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魔眼封じの眼鏡

「それで何の用ですか。良治さんが呼んでもいないのに京都ここに来るなんて、何かしら用事があるんでしょう?」

「さすがにわかりますか」

「当たり前です。良治さんにとってここはあまり来たい場所ではないでしょうから」


 応接用の和室にあるテーブルの向かいで、微妙に渋い顔をしているのはもうだいぶお腹の大きくなっている綾華。良治の記憶が正しければ確か現在八か月目だったはずだ。

 無理に出て来なくてもと思うのだが、残念ながら和弥も隼人も外出しており責任者として話が出来るのが彼女しかいなかったのだ。


 最悪その辺のお手伝いさんにメモと伝言をして勝手に立ち去ろうと計画していたのだが、良治の来訪を聞いた綾華が出て来てしまった。こうなればきちんと話をしなければならない。あまり嬉しくはないが。


「まぁそれは否定しませんよ。それで早速用件ですが……前に蔵の整理をしたじゃないですか。あの蔵にあった魔道具をお借りしたいなと」

「ああ、去年頼んだ時の。何を持っていくつもりですか。あそこには使い方を誤ればまずいものや、何に使うのかよくわからないものまで色々あったはずですが」


 胡散臭そうに、何を考えているのか探るような視線を送ってくる綾華に良治はすまし顔で返す。


「黒いケースに入っていた眼鏡を一つ貸していただきたいなと。そう思いまして」

「黒いケースの眼鏡……? ああ、異能の目を封じると説明書きにあったあれですか? どうしてまたあんなものを」


 口振りから察するに綾華は異能の目と呼ばれるものをあまり信じていないようだ。となればもちろん見たこともないはずだ。


「ちょっと思い当たることがありまして。すぐに使う予定がないのならお願いしたいんですが」

「そうですね……使う予定どころかあれが本当にそんな力を持っているのかさえ怪しいですので。それで、期限は?」

「あー……ちょっとはっきりとは言えないので無期限とかじゃ駄目ですか。必要になれば返すという条件で」


 実際に使ってみなければわからないことが多すぎる。

 今ここでいつまでに返すとは確約できない。


「……わかりました。それではその条件でいいです。でも」

「でも?」

「貸した日付け、借りた者の名前、許可した責任者のサインなどの書式を作ってくれたら、ということで」

「うわぁ……」


 魔道具の貸し出しはしたことがないのだろう。今後同じようなことがあるなら許可制にしてもいいが、その手続きは毎回必要になる。

 それなら今回の機会にシステムを構築してやりやすくしてしまおう。その考えはわかる。


(言い出しっぺの法則……)


 では誰にそれをやってもらうか。

 簡単だ。一番最初に借りる人間にやってもらえばいい。


「これくらいはやってください。別にやらなくても良治さん以外は困らないのでいいですが」

「はいはい、やりますよ。事務室のパソコン貸してもらいますが大丈夫ですよね」

「ええ。では書類と眼鏡の準備が出来たら呼んでください」

「了解です。――さて、と」


 喋りながら出て行った綾華の背を見送り、良治も立ち上がって事務室へと向かう。

 今日は朝から動いているので時間には余裕がある。書式を作るくらいの手間は問題ではない。だが率先してやりたいかと言われればまた別だ。


 これで役に立たなかったり予想が外れていたら少し寂しい気持ちになりそうだ。


(いや困ってなければそれに越したことはないんだけどね)


 役に立っても立たなくてもどちらでもいいか。

 そんな軽い気持ちを持ちながら良治は気の重い作業をしに歩を進めていった。











「あ、ども」

「あら、いらっしゃいませ~。二日連続だなんて初めてじゃない?」

「そうかもですね。っと」


 相変わらず丁寧に揃えられた髭にマッチョの店長が、ぱちりとウィンクをしながら挨拶をする。微妙に艶めかしいのが反応に困る。


 良治が初めてとなる『Thank You』連続来店を果たした目的は一つ。もちろんそれは麻雀ではない。

 目的の人物が今日も出勤していたことにほっとしながら待合席に座る。


「はいコーヒー。ね、どうだった?」

「そうですね、別に何かイカサマをしているわけではないと思いますよ。うーん、直感がめちゃくちゃ鋭いのが普通デフォルトって感じですよ」


 まさか透視の魔眼のことなど言えない。例え言ったところで信じてもらえないだろう。そうなったらこの場所にも来づらくなってしまう。リスクの方が圧倒的に高いので良治はここに来るまでの間にこう言おうと決めていた。


