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従兄妹との一夜

「思考が止まっているようですのでもう一度言いましょうか?」

「……いえ、結構です。ですが少し整理する時間をください」


 今目の前の黒髪の女性はなんと言ったのか。

 良治は目蓋を閉じて思い出す。


(今、なだれは『お兄さまの部屋で一緒に寝ましょう』と言った気がする。間違ってると思いたいけど、たぶん間違ってないんだよなぁ……)


 ちらりと片目を開けると崩はまだにこにこと笑っている。とても嘘や冗談を言ったようには見えない。

 これまでの強引な言動から、やはり先ほどの発言も本気だと思える。


 しかしそれは飲めないことだ。

 公的にも私的にも問題しかない。


 もし本当にそうなって、それが外に漏れた場合良治はどうなるかわからない。霊媒師同盟の構成員から暗殺対象として見られるかもしれない。

 更に言うなら、彼女たちにバレた場合も良治はどうなるかわからない。

 命に拘泥する良治ではないが、こんなことで死にたくはない。


「崩さま――」

「お兄さま、私を部屋に一人きりにするおつもりですか?」

「それ以外にないでしょう。一緒の方が問題があります」

「そうですか? 私たちは従兄妹同士、いわば家族ですので何の問題もありませんよ」

「いやいや、それを認識してるのはごく一部ですから。そう思ってくれる方は少ないですよ」

「大丈夫ですよ。もし問題になったら事情を説明すればいいだけですから」


 簡単に言うが、実際にそうなってしまうと良治の立場が非常に怪しくなる。


 霊媒師同盟の盟主の従兄妹にして白神会所属。

 これだけ見れば白神会側は霊媒師同盟のスパイと見る人間も出てくるだろう。

 良治の白神会へ入った時期や経緯を知っても、霊媒師同盟と接触してしまった以上、その後裏切ったと思われることは免れない。


 上層部は理解を示したとしても、白神会に居づらくなることは予想される。

 そして疑念を持たれてしまえば信頼は失われ、同じ戦場で共闘することになっても連携にひびが入ることになる。

 それは命懸けの舞台では個人の死を引き寄せると共に、組織全体の敗北をも招きかねない。


「無理ですよ、それでも。リスクが高すぎます」

「護衛ということで一つ。どうかお願いします」


 そう言いながら頭を下げる。

 確かに彼女の言葉で良い訳は立つだろう。

 だがそれで完全にリスクが解消されるわけではない。


「あの、引くつもりあります?」

「いえ、まったくありません。どうにかなりませんか?」

「えぇ……」


 これでは交渉にならない。

 良治はお互いの妥協点を探すつもりだったのだが、あちらにそのつもりがないのならそれは不可能だ。


「お疲れのようですし、もう寝ませんか?」

「貴女がそれを言いますか……ああもう、わかりましたよ」

「では……!」

「でも知りませんからね。何が起きても俺は責任取りません。それだけは御承知おきを」

「はいっ」


 大きな、大きな溜め息ですべてを諦めた。

 根負けした良治は足を引き摺るようにもう一つの空き部屋に行き、最近は優綺がよく使っている布団を自分の寝室に持ち込んだ。


 その間に崩はるんるん気分で洗面所に向かい、歯磨きなど睡眠に入る準備をしていく。

 その光景に反比例して良治のテンションは落ちていった。


(眠いし、仕方ないよね……)


 明日も早くから活動せねばならず、今日も動き回ったので疲労は溜まっている。特に家に帰って来てからの疲労は計り知れない。


(まぁ何も起こらないし。それよりも今は寝ることが重要だ)


 考えることを放棄して、疲れ切った表情の良治も洗面所へ歩き出した。












(……どうしよ)


 部屋の灯りを消して三十分。

 ベッドで横になっていた良治は目を閉じたまま迷っていた。


 崩は隣に敷いた布団、良治はダブルサイズのベッドの壁際。それも壁を向いて寝ている。少しでも距離を開けようとした努力の跡だ。


 顔見知りとはいえ同じ部屋で女性と寝ることに抵抗感はある。

 布団に入るまであった眠気は何処かに消えてしまい、今は緊張感で眠れなくなってしまっている。


 それだけならまだいい。目を閉じて眠る努力をすればいい。例え眠れなくてもだ。


(予想は出来てたけどさ)


