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透視の魔眼

 予想外の京都出張、からの青森への小旅行の疲れも消え、良治は久し振りの休日をベッドの上で過ごしていた。

 ごろごろと雑誌を読みながら過ごすのは、優綺が泊まりに来ていたこの十日間ほどは出来なかったことだ。


 最初こそだらしない姿を見せて幻滅させ、弟子を諦めるように仕向けようと思っていたが、良治の予想よりもやる気のある姿勢に彼は考えを改めることにした。可愛い女の子に嫌われるのは地味に悲しいという事情も少しだけある。


「……さて」


 そんな彼女は今日はいない。

 昨日の夕方に東京支部へ戻ってしまっている。

 別に呆れられたとかそういうのではなく、中学校の卒業式の為だ。保護者として卒業式を見に行こうかと提案をしたのだが、真っ赤になって絶対に来ては駄目と言われてしまった。


 良治はこういうことを言われると天邪鬼のように逆のことをしたくなるのだが、さすがに中学生をからかうのはいかがなものかと思い直して断念した。

 優綺の制服姿はきっと葵に言えば見せてくれるに違いない。嫌われる危険を冒してまですることではない。


 雑誌を読み終わり、時刻はまだ昼過ぎ。

 まだ何かをするには十分な時間だ。


 そこで良治は、最近顔を出せていなかった行きつけの場所へ向かうことにした。









「お、柊ちゃんいらっしゃぁい。二週間振りくらい?」

「ども。そうですね」

「うふ、もうちょっと来てほしいわね。あ、コーヒーブラックでいいかしら」

「はい。お願いします」


 上野駅から五分ほどの距離にあるビルの五階にその店はあった。

 建築年数のせいかエレベーターの動きは鈍く、時折軋む音が少々怖い。

 小さなガラスの窓が付き、店内が見えるようになっているドアを開くと備え付けのベルが鳴り、店長自らが小走りに挨拶をしてくれる。


 良治はこの丁寧な店長の接客態度が気に入っていた。

 各地を転々としていたのでそれなりに多くの店を訪れていたが、その中でもトップクラスだ。他の店員も丁寧な中にフレンドリーさを感じさせる店長の影響を受けていて実に店内の雰囲気が良い。


 待合席に座りながら良治は店内の様子を見る。

 客は五人。三人と二人に別れ、それぞれに店員が一人、二人入っている。

 四人で一つのテーブルに座り行うゲーム――これは麻雀、そしてここは雀荘だった。


 良治が麻雀を覚えたのは五年前になる。

 日雇いの仕事と寝る場所を往復する生活に変化を求め、目に付いたのが雀荘だった。

 それからゲームセンターと初心者向けの本でルールを学び、その店の扉をくぐったのは二週間後のことだった。


 最初はマナーなどわからないことが多く戸惑い、時には他の客や店員に注意されることもあったが、良治は謙虚な姿勢で一つずつ学び、ひと月もする頃には人当たりの良い若い客として定着していた。


「はい、コーヒー」

「ども」


 普通雀荘という場所は大体の場合金銭を賭ける。堂々とは書かれていないが、知識のある者が見ればわかるように看板に書いてあったりする。

 そして金銭が関わってくると揉め事も増えてくるのがお約束で、良治は色んな店で同じようなトラブルを何回も見てきていた。


 しかしこの「Thank You」という店ではその種のトラブルに遭遇したことがない。


「ね、どっちの卓に入りたい?」

「どちらでも。早く終わった方でいいですよ」

「ん、ありがとねぇ」


 それはきっとこの店長の存在が非常に大きい。


 二度目の東京、上野近辺に住むことになってすぐに見つけたこの店。幾つかの店をリストアップし、そこからメインに通う店を――と思ってたのだが、最初に訪れたこの店に即決した。


 丁寧で物腰の柔らかい、気遣いの出来る店長。

 その店長が身長二M近くもあるマッチョで、口の周りの髭を綺麗に整えていて、更にオネエ言葉だったりしたらトラブルを起こそうとする者はいるだろうか。


(まぁまずいないよな)