「ふーん……まぁ柊ちゃんがそう言うのならそうなのかしらね。それにしてもちょっとお疲れ?」

「ええ、ちょっと京都まで日帰りしてきたとこなんで」

「うわ~柊ちゃんアクティブねえ」


 朝から行動したので戻って来たのは夕方と呼ぶにはまだ早い時間だが、予定外の事務仕事のせいで多少疲れはある。

 ざっくり適当にやることも出来たが、これがあとで自分に返ってくる可能性を考えたら手を抜くことが出来なかった。


「あんまりやりたいことじゃないんですけどね」

「そうなのぉ? あ、今空きないからちょっと待っててねえ」


 現在ゲームが行われている卓は一つしかない。そして店員は入っておらず四人全員が客だ。となればいつ席が空くかはわからない。

 おそらくもう一人客が来れば店員が二人入った卓が出来るはずだ。


「はい。……あ、店長。一応これを」

「ん、なぁに」


 振り返った店長に折り畳んだメモを渡す。

 それには良治の名前と電話番号が書いてある。


「あら、もしかしてデートのお誘いかしらぁ?」

「違います。決して。そんなことは。……ええと、何かあったら、万が一の為です。一応、念の為。もしかしたら必要になるかもしれないかなと」

「残念ねえ。まぁわかったわ。一応預かっておくわね」


 二人でそっと掃除をしているいくみを見て頷く。

 無駄になればそれに越したことはない。役に立たないことを祈るばかりだ。


 それから数分して、掃除が終わったいくみがこちらに話しかけたそうに歩いてきたが、ちょうどいいタイミングで来客がありその対応に回されてしまう。

 そしてもう一人客が来たことで麻雀をすることになり、結局話すタイミングはなくなってしまった。


(向こうはこっちに話したそうなんだけどなぁ……)


 良治としても鞄にしまった眼鏡を渡したい気持ちはある。

 眼鏡がちゃんと機能するのか、魔眼という良治の予想は当たっているのか。そこに興味がある。もちろんそれだけではないが。


 逆にいくみは話したそうにしているのは良治と同じようだが、それは昨日のことを確かめてみたいという気持ちのようだ。

 機嫌が悪そうな、不審そうな瞳がそれを物語っている。昨日よりもだいぶ目つきが鋭い。


「よろしくお願いします」

「昨日に引き続き柊くんにいくみちゃんとか。今日も負けちまうかなぁ」

「よろしくっす」

「……よろしくお願いしますね」


 良治の左から順番に昨日も同卓した中年男性とチャラい男性店員、そしていくみが席に座る。右隣のいくみからの視線が少し痛い。


 仕掛けるにはまだ早い。

 良治はあることをしようと考えていたが、それは大詰めの方がいい。最悪機会がなければ次回の半荘でもいい。


(――来たか)


 順調に右に座るいくみが上がり続け南三局になり、残すは二局。

 トップはやはりいくみで、一度満貫を上がった良治が二着に位置している。


(今回も手の動きが早い。――見てるな)


 見ていると思われる時とそうでない時。その違いを良治は見つけていた。

 上がった時は漏れなく牌を持って来て捨てる動きに澱みがなかった。見ていない時はやはり捨てる牌に迷うのか、動きにキレはない。


 そして今回、その動きは素早く、すべて見えているような雰囲気があった。


「ポン」

「お、鳴かれちまったか。ってチュンドラだった!」

「有難く頂きますね」


 左に座る中年男性の捨てた牌を一枚貰い、自分の牌を二枚晒す。これで上がりに一歩進むことが出来た。

 しかも中年男性が言うように受け取った中はドラと呼ばれ点数が一気に増加するもの。そして中は三枚集めれば役にもなり、至れり尽くせりの牌だ。


 更に良治はチー、ポンと発生を続け、最終的に彼の手牌は一枚だけになる。俗に裸単騎と言われる状態だ。

 そして――


「えっ」

「どうかしましたか?」

「あ、いえ……」


 良治は裸単騎で、彼の持っている牌が出れば上がることが出来る。逆に言えばそれ以外では上がることが出来ず、上がれる牌の枚数が少ないことが弱点だ。更に相手のリーチなどに対応することもほとんど出来ず、防御力ゼロの状態だ。

 だがその弱点よりも大きな利点がある。

 それは待ちを手軽に変えられるという点だ。これだと待っていそうな牌を絞り切れずに相手はやりにくくなるのが普通だ。


 だが見えているいくみ相手にはまったく意味がない。

 彼女は見えているので振り込むことはなく、単純に上がれる枚数の多い待ちでツモられることの方が痛い。


 そのはずだった。


(あの動揺具合から見て、見えてないな――!)