 問題は布団の端をめくるような気配がしていることだ。

 そしてそれを行える人物は一人しかいない。

 僅かな吐息が聞こえ、それは段々近づいて来る。


「……そろそろ怒りますよ」

「っ!」


 布団に潜り込もうとした気配に小さな声で警告する。

 短い悲鳴が聞こえ、動きが止まる。


 だがすぐに動き出し、結局彼女はそのまま良治の隣に横になった。


 まずい。これはまずい。なんとかして戻ってもらわねばならない。

 説得しないとと思いながら崩へ向かって寝返りを打つ。


「……」

「……」


 目が合った瞬間、良治は言葉を飲み込んだ。

 こちらの出した条件、一線を越えた彼女に強めの文句を言おうとしてたが、それは瞬時に立ち消えた。消えてしまった。


 今まで見たどの表情でもない。

 縋るような、寂しそうな、泣き出してしまいそうな。

 良治は崩の表情に、昔の葵を重ねて見た。


 思い出したのは良治の師匠、つまり葵の父が亡くなった時のことだ。


 ――ああ。そうか。


 この表情と今までの言動。その全てに合点がいった。


 良治の袖を掴もうとして躊躇い、彷徨う手。


「あ……」


 それを良治は優しく握る。


「手を握るくらいしか出来ませんが安心して眠ってください。その……一応、家族ですから」

「――! ありがとう、ございます」


 救われたようなほっとした笑顔。

 それを見て自分の理解は正しかったと感じられた。


 崩は触れ合えて安心できる『家族』が欲しかった。

 彼女の半生を思い出した良治はそう予想し、そしてそれは正しかった。


 志摩崩は若干十四歳で霊媒師同盟という巨大な組織の盟主となった。

 前盟主であった母親が病死し、血縁者が誰もいなかったゆえの結果だ。

 そもそも彼女の母親は次女で、本来なら継ぐはずのなかった人物。後継者となったのは姉である良治の母親が出奔してしまったからだ。


 望んで得た立場ではなく、支えてくれる家族もなかった。

 盟主としての役割も仕事もよくわからないまま就任し、それでも霊媒師同盟の者たちを引っ張っていこうと努力をした。


 崩は退魔士としても組織のトップとしての才能もそれなりにあり、白神会へ襲撃をした真鍋が上層部に来るまでは安定した組織運営が出来ていた。


 だがしかしそれは瓦解し、同盟員たちの支持があったとしても崩は自信がなくなってしまっていた。

 ――このまま自分がやっていっていいのか。やっていけるのかと。


 昔から蓄積されていた家族への憧れと寂しさ。

 幽閉され組織の実権を一度奪われた無力さ。

 そしてまるで映画のように自分を助け出してくれた良治ヒーロー


 それらが集まり混ざった結果、当然のように、運命のように――志摩崩の名を持つ彼女は恋に落ちた。


 だが良治はその気持ちのすべてを理解していたわけではなかった。

 単に彼女は家族愛に飢えていて、それがこの行動に繋がったのだと考えていたのだ。

 良治は別段鈍いわけではない。むしろ周囲の雰囲気や他人の感情には聡い方だ。

 だが良治は崩の中の家族を求める気持ちを理解した時、自分もその感情を昔持っていた為にそれ以上を考えることが出来なくなってしまった。


「……家族とも言えないような家族ですけど、それでも俺に出来ることがあったら言ってください。少しくらいなら手伝いますから」

「――はいっ」


 言葉一つで、行動一つで人は救われることがある。

 それを良治は今までの経験から知っていた。


 向かい合いながら手を握る。

 これで少しは落ち着いただろう。これでゆっくり眠れるはず。

 そう思って目を閉じようとした良治だったが、崩が口を動かそうとしたのが見えてそれを止める。


「早速なんですが、いいですか」

「内容によりますが。取り敢えずどうぞ」

「はい。……その、二人の時だけでいいので……」

「いいので?」


 手を握る力が強くなる。

