修羅場、盟主会談、修羅場
「ねぇ、良治――これは、どういうこと?」
ゆらりと闘気が見えそうなくらいの結那がこちらをゆっくりと振り返りながら言う。
その手にはいつものグローブも装着しており、既に臨戦態勢だ。
ここは死地だ。
何か対応を間違えれば即座に取り返しのつかない事態を招く死地に違いない。
見た目は自宅のリビングだが、まるで異界のような雰囲気に塗り潰されている。
寝室の扉の前に立つ崩は結那の殺気に気圧されることなく、むしろ余裕を感じさせるように微かな笑みを浮かべている。
ただ彼女の恰好はパジャマだし、長い髪も寝ぐせでぼさぼさだ。あまり優雅とは言えない。
「勅使河原さん、どういうこともなにも、この状況をきちんと把握すれば理解できることなのでは?」
「へぇ……つまり、そういうこと……?」
今度は崩に殺気を向け、拳を握り締める。
爆弾に着火寸前の導火線。一触即発と言っていい状況だ。
「そこまで。結那は落ち着いて。崩さまは煽らない。……ほら、結那」
「……わかったわよ」
ゆっくりと殺気と闘気が抑えられていき、冷静さを取り戻した結那がこちらを向いた。
その表情はまだ納得がいっていないようだったが、それでもまず話を聞こうとは思ったようだ。
まだ発言権があったことに良治は安堵した。
「まず結那は、綾華さんから言われて護衛に来たんだよな?」
「ええ、そうよ。何時に出るかわからないから朝一で来たの。……まさかこんなトコに遭遇するなんて思わなかったけどね」
「了解。それについては説明するからちょっと待て。で、崩さまは出掛ける準備を。シャワー浴びたりと身支度に時間がかかるでしょうから」
「そうですね。それでは出来る限り早く済ませますね」
「お願いします」
準備の名目で崩をこの場から外し、良治は生乾きの髪の毛を乾かすために寝室からタオルを持ってリビングに戻って来る。
「……それで?」
「護衛の為に一緒の部屋で寝ることになった。結那も知ってる通り従兄妹だしな」
昨夜崩が言っていた理由をまさかこんなに早く、こんなところで使うことになるとは思っていなかった。しかしこれが一番納得させやすいことであるのは確かだ。
「なんもしてない?」
「……結局一緒のベッドで寝て……キスを、されたくらいだな」
嘘を吐いてもバレるのは時間の問題だ。
それこそ崩本人が言うかもしれないことだ。
そこでまた怒りに火をつけるよりは今の方が良いと良治は判断した。
だがそうは思っても言いたくないことは言いたくないことなので、歯切れは自然に悪くなる。
「それ、浮気?」
「そんなつもりはないよ。だけど誤解されるようなことをしたのは確かだし、それについては本当に悪かった。ごめん」
「……むぅ」
頬を膨らませる結那を優しく抱き締める。
経験上、もう結那が本気で怒っているわけではないのは理解していた。
「ごめんてば」
「……良治、こうすれば私が許すって思ってるでしょ」
「思ってる」
「もう……色々わかってるつもりだし、こうやってヤキモチ妬くと良治も困るのもわかるけど。それでもどうしようもない時あるのよ……?」
「うん、ごめんな」
頭を優しく撫でながら、力強く抱き締めてくる結那の好きなようにさせる。少し痛いが許容範囲だ。
「私たち三人とも良治が優しいのは知ってるから、可愛い女の子に言い寄られたり慕われたりしたら無下に出来ないのはわかってる。もしかしたらその中に良治の好みのコがいるかもしれない。そうなったら……」
「……そうなったら?」
結那が言い淀んだ先を、恐る恐る促す。
怖い気もしたが、こういったことはちゃんと聞いておかないと今後もしそういうことになった時の対処が変わる。手遅れの事態になるかもしれない。
「……そうなったら、ちゃんと受け止めようって。良治が誰かを好きになっても、私たちのこと蔑ろにすることは有り得ないって、そう思ってるの。三人ともそう思っててちょっと笑っちゃったわ」
「……そっか」
良治は人を好きになったらそうそう嫌いになることはない。
そのことを三人は理解していた。
だからこそ自分たちが、良治が誰か他の人を好きなったとしてもその人を許容できればこの関係性は壊れないと考えていた。
良治としても助けを求められたり縋られたりしたら突き放すことは、そうそう出来ない性格なのを薄々気付いてきていた。
人間関係は難しい。
自分のことを好いてくれている人間を極端に冷たくすることは出来ない。それが可愛い女の子なら尚更だ。
そしてなんだかんだいって交流を重ねていくと情が生まれ、愛着が出てきてしまう。そうなれば、あとは相手が一歩踏み込んで来れば関係性は変わってしまう。