 良治の手牌、その一枚に良治は壊れないよう気をつけながら『力』を纏わせていた。


 昔優れた視力を持つ射手であるまどかが言っていたことを良治は思い出していた。


『力とか瘴気とか、そういうものの濃い場所だと途端に見え難くなるのよね』


 まどかの感覚と透視の魔眼、それが共通しているとは限らないが、良治も瘴気の濃い地域だと霧がかかったように視界が悪くなった経験がある。

 もしかしたらそれが当て嵌まるかもしれない。

 そう思っての行動だったが、運よく的中していたようだ。


「う……」

「頭痛大丈夫ですか」

「だ、大丈夫です。続けます」


 良治の手牌を見透かそうと凝視していたいくみが不意に頭を抑える。集中した影響の頭痛だろうか。

 声をかけるが顔を顰めつつもゲームの流れを切らずにそのまま進めていく。店員として評価出来る姿勢だ。


 だがしかし。


「ロン。八千」

「あ……っ!」

「へえ、珍しいね。いくみちゃんが振り込むなんて。もしかしたら初めて見たかもなぁ」


 裸単騎にして僅か二巡、眉を寄せたいくみから良治の残された牌と同じものが捨てられる。


「そんな……」


 動揺しながらも点数を払う彼女に、仕事が身体に染み付いているなと少しずれたことを思いながら置かれた点数をしまう。


(さて、仕上げだ)


 最後の局、良治の行ったものに彼女の顔が引き攣るのがわかった。してやったりと笑いがこみ上がりそうになるがそれを押さえつける。


 順番に手牌となる牌を持ってくる際、そのすべてを力でコーティングしていく。先ほど一枚に行ったことを最初からすべての牌に行ったのだ。

 つまり、いくみは良治の手牌が全く見えていないことになる。


「――ロン」

「……はい」


 結局またもいくみは良治に振り込み、そのゲームは良治の逆転で決着となった。


 最後の局のいくみは見えていなかった影響か集中力を乱し、いつもとはかけ離れた様子だった。

 他の二人もその様子に気付いていだが、それは頭痛のせいだと考えていたらしい。


「っと、すまねえ。電話してくるからちょっと待っててくれ」

「いいですよ。いってらっしゃい」

「悪いな柊くん」


 中年男性が店の外まで電話をしに行き、卓が止まる。

 客は良治だけなので彼が認めれば特に揉めることもない。


「……あの、もしかしてバレてる?」


 いくみがおずおずとそんな言葉を出したのは、チャラい男性店員が飲み物を取りに行ったタイミングだった。

 店員としてではないからか口調が変わっている。


「まぁ、そんなところ。一つだけ聞かせて欲しいんだけど」

「……なに?」


 金髪ツインテールを揺らしながら、周囲を気にして尋ねるいくみ。

 いつ中年男性、または男性店員が戻ってくるかわからない。あまり時間はないのは確かだ。


「このまま見えていたいか、見えなくなりたいか」

「――!」


 特別な能力。それは持っている人間にしかわからないものだ。

 それがもたらせるメリット――そしてデメリットも。


「私は……もっと上手く、見たい時に見たり、見たくない時に見えないように、なりたい」

「なるほど」


 俯きながら言った言葉は、きっと本音だ。

 彼女の言うような使い方が出来ればそれに越したことはない。

 ただ彼女がそれを願うということは、つまりそれが現在出来ていないことを示唆していた。


「ずっと見えてると、頭痛くなるし……」

「とりあえずこれをどうぞ。度は入ってないから」

「眼鏡?」


 鞄の中から黒いケースを取り出して開ける。

 新幹線での移動中に箱も眼鏡も丁寧に拭いてあるので見える汚れはない。ちなみに一度かけてみたが良治には違いがわからなかった。


「試しにかけてみてくれると嬉しいかな」

「怪しいけど……――あ!」


 手に取って逡巡したいくみだったが恐る恐る黒いケースから出されたフレームのないその眼鏡を装着する。その途端声を上げ、店内の視線が一気に集まった。


「あ、えっと……」


 急に集まった視線におろおろするいくみ。

 良治は素知らぬ顔をして少し距離を開ける。巻き込まれたくはない。


「お、眼鏡似合うね」

「眼鏡なんて持ってたの?」

「いいねえいいねえ。知的に見えるよ!」

「あら~眼鏡似合うなんて羨ましいわ。私にはサングラスくらいしか似合うって言われないもの」


 店内にいた客たちや店長が眼鏡の感想を口にする。

 そしてそのどれもが好意的なものだ。良治としてもその意見には全般的に同意で、やや細めのレンズが彼女に似合っていた。


(金髪ツインテールに眼鏡って色々盛りすぎな気がしないでもないけど)