 それだけ勇気のいることなのだろうか。

 良治も心構えをする。


「その、私のことを……『雪海ゆきみ』と、そう呼んでほしいんです」

「雪海……?」

「はい。それが、今は誰も呼ばなくなった私の名前です」


 誰も呼ばなくなった名前。

 そこで気付く。『志摩崩』という名前、それは代々霊媒師同盟の盟主が名乗る襲名制のものだったと。


「私が三十代目の志摩崩を継いだ七年前から今まで、一度たりとも呼ばれたことはありません」


 先代がなくなれば誰もが彼女を『志摩崩』と呼ぶことになる。

 それを呼ばない例外があるとするなら、それは家族以外にあり得ないことなのだ。


 つまり名前で彼女を呼ぶこと、それは家族であるという証なのだ。


「わかりました。ではこれからは雪海さんと」

「それだけじゃまだ足りません。歳の近い家族なら、呼び捨ては当然だと思いませんか?」


 一理ある。

 良治にはもう崩以外の家族はいないが、彼の知る限り確かに家族とはそういうものだった。


「……そう、ですね。わかりました……いや、わかったって言えばいいのか……?」

「あの、引き取られた家にはお子さん、つまりお兄さまと義理の兄弟になるような方はいなかったのですか?」

「……ああ、なるほど」


 感情の機微がわかるからと言っても、良治は人間関係を上手く回せるほど器用ではない。それが出来るなら白神会に戻る前に、とっくに違う場所で就職していただろう。


 しかし崩の言葉に良治は回答を得た。

 そう、彼女の言うように良治には義理の妹、彩菜がいる。


「いらっしゃるのですか?」

「はい、じゃない。うん、いるよ。義理の妹が」

「義理の妹さん……ライバル」

「いやそれは違うだろうと」


 何を持ってして崩が彩菜をライバル視したのかわからないが、きっとそれは違うだろう。思わず自然にツッコミを入れてしまう。


「ふふ、そんな感じでお願いしますね」

「……わかったよ」


 どうしたらいいのかは理解したが、それが実行できるかはまだわからない。

 でもきっと、そのうち慣れていくだろうと、そう楽観した。


「では、おやすみなさい――お兄さま」

「ああ。おやすみ、雪海」


 最後にもう一度ぎゅっと手を握り。

 そして二人は穏やかな眠りについた――











「……おはよう」

「ふふっ、おはようございます」


 良治が微睡みから意識を引き上げると、目の前には既に目を覚ましていた崩がこちらを見つめていた。

 驚いて声を上げなかった自分に賛辞を送りつつ、良治は起きようとして身体がうまく動かせないことに気がついた。


「あの、崩さま」

「雪海です。一晩でもうお忘れですか?」

「ああ、失礼いたしました……じゃない。ごめん、雪海」


 今まで続けていた呼び方や口調を切り替えるのは難しい。

 寝て起きたらすっぽりと頭から抜け落ちていた。


「はい。ずっとそれでお願いしますね」

「二人の時だけですよ。それで」


 こほんと咳払いをしてから再度崩を見つめて口を開く。


「あの、手と足、どけてもらっていいですか」

「もう少しだけお願いします」

「…………三分だけなら」

「お兄さまのなんだかんだ言ってそういう優しいところ好きですよ」

「……それはどうも」


 完全に抱き付かれ、密着した体勢から更にぎゅっと抱き締められる。

 女性特有の身体の柔らかさが伝わってくるが、それに反応したら負けだ。

 目を閉じて思考に入る。心頭滅却すれば火もまた涼しの精神だ。


(まずい、このままじゃ駄目だ。今日これからの予定を決めよう。ええと)


 起きたらシャワーを浴びてから朝食。その後はいろはさんと合流して京都へ。

 いろはさんには後で崩に連絡を取ってもらおう。

 新幹線の時間がわかり次第綾華に連絡を取る。

 だいたいこんなところだろうか。


(……何か忘れている気がするけど)