 初見は間違いなく驚く。普段なかなか驚くことのない良治も声が出そうになったくらいだ。

 その存在感は広くはない店内では圧倒的だ。


「ね、柊ちゃん。ちょっといいかしら」

「なんです店長」


 白いコーヒーカップを傾け喉を潤す良治に店長が小声で話しかけてくる。

 待っている客に店長が話しかけるのはよくあることだ。退屈させないようにという気遣いだろう。


 しかし今日に限っては違うようだ。小声なのもそうだが、何より店長が麻雀の行われている二つの卓を背にしている。――これではまるで内緒話だ。


「ね、いくみちゃんと打ったことはある?」

「確か、一度あると思いますよ。一半荘だけだと思いますけど」


 店長の言ういくみちゃんとは、今店員が二人入っている卓の女性の方だ。この店では女性の店員も何人かおり、人数が足りない時は普通に麻雀を打っている。


「最近ちょっと強すぎちゃってねぇ。勝つだけならまだいいんだけど……なんだか上がり方や勝ち方が説明し難くて」

「具体的には?」

三面張サンメンチャン取らずにシャボ待ちとか、ノベタン三面張じゃなくてドラでもない中張牌チュウチャンパイ単騎待ちとか」


 店長が言うのは基本的には選ばない方の選択肢だ。

 だがもちろん基本的にはというわけで、状況によってはそっちの選択肢を取る場合もある。

 だがきっと店長が言いたいのはそういうことではないのだろう。

 良治よりも長い麻雀歴の店長が言うのなら何かが違う、もしくはおかしいのだ。


「それ自体はおかしいと言うほどじゃない気がしますけど。それで?」

「うん、それはわかっているんだけどね……そこで柊ちゃんに一緒に打ってもらって何か感じないか試してほしいのよ。あんまりウチのコを疑いたくはないんだけど」


 困った顔で溜め息を吐き、ちらっとこちらを見てくる。


「まぁ、普通に打つだけならいいですよ。でもなんで俺なんかに」


 いつも店には世話になっている。少しくらいは協力してもいいだろう。


「ありがとっ! そうねえ、柊ちゃんはちゃんと頭使ってて、一打一打に全部理由が付けられるってトコかしら。観察力もありそうだし。あ、お礼にお砂糖たっぷりの私特製コーヒー淹れてあげるわねっ」

「店長のはたっぷりというか溶け切らない量が入ってるので勘弁してください……」

「あら残念。でも本当にありがとうね――あ」


 卓からゲーム終了のコールが聞こえてくる。

 丁度いい具合に話に出た『いくみ』のいる卓だ。


 店長がもう一人の方の店員に良治を案内することを告げ、それを確認して良治は立ち上がった。










 良治の対面に座っている彼女はとても目を引く容姿だ。

 金髪に染めたツインテール、やや釣り目がちで気弱な者が見れば睨まれているかのように錯覚しそうな意志の強さを感じる瞳。

 仕事中の為身に付けているパステルカラーのエプロンとファンシーな『いくみ♪』と書かれている名札が若干似合っていない。おそらくあれは店長の趣味だろう。


「よろしくお願いします」

「お、柊くんか。負けないようにしねえとなぁ」

「よろしく」

「いらっしゃいませ。よろしくお願いします」


 見知った客たち、そして最後にいくみが挨拶を返してくる。

 別段敵意やそれに似た感情はいくみからは感じられない。

 それはそうだ。良治といくみに接点はほとんどない。


 ゲームが始まり、順調に進めながら気にされない程度に彼女の様子を探っていく。

 牌を持っていく時、捨てる時。その動作、視線。

 他の人の番の時におかしなことをしていないかを確認していく。


 麻雀をしながらそういった作業をしているが、それでも良治には特に問題はない。

 何を持ってきたらこれを捨てる、そういう自分の中での決まり事があるからだ。それに自分の番が終われば次の自分の番まで手牌は変わらない。変わるのは他人の捨てる牌がもたらせる情報だ。


「……リーチ」

「いくみちゃん早いねー」

「すんなり来たんで。リーチ入りました頑張ってください!」

「頑張ってくださいー!」


 常連の中年男性が笑いながら言い、いくみのコールに店長や他の店員がコールを返す。

 その最中にもう一度彼女の捨て牌や手牌を見るがおかしな点はないように思えた。


「ツモ。……二千四千です」


 特に気になるところはない。

 上がり方も上がりの形も。リーチをして上がった者だけが見られる裏ドラの見方もだ。


「はい」

「どうも」


 良治は素直に点数を卓の上に出していくみの方へ移動させる。


 これは店長の気にし過ぎじゃないのか。

 そう良治が思い始めた次の局、いくみの上りに良治は違和感を覚えた。


(ん……?)


 またもいくみの上りで他の者がそれぞれ点数を払うことになる。

 その中で彼女の手牌に注目していた良治は、普段ならまずしない待ち方に気付いた。


(マンズの七七八から八切りでシャボ待ち? 他に七八九のメンツがあるのに?)