「だから、もし崩さんと何かあったとしても別にいいの。でもちょっと感情的になっちゃった。そこはごめん」
「いやむしろ怒るところだと思うからいいよ。逆に怒ってくれないと居心地が悪い」
「そうなの?」
「ああ。むしろ『ああ、愛されてるんだな』って実感できるくらいだ」
少しくらいのヤキモチ。
それは心地良いものだ。
「なるほどね。じゃあ今度からもそうするわね」
「あくまで少しな。軽いので頼むよ」
「ええ、わかったわ。……じゃあもう少し、このままでいさせて?」
「ん」
二人は崩が出てくるまで抱き合い、そして最後に軽く口づけをして離れた。
「ねぇ、この席……」
「護衛の為だ。仕方ないんだから諦めてくれ」
「……わかったわ」
東京から京都まで道のり、移動手段は幾つかあるが崩たちが選んだのは新幹線だった。
手間と時間を考えるとこの選択は正しい。
飛行機では空港まで行くのに時間がかかるし、到着した先から京都に向かうのにも時間がかかる。
結那が同行するということで車という選択肢もあるにはあったが、さすがにこの距離を車で移動するのは長すぎた。
旅行なら構わないが今回は移動中の護衛なのだ。護衛の一人が運転に振り分けられるのも良くはない。
結局崩といろはの二人が新幹線で京都まで行こうと言い出したのでそれをそのまま採用し、良治と結那はついていくことにした。
不特定多数の乗客がいるので込み入った話は出来ないが、今回に限ればそんな話は必要ない。
「お兄さま、お飲み物を」
「ええと、どうもありがとうございます崩さま」
直ったはずの結那の機嫌が微妙に悪いのは良治の隣に座る従兄妹の存在だ。
新幹線の二人掛けの座席を回転させ、向かい合わせにして四人のボックス席にしてある。
進行方向に背を向けて座っているのは結那といろは。そしてその向かいには良治と崩になる。
じっと見つめてくる結那に居心地が悪くなるが、朝少しくらいのヤキモチならと言った手前何も言えない。結那もそれ以上のことはあまり良くないのをわかっているせいか、微妙な雰囲気が流れている。
何故良治と崩が隣り合わせというこの座席になったのか。
それは単純に護衛の観点からだ。
良治と結那が隣り合わせになるよりも、斜めに座る方が射程が広がるからという理由。
もちろんそれならば崩の隣は結那でもいいのだが、今朝のことからそれは避けた方が無難だと思った結果こうなった。なってしまった。
(この二人、初対面からあんまり印象良くないみたいなんだよなぁ)
霊媒師同盟の本拠地である恐山に乗り込んだ時、山形の拠点に最後の事後処理を行った時。そして今朝と結那は良治を除いて崩と一番顔を合わせている白神会の一員だ。
しかし初対面から相性が良いようには見えず、会う度に険悪な雰囲気が生まれている気がする。
実際のところその原因の大部分は良治にあるのだが、良治自身はその可能性はある程度あるにしても、それが大部分を占めていることには気付いていなかった。
(出来るだけ早く、穏便なまま着かないかなぁ……)
そんなことを思いながら、彼は窓から景色を見ながらお茶を一口飲んだ。
「やぁやぁ、いらっしゃいませ。さ、こちらへ」
「……はい。ありがとうございます」
部屋に入るなりかけられた声に、崩は一瞬間を置いてから返事をした。まさかこんな風に迎えられるとは思ってもみなかったのだろう。
それはそうだ。一度控室に案内され、身嗜みを整えてから大広間へ。
そこで崩たちを迎えたのは大きなテーブルと三人の男女だった。
正直なところ、崩は和解というのは上辺だけで、実質属国扱いだと思っていた。
書面で対等とは言っても戦争を仕掛け、そして負けた霊媒師同盟には何かを言う権利はない。
崩はテーブルの真ん中の席、その左隣にいろはが座る。
良治と結那は両方から等間隔の部屋の端に正座をした。
「初めまして。私が白神会総帥・白兼隼人です。この度は遠路はるばるご足労かけました」
「いえ……。こちらこそ初めまして。霊媒師同盟・盟主の第三十代志摩崩です」
だがこれはどういったことなのだろうか。
大広間に案内されると聞いて、崩は上座に座る白兼隼人に謁見するようなイメージを持っていた。そしてそれはある意味仕方ないとも思っていた。
しかし実際目の前にある光景。
それは大きな長方形のテーブルがあり、奥側中央に隼人、向かって左側に崩に似た長い黒髪の女性、反対側に平均よりも背の高く筋肉がありそうな男性。
誰もが緊張感など持っておらず、リラックスした表情だった。