 何か見落としがある感覚。

 それを探ろうとした瞬間、唇に柔らかい感触を感じて目を開く。

 あまり合って欲しくなかった予想が的中し、ゼロ距離に崩の顔があった。


「あの、さすがに怒りますよ?」

「ごめんなさい。でも、もうこんな機会ないと思ったら抑え切れなくて……」


 申し訳なさそうな、それでいてはにかんだ何とも言えない表情。

 確かに彼女の言うように、もうこんなことはないだろう。

 しかしだからと言ってこの行為が許されるわけではない。


「……今後はもうしないでくださいね」

「すいません、ありがとうございます」


 だが彼女を見てるうちに怒りは消え、許してもいいと思えてきた。

 別に取り返しのつかないことではない。そのはずだ。


「シャワー浴びてきますので」

「あ、はい」


 崩がやっと手足を緩めたので身体を解しながらベッドから下りる。

 手早く着替えを手に取るとそそくさと部屋を出て、少しだけ前屈みになりながら洗面所兼脱衣所へ。

 リビングを通過しながら時刻だけは確認する。時刻は午前七時前を指していた。

 そして良治は風呂場でお湯になるのも待たず、文字通り頭を冷やして冷静さを取り戻していく。


「……はぁ」


 熱くなってきたシャワーを頭から被りながら溜め息を吐く。


 別にキスされたことや好意を寄せられていることに関しては嫌ではない。可愛らしい女性に言い寄られて嫌な気持ちになる男はそうはいない。


 だがやはり問題は、良治には付き合っている彼女たちがいるということだ。


(……あれ?)


 そこで何かが気になった。

 その瞬間、ガチャリという音が耳に届く。

 これは――玄関のドアの鍵が開く音だ。


「あ」


 そこでようやく気付いた。。

 昨日綾華が誰かもう一人を護衛に付けると。そんなことを言ってたことに。


 誰か。それは誰だ。朝のこの時間に来れる人間。

 それはおそらく東京支部の人間だろう。綾華もまずは東京支部に連絡を取るはずだ。そうなると――


 急いで髪の毛のシャンプーを洗い流し、シャワーを止める。

 玄関の方ではドアが開かれた音の後に、洗面所の前の廊下を歩く音が通り過ぎて行ったのがわかった。


(……結那かっ!)


 足音が比較的重いこの感じは結那に違いない。

 まどかはもう少し軽い音、天音は無音だ。優綺はその二人の中間くらいだ。


 すぐにでも追いかけて声をかけたいが、今の良治は裸だ。この状態で濡れたまま廊下に出るのは憚られる。

 このまま声をかけることも思いついたが、必ず結那は迷わずこの扉を開けるだろう。残念なことに鍵はついていない。

 もう何度も見られてはいるが、今はそんな状況ではなく、良治に露出趣味もない。


(……なんとかなるよね?)


 誰に問うたかわからないまま、良治は出来るだけ速くバスタオルで身体を拭き、今までの最高速度で服を着た。

 髪の毛をドライヤーで乾かしたかったのは山々だがバスタオルで荒っぽく拭くだけにとどめた。今はそれよりも重要なことがある。


「っ!?」


 これでようやく、というタイミングで強大な殺気が膨らんだのがわかった。

 場所はリビング、そしてそれを放っているのは言うまでもなく今さっき来た良治の彼女だ。


「……行くか」


 正直なところ行きたくない。

 こんな殺気を放っている人間に会いに行きたくはない。

 この覚えのある気配で来たのが一番気の短い結那だと確信してしまっている。

 彼女が本気で暴れたら止めるのは非常に難しい。


 ――なんとか収まりますように。


 普段信じてもない神様に期待せずに祈りながら、良治は殺気溢れる我が家のリビングへの扉を開けた。



【志摩崩】―しまなだれ―

霊媒師同盟の盟主が代々襲名する名前。日本を守護する「四護将しごしょう」も代々務めている。現在の志摩崩は三十代目にあたる。

生者と死者の間に立つ者から「死間」、転じて「志摩」となったと伝えられる。

初代はただの巫女だったが、村を襲った雪崩を一人の力で消し飛ばしたことから雪崩から雪の字を消し、「崩」の一字で「なだれ」と呼ばれるようになったという。

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