「あ、う、その、ありがとうございます……っ!」


 予想だにしなかった視線と賛辞に、目を泳がせながらたどたどしくお礼を言ういくみ。とても可愛らしい。


「お、なんだなんだ。お、いくみちゃん眼鏡似合うねえ」

「あ、ど、どうも……」


 中年男性が戻って来た直後に男性店員もそれを見て戻り、ゲームが再開する。


「~♪」

「ご機嫌だねえ、いくみちゃん。眼鏡気に入ってるのかい」

「あ、その、そうですね」


 良治が渡した場面は誰にも目撃されていない。

 なので眼鏡はいくみ本人が持ってきた物と思われている。良治はその方が都合がいいので当然のように黙っていた。


 いくみの視界がどう変わったかを良治は聞いていない。

 しかしその機嫌の良さから容易に想像がつく。


(ああ、ホントに良かった)


 今回の一件は仕事ではない。報酬すらない。むしろ綾華に借りを作っただけマイナスだ。

 それでも自分の好きな場所を作ってくれた店長に少しくらいは恩返しが出来たような気がして、良治は少なからず晴れやかな気持ちになれていた。


 ――たまにはこんなことも悪くない。


「本当にどうしたのいくみちゃん」

「そうですね……なんだか全部が新鮮に見えて」

「新鮮?」

「はいっ」


 中年男性の疑問に笑顔で答えるいくみ。


 これであの眼鏡がある限りは彼女の願いは叶うだろう。

 見たい時は外し、見たくない時は眼鏡をかければいい。


(いったいどちらの時間の方が長いんだろうな)


 少しだけそんなことが気になったが、それは良治には関係のない、どうでもいいことだった。














「――あ、先生。電話鳴ってましたよ」

「ん、ありがと優綺」


 翌日起き抜けにシャワーを浴びて目を覚ました良治が風呂場から出ると、そこには優綺が待っていた。おそらく着信に気が付いてからそこで待っていたのだろう。

 別にそこまでしなくてもいいのにと苦笑する。


 昨夜戻って来た優綺だが、昨日は訓練をせずに休みにしていた。

 京都への強行軍で良治が疲れていたことが原因だが、代わりに今日は昼前からストレッチと座学を行う予定だ。


「ん……?」


 ドライヤーで乾かした髪の毛を弄りながら、部屋に置いてあった携帯電話を確認するとそこには知らない携帯番号。

 仕事柄知らない番号からかかってくることは少なくない。特に今は上野支部創設関係で色んな場所や人からかかってくることが多かった。


 来週から始動させる上野支部関係の誰かだろう。

 そう予想して五分ほど前に着信のあった番号に折り返す。


(――十時前か)


 ちらりと時計を見て時刻を確認する。

 この時間なら大概の業者は動き出している。時間帯から正解を導き出すのは不可能だ。


「あの――」

「あぁっ、ひ、柊さん、ですかっ!?」


 ワンコールで繋がったその電話に話しかける。

 しかし良治の声を遮って聞こえて来た声は予想外もいいところだった。


「え、あ、そうですけど。どちらさ――」

「私ですっ、『Thank You』の、いくみですっ!」

「えっ?」


 息切れ交じりの大きな声に思わず携帯を少し遠ざけながら聞き返す。

 何故いくみが。何故自分に。何故この番号を知っているのか。


「今追われてっ、た、助けっ――」

「ってちょっとっ!?」


 そんな疑問をすべて吹き飛ばすような声。

 そしてそれは言い終わる前に唐突に途切れた――



【魔眼】―まがん―

特別なものを見たり感じ取る瞳。透視、温度感知、寿命、幸福度、死を見るなど多くの種類がある。

そのほとんどが突然変異で生まれながらに持つもの。持たされるもの。一族で受け継がれる魔眼は非常に稀らしい。

現在白神会で確認されている魔眼保持者はゼロ。それ故魔眼そのものも存在を疑問視されている。

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