 麻雀には点数が増える『役』というものがある。それがあればあるだけ点数が上がっていく。出来る限り狙っていくのが当然の行動だ。

 マンズ、ソーズ、ピンズ、そして字牌と呼ばれる四種類の牌があるが、前者三種類はそれぞれ一から九の種類があり、すべての牌は四枚ずつ存在する。

 字牌以外の三種類を同じ数字の並びで揃えると『三色同順』、一般的に三色と呼ばれる役になる。


 点数の上がる可能性を捨てたのは何故か。

 三色になる九がもうない――わけではない。彼女は持っておらず、場に見えているのは一枚だけだ。三色にならない六に関しては一枚も見えていない。間違いなく良治なら三色の可能性が残る方の待ちを取る。


 しかし実際に彼女が自分で持って来て上がったのは七だ。


(つまり七の方が上がれると思っていた? 七の方が山に残ってると思った……?)


 熟練の者になると相手の手牌の予測がついてくる。

 それは麻雀がいらないものを捨てていくというゲームだからだ。当然捨てた牌よりも必要なものが手牌に残っていく。その積み重ね、自分の手牌の状況や他の者の捨てた牌などで精度を上げていくことが出来る。


 良治も少しくらいなら出来ないことはないが、まだ読み切るレベルまでは遠い。幾つかの可能性に絞るくらいだ。


(――!)


 山を崩して次のゲームに移ろうとした瞬間、良治は隣の中年男性の手牌が崩れて――見えた数枚の牌に動揺しかけた。


 順番に、綺麗に並べる者は多い。初心者や中級者のほとんどがそうする。

 気付いてなければそのまま流されてしまうその現実。


 ――六が二枚、九が三枚、そこには存在していた。


 これなら三色の可能性はない。中年男性が捨てることもまずないだろう。残るのは六が二枚だけなので上がれる確率も低い。


(そこにあるのがわかった? 知っていた?)


 それなら三色の待ちにしなかったことを理解できる。

 だがどうやってわかったのかが問題だ。まさか二人で手を組んでいるわけではないだろう。

 もっと多額の金額を賭ける場所ならともかく、遊び半分で楽しみたい客層の多いこの店でやるのはリターンが少ない。


 いくみが良治の予測など役に立たないレベルで麻雀が強いという可能性はある。まだこれが二度目なのでこれも予測の範囲を抜け出ないが。


(あとは、なんだ?)


 残る可能性はなんだろうか。

 まず考えられる範囲で候補を出し、そこから一つずつ消去していく。

 しかし具体的で、これだと思えるものは見つからない。


 そして。


「ゲーム終了です」


 最後もいくみが上がり切り、半荘ハンチャンが終わり清算に入る。これでひとまずゲームは終了だ。良治も三着でマイナスなので財布を出す。


「あちゃー、やっぱりいくみちゃんには勝てないか。柊くんもいるし今日は勝てなさそうだから今日のところは帰るよ」

「はは、お疲れ様です」


 立ち上がって帰り支度をする中年男性に良治は苦笑いする。

 おそらく自分が来る前から勝てていなかったのだろう。ていのいい言い訳に使われてしまった気がしてならない。


「おっと、ライター……」

「あ、ポケットにありますよ」


 胸ポケットに手をやったあとサイドテーブルを探していた中年男性にいくみが声をかける。

 言われた通りにズボンのポケットに手を突っ込んだ彼がほっとした表情を浮かべる。


「ホントだ。助かったよいくみちゃん」

「いえ……また来てください」

「おう、いくみちゃんの顔を見にまた来るよ」


 そのまま立ち去る中年男性を見送り、店長たちの『ありがとうございましたー!』が店内に響く。

 しかし良治にはその声が何処か遠く聞こえていた。


(ポケットに『ありますよ』? おかしくないか、それ)


 まるで見えている・・・・・・・・かのような言葉。

 いやもしかしたらポケットにしまうのを見ていだけかもしれない。それが普通の考え方だ。


(さて、どうしよう……いやこのまま行くか)