「こっちが妹の綾華。それでこっちはその夫の和弥くん。長い付き合いになりそうだし、よろしくお願いするよ」
「はい、こちらこそ……。失礼しました、こちらは秘書のいろはです。以後お見知り置きを」
完全にペースを握られたまま、何とかいろはの紹介を思い出す。
本当は侍女だが、仕事内容は秘書と変わりない。
戻り次第役職を変更した方がいいだろう。対外的にも彼女の手腕的にもそちらの方が良さそうだと崩は方針を固めた。
「では早速御用件を伺いましょうか、崩さん」
「はい、まずは突然の訪問申し訳ございませんでした。そしてお時間を割いていただいたこと、感謝致します」
隼人の前の席の崩がゆっくりと頭を下げる。
それを見て、部屋の端に座っていた良治は疑問を浮かべた。
浮かべたというよりも、崩の表情に余裕がないことに気付いた。
(……おいおい、まさか)
考えていたことと違う展開に迷っている。
もしくは考えておいたことが頭から飛んでしまった。
そんなことを予想させる表情で、横から見ている良治には目が泳いでいるようにも見えた。
頭を上げるのもゆっくりなのが、良治の予想を間違っていないことを示しているような気もする。隣のいろはも崩を硬い表情で見つめていた。
「……それで本題ですが。数か月前に書面での謝罪、友好関係を記しましたが、まだそれだけでは充分でないと思い、盟主である私自ら白神会の総帥にお会いしたいと思い、足を運んだ次第です」
「なるほど。確かに友好関係を組織全体に示すのに、会談というものは有効なものでしょう。いやぁ、大変なようですね霊媒師同盟は」
「……お察しの通りです」
(立て直したな。けど)
にこやかな隼人に対して崩はやや暗く硬い。
戦争に勝った者と敗北した者の差か。
それとも年齢の差か。もしくは資質の差か。
すべてに置いて崩は隼人に圧倒されていた。
隼人は勝者だからという理由で優位に立っているわけではない。
単純に上に立つ者としての資質、カリスマに差があった。
(こればかりはどうしようもないな)
崩も幼い頃から盟主という立場になり、求められていた役割を問題なくこなしてきたのだろう。
しかし隼人もそれに関しては同様だ。
十五で父親を喪い、強制的に白神会総帥となった隼人。実務能力は崩の方が上手いかもしれないが、隼人にはそれを補って余りあるカリスマ性が備わっていた。
類稀なカリスマ性、そして退魔士としての実力。組織を束ねる二人には確かな差があった。
そして隼人が察し、崩の認めたこと。
それは良治も理解していた。
(何故崩さまがここに来ないとならなかったのか)
ちゃんと和解をした、そのポーズが必要だったということ。
つまりそれは霊媒師同盟の構成員を纏め切れていないことを表していた。
良治たちが乗り込んだ当時恐山にいた人間は納得しただろうが、それ以外の構成員には伝わらないことも多い。
それほどまでに良治の決断、反撃は迅速で的確だったということだ。
攻められているという情報が伝わる前に本拠地を落とされているのだから。
「――まぁそんなことはどうでもいいかな。白神会と霊媒師同盟、お互いにこれから仲良くしていけたら良いと、私は思いますよ」
「……はい、ありがとうございます」
「うんうん。それが確かめられたら充分だ。……じゃあ公的な会談はここまでということで」
隼人が天井の一部分に視線を送って数秒後。
すっと部屋の襖が開けられると料理を持った数人の女性が現れ、隙の無い動きで配膳をしていく。
「これは……」
「会談だけというのも味気ないのでね。食事くらいはしていってください」
「御厚意、感謝致します」
「ああ、別に砕けた言葉遣いで構いませんよ。お互いこの場にいるのはある意味身内のようなものでしょうし」
食事の準備が済み、変わらぬ笑みを浮かべる隼人。
どうやら特に裏はなさそうだと崩は感じ、素直に頷いた。
「そうですね、ありがとうございます」
「……兄さんは元から砕けていたように思いますが」
「はは、それが私の良いところじゃないか、綾華」
「一長一短だと思いますけどね」
「まぁ今回は良い方が出たと思って欲しいな」
「まったく……」
綾華とのやり取りに良治は少し驚く。
昔はこんなに仲は良くなかったはずだ。
ふと視線を和弥に送ると、彼はにやりと笑った。
どうやらこれは普通のことで本当に仲良くなったらしい。もしかしたら橋渡しの役割を和弥がしたのかもしれない。
(まぁたぶん無意識にだろうけど。上手くいってるなら言うことはないな)
仲良きことは美しきかな。
雰囲気も良くなるだけなので良いことずくめだ。
