

「……その責任感は買うけど、自分の現状を確認してみて。怪我もしてるし、まともに動けないだろ」

「う……でも!」


 彼女の掴む手に力が入る。

 これだけ色々とあったなら家に帰って休みたいのが普通だろう。だが彼女はそれを頑なに拒む。


「なんでそこまで?」

「……店長にはたくさんお世話になったから。今までのバイト、頭痛のせいで休みがちになって辞めることが多かったのに、あの店は、店長は『体調のことは仕方ないから。気にしないで大丈夫』って言ってくれたから……だから、身体が動くなら行かなきゃ……!」


 眼鏡がなかった今までの人生、唐突に来る頭痛は郁未の天敵だった。それは酷い時はベッドから出ることも出来ないほどで、それは週に一度以上の頻度で訪れていた。

 高校を卒業してからは少しだけ加減が出来るようにはなったがそれでも仕事に影響することは多く、結局辞めざるを得なくなっていた。


 だがあの店長は気を悪くすることなく、笑顔で接してくれていた。

 たくさんの迷惑をかけていたのに。

 ――だから、身体が動く以上は出勤したい。少しでも何か出来るなら。


「……思ったよりも強情だね」

「そうよ。お店じゃちゃんとしてるつもりだけど」

「なるほど。こっちが素と」

「悪い?」

「別に。……じゃあ仕方ない。店には行くといい。俺にそれを止める権利も義務もないしね。ただ怪我の治療はさせてくれ。いいかな?」

「う、そうね……お願い、します」


 照れたように手を引っ込め、顔を背ける郁未に苦笑しながら携帯電話の操作を再開した。


 電話に出た店長はほっとした声で何度も良治に感謝の言葉を告げ、結局それを打ち切るように郁未に電話を渡した。

 会話は聞こえなかったが、郁未がまた泣きそうになっていたことだけで良治はとても充足した気持ちになれた。


「……どうも」

「はい」


 離れた場所に移動していた良治は、切れた携帯電話を受け取りに戻る。

 彼女の表情は晴れやかだ。完全に気持ちは切り替わったようだった。泣いたことも一つの要因かもしれない。


「あの、柊さん」

「ん?」


 長居しても仕方ないと屋上の扉に目をやった良治の背後から声がかかる。少しだけ固さを感じたような気がした。


「……ごめん、言い忘れてて。その、ありがとう、ございましたっ」


 振り返った良治の目に映ったのは深いお辞儀をする郁未の姿だった。ツインテールが垂れているのが何処か面白く感じて良治は小さく笑った。


「って。あれ、なんで笑ってるの? ねぇっ」

「いやなんでもないよ。さ、もう行こう。ええと、前と後ろどっちがいい?」

「前と後ろ? どういうこと?」

「お姫様抱っこかおんぶ。選択肢は提示するよ」

「っ! ……おんぶで」

「了解、お嬢様」


 足を怪我している以上歩かせるわけにはいかない。

 怪我が悪化するリスク、移動速度の低下を考えれば良治が運んだ方が効率的だ。


「眼鏡も忘れないでな」

「わかってる。……あれ?」


 しゃがんで待機していた後ろで疑問の声。それは扉の方を見てのものだった。


「どうした?」

「……いる。さっきの、あいつ。扉の向こう側の脇に」


 さっきまでの表情が嘘のように、郁未は絶望的な顔でそう言った。


【風属性】―かぜぞくせい―

数多ある術の属性。メジャーな四属性の一つ。あまり知られていないが良治の得意属性。

風を起こしたりかまいたちを発生させたり、更には強風を下から発生させることによって僅かだが空中に浮くことも出来る。

高位の詠唱術になると竜巻を発生させることも出来ると言われるが、現状そこまでのことが出来る者は確認されている限り一人しかいないらしい。

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