 席を立つならこのタイミングだ。

 マナー的にあまりよろしくはないがこのまま抜けることを言えば抜けられるだろう。おそらく店長も何か事情を察してくれるはずだ。


 だが次に来るのはいつかわからないし、その時に彼女が出勤しているとも限らない。それなら生まれた疑問を今日のうちに解消しておくべきだ。


 中年男性が抜けた席に良治と入れ替わりに抜けた店員が入り、ゲームが再開する。

 今回は『もしかしたら見えているのかもしれない』という可能性を前提にしていくみの様子を伺っていくことに決めた。


「リーチ」


 やはり早い。良治が入って半分は彼女が先手を取る。


(一巡回したな。もしかして)


 リーチが出来るようになったのなら、普通はすぐにリーチをする。それをしないということは何か理由があるはずだ。

 彼女は今持ってきた牌をろくに見ないまま捨て、そのままリーチをした。持ってきた牌には期待せず、どうでもよさそうにも見えた。


「ツモ!」


 一発ツモ。

 リーチをした次の番で上がるとまた点数が上がる。

 もしも牌が見えていたのならこれは当然の行為だ。


 牌だけが見えている。そういうわけではないだろう。

 牌だけなら傷の付き方で種類を覚えるという手段はある。人間離れした洞察力が必要だが。


 だが先ほど疑問に思ったライターの件はそれを否定している。


(本当に、見えている……?)


 目つきがキツいのはその先を、裏を見ようとしている為。

 だが本当にそんなことがあるのだろうか。


 良治の知識に透視能力はない。

 そんな能力を持った知り合いもいないし、昔京都支部の蔵書に魔眼まがんについて記されていたものを読んだことがあったが、それにも特に詳しいことは書いていなかった。


「……あの、店長すいません。ちょっと代走だいそうを」

「はーい」


 点数のやり取りを終え、突然顔を顰めたいくみが店長を呼び、手洗いへ歩いていく。こめかみ付近を抑えながらであまり体調が良さそうには見えない。


「あー、いくみちゃん頭痛持ちみたいなのよ。ごめんなさいねぇ」

「ああそうなんですか。別に気にしてないので大丈夫ですよ」


 透視することによって目に負担がかかっている可能性は有り得そうだ。良治は透視能力という可能性を一番に持ってくることにした。


 そしてしばらくしてから戻って来たいくみを観察して良治は頭の中で整理をしていく。


 毎回だと強すぎると思われるのを避ける為か、三回に一回程度先にリーチをする。それもかなり早い巡目に。

 いくみは半荘二回の間一度も振り込みをしなかった。リーチのあるなしに関わらずだ。

 これは上手い者ならあることだが、リーチをかけていない者の上り牌を読み切ってそれを自分でツモるのはあまりあることではない。それこそ熟練者の業だ。


 そして何より、頭痛が来たと思われるタイミングで一瞬感じたものがあった。


(見えてる、と考えた方が妥当な気がするな)


 二回目の半荘が終わり、店長に抜けることを告げて席を立つ。

 ちょうどもう一人の客も抜けるらしくここでこの卓は終わりになった。


「柊さん、麻雀上手いんですね」

「――いくみさんもなかなか。というか負けてますからね俺」


 声をかけられるとは思っていなかったので驚いたが、それは内心に留める。辛そうな表情はなく、今は頭痛はないようだ。


「一度も振り込まなかったじゃないですか。凄いなって」

「それはいくみさんも同じでしょうに」

「そう、なんですけどね」


 言外に見えてる私と違って、という風に聞こえた気がする。

 それは勘違いなのだろうか。良治にはまだわからない。

 だから。


「まぁ無理はしないように。頭痛はない方が良いでしょうし」

「えっ?」

「では。あ、店長お疲れ様でした」

「はーい、柊ちゃんまたねー!」


 いくみの返事を待たずに良治は店長に挨拶してベルの鳴る扉を開いて店を出る。彼にとっては彼女のあの反応だけで十分だ。


 ――おそらく透視の魔眼。


 噂や伝承でしか聞かないものだが、良治はそう結論付けた。

 魔眼は存在する。良治はそう思える根拠を持っている。


(それが退魔士の力と同質のものかはわからないけど、ただそういうものが存在するのは確かだ)


 この話の結末をどうするか。どうしたらいいのか。

 それはまだわからない。


 だが、良治は一番良さそうな結末を浮かべ――京都に向かうことを決めた。



【麻雀】―まーじゃん―

基本的には四人で行うテーブルゲーム。三十四種・百三十六枚の麻雀牌と呼ばれるものを使う。

順番に牌を一枚持って来て、一枚捨てるという行動を基本とし、上りを競うゲーム。

賭博のイメージが未だ残るが、麻雀プロと呼ばれTVなどで競技を見せる人々も段々と増えてきている。

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