「ああ、良治君も結那くんもこっちにおいで。食事は人数分あるよ」
「やったっ」
「おい結那。まぁいただきます。ありがとうございます隼人さま」
反射的に立ち上がろうとした結那を押し止めてから二人で席に着く。長方形のテーブルの短い部分、お誕生日席と呼ばれるところだ。
「――では、乾杯」
それぞれに飲み物が注がれたタイミングで隼人が盃を掲げて音頭を取り、食事は始まった。
新年会を思わせる豪華な料理で箸が進んでいく。それに伴って和弥と結那、そして良治の酒のペースも上がっていく。
「あまり飲み過ぎるなよ。連れて帰れなくなる」
「んー、大丈夫よ。私の方がお酒強いし。良治が潰れてもちゃんと連れて帰ってあげるから安心してね」
「いや無理して雑に運ばれるよりは、ここに一泊させてもらう方がいくらか安全だし安心なんだけど」
「あ、じゃあ二人で――」
「却下」
「もうっ」
ふてくされたポーズの結那に苦笑しながら日本酒を煽る。
頬を膨らませた結那はすぐに笑顔に戻り、席の近い和弥に絡んでいった。
「ねー、良治がつめたーい」
「ははは、いつものリョージだな。リョージは照れ屋だから、帰って二人になった時にでも色々と――」
「おい和弥。余計な入れ知恵をするな」
「いや、昔まどかから聞いたことだし、俺の意見じゃないんだけどな」
「……あのまどかは何を喋ってるんだ」
「大丈夫よ良治。私もそうすれば割と甘えさせてくれるのは知ってるから!」
「てめぇら二人とも少し黙れ」
「良治こわーい」
「リョージこわーい」
「……はぁ」
酔っ払いには何を言っても無駄だ。
深い深い溜め息を吐いて二人から視線を外し、再度酒を煽る。
「……どうかしましたか、崩さま」
「いえ、その、とても仲がよろしいと」
崩が指しているのは良治と和弥のことだろう。
確かに何も知らなければ驚くことかもしれない。
「ああ、和弥とは高校の時からの友人なんですよ。まさか白神会に入って、綾華さまと結婚するとは当時欠片も思っていませんでしたが」
出会った当時、和弥は退魔士でもなく、この世界のことすら知らないただの一般人だった。
それが今では苗字を『白兼』に変え、白神会の中枢にいる。
世界はなにがあるかわからない。
良治としてみれば、そんな世界の可能性を感じる事象の一つだった。
「そのような関係だったのですね。……結婚、良い響きですね」
「……ソウデスネ」
不穏な響きに聞こえたが、一般的にはおそらく良いもののはずだ。あえて否定的な意見を言わなくていい。
「失礼ですが崩さん、ご結婚は?」
「いえ、まだしておりません。付き合っている相手もいませんが……」
酒ではなく冷たいお茶を飲んでいた隼人の質問に、ちらりと良治を見る崩。
そして意を決したような彼女の瞳に良治はとてもとても嫌な予感がした。
「……そうですね、良い機会なので。その、柊さまと私の結婚など、どうかと」
「それは無理ですよ崩さま」
隼人が声を出すよりも速く口を挟み牽制する。
下手に後手を踏めばどうなるかわかったものではない。
こういった、ある意味交渉の場と言えるような場所での雰囲気の掴み方、つまり自分の優位になるようなやり方を良治は幾つか理解している。その大きな手段の一つが機先を制することだ。
「何故ですか?」
「言ったでしょう、彼女がいるから無理だと。はっきり」
隣の結那も何か言いたげだが、今は良治が喋っているせいか黙ってくれている。
先に発言をして本当に良かったと思える瞬間だった。
良治が喋るのが遅れていたら喧嘩腰の結那が立ち上がっていた可能性もあっただろう。
「まぁ冷静に考えて無理だよなぁ。三人いる彼女の説得なんて無理に決まってるし。そもそも一人でも無理だろうしな」
「あ」
「……え?」
和弥の空気をまったく読めない発言に全員が固まる。
結那が声というか音を出し、崩が今の言葉を脳内で処理をしだした。
これは――まずい。
「おいバカズヤ」
「……すまん」
余計なことを言った自覚はあるようだ。
和弥は目を彷徨わせながら謝罪を口にする。
「あの、お兄さま」
「すいません、お兄さまはちょっと」
さすがに隼人たちがいる前では呼ばれたくない。
良治は崩に小さく抗議をする。
「彼女が三人というのは――いったい、どういうことでしょうか?」
良治の抗議を無視して、それはそれは優しそうな笑顔で、志摩崩はそんな質問をした。
【護衛の為】―ごえいのため―
護衛する対象の守る為の行為。それは大概のことを正当化する魔法の言葉。
これがあれば一緒の部屋で寝ることも許される、らしい。




